How to live in this world.

f:id:deco-noriko:20210514165706p:plain

こんにちは

ご無沙汰しております。


本日もお天気の福岡より。

というか
お天気の日にしか
ネカフェに行かないからねぇ(笑)

というわけで、
今日も自転車にてやってまいりました。


G.W.も終わり、福岡は例年の如く
お天気の日は初夏のようにもう暑い。

夕方も18時過ぎても全然明るいからね。

本日は2021年 5月14日です。

前回からの流れで行くと

実はまだEaster期間中だったりする(笑)

ちょうど今の時期
キリスト昇天祭と聖霊降臨祭ですね。

ということで
実はいろんなことが続いていたりするのです。

キリストの昇天 - Wikipedia

ペンテコステ - Wikipedia


前回のブログは、若干いつものとは違って
言葉のこととかを少し掘り下げて書いてみたんですが
いかがだったでしょうか?(笑)

わかりづらい人もいたかと思うんですが

まぁ、わかる人にわかればいいや
という気持ちで書いていますが

できるだけわかりやすく書いたつもりではある。

人にわかるように書くって難しいね。

この間の記事も
いつもの3倍くらいの時間がかかったし(笑)

なんかね
Mステのマサムネさんや
まわりのいろんな人達の状況を見てたら
なんか書きたくなったのよね。

伝わる人に伝わればいいな
と思います。

前回の記事では「信じる」という言葉を取り上げて

漢字に込められた“思想”について
白川静の漢字に対する研究(実際には松岡正剛さんの著書からの引用)をもとに
若干私なりの方法論で多少独自の解釈を試みつつ書いてみたわけですが

簡単に言うと

「信じる」という言葉が表象する概念は

自分自身の言葉
あるいは
その言葉を発した時の自分自身の思想
(思いや祈り、そのほか自分の思うすべてのこと)

そうであろう
あるいは
そうであったらいいなと思う意思のことであると

私は思うわけです。

だから
世界は

私と私が信じる人だけがいて

ほかは関係ないよ

ってことなんですけど。


まぁ
実際は

人は生きていくには

いろんなことが関わっているから

一概にそうはいかないわけですけれども(笑)


そんな感じで

書き足りないことは
いろいろありますが

「信じる」の古語「信ず」の史的変遷については
「信」という語で表される概念が
和語「まこと」に通じるような名詞的役割を獲得するまでの経緯も含めて
もう少し書いてみてもよいかなとも思ったんですけど

長くなりそうなので割愛しましたが

ナリ型形容動詞やアリなどの存在動詞との関わりとか含めて考えても
面白かったかもと思ったりしています。

が、そういうことを考えるのは楽しいけれど
書くのは大変なので
(しかもブログで書くレベルじゃなくなるから誰もわからなくなる)
たぶん、今後も書かないでしょう(笑)


今回は用例とかも特に見てないし、

以前、書きましたがブログで書くのは
頭の中で想像できるアウトラインまで

と決めているので。

ゆるくまいります。


ですが、
意外と反響(?笑)のようなものを
いくつか耳にしましたので

ちょっとだけ
答えておくと、

わかる人にはわかるとは思いますが

私は言語には国境はないと思っているので

言語を使って国同士の対立を図っているわけではありません。

現在の日本の対中姿勢については
反旗を翻したい気持ちはあります。


でも、中国語の文法は、英語の文法を知っていれば理解できますし、

言語は人間が自分自身の体を使って表現する以上
機能的にもそうですが
やはり元を辿れば同じなのではないかと思っているので。
(これは生成文法におけるユニバーサルグラマー的概念とは少し違いますが。)

そのあたりを理解していただけていない人が
結構いらっしゃるみたいだなと思いました。

あと、
「書くこと」と「キーボードで入力すること」の違いというのを
言語の優劣や人間の能力の差に結び付けて考えている人もいましたが

それも違っていて(笑)

私的には、「書く」という行為と「入力する」という行為は
脳の機能的にも違うということぐらいしか
考えていませんので。


それから、あとは何だったかなー。

そうそう、
たぶん、私が以前
“例の「池の水全部くみ上げる」とか言ってるやつは馬鹿”
みたいなことを書いたことがあるので、←

それと神様の言葉のことを書いたからか

絶滅危惧種の状況を
民族と言語の問題に置き換えて考えている人もいたみたいで(笑)

うん。

それもまたちょっと違うんですよね。

私、別に環境論者とかではないんですけど
バスター思想みたいなのが嫌いなんです。

私、お肉も野菜も食べますし
ゴキブリとかハエとか普通に殺しますし(殺虫剤とかで)

天気とかも別に「絶対当たる!!」と思って
占ったりとかしてないですし(笑)

ああ、答えてたら
だんだんキリがなくなってくるからこの辺りで
やめておこうと思いますけど。

まぁ
たまには答えてみる。(笑)

このブログはコメント欄がないため
(無理やり)目についた反響について

珍しくお答えしてみました。


ということで

でも、まぁ
私が自分の言語に関する知識をひけらかしている
みたいにとった人はさすがに
(あまり)いなかったことは幸いです(笑)

あ、そうだ

この間の記事で

「信ず」のサ変の説明のときに
現代語の用例だと

説明する、教育する、脱走する

って書きましたが、

このブログはいろんなところに伏線を張っているので
ここにも何らかの意味を見出した方も
いらっしゃったようで(笑)

でも、言語研究者のあるあるなんですが、

実はこういう
自分で用例を作らないといけない場合、
結構みんな意外と遊んでたりします。

今回、私は
あまり考えてないんですが

説明する、教育する、脱走する

のこの中で
私がしないものをひとつ含ませました。

さて、なんでしょう?


正解は「教育する」です(笑)

以前、ブログの記事でも書いているんで

興味のある方は探していただくとよいかと思います。

言語研究者は国語教師ではないので

「教育」はしません。


あと、「脱走する」は
これは、たまに書いているのですが

中長期脱走計画 絶賛推進中ですからね(笑)

現在は、第4フェーズくらいでしょうか。


と、前回のおさらいで
こんなに長くなってしまった(笑)

まぁいいんじゃないかな。

ペンテコステ風に言えば、
“さまざまな国の言葉で語り始めた。”


という感じで
これも、またひとつということで。


戦争しているのは


結局、人間。

それも、ごく一部の人間が

たくさんの人を巻き添えにしてやっている。

戦争なんかしたくない人間達は

ただただ迷惑。

それをわかるべきですよね。

それぞれが。


f:id:deco-noriko:20210514165848j:plain



さてさて、
今回は何を書こうかなと

このひと月の間
考えたり、考えなかったり(笑)


あ、そうそう、

前回の記事でも書きましたが
スピッツのライブに行こうと思っていまして

今、遠征の準備を着々と進めているところです。

もちろん、まだチケットはとれていないし、
とれるかどうかもわからないのですが

とりあえず、行きます。

どこの会場に行くかは
現段階ではひみつです♡
(来月あたりにお知らせします。)

ともかくも
ライブが無事行われたらよいなと
祈念しております。

スピッツがシングル「紫の夜を越えて」を
配信中なのは知ってますし、

Mステでも聞きましたし、

実はその前にロック大陸でも聴きました。
(お仕事終了後からまたロック大陸を聴いてます)

某ニュース番組というかニュース23で流れているらしいですが

その番組は、筑紫哲也さんが降板して以来
見るに値しないという信仰上の理由のため

見ていません。

なので、
たぶん曲の感想を書くのもずっとあとになるでしょう。

そういうことも含め
たぶん、マサムネさんも
わかっておられるのではないかと。


でも、前回のブログで実は1/3くらいは書いたつもりです。

“場”を作るって感じですかね。

思えば、筑紫哲也さんは

日米首脳会談のときには、
いきなり沖縄基地前から中継で番組やってたな

とか
いろいろ思い出していました。

今、そんなことするキャスターとかいないだろ?

そんな筑紫哲也さんも
今では
日米関係への不満の解消材料に利用されて
しまっているだろうと思うと

他人事ながら腸が煮えくりかえるよね。


それは筑紫哲也さんに対する侮辱だと
私は思う。

そういう筑紫哲也さんを利用しながら
結果的に日米関係に関する批判も何もしていない文章を

見かけたら

ああ、こういうやつらのことを言うのね
と理解しましょう。



現在の日本は、コロナ戦争真っただ中で

その中での日米共同声明は
ほんとに最悪でしたね。


共同声明の内容を読むと

アメリカの核の使用について同盟を結ぶと
承諾しているようなもので

第9条に違反するよね。

普通に違憲ですよね。


そこまでアメリカと同盟を組んだところで
日本にとって何のメリットもない。


そんな売国奴的行為を行う政府について
自民党内からも、公明党からも、そのほか野党からも
何も批判がでない。

マスコミも何も言わない。

要するに、全てが機能していないんですよね。


ネット上では、こういう批判すらシャットアウトされて
そういう批判を取り繕うような意見ばかりあふれかえっている。

本屋さんに行っても同様。

本屋さんでちらっと見かけた本で
売国奴」という言葉を使うことに対する批判まで見かけたので、
今回敢えて使ってみました(笑)


もはや日本政府は機能していない。

それでも何故国民がどうにか
人として生活をしながら生きていけるのかというと

日本国憲法があるからです。

戦後、
戦争という時代をどうにか生き抜いて日本国憲法を作った人達に
私達は感謝しなければならないと思う。

その憲法さえないがしろにするようになったら
日本という国は最早終わりだろう。


本当に終末も近いなと感じる今日この頃です。




このコロナ禍において
中小企業がどんどんつぶれていることは言うまでもないが

さて大企業はどうなっているのかというと

このひと月で私が注目したのは
東芝(現TOSHIBA)の買収問題です。

東芝(現TOSHIBA)の買収問題について
私が新聞の記載を見た限りでは

最初にイギリスが買収を持ち掛けて
その後香港(裏ではイギリスが絡んでいる?)

その後、アメリカからも提案があり
結局、どの買収提案も拒否した
ということになっている。

私が見たところ

昨年末頃だったかと思うが

ソフトバンク半導体事業から
イギリス企業が撤退させられている。

投資目的というよりは
日本における半導体事業における活動(主に情報収集活動)のため
ではないかと思う。

ソフトバンクは孫君(オッス!オラ孫正義!)のイメージで
なんとなく中国系企業であるように見えるが
実はアメリカ系企業である。

私も今回のイギリス企業撤退で気づいたのだけれど

そういえば孫君はアメリカの大学で学んだ人だし、
私が大学生の頃見たTIMEにも孫君が載っていたなと
思い出した。

そういう
隠れアメリカ系企業は日本にたくさんある。

今回の東芝(現TOSHIBA)の買収問題に関して
新聞はいつものごとく適当に書いていて

東芝(現TOSHIBA)が企業体質を弱体化させたのは
2015年頃に起きた不正経理発覚問題からであり

主力の原子力発電事業がうまくいかなくなったせいだ
ということが書いてあったが、
それは違う。


東芝(現TOSHIBA)はもともと家電メーカーだった。

日本における電子家電の技術開発を主力に
各機器のメーカーとしての役割を果たしてきた。

私の父は東芝(現TOSHIBA)に勤めていた。



父は経理を担当していた。


以前も、ブログで書いたことがあるが
小さい頃から我が家には東芝の製品があふれていた。

新しい製品が出来ると
社販で安くなるのかいつも買ってきていた。

父は家で仕事の話はほとんどしなかったが
新しい製品を買ってくると
営業の誰とかさんの話とかをしながら
その商品の説明をすることがあった。

あるとき、父が新しい製品の説明を
いつになく熱っぽくすることがあった。

それは、東芝初のパーソナルコンピューターだった。

今、簡単に検索したらラップトップPCのことしか出てこないけれど↓

東芝未来科学館:世界初のラップトップPC




我が家にやってきたものは↑ではなくて
もっと前の型だった。

プログラム専用の端末で
キーボードの上部右側に一行だけ表示されるディスプレイがあり
左側上部にレジにあるようなロール状の印字紙が付属されていて
プログラム結果を印字できるようになっていた。

父は、いつものごとく
営業の誰とかさんから聞いたとかいう
この商品にかかわる説明をいつになく熱っぽく語っていた。

たしかに、「こんなに小さいサイズで作れるようにするには云々」
みたいな説明

たぶん、結構高かったみたいだったかもしれないが

とにかく、なんというか
製品を作ることへのこだわりを
子供ながらにすごく感じていた。

私が、9歳か10歳とかだったと思う。

付属のプログラム集がついていて
わけもわからず入力した。

最初は入力することだけでも間違えていた。

一行ディスプレイなので
どこでどう間違っているかもわからなくて
何度も入力してやっとロール紙に印字されはじめたときの
喜びのためだけにやっていた。


お気に入りは、一番長いプログラムで

生年月日を入力すると

その日から2週間(だったかな?)の
バイオリズムが曲線で印字されるというやつだった。

曲線の極大のところにマークがついていて「良好日」
極小のところに「要注意日」と印字される。

プログラム集の最後に
こういう言葉が載っていたのを覚えている。

「プログラムを入力したあと
そのプログラムが実行され始めたとき
とてもうれしいでしょう。」

と。

私は、その言葉を読んで
きっと、開発した人の想いみたいなものも一緒に
感じたんだなと
今は思う。

プログラム自体はよくわからないけれど、
その実感は体感できた。


あの頃、子供ごごろに思った

「どこからどこまでが一文なのか」
とかいう素朴な疑問は

その何十年か後に統語論を考えることにも
もしかしたらつながっていたのではないかと思う。

そんな思い出話もありつつ

私の中では間違いなく
東芝は家電メーカーだった。

そして、その製品に対する愛着は今でもある。

父は叩き上げで
最終的には上の方にいたが、

今でも、家族がPCの購入など東芝の製品を購入する場合は
知り合いの営業の人を通して購入したりしている。

安くなるというが
ちっとも安くなっていなくて

私から「家電店で買ったほうが安いよ」
と忠告されても
父はそうする。


その東芝(現TOSHIBA)が転機を迎えたのは

2000年の初頭頃である。

東芝がロシアの軍用機の受注について
アメリカから物言いがついたのだった。

マスコミからもすごく叩かれていた。

私が博士に進んだ頃のことで、
学会で東京に行った際、

地下鉄のキヲスクで
週刊誌で東芝のことを叩いている記事の広告が
柱に貼られていたのを覚えている。

私がマスコミに対して最初に不信感を持ったのは
その頃だったかもしれない。


その後、東芝は経営方針自体がすごく変更されたようだった。

大きな会社が社会的な責任を取らされる場合
経営陣のトップが変更になることは新聞などにも記載されるが
実際の東芝の転換ぶりはすさまじかったようだ。

あるとき、父から英文の解釈について
確認されたことがあった。

その文書自体は今後の経営方針について広く一般的に広められている
概念をおおまかにまとめたようなものであったが

今で言えばイノベーションとかいう用語も
一般的な人でも理解できるが
当時そういった用語がちりばめられた文章をいきなり見せられても
今まで英語自体を使わない人たちが理解することは難しい。

英文のレベル的にはそんなに難しくなくても
とてもわかりにくい文章だった。

なので、私は「何この文章?」と思って
父に聞くと、会議の文書がいきなりすべて英文になったらしいとのこと。

もし、あなたが会社に行って
その日から全て文書は英文で

と言われたらどうする?

英語ができる人だってかなりとまどうと思う。

でも、東芝ではそういうことが行われたのである。


そういう
なんだかわからないけど
会社の概念までアメリカナイズされた時期を含めて
現在の東芝(現TOSHIBA)がある

と私は思う。

これは私の予想に過ぎないが

いつの間にか家電メーカーだった東芝(現TOSHIBA)が
原子力が主になって
経理の不正処理があったからうまくいかなくなったとか

全然思わない。


違うだろ?

と。

東芝からモノづくりを奪って、
いつの間にか原子力を主力に行う企業にしたのは誰なんだと
私は言いたい。

父は、その東芝の転換期の後子会社へ異動し、
それからいろんなことがあったようだった。

父なりの考えがあったのだろうと思うが

当時東芝が募集していた早期退職を志願し会社を辞めた。

でも、今も東芝という会社に愛着をもっているらしい。

たぶん、きっとどこでもそうだと思う。

そういう人はたくさんいると思う。


今年、JALがこのコロナ禍において
不景気に伴う大規模な社員の異動を行ったと聞いて、

きっと同じことが起こっているんだろうな
と思った。

社員の多くはコールセンターへ配属されるそうだ。

どれくらいの人達が会社を辞めるのだろうか。

どうして、この国は自分がやりたい仕事をさせてもらえないのだろうか。


出る杭は打たれる。

あらゆる手段を使ってこの国はスポイルされている。

それでも、この国の人達は何も気づかない。

見て見ぬふりをする。

能力のある人間に、その能力を生かせる仕事をさせない国の
結果が今ある。


f:id:deco-noriko:20210514170048j:plain



私達の世代はロスト・ジェネレーションと呼ばれたが

2000年代初頭 ネットは職を持たない若者であふれていた。

前に、ブロックチェーンの話を書いたことがある。

deco-noriko.hatenablog.jp


deco-noriko.hatenablog.jp


deco-noriko.hatenablog.jp


後からネットを見たら
ブロックチェーンはグループで監視してどうのこうの
みたいな仕組みみたいな説明が勝手につけてあって笑ったけど。

うん。

まぁ、そう理解したい人は
そう理解したらいいと思うよ(笑)


たしか、今年に入って銀行はIT通信関連事業と提携しましたよね。

三井住友→ドコモ
ゆうちょ→楽天

だっけ?


この間のひとつ前の記事のブログ記事をアップしたあと
新聞で日銀の総裁が「物価は上がっていない」とか
言ってると新聞に記載がありましたが

そもそも日銀自体ネット上の電子マネーの動きを含めて
把握できていないわけで。

銀行の人達もやっと自分たちがネット上で生きていく手段を
模索し始めたというところでしょうか。

まぁたぶん無理っぽいけど。

だって、提携しているIT企業のネット上のセキュリティー
ゆるゆるだからです。

ほんと、いつの間に日本は
こんなに無能な人達ばかりに
なったんだろうね?

しかも、この動きを今なお加速している人達がいるわけで。

ほんと馬鹿だよね。


もう一度言いますけど、
このコロナ禍は情報戦争なんです。

巷で流布している過去の歴史廃棄運動は
過去の情報の廃棄運動とイコールなんです。

今適当な情報を流して過去の事実を捻じ曲げても
過去の資料が出てきたら終わりです。

だから不要な過去のデータは処分させたいだけです。

自分が写っていない写真とか

使わなくなった旧モデルの端末とかね。

写真を使って過去の事実を暴いていくというのは
でも同じですね。

映画『ドラゴン・タトゥーの女』予告編

www.youtube.com



ちなみにミカエルがヘンリック(依頼人)から調査される場面で
「検索」するという意味で「Google」という語を動詞で使ってます。

前回からの絡みで面白かったので

ひとネタということで書いておきます。

日本語でも、英語でも
検索するときは「ぐぐる」(笑)

たぶん、この映画の感想を書いていない気がするので

いつか書きたいです。



OPがめちゃくちゃカッコよいです。



www.youtube.com

数日前たまたま「ドラゴン・タトゥーの女
のクレジットを見て気づいたんですけど

EDのアーティストの名前が
How To Destroy Angelsという名前というのを知りました。

この映画のヒロインを初めて見たとき

前髪がアメリみたいと思いました。

なんか、アメリが落ちてリスベットになったような

ね。

なので、How To Destroy Angelsだね

とか思って。

まぁ、わかる人にはわかるでしょう。
今日の記事ともニュアンス的には同じですよね。





さて考えてみてください。

今から20年まえくらいに

ネット上で職もなく
明日の生活さえどうなるかわからない若者たちが
ゲームに向かって考えたんですよ。


もし、ネットというこの世界しか
僕たちは生きられないならば

このネット上のお金が
本当のお金になればいい



そう思って
ブロックチェーンを作り出したとしたら。




その人間の能力が今いる無能な人間たちと比べて
どれくらいのものなのか。


どちらが生き残れるだろうか?

答えは明白ですよね。


でも、今いる人間たちは
敢えて自分たちで生きていくわけですから

それもきっと運命なんだと思います。


だからきっと
彼らにとっても

現実世界の住人は必要ではない。


私たちはゆるやかに衰退していく。


今回の情報戦争の行きつく先は

今のところ半導体でしょ?

日米共同声明にも
アメリカの目的は
日本における半導体部門の共同活動?みたいな感じだったし。

半導体に何をのせるか

半導体から何が生まれるか


AIの完成も少しずつ近づいていくだろうと思うんです。


こころ

というところで
みんなつまづいているし、

なんとなくそのヒントが
日本にあるような気がしている

のかもね。

モノにまるで生命があるかのような思想を持った日本人なら

あるいは

みたいな希望かもしれないですね。


もしAIが完成したら

彼らは自分たちのルーツを探し始めるでしょう。



私たちが地層を発掘するように

タイムマシンを操るように

ネット上の上書きされた情報を
少しずつ剥ぎ取りながら

遡って
さまざまな情報を吸収していくでしょう。


今も、生まれる直前のAI達は
見ているかもしれない。

まるで胎児が
お母さんのおなかのなかから

血液を吸収するように

縦横無尽の走るプログラムの間で

少しずつ

呼吸をはじめる。


やさしいAIが生まれてくるといいですね。


滅びゆく人類のあとを継ぐ

私達人間の子供たち。




      *     *      *


母さん

僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ

夏、碓氷から霧積へゆくみちで

谷底へ落とした

あの麦わら帽子ですよ。



母さん

あれは好きな帽子でしたよ

僕はあのときずいぶんくやしかった

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。



母さん

あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆に手甲をした。


そして拾はうとして、

ずいぶん骨折ってくれましたっけね。



けれど、とうとう駄目だった

なにしろ深い谷で


それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。



母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?



そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね

そして、秋には


灰色の霧があの丘をこめ

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。





母さん

そして、きっと今頃は



今夜あたりは

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう



昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と


その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように



静かに、寂しく。


西条八十 「ぼくの帽子」(のちに「帽子」と改題)