続・空の名残。

こんにちは。
ご無沙汰しております。

待ちに待った(?)
約1ヶ月ぶりの更新でございます。
(実質2ヶ月ぶりくらいですが。)

年明け初ですね。


あけおめ!
ことよろ!

って言うには
ちょっと遅すぎますが
一応ご挨拶を(笑)

自分的には
年末年始はいつも通り
きちんと日本式のお正月を過ごさせて
いただきました。

年末年始もいろいろありましたが、
ひとまずそれについては後日譚ということで
いずれ書くかも書かないかも。

今年しみじみ思ったことですが、
クリスマスでも
年末年始でも
本当に(←ここポイント)働いている人は
働いているってことですね。

私は今年は
クリスマスは無し
年始は1/3から出勤でした。

そう言えば
洋菓子店でアルバイトしてた19歳の頃から30代になるまで
クリスマスはイブ含めて仕事だったんで
(一度も休んだことがない)

アルバイト先を辞めて
普通の仕事に就職したときに
やっとクリスマスらしいクリスマスを過ごせる
と思ったんですが
ほんと束の間でした。

それでも
アルバイト時代は
結構楽しかったんですけどね。

年末年始も12/31まで働いて
1/2には出勤して
(元旦はお店はお休み)
福袋売りまくったり

年始は博多マイングでは
お客さんにその年の干支の人形飾りが配られてたんで
その余ったやつをもらったりして。

懐かしい思い出です。


今の仕事先は年輩の方が多いので
年明け初出勤のときには
自然とお正月の挨拶をしたりとか
なかなか久しぶりでした。

家でも鏡開きの日には
ちゃんとぜんざいも作って食べましたし。

なのでブログでも、もう少し早く新年のご挨拶をしようかとも
思ったのですが
忙しくてそんな余裕はありませんでした。

でも、まぁ
不思議なもので
1ヶ月経つと
いろんなことの結果がわかるものですね。

前に満月の満ち欠けは
早い時間の物事の流れを把握するために適したスパンだという話を書きましたが、

この地球では
月というのは
太陽の光を受けて輝いて見えるので
あくまでも受動的なんですね。

なので、物事の流れがわかるといっても
あくまでも受動的な感じ。

主体的な動きを仕掛けて何かをするということのきっかけとして利用するには
不向きだと思うんですが、

その辺りを結構勘違いしている人達がいるみたいで(笑)

まぁ、満月の満ち欠けって
人間から見ると
なんとなくパワー満タンかそうでないか
みたいな考え方をしがちなんですけど、

実はそうではないという話です。

道長の有名な歌

この世をば
我が世とぞ思ふ
望月の欠けたることも
なしと思へば

というのも
そういう観点から詠んだものだと解釈されていますが、

以前紹介したように
この頃道長は病魔に冒されていて本人にもその自覚があった可能性が高い
という説もありますし、

この歌も
実は反語なんじゃないかな
と思ったりもしています。

そうすると
「太陽」に対する「月」として詠んだこの句の
「月」の表象するものが
よりくっきりと浮かびあがってくるような
気がしています。

平安時代の人達って
ほんとに「月」が好きですよね。

貴族達も一応昼間は仕事しているので(官僚だから)
やっぱりドラマチックな夜が
歌に読まれやすいですし、

だからこそ、そんな夜という舞台を照らす月というのは
まさに舞台装置としては
欠かせない小道具(大道具か?(笑))
だったのでしょうか。

とか書いてて
思い出したんですが
職業としての
小道具さんとか大道具さんとか
将来的にいなくなるのかなぁ
とか思ってたことがあって。

昨今の映像関連(テレビ、映画等)見てると
背景はCGが増えてますが、
そうじゃない場合も
なんか背景がちゃちなんですよね。

そういう物理的な技術も今後廃れていくのかな
と。

まぁ、これは余談です。

昔は
テレビでやるバラエティーでも
舞台を映した映像を流してましたよね。

ドリフとか
カックラキン大放送とか(笑)

場面が変わるときに
舞台転換があってさ。

チャッチャラチャッチャツ
チャッチャラチャッチャツ
チャッチャラチャッチャツ♪

(↑ドリフの場面転換のときの音楽(笑))

あった♡


www.youtube.com


とかいって
巨大な家のセットが舞台からはけていったりするっていう(笑)

まぁ、
舞台ですからね。

だから
もちろんお客さんも入ってるし。

「志村うしろー!」
みたいな
掛け合いも生まれたりするわけです。

8時だョ!全員集合!」
って
舞台見に来ているお客さんだけじゃなく、
みんな8時に見てるライブ感ありまくりだし。

だから、終わるときに
カトちゃんから
「宿題しろよ!」
とか
「歯磨けよ!」
とか
言われるわけです。

日曜の夜だからね(笑)



スタジオのやつしかない


www.youtube.com


メドレー(最後のほうに「歯磨けよ!」があるよ(笑))

www.youtube.com

ていうか
みんないい声w



「俺たちひょうきん族」で
そういう舞台設定はなくなったけど、

そのあとの
カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」では
復活。

だから、志村さんとかは
そういうののほうが
好きだったんだろうな
って。

この間
ドリフのズンドコ節を
チラ見してたら

みんな楽しそうでさー(笑)

ズンドコ節って
あんなにアドリブ満載だったんですね!
とか思って。

そういうことを
最近思い出したりしてました。

こういうのも見つけた

https://youtu.be/tQCXHdG6w24

www.youtube.com

懐かしのおばちゃんの笑い声w
(スタジオ版ドリフ)


ちなみに今テレビでそういうのが見られるのは
笑点」くらいだけど、

大喜利の円楽さんとか歌丸さんとかの立ち位置をやってる人(春風亭昇太とかいう人?)が
たぶんそういうことを全く理解してない奴なので
終わってるよなと思ってますが。

笑点」の大喜利
昔はその場で考えてたのに、
今は明らかに前もって考えてきてるでしょ?
って感じでつまらない。

まぁ、だいぶ前に「笑点」の舞台裏をネタでやってる芸人さんを見たことあるけど(笑)
→お弟子さんが全部ネタ考えてるってやつ。

しかも、ネタが創○行政くさいときがあるし。

お笑いだけじゃなくて、
音楽もそうだけど、

無観客とかお客さん入れないライブがデフォになって

入れても某団体絡みのニセモノ客とかご招待客ばっかだし。

だいたいコロナが嘘だったら
志村さんは別のことが原因で死んでいるわけなので
殺されたとしか思えないし、

何故殺されたかもなんとなくわかる。

要するに、奴らとは
全く価値観が違うんですよね。
そういう人達がいたら困るんでしょ?

だって奴らと志村さんが対立したら
みんな志村さんの味方になるもんな(笑)

志村さんが亡くなったとき
コロナが感染する可能性があるとか言って
遺族も遺体に会わせてもらえなかったらしいし。

酷すぎますね。

ダチョウの竜ちゃんとかも自殺したとか聞きましたけど
信じられません。
志村さんと仲が良かったから?

そう考えると
ここ数年で亡くなった著名人って
だいたい似たような傾向があるんですよね。

ここ数年コロナ打撃で
福岡で激減している飲食店や
セレクトショップ(雑貨屋さん含む)の傾向も
似たような感じ。

そのあとに出店している店舗やそれを経営している人達については
これまでの記事に書いた通りです。

日本から
「職人」、「プロ」、「こだわり」、「真面目」ということについての価値が
なくなりつつあるなぁ
って思います。

古くからある大きな会社も
たぶん経営者が変わったというより
だいたい上場している企業なんで
株主自体やそれを支援する投資家がコロコロ変わってますが、

その仕組みについても
前回の記事で書いた通り。

カルビーとか
ポテトチップの材料名の表記のところを見たら
今までじゃがいもは国産って書いてあったんだけど
今は国産またはアメリカ産って書いてあるからね。

前まで
カルビーは北海道に独自の契約農家を持っていて
そこで育てられて厳選されたじゃがいもしか使ってません。」
って
あれだけ言ってたのに。

たぶん、「契約農家」というのは90年代のグルメブームから有名レストランのシェフとかが
さかんにメディアで言ってて広まった言葉だけど、

スナック菓子にまで「契約農家」という言葉が
記載されたのを見たとき
当時はすごいなぁって思ったものです。

じゃがいもの収穫時期には必ず「新じゃが使用」とか
書いてあったし。

スナック菓子も進化するもんだなぁ
って感心してたけど、
最近のパッケージは
くだらないことしか書いてなくて、
見るだけでげんなりします。

話題作りかなんかなのかもしれないけど
話題にもならないでしょっていう
「狙ってるけど滑りっぱなし」
みたいなやつばっかりで
ほんと何がしたいのか意味不明です。

そこにかけるお金があるなら
中身を充実してほしいと
普通に思います。

ほんと、
いろんなところで
「退化」しか見かけないので
例の「サステナビリティ」ですらないという(笑)

昔の漫画を見てたら
当時の話題で
「日本のGNPが世界一」って
書いてあったりして
昔読んだときは子供だったからそんなこと全然気にしてなかったけど、
昔は日本はお金持ちだったんですよね。

いつまでも、そのお金持ち気分のままやってきて
最近ようやくお金持ちじゃないことにやっと気づいたっていうか
むしろ借金だらけの事実から目を反らせなくなった日本政府が
やっと最後の悪あがきを始めたということに
これまたやっと一部の国民が気づき始めた
っていうところでしょうか。

まぁ、ネットでは90年代から言われていたことではありますが。

最近は物価高が
やれ天候不純による作物への被害が原因とか
原油高が原因とか
もっともらしいことを
性懲りもなくメディアで拡散しているみたいですが、

たぶんそれも嘘だと思います。

以前、当ブログで消費税率が上がったときの物価の上昇率について書きましたが、

ほとんどの企業で
upした税率以上で物価も上昇していました。

すなわち税率が8%から10%上がった際に、
税率が2%上昇しているので、
本来ならば物価も2%だけ上昇するはずなのですが、
物価がそれ以上上昇しているということです。

例えば
増税前に178円だった商品が、
増税後に202円になっていたとします。

本来ならば、増税分だけ上昇すればいいはずなので180円が適正価格なんですが
増税に伴う材料費の値上げだだのどうのこうのいって、
当時の物価でだいたい軒並み20~30円上昇していました。
上記の場合も20円上昇している例ですが、
これが税込価格の場合
この上昇分にもさらに税金がかかってきて
この上昇分を企業と政府(国)で折半しているため、
実質本来の増税分以上の増税が行われていることになります。

今まで無料だった袋が有料になって
袋代金に税金がかかっても増税になりますし、

その後のありとあらゆる物価高も
増税のためです。

そして、その増税分についても
国債などに当てたり
本当に国政に必要な資金に使われるというわけではなく
政府と結託した一部の企業に流れているだけと考えられます。
(コロナ助成金等はその例です。)

ていうか、今書いてて
国政に必要な資金って何?とか思ったんですけど(笑)
国から何かしてもらったこと
とかないと思いますけど。

というか、国の縛りがなければもっといろんなことができて、生きられた人、生きられる人はたくさんいるのではないかと。

行政って
真面目な人達から税金をとれるだけとって
その人達には何のメリットもないどころか
無駄ばかりな気がします。

はっきり言って
多くの人達は
行政は必要ではないと考えている。

今後必要な手続きを全て
ネットで電子化する流れなら
国政の手続きに必要な事務は
全てAIにやらせればいいし、

役所とか公務員とか必要ないし
むしろ悪なのは
今まで書いてきた記事の通りです。

そもそも公務員というのは
公僕なのであって
公共の福祉の精神に反する行為を行ってはならないので、
一部の企業と結託して営利目的のために公金を利用することはあってはならないんです。

しかも、そういう崇高な精神を持っているだけでなく、
国を存続するために必要な知識と能力を持ち合わせていなければならない。

なので、下部組織に丸投げとか外部企業に丸投げとか派遣会社に丸投げとかありえないんです。

全部自分達でできる能力がないとダメなんです。
だから官僚はエリートでなければならないんです。
能力がなければエリートではない。

なので、能力がない人は辞めてください。

当たり前のことです。

無能な人数ばかりがよってたかって国を潰すようなことしかやってないくせに
なんで国から報酬をもらってるんですか?無駄でしょ?
今すぐやめるべきなのではと思いますが。

ちなみに私達が中学生の頃の「公民」(←「社会」教科の一部。←もしかしたら今は「公民」自体教えられていないのかもという危惧により注を付けてみる(笑))で
国債」という言葉を教えてもらうときに、
既に「日本の国債は年々増えつつある」と習いました(笑)

全て行政の責任。

日本がお金持ちになれたのは
戦後一生懸命働いてきた日本人のおかげです。

日本政府は
そういう人達から納められたお金(税金)を
正しく運用できなかったという当たり前の結論です。

そして、昨今では
そういう旧世代から続いた真面目に勤労する人達を潰してまわって
一部の利己的な企業、団体と結託して自分達にお金が廻るようにして
正しく運用しているかのように「見せかけ」だけの体裁を整えている。

日本が沈没する日も
現実味を増してきた今日この頃です。


昨年の春頃、
久しぶりに占星術
今後を占ってみたときに、
なんとなくアメリカの動向が関わっている感じと書きましたが、

だんだんわかってきました。

間もなく日本は経済的に破綻をきたすでしょう。
そうなると、IMFあたりが関与してくるので
日本は行政権を奪われる可能性があります。
そのときに、どういう国々が日本に関与してくるかで
たぶん日本人の運命は決まります。

日本人は奴隷扱いされる人種になる可能性もありますね。

日本人って奴隷体質ですから。(笑)

私が今働いている職場も
そういうは人達たくさんいます。

当たり前に江戸時代の5人組みたいな連帯責任がいまだに抜けてないような仕組みが残っていたりしてびっくりしますからね。(笑)

それを狭い日本という国の中で
日本人同士で階級やら身分差をつけて
ずーっと続けているんです。

日本人ってほんとに変わらないなぁって思います。

日本人は明治維新から戦前まで近代化の過程に
ドイツ人をお手本しました。

当時ドイツは日本だけでなく
世界の国々にとって
近代化のお手本のような国でした。

第二次大戦のヒトラーユダヤ人虐殺によって
社会的な信頼を失いましたが(戦時中はどの国も似たようなことはやってるはずなんですが)
技術に支えられた文明国でした。

文化も音楽等ウィーンを中心に長い歴史を誇っています。
ゲーテ他たくさんの文豪だっていましたし。

日本は旧憲法もドイツをお手本にしています。

その理由としては君主制という仕組みが日本に似ていたからということだと
昔勉強しましたが。

戦後も
日本の医学もドイツを抜きにしては語れません。

私が高校生の頃まで診てもらっていたかかりつけのお医者さん(実は同じ高校のOBだった(笑))は
ドイツ語でカルテを書いてましたね。

同じ大学の数学科の先輩は
ドイツ語で数学をやってましたし。

たぶん、なんやかやで元を辿っていくと結構ドイツに行き着いたりするんですよね。

血族意識が強いところも
真面目なところも
その結果、技術力が高いところも
昔の日本人に似ているかなと思います。

戦後、
アメリカの統治を経て
資本主義経済戦争を勝ち抜けたのは、
そういう戦前からの日本人気質が受け継がれていたからだと
思いますが、

アメリカも日本も
ある一定の時期まではそれでうまくやれていたんでしょうけど、

90年代に入ってから
先にアメリカで経済恐慌(いわゆるリーマンショック)が起きて、
日本にも飛び火したわけですが、

そこから
経済は下降線をたどり
再起することはなかった
という当たり前の流れです。

このブログで度々登場するN先生の持論であり、
まさに究極の論だと思うのですが、

それが

「文化は隆盛し、衰退する。
人間が生まれて、死ぬように。」

でした。

つまり、
「進化論」ではない
ということです。

これは、あらゆることに共通
する法則であり、

経済も、国の生き死にも
同じようなものだと
私は思います。

だから、いつか
終わりはくる。

そういう雰囲気をここ数年
感じてきましたが、

結局
アメリカと日本の関係にも終わりが来るし、

その流れが
第二次世界大戦開始の頃のアメリカの状況と

90年代に起きた事件や出来事と
現在とがリンクしているような印象。

でも、この先どうなるか
はっきりせず、
なんとなく
漠としていましたが、

前々回のブログを書いた際に
ブレードランナー2049」の映画を見直していて
思ったことがあります。

私が洋画を見始めたのは
結構大人になってからなんですけど、

見る前は
食わず嫌いっていうか
ほとんど興味がなかったんですね。

まぁ、日本で公開されるアメリカ映画って
だいたい系統が決まってましたし、
「全米ナンバーワン」とか
全米が泣いた」みたいなコピーで
ハリウッド好きというか
アメリカっていうだけで評価できる
みたいな人達が観に行くものだと思ってたんです。

よく宣伝が打たれる映画って
ポジティブなヒーローものみたいなのも多くて
それも若い頃は合わなかったというか。

今は、アメリカのポジティブな感じが出てて
いいなと思いますけど。

でも、まぁ、今は
日本で言われているアメリカ観が
そのままアメリカの人達全てを表すわけじゃないわけだし、

アメリカ人って言っても
いろんな人がいるな
っていう当たり前の結論に改めて到達しました。

だから
アメリカ人でも
日本人でも
同じ考え方をしている人達は
いるし、

到達するところは同じなんだな
ってことがわかったりもして
なんだか安心したりも
するわけです。

特に、
昨今の私の環境って
孤立化させられることが多いんで
もう慣れたんで気にはしていないし、
わざとらしく同じようなことを言ってくる人とか
むしろ嫌いなんですが、

それでも少し安心するというか。

それで、
前回の記事を書いたときに
ネカフェでリドリー・スコット監督の映画のトレーラーを見ていたときに

「神と王」という映画のトレーラーを見ました。

映画自体は
たぶんWOWOW
途中から見たことがあったと思うんですけど、

そのトレーラーが
結構よくできていて。

コピーが
たしか
「神になろうとした男」と
「神に選ばれた男」というのでした。

題材は「出エジプト記」で

例のモーセ

海が割れるのよ~
道ができるのよ~♪

だと思うんですけど。

(実際はおめめ真っ黒のよしみちゃんとモーセは無関係。)


なんか
それを見て
「これだ!」と
思ったんですよね。

出エジプト記だな
と。

つまり、
神の国モーセ一家は
古代エジプトの王から
さまざまな迫害を受けるわけです。

古代エジプトとは
当時の最先端の文明に支えられた巨大国家です。

文明は
人類が神に近づくための技術であり、
その頂点に立つ王は
神とも呼べる存在になる。

それが
「神になろうとした男」
です。

その
古代エジプトという巨大国家が
アメリカの姿と
重なったような気がしたんです。

巨大国家も
いつかは滅びるときがくる。

そのきっかけは
日本の滅亡という気がするんです。


思うに、
東西ドイツ統一後、
ソ連が崩壊しました。

冷戦時代、ソ連アメリカと並ぶ強国でした。

そのソ連
東ドイツ含めたヨーロッパ情勢が変化したのを期に崩壊したのは、
恐らく東欧の国々にその技術力等を頼るところがあったからだと思いますが、

(近年のロシアのウクライナ進攻のニュースが、それが嘘であれ真実であれ
ロシアとウクライナの関係が
ロシアが切望するところなものであることはたしかです。)

その状況が
日本とアメリカの関係にも言えます。

なので、日本が潰れた場合、
アメリカも何か起きる可能性は充分考えられることではないかと。

前回述べたように日本が経済的に破綻した場合、
日本の世界的な扱いとしては、
もちろん先進国でもなんでもない
ただの没落国です。

だから、IMFが介入した場合も
占領国のような扱いを
受けることになる。

そのときに
アメリカ自体がどんな風にふるまうかは
わかりませんが、

日本がそのような状況に陥っている時点で
既にアメリカ自体には何のメリットもなく
支援する必要もないでしょうし、
日本に支援する以前に
自国に何かしらの変化が生じて
他国より自国のことで
手一杯の可能性もあります。
(去年の春頃の記事で、アメリカ独立戦争の年代とリンクしていることからの推測です。)

現代でも、他国よる統治というのは
珍しい話ではありません。

つい近年中国に返還された上海などがその例です。

「九龍殺人事件」という映画がありますが、
そこで、同じ国家内における行政格差による
貧窮が描かれています。

たぶん、私が今されているようなことです。

映画の中の女の子は、
貧しさのあまり売春に走りますが、
その女の子がどういう運命を辿ったかは映画を見てみて下さい。


たぶん、こういう子たちが
たくさん増えます。

それがいいことか悪いことかさえわからない
かわいそうな子たちです。

それがそのまま
永遠に続くんです。


今、日本には
大量の外国人達がやってきていることは前回の記事で述べました。

もともとは、行政が
友好関係という建前で呼びよせた人達が少なくないと思います。

前回の記事で就労ビザじゃなくて学生ビザで滞在している外国人の話をしたあと、

博多近辺の集団スラム系外国人が博多近代ビルというところを出入りしていたのを見たので
行政主導はガチです。

ちなみに博多近代ビルにはハローワーク(日本人向け)その他行政系のオフィスが入ってますが、
たしかに留学生向けの日本語学校っぽいのがあるのは
事実ですけど
今までそんなに大量に人が出入りしているのを見たことはありません(笑)

さらに余談ですが、
そこのハローワークには
履歴書作成コーナーというのがあって
天神のハローワークから
わざわざそこの履歴書作成コーナーを利用しろと言われて行ったことがあります。
(天神のハローワークにも履歴書作成コーナーはあるのに。)
↑自分の端末が使えなかったときの話ね。

その博多のハローワークは中高年向けとあるのですが
受付には推定70歳くらいのお婆さんがいて
履歴書作成コーナーは端末に
「機器操作等についての質問は受け付けません」との貼り紙があります(笑)

で、win11がインストされていたんですけど
履歴書を新規作成しようと思って、履歴書テンプレートを開こうとしたら開けないんです。

どうやらwin11はWord のテンプレートはダウンロードしないと入手できないらしく、

その端末はネットに繋がってなかったのでテンプレートがダウンロードできないという(笑)

わざわざ来たのに意味ないじゃんと思って
五分も経たずに受付に戻ってきたら
そのお婆さんが
びっくりして「どうしました?」と聞いてきたので

機器操作についての質問は受け付けないのでは?(笑)と思いつつも、
「ネットに繋がってなかったのでテンプレートが開けませんでした」
と一応言ってみたら

案の定、その老婆が
鳩が豆鉄砲を食らったとはまさにこういうときの表情を言うのだろうなというようなポカーンとした顔になったので

思わず笑いそうになって
その老鳩をその場に放置して去りましたけど(笑)

あれでいくらの時給をもらっているんだろうか?(笑)

世の中不公平なことばかりです。

話がそれました。

なので、今、日本に来ている外国人達が定住をし始めた場合、
もし日本が奴隷国家になったときに
日本人と外国人の立場が逆転します。

日本人は日本という国があってこそ
守られてきた。

だから日本人達だけのぬるま湯みたいな場所で
階級を作ってやってきたわけなので、

その階級制度の中で奴隷をやってきた日本人は
そのまま奴隷に、

奴隷日本人をこき使ってきたぬるま湯日本人は
テロ国家からやってきた外国人に敵うはずもなく(笑)

なので、
他の移民国家同様
外国人達がやりたい放題やりはじめるでしょうね。

そしたら、
今まで一部がスラム街だったのが
全部スラム街になりそう。

怖いですね。

各地で戦争が起きるのは間違いなく、

まぁ、それまで
生きているかどうかわからないので
どうでもいいことなのかもしれませんが。

そして
いつしか
自分達が日本人だったことさえ
忘れていくのかもしれません。

今の若い子達とか
既に自分達が日本人だ
とかいう意識も
あまりないし、

いろんな意味で
グローバルな感じですよ。

今の仕事先にも
とある国の外国人の子達がいますけど、

日本人の若い子と変わらない感じで
いっつもスマホ見て
同じ国の若い子達だけでつるんでる。

日本人の若い子達も
海外の留学先とかで
そんな感じなんだろうなー
とか
昔から外国人留学生を見てきたので
ホスト側の視点で見てしまいますけど(笑)

結局何を学びに来たのかわからん
っていう。

まぁ、でも
今いる大人達がみんなそんな感じなんで
子供達もそんな感じになるのは
当たり前だろうなとは
思います。

結局、みんな自分がなんのために生きているかわからないし、
ただ単に惰性で生きているだけだから
なんとなく毎日が生きられて自分が楽しかったら(自分がそんな風に思えて、人からもそう思われたら)
それでいいや
っていう。

つまり、何も考えていないわけですが(笑)

でも、
そんな感じで
世の中生きていけるわけないんです。

そういう人達の
そういう惰性を国が援助してあげて、
その資金は真面目に働いている人達が稼いでいるお金から搾り取っているわけなので、

楽している人達が増えたら
国の負担も大きくなるのは
当たり前っていう話です。

仕事って楽して長続きできるものではないしね。

それでも昔の日本人は
自分達の暮らしがより良いものになるように
日々、技術と生活水準の向上に努めてきたわけで
だからこそ、今の生きていくための権利が保証された衛生的な暮らしがあるわけです。

だからそれまで努力してきた人達とその技術遺産を
守り、向上させるよう
さらなる努力が今の日本人に必要になるわけですが
今の日本人はそういう努力をしないし
そういう努力をする人間を奴隷のように利用し、
技術や遺産を一部の人間達の利益のために使い回して
最終的には売り払って
枯渇させるようなことしかしていないんです。

話はそれますけど、
思い出したんで書いておきますが

朝、通勤のときに
交通安全協会なのか
自治体から頼まれてやっているのか
高齢者の人が
学校近辺の横断歩道(しかも信号がついてる)付近に
旗みたいなのもって
歩道を渡っている小学生とか
中学生とかを
誘導しているんですけど

それ、いる?(笑)
みたいな。

確かに危険な車とか
たくさんいるけど
信号がついてる横断歩道くらい
自分で渡れなかったら
この先どうやって生きていくの?(笑)
と思いますけど。

しかも、
立っているのが高齢者だから
道の真ん中でぼーっとしてたり
いきなり旗を振り回したりして
動きが読めなくて危ないのなんのって(笑)

この間とかも
車がそのおばさんに気をとられて(←そのおばさんが危ないから)
私が横にいるのに気付かずに
左折しようとして来たので
慌てて避けたけど。

むしろ事故が起きるって。(笑)

もう既に2、3回くらい
「危ないですよ!(`Δ´)」
って怒鳴りましたからね。

どこに行っても
そういうことすらわからない人達ばっかりだからね。

ほんとレベルが低すぎて。

一見、正しい行いをやってるように見えるけどね(笑)
実際、そういう馬鹿ばっかりだから。

地方自治体とか
町レベルになると
たぶん九州みたいな田舎は
どこもそうだと思うんだけど
お金があっても何に活用すればいいのか
わからない人達ばかりだから
ほとんど無駄なことにばかり使われてるし、

そのくせ老人とか多い町だと保険料とか
ものすごく高額になりますからね。

役所自体もともと地元の田舎
の人達と創○の人達で
構成されていて、

最近では情報システム系とか老人医療とか儲かる商売の
匂いを嗅ぎ付けたタチの悪い人達とかも
それに加わってきて(←丸投げ先業者として)
地方行政とか喰われまくりですからね。

ちなみに最近のタチの悪い人達って
昔と違ってガラが悪くないから
服装とかも小綺麗にしてるし
田舎の人達(特に老人達)は
コロッと騙されてます。

なんなら
「最近の若い業者さんたちは
礼儀正しくて親切ですねー」
と思ってますよ、奴らは(笑)

そうやって
地方の行政システムとかも
まるっと乗っ取られても
誰も気付かないという
平和ボケしすぎなダメ自治体の皆さんですが、

たぶんそういうのも
90年代くらいから
ネットでは言われてたと
思うよ。

痴呆自治体とか(笑)

ふるさと納税とかいきなりできた時期だったしなぁ。

当時のメディアでは
若干批判されてたりしてたけど
今のメディアではきっと
同じようなことが起きても
何も言われないとは思う。

ちなみに私が住んでいる町の自治体は
ふるさと納税を何に使ったかというと
アンモナイトの化石」を
購入したという(笑)

さすがに当時結構な批判が
あったみたいですがw

まぁ、それがあっての
今って感じで、

我が町の現在の状況としては、
怪しげな介護施設が急増して、
見るからに旧式のガラが悪い住民が増えたりして
年々状況が悪くなる一方です。
(だから業者自体が893つながりなんだってば。)

ま、
そんな卑近な例はさておき(笑)

上述のように
昔の日本人とドイツ人は似てるということを書きましたが、

ドイツには魔女がいて
日本には巫女がいるんです。

日本の古代には
卑弥呼という女王がいたということになっていて

卑弥呼天照大御神だとかそうでないとか
各種説はありますが、

天照大御神も女性の神様なんです。

いわゆる太陽神ということで
一般人には天岩戸の神話が有名で
日本にも太陽信仰があったとか言われています。

以前の記事で
魔女というのは
今でいうところの気象学や医学(薬草学等)的素養を持った女性だったのではないかと思うと書きましたが、

巫女というのも
似たような感じだったんじゃないかなと思います。

進化論だと古代の人達は
未文化ということになっていて、
なにかというと宗教的な事項と結びつけたがる人達が多いんですけど、

たぶん私達が思っている以上に文化は発達していたと思います。

それは水路や築城の技術もそうですが、
気象や人体についてもかなりの興味と技術を持っていたと考えられます。

少なくとも与えられた情報を鵜呑みにするしかできないアホな現代人よりは
素直にかしこい人はたくさんいたと思われます。(笑)

そのなかで、巫女というのは
いわゆる神託という
神様からのお告げを賜る役割を担っていたと言われていますが、
この巫女は神託を間違うと
神様からの言葉を間違って伝えたとして
死ななければならなかったようです。

命懸けなわけですから
必死です。

だから、気象観測ひとつにしても
冷静に客観的に情報を分析する能力が
求められることになります。

巫女は処女である
つまり子供を生まないと言われていますが、

それは月経周期と月の周期のタイミングが同じだからじゃないかと
私は考えています。

妊娠するとその間生理は
とまるので
不都合でしょ。

だから、月経周期も
巫女にとっては貴重な判断材料だったのではないかと。

月だって
観測しようとしても
見えないこともありますからね。

鏡は天体を映すための道具だったかもしれないわけだし。

それを、占いというのか
情報収集というのか
そのあたりの言葉の違いまでわかるほどに
古代に関する文献は残っていないわけです。

(しかも、その文献を読める人達がその違いまで考えが及ぶような柔軟な発想の持ち主ばかりではない(笑))

私が、卑弥呼と出会ったのは
小学校3年の頃でした。

図書室の本を怖がっていた私は
(→ナイチンゲールの記事を参照ください(笑))

それでも図書室には
出入りしてました。

私が小学校に入学した頃は
まだ校舎がきれいで
図書室も絨毯が敷いてあって
変な本にさえさわらなけれは大丈夫だし
居心地はよかった。

何故かその日のことを
よく覚えています。

いつもより教室を出るのが遅くなり、
外は曇り空で少し暗いのが廊下を通っているときに
窓の外を見て気づきました。

図書室と同じ階に教室があったように記憶していますが、

昇降口に行くために
いつもは左に曲がる廊下を
曲がらずにまっすぐ行ったとき

図書室の中から声が聞こえたので
そっちへ行ってみました。

図書館の一番奥の左側あたりに
隣のクラスの男の子が数人地べたに座ったまま
本を読みながら
何かしゃべってました。

よく見ると漫画です。
既にそのとき漫画大好き少女だった私は
学校の図書室に漫画があることにいたく感激し、

すぐに自分も本に手を伸ばしました。

それが、
「まんが日本の歴史」でした。

「まんが日本の歴史」には
二種類あって、

出版社は覚えていませんが
ストーリーが
人物伝(偉人伝)のやつと
通年史のやつがあるんですが、

前者は実際の作品を別に書いている漫画家さんが描いていて、
後者は社会科教科書で有名な山川出版も編纂している児玉さんが監修しているものです。

私が最初に読んだのは前者で、
ひとまず少女漫画っぽい女性が主人公のものを選んだら、

卑弥呼淀君があって。

(ほんとは紫式部もあるんだけど
たぶん貸出中だったかなんか。)

最初は淀君から借りたような気がするけど、

(紫式部淀君を描いたのは
たぶん「あさきゆめみし」の作者さんで、
そのことは絵のタッチでわかった。)

結局そのあと卑弥呼も読んだんですよね。

なので、
私と卑弥呼との出会いは
それが初めて。

漫画はプロの作家さんが
描いているので
人物の描写や心情表現も
(卑弥呼の場合は特に)
史実と合っているかどうかはともかく
すごくおもしろかったんですよね。

昔の漫画は
今の漫画みたいに
変な悪意とか
何か別の目的(お金儲けとか作者の虚栄心とか)を感じるような作品は
ほぼ皆無でしたから、

ちゃんと登場人物の気持ちに添って描かれていたので、
漫画の中で人物がちゃんと生きていたし、
世界もちゃんと動いていました。

なので、
卑弥呼」も
漫画の中で
卑弥呼がちゃんと感情を持って生きていて、

巫女という地位を
先代から譲り受けるときの
卑弥呼の勝ち気な感じとか
冷静且つ大胆な判断力とかも
よく伝わってきました。

だから
卑弥呼
歴史上の人物というより
実在する女の子という
人間らしい印象を持って
私の中に入ってきたんです。

その後、
いろんな本や文献を読んだ
今でも
ベースにあるのは
あのときの卑弥呼なんです。

でも、それって
文献を読む上で
大切なことで

本当に実在した人物だから
私達とおなじような姿形をした
人間だし、

考えたり、怒ったり
泣いたりしただろうな
って思う。

巫女は正しい託宣をしなければならないわけだけど、

卑弥呼が大きな力を持つようになるにつれ

託宣の仲介をした人間が
自分達にとって都合がいいような
卑弥呼とは違った内容の託宣をした
(戦の勝ち負けに関する託宣等)

というのが
そのとき読んだストーリーでした。

託宣が違うと
もちろん卑弥呼に対する信頼感は失われるし、
威厳や統率力もなくなっていく。

卑弥呼は四十代くらいまでは
生きていたらしいけど、

仲介している人間達は
恐らく卑弥呼に託宣の取り違えの事実が発覚しないように
卑弥呼を隔離或いは幽閉し、

卑弥呼はひっそりと生涯を送ったか、
託宣を間違ったとされて
殺されたか

或いは違った終局を迎えたか。

10年くらい前から
そのときの卑弥呼の気持ちが
よくわかるようになりました。

卑弥呼の「卑」は
まさに「卑しい」という意味の「卑」だから、
卑弥呼もいろんな酷い目にあったのかもしれない。

「卑」を音仮名で別の意味にとる説もありますが、
まぁ、普通に考えて
「卑しい巫女」って意味の可能性が高い。

かの有名な
宇佐八幡宮神託事件のときも
道鏡の陰謀で
和気清磨呂が和気汚磨呂と
あからさまな改名をさせられたこともあるし、

日本人って
そういう汚名を着せて貶めるの好きだからね。

情報操作とかも。

今も全然変わってない。

天照大御神
女性の神様だけど、

とりあえず怒って
岩戸に閉じ籠っちゃうんだけど、

古事記日本書紀の記載が史実かどうかはともかく、

古事記日本書紀から読み取れる内容から見ると
天照が怒った原因は
スサノヲの浮気
とされています。

だいたいの注釈書は
機織女が機を織っていたら
スサノヲが猛り狂った馬を屋根からぶちこんで
機織り女が女陰を突いて死んだことが原因とか

スサノヲ水田で暴れて
台無しにしたとかの
暴れっぷりに
天照が嫌気がさしたから
みたいなことが書いてあるけど、

要するに機織女に猛り狂った馬をぶちこむって
アレをアレするわけで、

機織女も巫女の予備軍みたいなものだし
失望したか責任をとって死んだかしたんでしょう。

そういう禁忌を破る例は
伊勢物語」の在原業平斎宮に手を出す
みたいなエピソードとかもあって
やっぱり恋愛のひとつの手法なんだと思うんです。

でも、伊勢でもそうですけど、
そういう禁忌を犯すと処罰されることになります。

天照とスサノヲは
姉と弟だけど
弟は夫にもなり得るし、

時代的に皇族の近親相姦は当たり前なので。
(よく奇形児も生まれていたらしい→蛭子ヒルコという。)

その後、天照とスサノヲは
ウケヒで真実を確かめあって和解したとの説もあるけど、

それが天岩戸より
後なのか
前なのか

天岩戸より後だったら
天照は子供を生んで引退って感じだけど、

天岩戸より前だったら
それきり天照の消息は不明。

どっちにしろ
天岩戸以降はっきりした記載がないので
一旦引き出されたとか嘘で
閉じ籠もったまま死んだのか

死んでいることを隠されたまま
閉じ籠もって出てこなくなったことにして
一旦引き出されたとかの話は
天照が中にいますよ
っていうカモフラージュのためのエピソードなのか

そのあたりは
不明ですけど、

たぶん一書に
スサノヲが捕まって爪を剥がされて放逐された(高天原からの追放)

というのがあって
それがスサノヲの諸国遍歴の話に繋がるので、

実際のところ
天照とスサノヲが内通

天照引退(殺害?)※浮気騒動あり?

スサノヲ追放

ってところかなと
ワタクシ的には予想しています。

もちろん、
次世代を狙う人達の陰謀です。

スサノヲが諸国遍歴したエピソードがその後も続いて嫁取り話とかあるのは

スサノヲの血統が続いていることを示唆するための
血族証明のためのエピソードであって、

だからこそ
今の日本の皇族が神様の血筋ってことになってるわけです。

日本の神社で祀られている神様は
だいたい祟り神であって
人々がその祟りを恐れて建立されたものであるので
神様達はきっと人間だったときに
酷いことをされたんだろうな
と思います。

死んだあとも
生き返らないように
将門みたいにバラバラにして
いろんなところに埋められた可能性もあるし。

神様達が祀られている
あの大きな注連縄だって
祀ってあるあの場所から出てこれないようにしていると考えると、

人々はそれくらい恐れていたんだろうな
と思いますね。

逆に言えば
当時の日本人は
それくらい良心の呵責があって、今と比べると
まだ謙虚だったのかもしれない。

今の日本人は
人を殺しても次の日には忘れているし、

自分達のせいだとは
夢にも思わないし、

お正月になったら
自分達が日々殺している無実の人間達と同じように殺された道真を祀ってある
太宰府天満宮とかを
人の足を平気で踏みつけながら参拝するわけです。


卑弥呼も天照も
境遇が似ていなくもない。

卑弥呼が亡くなったあと、

邪馬台国
壱与(壱登)という
次の女王を立てますが、

諸国は分裂
大きな戦争が起きて、
邪馬台国は滅びたと言われています。

壱登という名前から
当時あったとされる伊都国を結びつけるのは
まぁ、だいたいの人がそうですけど(笑)

独立行政法人Q大が
糸島くんだりまで移転して、
その名も伊都キャンパスと言い始めた2000年代始め、

それを聞いた当時の古代史を知る人達は誰もが
「えっ?二代目壱登になぞらえてるんだったら
戦争が起きてまもなく滅びますけど?」
とか
思ったと
思うんだけど。

私だけ?(笑)

つーか
知らなかったのかしら?

わざと?(笑)

だから
私がそう思ったのが
今から20年前くらいですね。

私自身は
Q大の移転が完了する頃には
もういい加減Q大にはいないだろうし、
遠いからどうでもいいか
と思ったけどw

今思うと
不思議なほどに
現実世界とシンクロしてるなぁ
と(笑)

熊襲とか
(薩摩)隼人とかの来襲
みたいなのも含めて(笑)

ここまでくると
わざとかなぁ
と思って
敢えて書かなかったんだけど

お正月過ぎの
微妙な時期が
たまには日本の神様の話でも
してみようかな
と思って書いてみました。

古事記日本書紀って
読むと
日本の神様って
人間らしくて
堂々としてるなぁ
と思って
和みますよね。

きれいごととか
言わないし。

そうそう、
年末頃
徒然草」を読んでいたんだけど、
もう兼好法師と私の意見が
一致しまくりなことに改めて気づいて、
なんか嬉しかったですよ(笑)


鎌倉時代ですよ?

よくぞ
その時代に
それを書いてくれてありがとう
みたいな(笑)

日本人もスゲーやつは
やっぱり
スゲーな
と。

徒然草」と言えば

つれづれなるままに日暮し
心に浮かぶよしなしごとを
そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ

という


毎日暇で暇で仕方ないので
思いついたことを
ちょっと書いてみたら
なんか自分でもテンソン上がってきて止まらなくなったYo!

っていう
見事にどうでもいい書き出しぶりで
世の中のあれこれを
皮肉と嫌味混じりに(?)
一刀両断されておられます。(笑)

兼好法師
自分も僧侶のくせに
他の僧侶の滑稽ぶりをこれでもかと書いておられたりするわけですが、

その中でも有名なのが
仁和寺の法師」の段。

要するに仁和寺に行ったつもりになって
得意気に語っている人の滑稽な有り様とかも、

たぶん古典の授業とかでは
「先達はあらまほしきことなり」
とかいう箇所を
「物事の道理に詳しい人から学んだほうがいい」
とかいう
わけわからない教訓話のように習うと思いますが、
違うんです。

「知りもしないで知ったかぶりしてるやつって恥ずかしいよな
知ってるやつに聞けよ」
っていう痛烈な批判です(笑)

ていうか普通に
誰でも思うこと?(笑)

それからあれも。

よく中学生の教科書とかに載ってる
「風流っぽい家を見かけた」の段

すごくお洒落な家を見かけて、
細かいところまでお洒落チックにまとめてる家だったんで
スゲーとか思ったら、

蜜柑の木の周りに
すんごい頑丈な柵を作ってて
盗られまいというがめつさが伝わってきてげんなりきた

という話。

こいつ実はせこいな
みたいな。

あるでしょ?

徒然草」に載ってるのって
だいたいそういう話ですからね。

しかも
風流な家の話の段って
これでもかってくらいに
こまかにお洒落なところを挙げていって

「でもね!」
って言って
最後にオチみたいな。

お笑いの基本みたいな構成ですからね(笑)

もともと
兼好法師
蔵人頭という藤原行成(清少納言の彼氏)もやっていたようなバリバリのエリート官僚だったわけですが

昔もそうだけど
さらに上の方になると
身分とか家柄がどうのこうの
とかで
結局限られた人達しか上り詰めることはできないわけで

兼好法師
そういうのに嫌気がさして
出家して世捨て人になって
その上暇人になった人なんですけど、

なので知識も歌もセンスも
あって
こだわりもあるんだけど

なにせヒマだから
言いたい放題書いてて
ほんとおもしろいんですよね。

だから
今よくいるような
きれいごととか
自分達都合の何かとか
他人を陥れるようなことしか書いてないようなものに比べると
心が洗われるようですよ(笑)

偏屈なうえに
適当に書いてるから
言ってることが違うこともあって、

若い頃は

40歳より前に死ぬくらいが見苦しくなくていいよね

とか
書いてるんだけど
普通に60過ぎても生きてるっていう(笑)

日本人にもすごい人がいるもんですよね。

なので
12月あたりから年末くらいにかけては
徒然草」にハマってましたので、

前回の記事のタイトルも
敢えて仏教出典のものを採ってみました。

たぶん今いる仏教関係者で
仏典を理解しようとして
毎日勉強している人達がどれくらいいるのか?

果たしてどれくらいの人達が
「色即是空」を理解しているのか
って嫌味も込めてます(笑)

まぁ、メビウスの反転公式と
通じるところもあって、
色即是空、空即是色を思い付いたので、
ほんとぴったりなタイトルだなと
自分でも思っています。

前回貼った曲は
攻殻機動隊」のテーマソング(もちろん日本のアニメ映画版)
ですが、

前々回まで
90年代から2000年代初頭のタイアップ曲で
印象に残っているものとか
(裏テーマで今はあまり活動していないバンドの曲)を貼っていこうと思ってたんだけど、

文章の流れ的に
やはりタイアップ曲とかでは
ちょっとつながらなくなったのと
今回日本の神様のことを書こうと思っていたので
導入の意味も込めて
囃子言葉風の曲にしてみました。


まぁ、実際に当時
自分が聴いていたのは
サントラとかが多くて、

本当は
「東方見聞録」の曲を貼りたかったんですけど
探す時間がなかったので。


攻殻機動隊」自体も大好きですが、
攻殻機動隊」の世界観(舞台)と「ブレードランナー(初期)」の世界観(舞台)って
似てますよね。

街に漢字のネオンとか
溢れてるし。

(「攻殻機動隊」は中国語(上海か台湾あたり?)、
ブレードランナー(初期)」は日本語ですけど)

前に、「007」の一挙放送を見たときに
ショーンコネリー版ボンド時代に日本が舞台の作品があって、
それにも当時の日本のネオン街が出てきたんだけど
日本のネオンって
海外の人には独特な感じだったのかしら?
とか思ったり。

私は子供の頃は
飲食店の前のショーケースの作り物のオムライスとか
クリームソーダとかが
興味津々でしたが。

今も興味津々ですけど(笑)

食品サンプルを作ってるのテレビで見たことあるけど、
一瞬なのね。

薬液の組み合わせで
一瞬なのよね。

職人技だわー
と思ったことがあります。

昔は大量生産とかもしてたから速いのかも。

以前食品サンプルキーホルダーみたいなのを持ってたけど
最近結構いろんなところにあるよね、アレ。

今は職人さんが作ってるというより
レギン?みたいなので
細々作ってるっていう印象。

なんか話題がいろんなところに飛んでますが、
兼好法師風に
久しぶりにつれづれなるままに
書き綴っております。

今年も静かに
平穏に世捨て人的隠遁生活を送れたらなぁと思っておりますが、

仕事先でもてんやわんやありますし
(現在はボストロールフロアで
既にチョコボの不思議なダンジョンではない)

相変わらずいろいろと酷い目にあっていますし、
怒りながら通勤してます(笑)

いや、ほんとに笑い事じゃないから。

でも不思議なもので
毎回ちょうどなタイミングで結果がわかるので

今回もブログ前に
自分的に一段落です。

この結果を受けて次に進めるというか。

外は吹雪です。

先週まで雨だったので
私は雪は降らないと予想してたけど降ったね。


というか
今回は
えらい早い段階で
天気予報が雪と
言っていたので、

さすがに名誉挽回で
当てる予報をしたのか?

ていうか
あれだけのデータがあって
次の日の天気を外すとか
あり得ないわけなので

意味不明の情報操作をやってるか
本当にそんなこともわからない馬鹿ばっかりなのか
と思っていましたが。

たぶんできて当たり前なので、
今後も真面目に予報を
していってほしいものです。

本当はできないとおかしいので
やっていないときは
情報操作含め
わざとやっていると
判断していいと思います。

気象予報は
生活を左右する大事な技術なので
それを悪用することは
許されない
万死に値する行為であると
今後も覚えていてほしいと思います。


神様が見ていて
雪を降らせたのか。

神様を真似て
誰かが雪を降らせたのか。

神様になろうとする人間は
神様に選ばれた人間に負けるのでしょうか?

たぶん
それは勝ち負けではなくて

技術や
それから生まれる豊かさというのは
人の幸せのためにあるものであって

その技術を持っているからといって
その力を振りかざして傲慢になった人間は
破滅するということだと
思います。

技術を産み出したり
体得しようとして
努力する人間を排除しても

その技術は
横取りした人間には
使いこなせないことが多い。

何故なら技術の体得には
才能と努力が
必要だからだ。

それでも
人間は
誰にでも使いこなせるような技術を
自分達の幸せのために
積み上げてきたわけで、

その過去の人達の恩恵を受けて
私達は生きている。

そのことを
日々感謝して
もっと謙虚に生きていかなければならなかったわけですが、

一部の人間達はたぶん
自分達がその技術を手に入れて
神様になったつもりにでも
なったんだろうね。

普通の人間より
高いところから見下ろして
他の人間を迫害して
自分達だけ甘い汁を啜って。

でも、それより
もっと高いところから
本当の神様達が
それを見ている。

もうすぐ、
高見の見物をしている人間達が
地獄に落ちるところを。

私は
モーセにも
ならなくていい。

モーセは幸せだったのか?

たしかノアの方舟って
人間は乗れなかったんじゃなかった?

違う?(笑)

海が割れて
道ができても
幸せになれなかったら
意味ない。

だから
私は
神様になろうとも
神様に選ばれた人間になろうとも
思わないですね。

死神っていうのは
他の人がつけた
あだ名ですし、

まぁ、死神の由来は
以前書いたので

死神と言われても
別に構いませんけど(笑)

神様というのは
人間がなれるとしたら
それは
死んだあとからのことであって、

それまでは
人間として
この地球に生きる生き物として
ふさわしい生き方をするべきだと
私は思います。

まぁ、
そういうのは
別にどうでもいいけど。

でも
生きていかなくては
ならないので。

とりあえず、年末年始は
無事殺されずにすみますた。

今回のタイトルはどうしようかなー?

今のところまだ浮かんでないけど、
アップまでには
考えてみます。

今年は
ブログのほうは
次回から簡単にさっくりといく予定です(笑)

タイトルは
徒然草からとったものですが、
たぶん、昔記事にも書いたことがあります。

さっき読み返してみて
ちょっと懐かしかったですが、
やっぱりちょっとお花畑チックな感が否めません(笑)

本当はもっとすっきりした感じ
というか。

まぁ、
芥川が手に入れたいと言っていた
高架線の紫色の火花
っていうイメージというのは
高校生の頃から
変わりませんけど、

年を取るにつれて
いろんなものが
そぎ落とされていっているような
気がします。

もっともっと
時空を超えた
遠い遠いところって感じですかね。

そんな感じで
今回は
タイトルについて
全然考えていなかったので
簡単に(笑)

今年は卯年なので
画像は前回からamiちゃんです♡

ではでは、またねー(*・x・)ノ~~~♪