Paradise Lost

ご無沙汰しております(笑)

ていうか、いつものネカフェに来たら
キーボードのシフトキーがぶっ壊れていて
めちゃくちゃ打ちにくいんですけどwww

どうにかしてくれw

というのはさておき。

生存確認っつーことで
無事生きてますよっていうご報告を兼ねて
久しぶりにネットを更新してみるの巻。(←もちろん忍者ハットリくんver.)

今体調崩してまして
咳がひどいんですけど
とりあえず、無事です(笑)

私事ですが、この一か月で
わたくしの身辺に
少なからず変化がありました。

詳しくはいつか
ゆっくりお話ししたいと思いますが。

いろいろありますけど、
まぁ、
自分が一緒に過ごしたい人と
同じ時間を楽しく過ごせるということは
良いことだなと。

ひとまずは
そんな感じです。

男の人の
腕に抱かれて
一夜を過ごすということは
こういうことなんだな
と。

いま、さらっと
すごいこと言いましたけど(笑)

まぁ、いろんなことがあって
これからも
いろいろあるだろうけど、

自分が決めたことなので
後悔はしておりませんし、

彼とふたりの時間は
とりあえず幸せです。

そんな感じ。

11月に
映画セブンを見ていたときに、

そう言えばダンテの「神曲」の挿絵を
ちゃんと見たことがないな
と思って
(岩波文庫版は挿絵がない(図は少し載ってる。))
図書館に本を借りに行きまして。

そのときに、
ミルトンのParadise Lostを読もうと思ったら
下巻(6巻以降)しかなくて
John Martinの挿絵集があったので
見ました。

失楽園といえば
アダムとイヴの楽園追放の話が有名なんですが、
ミルトンの失楽園の内容自体は
堕天使ルシファーVS神様なんですよね。

キリスト教の歴史と重ね合わせて見ると
わかりやすいのですが、
まぁ、その話もいつかゆっくりしたいと思います。

そんなわけで、ダニエル書なんかも
チラ見しつつ
やはり、今回はJohn Martinを心に留めておくことに
しましょう。

John Martinの「最後の審判」(最後の審判三部作と言われているらしい)は
やはり、圧巻なんです。

John Martinもまた
作品に末期感を漂わせる画家だなぁ
と、
その生涯を鑑みても
それらの作品を産み出すに至った境地について
思わずにはいられないというか。

なので、
私が今、そう感じているのは
きっと今の時代がそれに似つかわしい時代だからだと
思うわけです。

そんな感じで
その後、
身辺の急展開があって
なんやかやと慌ただしい毎日を
過ごしておりますが、

最近、寝る前は
京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」を
久しぶりに読んだりしています。

その中で、

言葉という呪(しゅ)は
内なる世界を覚醒したが
科学という呪(しゅ)は
外の世界を呼び覚ました

みたいな言葉があって(うろ覚えでスマソ)
量子論との兼ね合いが論じられる箇所があるんですけど、
以前にダンテの「神曲」について書いたときのことを
思い出しました。

そういう意味では
やはり、キリストの誕生、そして死(
(復活)というのも
同じように考えてもいいんじゃないかな
というわけで。

世界の誕生と終わりを司る
呪(しゅ)について
考えていました。

そんな毎日です。

いろいろありますが
頑張りましょう。


ではでは、良いお年を。

またねー♪