笑わない数学者 4/4

というわけで、
スパン計算の話に戻りますが。
(まだ続いています(笑)
こっから7/24記。↓)


皆さんそれぞれの立場で
それなりに身の危険を感じつつ生活している
昨今かと思いますが、

能力のない自覚のある人達は
確実な寄生先探しに余念なく、

また
とある人達は
「俺はやってやるぜ!」
と根拠のない自信で
世の中を上から眺めていることでしょう(笑)

なので、
参考までに
スパン計算のこれから先についても
少し書いておくことにしますね。

まず、ポイントとなるのは
先程書いた
令和4年(2022年)8月です。

歴史的には応仁の乱によって
いわゆる戦国時代に
突入する時期になっていくわけです。

今の福岡が
中世頃そうであったように
各地がうんこ化する可能性があります。

思えば、
博多祇園山笠も中世頃に興されたものだと聞いています。
今回の山笠断絶と復興は、
やはり奇遇なのか、必然なのか。

ただ歴史的な事情と比べてみると、
やはり現代の場合
レベルが低いというか
衰退傾向にある印象を受けます。

このスパンが
短く衰退傾向にあるというこ
とは
すなわち
やはり日本という国が
末期なのかなと思います。

なので、現代で
どのような事象として現れるかは
注意が必要ですが、

今後注目すべきというか
皆さんの興味があるのは
やはり、この戦国時代の行方なのではないかと思います。

一応、令和5年(2023年)3月頃が
関ヶ原江戸幕府成立あたりになります。
(前々回あたりの記事で書いた
星占いのポイント的な時期にも一致しますねー。)

それまでに
きっといろいろあるとは思いますが。。。

例えば
歴史的には
鎌倉の北条氏は
鎌倉幕府滅亡後も続いていましたが、

例の小田原攻めでの陥落では
相当数の死者が出ていますので
付近一帯の方は
その時期お気をつけいただいたほうが
よいかと思いますし、

もちろん江戸幕府開幕の前に、
大阪城も陥落、豊臣氏も滅亡していますので
そのあたりもお気をつけくださいね。

こうして見てみると
歴史というものは
儚いものだなぁと思いますが、

江戸幕府が成立してからも
私見では
三代家光あたりが
ピークですよね。

五代綱吉の頃は既に
「お犬様」とか言って
政治は混乱してましたし、

八代吉宗の頃には
各地の近親の血筋の中からほうぼうを探して
やっと将軍を決めるみたいなことになっていて、

吉宗(暴れん坊将軍のモデル)は
なかなかの名君だったようですが、

吉宗が米(こめ)将軍と呼ばれていたことからもわかるように
米(こめ)相場に苦心しています。
この頃には既に米(こめ)相場が荒れていて
各地で一揆も頻発していたようです。

ちょっと話はそれますが
家光の頃は大奥が確立した時期、
綱吉の頃は、かの桂昌院が裏で画策してた時期、
秀吉は淀君に夢中で
鎌倉幕府と言えば北条昌子で、
やっぱりおばちゃん達が幅を利かせ始めたら
滅亡の一途ですよねw
と、今回改めて思いましたね(笑)

かの黒澤明監督も
「乱」で「女は政を乱す」っていうのを映画で描いていましたし、
(フォーマットはリア王ですが。)

でも、最近の人達って
そういうことも
自分達の都合のいいように
解釈してるのかな?
まぁ、そもそもそういうことすら知らない人達も多いんでしょうね。

そんな感じで、
なんだかんだで
江戸時代の300年の歴史というのも
現代のスパン計算でいくと
1年程度で
令和6年(2024年)の6月くらいには終わってしまいます。

短っ(笑)

それから、
明治時代に入って
近代化を迎えるということになりますが、

近代化と言っても、

江戸時代の大名制度→廃藩置県→47都道府県をもとに
今の地方自治制度へとつながっていますし、

市民平等と言っても、
江戸時代の5人組の
農民階級の連帯責任は
現代の家族制度に
そのまま受け継がれているわけなので

根本的には
何も変わっていないのではないかと
個人的には思いますが(笑)

おまけに
スパン計算で
主だった歴史事項を見てみると、
明治以降の日本は
やはり戦争に続く戦争ですね。

日清、日露、第一次世界大戦第二次世界大戦、そして
原爆を落とされて
やっとオモテ向きの戦争は
終結ってところです。

なので、この戦争勃発時代にあたる
令和6年下半期に
どういうことが起こるのか
わかりませんけど、

このまま、
令和7年(2025年)1月
スパン計算で行くと、
ちょうど2011年あたりになるんです。

例の3.11の頃です。

もうなんだか
気をつけてくださいね
としか(笑)

まぁ、気をつけてくださいと言われても
気をつけようがないですよね。
わかります。
(あっ、久しぶりに普通の用法で使った(笑))

でも、私がさらに怖いなと感じるのは
このスパンが現代の時間に追い付いたとき
どうなるのか?
ってことですね。

今回のこのスパンのシンクロ現象が起きているのは、
まず、間違いなく
元号を令和としたからだと思うんですけど、

そのときに
元号をつける人達が、
きっと、やってはいけないことを
やってしまったんでしょうね。

先にも述べましたが、
元号というのは
為政者の日本という国の行く末に対する祈りのようなもので、
日本では神聖な儀式を持ってとりおこなわれるものです。

その儀式は、この国では
既に有史時代から考えても
1500年は積み重ねられてきたものなのです。

歴史を積み重ねるということは
その行為が
生きることそのものなので、

たとえ儀式と言っても
日本という国が
1500年という長い年月
元号という時間を示す単位で生きてきた訳なので、

その儀式は
もはや日本とそこに生きる人達にとって
その歴史と不可分になっているんだと
思うんです。

だから、今回の元号制定が
その歴史的経緯を軽んじて
日本の国の行く末を考えることすらなく、
まるで日本の国を有史以前に戻すかのような
邪な思惑にもとづいて行われたため、

時代と国とそこに生きている人達の意思を
無視したような不適合性が起き、
まるで「呪い」のようなものになっているのではないかな
と思います。

他の「専門家」がどう言うか知りませんが、
私は、そう思いますね。

まぁ、「万葉集」自体
いろいろな意味で
扱いが難しいテキストですから(笑)

その「万葉集」から
言葉をとってきた
っていうのが、

結局、第二次世界大戦
「神風」を利用した行為と
ほぼ同じなんですよね。

それが日本と
そこに生きる人達に
どのような運命を辿らせたか
ということについては、

改めて言うまでもありません。

しかも、今回は
「過去の時代を現代に持ってくる」ということですから、

おそらく
それで、時代の周期的なスパンを早めたのだと思いますが、

現れる事象が衰退傾向にあることからも
きっと、この国の寿命を縮めていることは
間違いない。

なので、
スパン計算で
歴史が現代の時間に追いついたあと、
また、さらに短いスパン周期を繰り返すのか、
或いは
そこで終わるのか。

今の時点では、
なんとも言えませんね。

令和7年(2025年)1月頃、
スパン計算で行くと、
ちょうど2011年頃になると述べましたが、

スパン計算の歴史がこのまま
現代時間を追い越すと、
2月には例の2045年のシンギュラリティに十分到達する可能性があると予測された時期に相当することになります。

シンギュラリティ自体
予測自体よりも
時代の影響により
さらに時期が早まることも
既に指摘されているため、

もしかしたら
現代時間のその時期に
何か起きるかもしれないとも
考えられます。

令和7年(2025年)1月以降
同じ周期をさらに短いスパンで繰り返す場合は、
今回の場合7年でひとつの周期なので、
それより短いスパンを何回か繰り返したあと
シンギュラリティに到達するのかな
とも思いますし、

或いは
シンギュラリティの到達とかではなくて
もっと末期な何かが起こるのかもしれませんし。。。

スパンが
どんどん短くなっていって
最後には
一瞬で歴史の一通りを
終えるのかもしれません。

そう考えたときに
ふと、
これは
人間が死ぬ前に見る走馬灯のようだな
と思いました。

人間が死ぬかもしれない
或いは
死ぬ直前に
いろいろな出来事が
めくるめくように思い出されるという話があります。

あれを
私なりに考えてみたのですが、
(たぶん、これは前にも書いたことがあるはずー。)

人間というのは
体全体が
いつも「生きる」という活動を
それこそ全身全霊をかけて行っています。

本能的に
意識的に、或いは無意識的に
それを行っているわけです。

もし、ある人間に
「死亡」フラグが立ったとき
その人間は、その「死」を
全力で回避しようとするでしょう。

人間の体の機能も同じで、
全身の機能が「死」を回避するために
あらゆる機能を使って
原因とその対処法を見つけようとする。

きっと、脳(と呼ばれる器官が人間の意識を司る器官であると仮定した場合)も同じで

だからこそ
過去から現在までの
ありとあらゆる記憶を
まるで一瞬のうちに
甦らせるのではないかと。


死の直前の走馬灯現象は
そのようにも解釈できるのではないかな
と思った次第です。

だから、似てませんか?

今回のスパン計算に見られる
シンクロ現象は、

日本という国が
まるで、その崩壊を前にして
過去の歴史をめくるめくうちに
振り返っているような気がするんですよね。

でも、
走馬灯の中で解決案が見つかるほど
時間は残されていない
というか。

まるで、
死神の告げる「死」のように
それは不可避的なもの
なのかもしれません。

日本という国に生きる私達に
再生の機会が
あるのかどうかは
わかりませんが、

こうなってしまった以上、
日々を
ますます自分の思うように
生きていくしかないな
と思っている
今日この頃です。

だって明日死ぬかもしれないしねー(笑)


私のことを
「死神」と言った人達がいましたが、

死神って「死」を告げに来るから
不吉で忌み嫌われている存在ですが、

クロノスと同じように
その人の生きた歴史を
伝えにくるんです。

あなたは、もうすぐ死ぬかもしれない

走馬灯のように
その人の人生を見せてくれるかもしれない。

でも、
もしかしたら
そこから
その人生をやり直すことだって可能かもしれない。

そういう意味では、
「このままでは、あなたは死にますよ」
と教えてくれる存在は
とても親切な、有難い神様ではないかと
私は思うのです。

だって、
そのままだったら
どうせ死ぬんですからね。(笑)

死神は
そういう存在であると、
少なくとも私は思っているわけです。

私は自分のことを
死神とは思ってないのですけれども、
まぁ、似たところはあるのかも
とは思います。

クロノスも
もともとは豊穣の、豊作の神様だったのに、

以前述べたように
人間達の都合で
悪魔とか死神とか言われるようになったわけです。

草刈り鎌も
不気味な大鎌にされてるし(笑)

人間って
自分達の都合で
神様を利用したり、
怖がったりして
大変ですね!


最近は
ニセモノの死神まで
出回っているみたいですし(笑)


私の場合も、
周りの人達が
自分達に都合がいいときだけ寄ってきて、
利用して、嫌がらせまでしたあと
徹底的に排他するので
よくわかりますわ(笑)

でも、
目の前の事実っていうのは
何も変わっていないんです。

ずーっと昔から
何も変わっていないんですよ。

あなたちは(笑)

というわけで、
前回の記事から見事に「死神」つながりになったところで、
今回の記事のタイトルの説明でもしてみましょう。

今回のタイトルは「笑わない数学者」です。

前々回の記事の
すべてがFになる
Perfect insider
有限と微小のパン
Perfect outsider
からの絡みですが、

森博嗣さんの著書は
犀川先生が出てくる
この一連のシリーズが好きです。

リカーシブ・ファンクションという運動の法則が、
おそらくこのシリーズの
作品全体を通じて
流れている基本概念であり、
そこが
お気に入りです。

今回の記事も、その意味とかけて
このタイトルをつけさせていただきました。
(他にもいろいろと意味するところはありますが、
まぁ、今回はそういう感じで(笑))



*****************

少女は、気がついて時計を見た。
「ごめんなさい。私、塾に行かなくちゃ。」
お爺さんはまたにっこりと微笑んだ。
そして、立ち上がり、地面に大きな円を一つ書いた。
少女が呆れて見ていると、お爺さんは円の中心に、
きをつけの姿勢で立った。
「何してるの?」少女は堪らなくなってきく。
「円の中心から、円をまたがないで、外に出られるかな?」
お爺さんがゆっくりと言う。
白いベレー帽が斜めになっていた。
お爺さんは、少女の顔を見て微笑んだままだ。
(変なの・・・。この人・・・、頭がおかしいのかしら。)
「そんなことできない」少女が自信を持って言う。
「私はできる」お爺さんがすぐに言った。
「嘘だわ、そんなの・・・・。それって、いじわるクイズでしょう?」
お爺さんはゆっくりと首を横にふった。
それから、指を一本立てる。
そして、大きな円の中に立ったままで、
「ここが外だ」と言った。
「そこは中よ。外じゃないもの」
少女は、もう行くことにした。塾に遅刻しそうだ。
(変な人。どうして、あれが外なのかしら)
きっと、本当にあたまがおかしいんだ・・・。
そういう人がいるって、お姉ちゃんが言っていた。
公園の出口の横断歩道の手前で少女は立ち止まる。
時計を見た。
ペロペロキャンディみたいな時計で、みんなもそう言っている。
でも、どうしても、このまま帰るのは悔しい。
(少し遅刻しても平気・・・。)
少女は急いで引き返す。
お爺さんはベンチに座っていた。
「ねえ、どうして、あそこが外なの?」少女は怒ってきいた。
走っているうちに、腹が立ってきたのだ。
お爺さんはまた微笑んだ。
そして、ゆっくりと立ち上がると、
もう一度さきほどの大きな円の中心に立った。
「この円を、大きくするのだよ。
 どんどん、どんどん、大きくしてごらん。
 地球はまるい。円はどうなるね?」
少女は想像した。
円がどんどん大きくなる。
公園よりも大きくなる。
街よりも・・・・・・、そして、ついに地球の直径と同じに大きさになる。
それから?
それから・・・・、地球の反対側に向かって、今度は円は小さくなる。
あれ?
「そうか!中よりも・・・・外の方が小さくなるんだ。」
少女はその発見に嬉しくなった。
「あっ!そうか・・・。それで、そこが外ってことに・・・?」
面白くて飛び上がりたくなった。
でも、なんだか、まだ少しおかしいと思う。
「でも、そういうときは、小さい方が中になるんじゃないかしら?」
お爺さんは少女をじっと見て、にっこりと頷いた。
「ねえ、中と外はどうやって決めるの?」
お爺さんは片目を瞑る。
そして、ベンチに戻って、腰を掛ける。
座るとき、白いベレー帽が地面に落ちた。
お爺さんの髪は真っ白だった。
「ねえ、どちらが中なの?」
少女がもう一度きく。
お爺さんは帽子を拾い上げてから、少女に言った。
「君が決めるんだ」

                  (森博嗣笑わない数学者』)




************



ワタクシ的に
これからの予想とかを書くときの記事に
「鬼も笑わない来年のこと」
とか
書くのも
似たようなもので、

人は笑うかもしれないけど、
鬼は笑わないって感じで
書いてます。
(もちろん「来年のことを言うと鬼が笑う」ともかけてますが。)

きっと、神様も笑わないわ。

だって、神様は
本当のことを
知っているはずだからです。

昔、
笑ゥせぇるすまん」という
藤子不二雄の漫画がありました。
(アニメにもなってましたが。)

あの喪黒服造というのも
死神ですよね。

ドーン!

って

やらかした人の前に現れて、
指差し確認まで
してくれます。(笑)

だからですね

死神というのは、

その人がやってしまった「後」で
死ぬ「前」に現れるんです。

で、その結果
死ぬことになるのか
まだ、何か可能性を見つけるかは
本人次第っていう
わずかな希望は
あるかも?
。。。ないかも?(笑)

大体の時は
不可避な場合が多いのかも
しれません。


なので
昔の人達は言いました。


後悔先に立たず

と。

そう言えば、

私が小学生の頃、
さくらももこさんが
「りぼん」のふろくの
「ちびまるこちゃんことわざかるた」で
書いていました。


後悔役に立たず

と。(笑)


さすが
現代の清少納言
(と、高校生くらいの頃に言われたそうです。←本人談)

てかさ、
さくらももこが結婚した相手の編集者って
「りぼん」のみーやん?

ずっと気になって仕方ないんですけど、
(だったら調べろよと思うかもしれないんですけど
普通はたいてい忘れてるから調べたことがない(笑))

小学生の頃から
「この人達って絶対付き合ってるよね」
って思ってたんだが。

違うのかなー?(笑)

小学生のときには
さくらももこ岡田あーみんは結婚しそうにない
と思ってたけど
(↑というか本人達がそう言ってたので
そう思ってた)

実際には
違うもんですよね。

まぁ、それは置いておいて。

藤子不二雄もそうですけど
「ちびまるこちゃん」も
漫画とアニメでは
全然違うと思うんです。

「ちびまるこちゃん」は
ちょうど私が小学三年生になる頃、
「りぼん」で漫画の連載が始まりまして。

たしか、まるこちゃんも
永遠の小学三年生(か四年生)だったんですけど、
私とちびまるこちゃんは
ほぼ同じ年で。

さくらももこさんの方が
私より上の世代なので、

ちびまるこちゃんの時代設定は
当時の小学生には
既にやや古い感じではありますが。

連載当初の「ちびまるこちゃん」は
面白かったですね。

セリフ以外の文字が
漫画のコマに
入りきらないくらい
びっしり書き込まれてました。

だいたいが
同級生イジリというか
一般人イジリなんですけど(笑)

小学三年生くらいの女子が
その目で見た
学校のクラスや家族という
ひとつの社会を

ときにシニカルに
冷静なツッコミで
まったり語っていく
っていうね。

そこがおもしろかったし、
大人の人達にも
ウケたんだろうと思います。

アニメでも
最初の頃は若干その雰囲気はあって、
キートン山田さん(でしたっけ?)
の淡々としたナレーションが
流行りましたよね。

アニメ化されたのは
私が中学一年生の終わり頃になりますけど。

そのあたり
久保キリコさんの
「シニカルアワー」とかも
人気が出てました
(キャラグッズも結構持ってた)が、

ワタクシ的には
シニカル女子は
「ちびまるこちゃん」が先です。

「ちびまるこちゃん」は
人気アニメになって
映画化もされて、

中学の部活(放送部)のときに
なんかの編集の合間に
放送室のモニターで
その映画見たことあるけど、

既にその頃には

友情、仲間、希望、思いやり

みたいなストーリーに
なってて(笑)

「こんなのちびまるこちゃんじゃない」
と思った覚えがある。

「ちびまるこ」ちゃんにも
ほんわかストーリーの回も
たまにあったけど、

もっとさりげない感じで
そこがよかったんですけどね。

台風の一夜、とかね。


思えば、
クレヨンしんちゃん」も
そうなんですよね。

幼稚園児のくせに
ギャル好きで
お母さんを「みさえ」と呼び捨てにし、
お父さんと風呂上がりに
ぞうさん」をして遊ぶのが何より好きで、

ませてて
生意気で
でも、レベル的には
やっぱり幼稚園児っていう(笑)

クレヨンしんちゃん」が
アニメ化された頃
私は高校生でしたが、

友達が
「近所の子供のしゃべりかたがみんなしんちゃん風でイラつく」
と言ってましたけど、
実際いたらムカつくレベルのお子様だったわけです。

でも、
それが、
しんちゃんのいいところ
だったと
私は思うんですよねー。


それが今では
しんちゃん
毎回、映画では
世界を救ってますからね(笑)

ほんとに
毎回ね(笑)

ヒーロー様々ですよね!

なんかね
たしかこの間見かけた
タイトルとか
酷かったね。

もう忘れましたけど(笑)

もう、そんなの
しんちゃんじゃないし
そんなの見て
何がおもしろいのかな
と思って。

たぶん、
ドラえもん」で
いつもはだらしないのび太くんが
やるときはやるんだよ!
(↑映画とかでは)
っていうセオリーを
いろんなものにあてはめてるだけなんですよね。

その「特別感」に
毎回浸るところこそ
ヒーローものたるゆえんのところですが、

「ちびまるこちゃん」も
クレヨンしんちゃん」も
ほんとはヒーローものじゃないからね。

なんか
その「特別感」中毒に陥っている人達が
ほんとに怖いんですよね。

わけのわからない陶酔感に浸っててね。

戦時中に
「神風」思想に酔いしれてた人達も
同じようなものだと思うんです。

天皇からの終戦を告げるラジオ放送があったとき
みんな「呆然」としてたらしいからね。

まさか日本が負けるとは
まさか天皇が神様じゃなかったとは

って
当たり前のことに
やっと気付いたみたいな
有り様で、

まるで集団催眠が
とけたみたいだったそうです。

やっと戦争が終わった
とか
そういうんじゃなくて、

「えっ?日本は勝つんじゃなかったの?」

って
感じ。

そりゃあ
(本当の→)神様もお怒りになりますわ(笑)

人間って
ほんとに
神様を自分達の都合のいいときだけ利用しますけど、

これはその最悪なパターンのうちのひとつ
と言って間違いはあるまい。

今の日本の
大丈夫、大丈夫
いつかは景気もよくなって
経済も回復するから

っていうのも
同じということに
何故気づかないのかしら?

ほんとに
不思議です。

学習能力がないというか
歴史の勉強が足りないよねw

まぁ、
現代社会には神様にかわってヒーロー症候群の人達が
本当に多いなと
思って。

たしかに
ヒーローは神様と違って
忠告とか怒りの制裁とかしないからかもね(笑)

鬼を嫌うほんとの理由も
やっぱりそこのところ?(笑)

悪い子はいないかー!
って鬼が来たときに
まっさきに鬼に食われそうな人達だもんな(笑)

もはや中毒で
ヒーローと普通の人(自分達)の違いも
わからなくなってるし、

自分もそうなれるとその気になるのは構わないけど

ヒーロー思想に騙されて
社会に迷惑をかけないでね
と言いたい。

あのですね。

実際、ヒーローとかいませんから(笑)

夢見がちなのも
大概にしとけよ
と。

あ、ごめんごめん。
言い方が悪かったね。

夢見ることは
別に悪いことじゃないけど、

夢見具合がちゃちなんですよね(笑)

夢、希望、愛、仲間。。。
思いやり、やさしさ、平和
そしてヒーロー。。。
みたいな(笑)

窮地に陥ったら(都合が悪くなったら)
ヒーロー様が
当たり前のように助けに来てくれる。
なんなら、自分達が
ヒーロー様になって
万事解決よ!

だから
みんなで楽しいことだけ考えて
ポジティブに頑張って生きて行きましょう
みたいな?

そんなのばっかり
大人になっても言ってる人とか
普通に「頭大丈夫?」
って思われるし、

自分でも、この歳でこんなこと言うの恥ずかしいんだけど
とか普通はなるけど
そういう恥ずかしさとかも
ないんだよね。

恐ろしいことです。

しかも、実際のヒーロー様(気取りの人)達は
大の大人だし
権力の傘の下で卑怯な手段を使って万事解決するからなぁ(笑)

中2病とも
違うし(笑)

ヲタのほうが
そのあたりの区別は
ちゃんとしてたけど、

今のリア充のにわかアニメファンの人達とかも
そのあたりの現実とファンタジーの境界線が理解できないみたいで、
かえって恐ろしいんですよね。

リア充のほうが
「アニメとかでやってるから」とか言って
犯罪とか犯しそう(笑)


最近のアニメブームって
ほんとレベル低いよね。

作品(漫画)自体のレベルも低いけど。

しかもあからさまな商売利用が多いから
げんなりする。

今、博多駅の阪急の地下の入り口入ったら
「ワンピース」とコラボしてる店があるみたいで
(前はケーニヒスクローネがあった場所だけど
今は知らん。)

遠くからそれが見えて
なんかこっちが恥ずかしいんですけど(笑)
(だから近づかない(笑))

「ワンピース」とかさぁー


ダサいじゃん!!(笑)

しかも絵も下手じゃない?
(プロなのに)

最初の頃、
同人とかでも
よく描いてる人とかいたから
(↑ジャンプでやっててメジャーなのとたぶん描きやすいから?(笑))
原作のキャラぐらいは
わかるけど、

女の子達の顔が
ほぼほぼ同じだし、

最初見たときに
なんか
ピノキオみたいな鼻筋の女の子がいるけど
これはわざとなのか???
とか
しばし悩みました(笑)

あと
よくわからないけど
たぶん主人公の人だと思いますが
手足が伸びるのとか
既に「怪物くん」で
でじゃぶなんですけど。。。

「ワンピース」みたいなのでよく「泣いた」とか
話聞くけど、

あんなお涙頂戴ストーリーで泣く涙とか
整理現象のオシッコに等しいと思う。

しかも、
ストーリーとかでも
たぶんオリジナルのはないよね。

どっかで聞いた話とか
こういう風に持っていけば感動的になるだろうな
っていう
(なのでそのからくりがわかっている人間は特に感動しない
というか
「お前こういうので感動するだろう?」みたいな作為が感じられてむしろ不愉快。)

単純な組み合わせのストーリーなので
特に技術も要らないから
あれだけ長く続くんだろうな
というのが
一話読んだだけでわかったという(笑)

たぶん「ワンピース」も
作者が死んでも続くね。(笑)

誰でも書けるもん。

しかもそういう感情移入を誘うような作為的なストーリーがぎっしり入ってて
「勘弁な!もういいよ!」
って
胸焼けしそうだけど、

それを毎回わかってて
意図的に感動するために読む人達とか
もはやマスターベーションだよね(笑)

ほら
昔、いたじゃん
NHKの「プロジェクトX」好きで
中島みゆきの歌聴いただけで
涙が出てくる人達。

まぁ、「フランダースの犬」の
ネロの死ぬ場面で涙が出てくるわ
とかいうレベルだと
まだ純粋な感じがするけど、
(よっぽど幸せな人生を送られた方なのでしょうね!)

最近はそれをネタのように
わざと泣くやつまで出てくるから始末が悪いよね。

なので、
フランダースの犬」も
かなり食傷気味です。

それを
あざといと言うと
「あざといは正義」とか
わけわからん頭悪そうな若い女の子とかがいちゃもんつけてくるので
言わないけど、

たいていそういう子って
あざといとか言う前に
キャラ勝負で
顔面整形とかしてそうなので(笑)

整形顔のやつに
あざといも糞もあるか
と。

なんか低レベルな話になるんですよ、
そういうのが絡んでくるとね。

とりあえず、
夢見がちには
いろいろな意味があるけど、

最近のリア充どもが主張する「夢」が
陳腐でちゃちだという話です。

まぁ、あのスピッツさんも
「夢」を歌いつつ
がっちりリア充なので
そりゃあ夢も醒めますw

あの人達
ロックバンドでもなく
ただの商業バンドでそ?

ってことに
気づいてからは
あくびものです。

つくりーたかったきみーとちいさなー
ねこちぐらみたいなへーやをー♪

とか歌いつつ

巨大なシロアリの巣みたいな
コロナの割には結構人がぎっしり入ってる虫食いホール
(↑一応コロナだから等間隔で席が空いてはいる(笑))

創○くさいおばちゃん達「だけ」集めて、

それを
オンライン(クレジット決済オンリー)でも
WOWOW(スピッツの体裁をフォローするためのドキュメント付き)でもやってたからね(笑)

そのあとのライブが
ホール中止にしたのに
無理やりアリーナ開催で
しかもチケット倍額の上、
さりげなく企業アピールもねじこみつつ、

そんな
商魂たくましい「優等生」ミュージシャンに
「夢」を歌われてもさぁ。

これ、何の茶番ですか?
って話じゃないですか(笑)

しかも
なんだかんだで
おばちゃんだらけじゃないですか
みたいな(笑)

むねたん本人はロリ好きなのにねw

ま、でも優等生だから
おばちゃんにも(表向きは)やさしくしますよ!

「お題を与えられるの得意ですから!」(←実際まさむねくんが言ってたけどそういう意味だったのですね(笑))

どうか
彼らにCMとかドラマとか映画のタイアップを(笑)

ちなみに
まさむねくんの「お題」回答レベルは
それほどでもない。(笑)

なのでー
実際のヒーロー様達は
みんなこんなもんですよね。

現実世界に
本当のヒーローなんて
いないのです!!(断言)

だって人間だもの。
(byむねを)

どこもかしこも
陳腐なドラマ仕立て。

今回の安倍元首相襲撃の際の○売新聞の一連の流れを見ても、

その劇場性というか
ドラマ仕立て感とか
同じようなものです。

あんなのに惑わされて同情票入れる人達って
本当に精神年齢いくつなんですか?
そんな人達に選挙権とか与えちゃダメだよね

思った次第です。

見た目はオトナ!
頭脳はコドモ!

ってやつですね。

まぁ、その選挙も
今後は18歳から選挙権が与えられて
ネット選挙主流になって
さらにやりたい放題になるってわけですね。
わかります。

しかも、
「その代わり」
15歳から実刑な!
みたいな話も出てるらしく(笑)

意味わかりません。

「その代わり」って
何だよ?
頭おかしいの?(笑)

ほんと、日本って
終わってるよねー。


(この15歳から実刑説の部分については見直し時に追記しますた7/27)


話は
少しそれましたが
まぁ、そういうものですよね。

だから
まともな人達は
なるべく頭がおかしい人達に関わらないようにして
それぞれ
日々頑張って生きていきましょう!

ちなみに

やつらは、
コロナオンライン化

異常気象(酷暑とか)を引き起こして
電気が足りなくなることを
予測して原発を再稼働させるわけではない。

同じ過ちを繰り返して
その場しのぎその場しのぎやっているうちに

ドツボのどん底にハマっていって
原発を再稼働しなくては
ならない状況に陥っただけ。

そんな酷暑もいつまで続くのかなぁ。。。

まぁ、お体には気をつけて
身の安全にも気をつけて

キチガイはスルーしましょう!

ご安全に!!
(この場合指差し確認はしない。(笑))


というわけで、
今回はこの辺りで。

私は来月にまた家族で旅行に行きます。
(今度は私のお誕生日のお祝いだとか
そうじゃないとか諸説あり(笑))

無事戻って
元気に生きていたら
またお目にかかりましょう。

てか
まず旅行行けるのか?(笑)

ほんとに明日をも知らぬ身の上なので、
明日いや今日死んでも
後悔がないよう
日々生きています。

就職妨害とかで
未だにお仕事もできず、

去年の秋くらいから
ずーっと
やりたいこともできずに
(お金もないから日々節約生活だし)

いろんなことを考えつつ
いつ死んでもいいようにだけ考えて生きてる感じ。

なので、
世の中を見るたびに
ほんと、みんな自分のことばっかだなー
と思いますね。

自分の身の回りの陳腐なことを
取り繕って
言い訳しながら生きてる人達を見ると
ほんとにくだらん
と思ってしまう。

今までは
イラっとすることも
多かったけど、
最近はどうでもよくなってきた。(これでも。)

ただ、そうやって
できるだけそういう人達を
スルーしながら生きていても
やつらは追っかけて来て
嫌がらせをするので
相変わらず怒りながら
生活してますから。
(怒らないとやめてくれないので。)

でも、それも
疲れてきたので
まぁ、淡々とやっていくことを
改めて決意した
今日この頃です。

まぁ、明日死ぬかもしれないし
怒ってもしょうがないから。

そんな感じです。

なんか眠くなってきた。

というわけで
そろそろほんとに
この辺りで。


昔、ブログ記事でも書きましたが、
森博嗣さんのシリーズを
私は講談社文庫版で持っていて、

今回改めて講談社文庫の刊行の辞を読んだんですが、
名文ですね。

1971年の7月に野間省一さんが
書いておられますが、
本屋さんで是非読んでみてください。
今読んでも色褪せない文章です。

こういう刊行当時の想いを
受け継いでいく人が多かったら、
出版界が現在のような状況に
ならなかったんだろうな
と思いますが。

笑わない数学者」の
講談社文庫版の奥書きを見てたら
第一刷が1999年7月15日となっていて、
今回ブログを書き始めた日の
ちょうど23年前でした。

しかも、ノストラダムスだよ。

もはや神がかり的というか(笑)

よく考えてみると
笑わない数学者」の内容が星の話が出てきたり、
登場人物の数学者もなんとなくノストラダムスっぽい?

ちなみに本作のトリックは
「視点の変換」がキーなんです。
トリック自体はむずかしくないですが、
(私は最初のほうの数ページでわかりましたが本格推理小説はそれが大前提なので当たり前っちゃあ当たり前)
なかなか細部までいろんなリンクが張り巡らされています。

最近は、勝手に改竄とかされてることの多い文庫ですが
本作を書いたままありのままで味わえる方には
とても良い作品です。

ちなみに
笑わない数学者」の
副題は、
Mathematical Goodbye
です。


というわけで

ではでは、またねー('ー')/~~



*********

「リカーシブ・ファンクションね」
四季は言った。
「そう、全部、それと同じなの。
外へ外へと向かえば、最後は中心に戻ってしまう。
だからといって、諦めて、動くことをやめてしまうと、その瞬間に消えてしまうのです。
それが生命の定義。
本当に、なんて退屈な循環なのでしょう、生きているって」
「退屈ですか?」
「いいえ」
四季はにっこりと微笑む。
「先生・・・・・・。
私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。
不思議なくらい、これが素敵なのです。
宇宙の起源のように、これが綺麗なの」
「よくわかりません」
「そう・・・・・・、それが最後の言葉に相応しい」
「最後の言葉?」
「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれる一言です。
神様、よくわかりませんでした・・・・・・ってね」
「神様、ですか?」
「ええ、だって、人類の墓標なのですから、
それをお読みになるのは、神様しかいないわ。」

(森博嗣有限と微小のパン』)