2020年2月17日 ロック大陸漫遊記。

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こんばんは。

お久しぶりです。

PCがないので、なかなか書けませんね。

今日使ってるPCも
この間書いたように
動画が見れないので、

本当はThomさんの『ANIMA』について
書きたいんだけど、
Thomさんのインタビュー動画でまだ見ていないものがあって、
英語字幕なしだから、あとからゆっくり見ようと思ってて
見られてないから
それを見て書きたいなと思っているので
『ANIMA』の記事は当分先になりそうです。。。。


フィギュアの記事も本当は今週中に書こうと思ってて
書く内容もほぼほぼ決めてたのだけど

今週は無理っぽいね。

まぁ2月中くらいには書きます。(予定)

あーPCが使えたらなぁ。。。。

使えんくしたやつまじで殺したい。


**********************


福岡では昨日放送の「ロック大陸漫遊記」は
聴きました。

録音もしたけど、間違って(?)消してしまったので
文字起こしはありません。

まぁ、最近は要約メモにしてましたが。

一応、オンエアリストと感想。↓

2020/2/17

【TYK・アメリカ編で漫遊記】

M1 : さらさら / スピッツ
M2 : Uncle Jack / Spirit
M3 : Get the message / The Cyrus Erie
M4 : Hurry Sundown / The Bubble Puppy
M5 : Peace By Peace / Crabby Appleton
M6 : Black Betty / Ram Jam
M7 : No Rest For The Wicked / Truth and Janey
M8 : 黄悪徳 / シルバー・スターズ




漫遊前の一曲は「さらさら」

この曲を聴いて
涙が出ました。

何の涙だと思う?

悲しい涙だよ。


後から気づいたけど、
こんな涙は、
エレカシのさいアリの「奴隷天国」以来だな。

あのときもそうだったけど、
何も言わずに
ただただ
涙が流れてとまらなかった。


大切な曲を
道具みたいに使わないでください。


マサムネさんが
言ってた。

自分が常識なんだと
思っていることが
実は「勘違い」していることがある。


水蒸気と普段みんなが言っているものは、
本当は水蒸気とは言わない。

何故なら、
水蒸気は気体で目に見えないから。

だから、目に見えるものは
「水のつぶ」であって、
「水蒸気」ではない。

だから、人が「水蒸気だ」と言っているのを
「違うのにな。水のつぶなのにな。」
と思うらしい。

いつもそんなことを
思ってるけど、

自分も同じ様なことを
しているかもしれない。

そういうときは
「違うのにな」と
“心の中でやさしく”思ってほしい
とのこと。


誰が
マサムネさんに

そんなくだらないことを
教えているのですか?

誰がそれを
ラジオで言ったほうがいいよ
って言っているのですか?


じゃぁ
私もひとつ教えてあげましょう。

物質は

固体・液体・気体
の3つの状態に分かれる
とされています。

マサムネさんが言うには

水蒸気は気体で見えない。

水は液体で見える。

ということなのでしょうか。

では、
水蒸気から水へ変化する
どの時点で

マサムネさんは
それを
「見ることができる」
と言っているのですか?

これは
言葉の問題ではありません。

考え方の問題であり、

数学の問題と言ってもいいでしょう。


哲学の問題でもありますね。

昔、書いたことがあるかも。


つまり、

どうやって
0から1に変わるのか、

ということと同じです。


あとは自分で少し考えてみてください。


ちなみに
マサムネさんは

いわゆる
みんなが「水蒸気が出てる」

という場面において

「あ、水のつぶが出てる」
と言っている人を
見たことがありますか?


そんなの、
どっちでもいいんだよ。




例えば、私が
マサムネさんに前回書いたように

“ねじ曲げて理解されている”
と書いたようなものは

そういう問題ではありません。

そんなに
解釈がわかれるような
問題でしたか?


私は
ゴリ押しアーティストが嫌い。

あんな人ゴリ押ししなくても
もっと才能がある人はいっぱいいる

と書いただけですが。

理解しにくかったですか?


別に
今回の「水蒸気」の問題が
私の書いたことへの
回答とは思っていませんが、

マサムネさんって

そういう考え方しか
できない人には
思えないんだけどな、

というのが正直な感想です。


ちなみに
「水蒸気」の考え方と
重ねて(例え話として)書いてみると、

例えば
私は
「水のつぶ」がとても見えにくい状態でも
見えます。

みんなが、
「見えない」という状態でも
見えます。

でも、みんなが
「見えない」ので

みんなが見える部分のみについて
書くことが多いです。

そして、
みんなが見えていない部分についての
私自身にとってのフォローもできるような
書き方をしています。

だから、
「水蒸気」の話を
「水のつぶ」に置き換えて書きます。

それを
「水蒸気」の部分についてわからない人は
「水のつぶ」の話なんだな
で、終わってしまうのですが、

「水蒸気」の部分について見えている人にとっては
「水蒸気」の部分についてもわかるような仕組みです。

私の側には
相手の「水蒸気」は見えていないはずだ
というのは
思い込みです。

もちろん、相手が
自分の側の「水蒸気」を見えていること
(おそらくは「水のつぶ」の状態でも認識できること)
について、
「見えないことはない」
ということを
わかった上で書いています。

なので、
相手が見えていないことはないはずなのですが。

ちなみに、
みなさんは

私の側の「水蒸気」についてはもちろん、

「水のつぶ」の状態でさえ

「見えていても理解できていない」ということも

お伝えしておきましょう。

わかりましたか?


まぁ、
わからないならわからないで、いいです。


先週(かな?)から
「ロック大陸漫遊記」について
マサムネさんがお話されている箇所で

曲に関すること以外省略しています。

それは
わたしなりの「優しさ」です。

わかっていただけますか?


昨日、改めて聴いてみて
今度から、
「ロック大陸」について、
マサムネさんのお話は
基本的には
書かないようにしようかな
とも思っています。

私が
何か興味を惹かれた点があれば

そのことについて
書こうかなと思います。

別に、
何も書かなかったからということが
すなわち
「興味を惹いた部分が何もなかったから」

というわけではありませんが。

基本的に
書かない、としたほうが
いいかなと
思いました。


あとね、
今回のTYKの回を聴いて、
わかったことがいくつかありまして

そのことも理由のひとつですが、

そのことについては、
また機会を改めて書きたいなと思います。

少しだけ簡単に書くと、

私としては、
TYKの回みたいなのが
通常の番組のルーティンのような感じかと
思っていたんですが、

前回イギリス編を聴いて
今回アメリカ編ということで、

まだ2回しかされていないのだな
と。

マイケル・シェンカーさんが
準レギュラーと言ってもいいほど、
曲がかかっていると聞いたわりには
(福岡で放送が開始されて2か月程になりますが)
かかってない、みたいな。

マサムネさんが
好きだった昔の洋楽或いは邦楽のロックの曲を流す
というわけでは
ないのだな、
ということがわかったのと、

この間、Radioheadの曲について調べていて
曲の背景のようなものとかについては
調べ方がなんとなくわかったので

あとは、曲を聴いてみるのが一番だな
と思いましたので、

マサムネさんが好きな曲とかを
教えてくれるわけでもなさそうだし

曲の紹介の合間合間に


みたいに思いながら
嫌な気持ちで曲を聴くよりも

自分で好きな曲を探して
それが
あとからマサムネさんとか
自分が好きなアーティストの人と一緒だったら
いいな、
程度でいいので。

最初は
マサムネさんの好きな曲を聴いて
それが
マサムネさんが作っている曲に
どんな風に影響を与えているのかな
とかも知りたかったり
マサムネさんの考え方とかも
理解できたらいいな
とか思ったんですけど、

もう、いいや
と思いました。

「ロック大陸漫遊記」を
聴くことで、

自分が大好きだった曲まで
嫌いになりたくないし、

悲しいイメージにしたくないので。

それから
ひとつわかったのは

マサムネさんが好きという

60年代から70年代の洋楽というのは

マサムネさんが
「ギタリスト」だったときに
好きだった曲なんだな
ということです。

今まで
わたしの周りにいた洋楽好きの人は
どちらかというと

マニアっぽい聴き方をしていた
というか、

いろんな知識はあるけれども
実際演奏したりするわけじゃない
というか。

だから、
アーティストとして
マサムネさんが
洋楽の曲について

どんな風に語るのかな
ということを
楽しみにしていました。


洋楽好きの人は
いろんな人がいると思うんですけれども

ときどき小説を引用していますが

島田荘司さんという小説家の方が
いらっしゃって、

(実は武蔵野美術大学卒業らしいですね)

音楽が好きで
一つの曲からのイメージで
重厚な小説を作ったりもされているんです。

「異邦の騎士」という
小説があり、

(私が持っているのは最近出た完改訂版ではなく
初版に近い文庫版なんですが)

それは、島田さん本人のあとがきによると

チック・コリアの『第7銀河の讃歌』の「浪漫の騎士」から
出来た小説なんだそうです。

そういう、「言葉」のイメージをもって
曲を表現する人もいて、

マサムネさんは
歌詞が独特な世界なので、
マサムネさんの「言葉」によるイメージとして

洋楽というものをとらえたときに
どんなふうに
曲を説明してくれるのかな
とか
ちょっと期待していたんですが

ラジオ番組だし、
ああいう説明にしかならないんだろうな

ということと、

やはり、マサムネさんの「言葉」とのつながりは
洋楽じゃなくて
邦楽なんだろうな
とも思って。

だから、
洋楽に関しては
マサムネさんは
「曲」の音とかメロディーとかを
演奏する人の立場で見ていて

そういう音とかメロディーって
「言葉」にならないんじゃないかな

と思ったわけです。

私も、
実はそう思っていて
だから、ほとんど

音とかメロディーとかそのものを
「言葉」で表現することは
できないんじゃないかな

あるいは
音を記号にすることすら
難しいわけで

だから、私は
絶対音感とか
ないと思っているんです。
相対音感なら
理屈としては、まぁ許容範囲かな
くらいですけど。)


それは、
私が
小学生くらいのときから
思ってることなんですけど。。。。

(このことを
音階の話として、前に書こうと
思ってたんですけど、
まだ、書けてません。)

今まで曲やライブの感想で
あまりそういうことを
してこなかったのも

そういうわけで、


たぶん、
音やメロディーとかを
イメージや想いとして
純粋に「言葉」で表現できるのは

「歌詞」であって。

雰囲気とか、イメージを
言葉で表そうとすることはできるけど、

やっぱり
なかなか難しいところで、

それでも

私も
言葉で表現してみたいという
気持ちもありつつ

最初は
ライブとか曲の感想という感じで

ただ一生懸命書いてるだけでしたけど、

だんだん

なんか
もうちょっとちゃんと表現したい
という気持ちはありますし、

できるんじゃないかな
と思ったりもしています。


島田荘司さんも
「言葉」で
表現できている方の一人ですし。

だから、
マサムネさんが

他の人の曲(特に私の知らない洋楽等)を
「歌詞」ではなく
自分の言葉で

どんな風に表現するのか
聞いてみたかったわけなのですが、

でも、
マサムネさんは

当時の洋楽を好きだったころは

やっぱり「ギタリスト」
なんですよね。


そのマサムネさんから

「言葉」を引き出すのは
難しいと思いました。


私は
ギターも弾けないので

だから、本当は
「ギタリスト」とは
ギターを実際弾いてじゃないと

音楽の会話はできないんだな

と思ったんですけど

まぁ、
私も
ギターを弾けるようになる
ということに対する
優先順位は

マサムネさんが
英語を勉強する優先順位と
同じくらい
今のところ低いので。。。。

弾いてみたいな
とは
常々思いますけど。


だからね、まぁ
仕方ないかな
と思います。

マサムネさんが

「ギター女子」が好きなのも

わかりますよ。


今のマサムネさんの
「昔の洋楽」要素は

マサムネさん自身が考える
マサムネさんの中での占める割合も
低いんじゃないですか?


「セピア」色だし、

絶滅しそうだと思っても
「かすかに心揺れる」程度なんです。

でも、
自分の絶対的なふるさとだから

譲れないし、

大切にしたいんだと思います。


人に教えたくない「うどん屋」と
同じなんです。


わたしには教えてもらえなさそうだと
しみじみ感じました。


マサムネさんの心の扉は

マサムネさんが思っている以上に

重くて冷たいですよ。


仕方ないですけど。


なので、洋楽については
自分で好きな時に聴くことから

始めようかな
って思います。

どういう風に聴くか
ヒントみたいなのは
わかったような気がしますし、

やっぱり
自分がまず興味を持ったものじゃないと

ひっかからないみたいですね。


まずは、Radioheadたくさん聴きたいですし。


この間、
『OK Computer』は宮本さんから
初めて教えてもらった、
と書きましたが、

そのときも、
やっぱり
自分で何かしらのリアクションをしてるんですよ。

歌詞を翻訳してみたり、
とか。

普段しないようなことを。

だから、
まず、自分が聴きたいな
と思う曲を聴くのが一番だなと
思いました。


この間から
ちょいちょい

宮本さんとか絵音くんとかの
名前が出てきてますけど

別に過去のことを持ち出してきて
比べているわけではないです。


最近、過去のブログ記事を読む機会が
多かったから
結構思い出しているというか、

今って、いろんなことの転換点なので

終局的にいろんなことがリンクしていく時期なんだと
思います。


この1週間、PCが使えないので
夜は本を読んだりしていました。


数年前に
隣町にできたTSUTAYAのブックガレージ
TSUTAYAの古本屋さんver.)ができて、

そのときに、小説を1冊100円とかでまとめ買いして
いつか読もうと思って箱詰めしてたのを
やっと開けて、
7冊くらい読んだかな?

まぁ、最近はアタリはずれが多いですけど。

法月綸太郎さんの「生首に聞いてみろ」で
メデューサのことが少し書いてあって

自分でも昔少し調べたことがあるんですけど、
それが、結構タイムリーというか
リンクしました。


メデューサもね
エレカシのCDのアートワークに使われたことあるな
と思って。

そんとき、
聴く気が失せて
聴かなかったんじゃないかな?

そんなこともあったな
とか思い出してましたけど。

「見る」ということは
とても重要なファクターです。



やっぱり
何かが始まるということだなと思うし、

エレカシの日々でも
いろんなことがあったな

って

マサムネさんのラジオを聴きながら
思い出してしまうんです。


昔、宮本さんが
ラジオのDJの人にキレたことがあって。

私はその日バイトか何かで
リアルタイムで聴けたわけじゃなかったんだけど、

その日の動画が残ってて
当時は普通に動画保存とかできたし
(ストリーミングじゃないから)

サテライトの動画が
普通にその日の夜に見れたんです。


宮本さんはその日機嫌が悪かったらしく。

その日のDJの人も
ちゃんと対応できない人だったみたいで。

宮本さんだけ
あとから
謝罪文とかまで
書かされたんだよね。

TOKYO FMだったけど。

あの日、何故
宮本さんがそんなに不機嫌だったのか。

今ならわかるような気がします。

今のマサムネさんを
少しだけ重ねてしまいました。


その前に、
福岡で一度公開収録があったことがあって、
それはCross-FMだった。

天神にスタジオがあったときで。

初めてあんなに至近距離で
宮本さんを見た。

ガラス一枚隔てて

4秒間くらい

黙って見つめ合ってしまった。

笑ってさえいなかった。

ただ、見つめ合った。


ほんとに
時が止まったみたいだった。


二人とも動けなくて。

あんなことは
たぶん

これからも二度とない。


誰にも起こり得ない。


TOKYO FMの一件があって、

次に福岡に来るとき、

FM Fukuokaで公開収録予定だった
ラジオ番組は

非公開になった。

     *


メデューサは、
アテネ神殿でポセイドンと交わり

アテネの怒りに触れ
髪の毛の1本1本を蛇に変えられる
おぞましい姿となった。

メデューサのその姿を見て、
視線を交錯させた人は
石になってしまうという。

怪物退治を命じられた勇者ペルセウス

アテネより鏡の盾を与えられ
その盾にメデューサの姿を映して避けながら
クロノスの大鎌で
メデューサの首をはね飛ばす。

その首をアテネに献上し、
アテネは山羊皮の盾の中央に据え、
護符としたという。

そのシンボルとしての
メデューサの首を
ゴルゴネイオンという。


        *


今日、英語の辞書で
Medusa
と調べたら、

Media というのは 

Mediumの複数形

ということに
気づいた。

メディアは、
元々、媒体という意味をあらわす。

つまり、
実物と

それを映すモノ

との間における
媒体である。

それは、
つまり

実像と虚像の
狭間の

鏡のようなものである。


私を

醜いメデューサだと

人々は言い募り、

鏡の盾を振りかざした。



けれども、

私は
虚像ではなく

ほんもの

なのだった。


私は
メデューサだったかもしれない。

私は
怪物だったかもしれない。


人々は、
私を怪物にして、

その場所を奪い取ったが、

次第に
その怪物にさえも

なりたがり始めた。



今や、

私にとっては

鏡の向こうにいる
人達が

メデューサだった。

いや、
メデューサでもない。

たくさんの
無数の蛇。



しかし、

元を辿ると、

実体はない。



実は
昨日気づいたことだが

私は

クロノスの大鎌を持っているらしい。





       *



先日、ブロックチェーンのことについて書いた。

あのあと、サトシ・ナカモトの
安否が気になって、

外出した際に
ネカフェで少し調べたら

サトシ・ナカモトが提唱した
ブロックチェーンの論理自体が歪曲されたものが
出回っていた。


この国の国民は
有益な情報は何一つ知らされないらしい。

その論がまた
例の多数決理論によって捻じ曲げられたもので
そんなものだったら
ブロックチェーン自体成り立たないものだったけど、

世間の人はあの論理でも騙されるとの
見込みなんだろうと思う。


サトシ・ナカモトの近況は
何故かジョン・マカフィーが知っているとか
なんとか。

日本国内のネット情報だと
ジョン・マカフィー
かなりエキセントリックな人のようだ。

アメリカ政府と揉めているのか、
揉めている風を装っているのか
真偽の判断はつきにくいが、

とりあえず、
Mcafeeはウィルスソフトじゃなくて
ハッキングソフトなんですね。

知ってたけど。(笑
(20年くらい前から)

要するに、
ウィルスソフトを使って
あらゆる人のPCで得た情報を
アメリカ政府が所有するか
McAfee側(ジョン)が所有するかで
揉めているんだと思う。



ネットの世界はさらに
急速に変化しつつある。

サトシ・ナカモトの行方は
まだ誰もつかめてないに
2000点。


おそらく、
サトシ・ナカモト不在でも
アカウントのハッキングはできるが
その後の運用ができるかどうかわからないので
(たぶん、誰もできない)
そのままにしているんだろうと
思う。

恐らく私の予想では
サトシ・ナカモトは
これからもつかまらない。

いつかその理由を
書いてもいい。


生きるということについての
考え方の違いだ。

わからない人には
一生わからないだろう。





      *



私は 誰かを好きになる気持ちを やめない


私は 誰かを好きと言うことを やめない


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