東風吹かば。

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こんにちはー!

どうも。

いつもながらに
ほぼほぼ1か月ぶりの更新でございます。

一応書いておくと本日は4/15でございます。

桜の季節もあっという間に過ぎ
若葉も目に鮮やかな季節と相成りました。

今年は3月下旬ごろ
近くの山にお散歩しに行ったときに
 
桜の花が咲いているのを
目にしましたが

今年はなんだか
あっという間でしたね。

咲いている時間が。

そんなことない?


学生の皆さんは
入学式も終わって

新しい生活を始めている人たちも
多いと思います。

今年は入試とかも
いきなりイレギュラーな感じになって
大変だったのではないかと。

私、受験の時
高校入試のときも
大学入試のときも
すごい風邪ひいてしまったんだけど、

試験はどうにか受けられたんだよね。
(どちらも志望校には受かりましたけどね。)

今年は、熱があったり
咳が出たりしてる生徒は
受けられなかったりしたのかなー
とか。

なんか可哀そうだなと
思ったりしました。

その日のために
みんな準備してきてるわけだからね。

あとさー

オンラインの授業ばっかりで

実際の試験は筆記なわけでしょ?

そういう気づかいとか
全くなさそうだったのが
気の毒ですよ。

私たちが学生の頃は
センター試験はマーク形式だったから

鉛筆の芯とか
書きやすいように
試験前に先がとがっているのを
わざと丸ませたり
とかしてたわ
懐かしー

とか
思い出したりしてました。

そもそも
試験のときは
シャープペンシル禁止だったからね(笑)

いろいろと大変だったのではないかと思います。

まぁ
上のほうで牛耳ってる人達は
ろくに勉強とかしてないから
そんなことまで
頭が回らないんだろうね。


キーボード打つのと
書くのとでは
やっぱり全然違うじゃないですか。

とか
言い出したらきりがないけど
実は今日このブログで書こうと思っていることと
少し関係があります。

前回の記事は

いつになく
怒り爆発の記事でしたが

(わからなかったかもしれませんが
実は怒り爆発していたのです(笑))

なんか もう
いい加減にしとけよ的な。

まぁ
巷で言われている女性差別問題とか
別によくわからないんですけど

例えば、女性だからって
 「こども産め」みたいに
当たり前にしつこくしつこく言われるのは
女性差別にはならないんですかね?

(幸い私は言われたことはないですけど
社会の風潮的に
いまだに女性=子育てみたいなのが当たり前で

それは別にいいんですけど
子供とかいない女性にとっては

こどものいる人達のほうが優遇されているような
気がするのは気のせい?)

まぁそんな感じで
女性差別発言とかも

どっからどこまでが差別発言なのか
よくわからないのに

それを利用して
なんか裏でごちゃごちゃ
やってるやつらがいるのがね

腹立つんですよ。

女性差別発言を
問題視するなら
前回書いたスーパーフリーの事件を
もっと追及してみろよ
と。

明らかに
あの事件のほうが
女性を蹂躙している行為だしな。

おまけに
それにつながってる
裏の黒い奴らも
炙り出してみろよ

ね。


でも、
今回は一応
そんなに(?)怒ってはいませんが

まぁ
前回、前々回の続きというか
今日までが
一連の記事というわけで

ちょっと書きたいことが
ありますので

ご興味のある方は
お付き合いいただければと。


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で、その前に。

前回の記事(3/19up)から
結構、いろんなことがありまして。

まずね

3/25にフィギュアのSPがテレビで放送されて

それを見たときに

3/27(←フィギュアのフリーの日と同日だったんだけど時間差でどちらも見ることができました。)に

スピッツの「猫ちぐらの夕べ」が
WOWOWで放送されるというCMをたまたま見て

Officialで情報あったのかしらんが
→今見たところやっぱりないみたいです。)

急いで加入して

やっと見ることができました!

で、しばらくそれを何度も見たりしてたんですが

そのあと
ネカフェに寄った時に
今度は4/9にMステにスピッツが出演すると知って
それも見ましたよ。

Mステは。。。。まぁ
あんな感じなんだろうなとは
思っていましたが(笑)

でもね

見ることができてよかった
と思いました。

なんていうか
実際に
リアルタイムで見るのは
やっぱり違うね

というのと

百聞は一見に如かず
というかね。
(ネットの場合だと
百見は一聞に如かず、
ということになるのかもしれんが。)

ライブってやっぱり大事!
と思いました。

猫ちぐらの夕べ」も
Mステのライブも

どちらも
見た後に思ったのは

やっぱり
マサムネさんをはじめ
スピッツが見たかったんだね、わたし

と思いました。

そのあと4/12付で
いままで延期調整中だったライブが
一旦リセットされて

新規ライブが開催されるというお知らせを見て

スピッツ
動き出すんだな!!
ということがわかってよかったです。

新規ライブは、ライブキャンセルになった人達優先とのことなのだけど

それ以外の受付もあるかもしれないので
機会を伺って
私も行きたいなと
思っています。

さっき調べたら
だいたいキャパが10000席くらいのところみたいなので

半分の5000席くらいが発券されるのかなー
とか思ってて
(たしかコロナのガイドラインも5000席以下とあったような気がする)

そしたら
キャンセル分だけで埋まっちゃう可能性はあるから
なんとも言えないけど

まぁエントリできればしてみます。

今回行けなくても
今回が終われば

またライブハウスでも
小規模のライブができるようになるかもしれないから

ほんと、はじめの一歩ですよね。


というか、新規ライブ開催のお知らせ見た瞬間
速攻で

行く♡

と思ったので
しょうがないです(笑)

それだけ
たぶん、飢えていたのだ。。。。


WOWOWで「猫ちぐらの夕べ」を見た感想とか
諸々は機会があれば書こうと思っていますが

この1か月
結構ほんとにいろいろあったので。。。

そう言えば
3月下旬ごろにEVAも見に行ったんだよねー

あと、フィギュアも去年の全日本から
ずっと見ていたので
そのことも書きたいなとは思っているし、

追々書いていこうと思っています。

ゆづるくんは目下
次の国別 頑張ってください!

とゆーわけで
なんか急ぎ足で申し訳ないが

今回は別のことを書こうと思っていたので
そちらを書きます。

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3月に入ってから
少し時間があったので

今まで読みかけにしていた本とか

読んでなかった本とかを読んだりしていたのですけれども

昨年くらいからずっと世相がすごい末期だよなー
と思っていて

個人的にもすごく嫌なことがたくさんあった年だったんだけど

社会の風潮が「悲劇の連鎖的悪循環」であることは
前回の記事で書きましたが

そういうのって文化とかにも
すごくわかりやすい形で出てくるんだなぁ
っていうも改めて思った一年でした。

鬼滅の刃」ブームとかもそうですけど
(ある意味一部の人たちの煽動によってブームになっていたわけですが)

まさに今って平安時代ともかぶるよなー
とか思ってました。

まぁ「令和」っていう年号もそうですけど
万葉集からとったとか言ってるけど
言葉的には明らかに律令制政治くさい雰囲気)

オリンピック前の偏った国粋主義的な雰囲気とか

コロナという疫病の流行とかね。

鬼滅とか陰陽師とかを利用した
いわゆる「バスターズ」的な思想とかね。

なので、今回は
そういう白黒二項対立が大好きなみなさんのために

十干十二支で見る
鬼も笑わない今年の世相を見てみよう☆

ってのを
書こうかなとか
思っていたのです。

最初はね。


でも、3月にいろいろ本を読んでて
そのとき
ふと菅原道真の「菅家文草」を
もう一度読んでみたくなったんです。

昔も何度か読んだことがあるんだけど

それまでに
いろんな嫌なこととかがあって
ふとまた読みたくなったのですね。

菅原道真というのは
太宰府天満宮に祭られている
学問の神様ですが

平安時代、宮廷で右大臣まで上り詰めたものの
讒言(ありもしない事実をでっちあげられ吹聴されること)により

太宰府へ左遷され
そこで無実の罪を訴えながらも死んでしまったのですね。

菅家文草」はそのとき
道真に書かれた文章で

日々思ったこととともに
詩が書きつけられているんです。

たぶん、このことは
以前もブログで書いたと思うんですけど

さぞや恨みつらみが
書かれているだろうと思いきや
そういうことは全然書かれていないんです。

でね、今回
道真の詩を読んでいて

そのとき
以前読んだ松岡正剛さんが著した
白川静 漢字の世界観」のことを
なんとなく思い出して
読んでいて

今回の記事のタイトルにもした
「東風ば」の歌をもう一度見たときに

以前よりも
もっと素直な気持ちで歌が見えてきたというか。

そしてね
猫ちぐらの夕べ」のライブを見たときにも
そのことを感じたというか。

なんか、すごくまっすぐに歌の世界に入っていった気がしたんですよね。

で、改めて気づいたのが“文字”というもの

特に"漢字"について書くことで
なんとなく自分の考えていることを
書ければな
と思っているわけです。


“漢字”というのは、実は日本人が一番
それが古い形のまま使っている文字なんです。

中国は既に簡体字を使っていますし、
韓国はハングルを使っていますし、

日本人だけが
“漢字”を古いそのままの形で使っているんです。

“漢字”の歴史はものすごく古いのですが
その歴史は、中国の甲骨文字まで遡ります。

学校なんかでは“漢字”の成り立ちということで
象形文字とかについて

山は見た形がそのまんま文字の形になっているんだよー

というようなことを適当に教わりますが

漢字というものはそもそも
とても思想的なものであった

ということを白川静さんは

甲骨文字の研究を通して発見したわけです。

白川静の文字研究をそのまま見てもらえばわかると思うんですけど
一般人には理解できないと思うので

白川静の研究を説明するために
松岡さんが上述の本を書いているというわけで

その本の紹介を私がしているというわけですね(笑)

(ああめんどくさいですね(笑))

たぶん、白川静を研究者が見たとき
その文字研究をツールとして利用すると思うんですけど

松岡正剛さんの白川静の漢字の世界観の解釈として
“文字が世界を憶えている”
というところが
いいなと思いました。

白川静は甲骨文字を通して最終的には万葉集を読み

最終的に知りたかったのは
古代の人達が何を考えていたか

ということだったとのことですが

それは、本居宣長にも
古代いや、過去の歴史にける日本語というものを研究する誰もが
思うところです。

今、私たちが失ってしまったかもしれない
そのときの人たちの祈念や欲望や憎悪
さまざまなものが漢字という一つの文字の中に集約されている
そう考えると
とてもドラマチックですよね。

白川静的文字解釈論を使って

今回、「信じる」という言葉を考えてみたいと思います。

「信じる」という“日本語”・・・と書こうとして
“言葉”と訂正しました。

(この意図は後程わかります。)

「信じる」という言葉
どのように使いますか?

誰かをあてにする、というような意味でしょうか。

しかも、ものすごく真剣に
その人の言うこと、することが間違いないと思う、
というような意味でしょうか。

人によって
「信じる」という言葉に対する“イメージ”は違います。

昔、絵音くんが
初めて作った曲が「believe」という曲で
今となっては黒歴史と言っていたのを
思い出しますが(笑)

現代語では
「信じる」という言葉に対する信頼性も
失われてしまっているのかもしれません。

まぁ、それは置いておいて。


日本語は、
英語とは違って
意思や未来を現在形と同じ形で用いることが知られています。

昔、英語の時間に
I will go the library.
という文章を和訳する際に

「私は図書館へ行く“つもりだ”」

わかりやすく書くようにといわれたかと思いますが

実際は日本語では

「明日どうするの?」

と聞かれたときに

「図書館に行く」

だけで、本当は成立します。

それと同じで

「信じる」という言葉も
現在形 「信じ・る」の形で

意思・未来を含む形になります。

要するに
現在形を使ったときに

その人は未来に向けて「信じ・る」状態になっている
わけで

その人に対する信頼性が実際どうであれ
その言葉を発した人は

既に「信じ・る」状態になっているわけで

これが
「信じ・た」状態になれば
それは
過去そうなった結果を表します。

現代日本語文法的に説明するとそんな感じです。


では、「信じ」というのは
どいういう状態なのか。

上述の現代語の意味でいけば

何かオブジェクトがあって
それに対する強い思い

というようなイメージでしょうか。

この部分をもう少し探っていきます。


この「信じる」という言葉
現代語では上一段動詞ですが

実は古くはそうではありませんでした。
(古語における上一段動詞は10数語しかなく
その中には含まれていません)

じゃぁなんなのかというと
実はサ変動詞です。

「信ず」ですね。

サ変動詞は、名詞と組みあわせて動詞化しやすく
現代語でも

例えば 説明する・教育する・脱走する

などですね。

同じような形で

「信」+「す」(前の音が撥音なので濁音化して「ず」になっています)

という感じになるわけです。

では、一体「信」とはなんなのか

ということになります。


日本語に「信」だけで成立する名詞はありません

要するに
これは漢語「信」なわけで

外来語を動詞化しているわけです。

現代語でいうと

メモる、ミスるみたいな感じです。

つまり、「信ず」ということばは
漢語「信」+「す」ということになります。

つまりは、「信」という概念を
行う行為を示す言葉なわけですね。

で、漢語「信」とは
どういう概念を表す言葉なのか

ということになります。

ここでやっと白川静的文字解釈を利用してみます。

白川静的文字解釈だと

「言」というのは甲骨文字では口の上の部分は
“刺す”ことを意味します。

口の部分は、白川静的文字解釈だとそれを入れる“器”
のようなものであるといわれています。

「信」の「人」の部分はまさしく「人」ですね。

なので、“人に対して言う言葉が間違いだった場合、その罰として針で刺されること”を意味します。


これは白川静的文字解釈をツールとして利用した場合ですが、

まぁ
解釈が本当に合っているかどうかは別として
なんとなくイメージはわかります。


昔、「言」というものは
神様の言葉を指しました。

そして、その「言」というものを伝えるのは
神官であり、シャーマンであったわけです。

神様の言葉を間違えると
神官達は針を刺されたわけです。

昔の巫女が託宣を間違えると
死ななければならなかったことと同じです。

西洋の神官は片目を潰されているのが特徴であったりしますが

これは、もしかしたら
ある民族が別の民族を征服した際に
神官は捉えられ奴隷として片目潰されたりすることも
あったのかな

と思います。

なので、神官やシャーマン達は
“間違える”わけにはいかなかったわけです。

神官やシャーマン達の苦労は如何ばかりであったかと
思われます。

雨の季節や日照りの予測
或いは治水の方法

次に王たる人物は誰がふさわしいか
などなど。

古代において、暦や天文学が高度に発達したわけは
陰ながらに神官やシャーマン達の努力があったのではないかと
私は思えてなりません。

さて、話はそれましたが、
こんな感じで白川静的文字解釈を適用する例を
見てきましたが、

「信じる」という言葉は

過去に遡って考えてみると

元々は「人に対して伝える際に間違うと針を刺されるくらいの覚悟で言う言葉や思い」みたいな感じですかね。

なので、間違ったら傷つくのは自分だったはずなんですけど

いつのまにか、その「信じた」概念の行き着く先が
自分ではなくて人に対するものになっていったのかもしれません。

そして同時に、必ず傷を伴うものではなく
“それが真実であれば”
伴われる結果が、幸せや利益であったりすることから

ポジティブな意味あいも帯びてくるようになったものなのかな

とか思います。

まぁ、今では

「信じる」行為そのものが陳腐化して
馬鹿馬鹿しくてやってられない

というような意味合いでも使われるのかもしれませんが。

話は長くなりましたが、

ひとつの言葉を考えると
実はさまざまな概念が埋め込まれていることに
気づきます。

上記では白川静的文字解釈をツールとして利用したわけですが、

これは、後の時代の人達が言葉をツールとして
解釈するものとして利用しているため
こういうツールとしての利用方法になるわけですが、

先ほど紹介したように、
文字の本質は、
さまざまな概念を漢字という一つの文字の中に集約させることができるということです。

では、実際に文字の本質として
“漢字”はどのように機能するのか。


白川静が中国古代文字と万葉集から
古代思想研究として掴んだ結果、
それは“再現性”です。

つまり、文字によって
そこに込められた思想や先ほど書いたように概念を
再現できる
ということです。

これを白川静さんは
文字の“呪能”と呼んでいたそうですが

先ほど紹介した松岡正剛さんの著書の中では
万葉集の中の
「東(ひんがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
返見すれば月傾(かたぶ)きぬ」

という歌を例に挙げて述べてあります。

この歌は、たぶん教科書には必ず載っている歌なんですが
(少なくとも私の学生時代には載ってた)

そういうのが、実はしれっと入れられていますが
そのことについて教えてくれる先生は
まずいないでしょう。

なんでこんな変哲もない叙景歌のようなものが
万葉集の4000首の中から選ばれて
教科書に載っているのかというと

これが、日本の皇位継承に関わる歌だったからです。

つまり、歌に読み込むことによって、
ある種の特別の空間においては
それがその文字を通して、その思念が呼び起こされ
再現されるという考え方です。

この歌の背景としては、軽皇子をどのようにして急逝した天皇に代わって行為を継がせるか

という皇位継承が絡んでくるのですが、

それが安騎野の冬猟という
古代社会においては特別な場所・行為によって
“再現”させることでそれを可能にする
という考え方です。

この歌の解釈について松岡正剛さんの
文章から引用します。(p163あたりからですね)

安騎野という場所はわざわざ選ばれたのです。
そこは古代社会の特別な結界であって、
多くの人の外来魂とふれあうことができるトポスだったのです。
しかし、そこに行くには、あえて旅人の姿をとらなければならない。
仮の姿をとって、そこにさしかかり、旅寝をする。
そういう呪的な様式を守る必要があったのです。

だから軽皇子の一行は
「古を念ふ(おもふ)」という思念をひとつにして
いまだ天皇霊を抱いたままであろう草壁皇子び霊魂を呼び起こすべく、一夜をともにした。


というような感じですね。

ちなみに、この日は太陽暦で692年12月31日の午前5時50分頃だったそうで、
まさに東に太陽を見て、振り返って西に傾く月を見た
ということになりますが、
この前後は実は“冬至”で、

日本民俗学では“冬至”は「春のことぶれ」のために
「みたまのふゆ」がもたらされていた

祭事や斎事が行われていた日であることがわかっています。

「みたまのふゆ」とは分霊のことです。

松岡正剛さんは、冬至と王権交代の関係は、
古代エジプトオシリスとイシスの物語にも、

キリスト教の復活祭にも、
つまりはクリスマスの真の意味にもかかわっている
と『17歳のための世界と日本の見方』
という著書の中で述べられているそうです。


ただし、このような解釈が
従来の日本歌謡解釈の歴史にはなかった

白川さんも松岡正剛さんも考えられているようですが、

実は、こういう解釈のほうが江戸時代まではふつうでした。
おそらく、白川さんや松岡さんが参照された
解釈の本が近代以降(昭和以降)のものだったため
そのような解釈は載せられていないのでしょう。


なぜなら、戦後日本文学またはその研究において
神様の言葉を語ることは許されなかったからです。

なので、私もここで
そのことを敢えて語りませんが、

私はここで言いたいのは、

文字における再現性です。

“漢字”という文字は
実にさまざまな情報を文字の中に秘めている。

それは、単なる
コミュニケーションのツールとしての“意味”だけではない
ということです。

例えば、それは
楽譜が音を再現する道具として機能するだけではなく
それが、人間の体(脳)で
さまざまな概念を再現させることにも

通じるのではないかと思います。

それは
記号の一つの特性であるかと思いますが

特に“漢字”はその情報が細密であり
積み重なりが果てないということと

そして、
松岡さんも書いていますが

文字が意味を超えて
まるで生き物のように
独立して機能することもあることを指摘しています。

松岡さんは
白川さんの『漢字』が出た頃(1971年)
その印象を 
“古代思想研究の天空に現れた精密宇宙船の構造体”
のようなものであった
との印象を書かれていて、

その反響が
特に当時のビデオ・アーティストなどの人達の反応が
最も早かったということも興味深いです。

それは、とても精密な優れたツールであり
それでいて
それに触れることにより
古代という遥か何千年も前の人々の
さまざまな思想や感情までもが再現される

本能的に

そう、感じる

ものだったからではないかと思います。

かつて、遥か古代の日本という国に生きた人たちは

自分達を表現する手段として
音を持っていた。

その音を日本人たちは“漢字”という最高のツールを
上手に使って
表現した。

日本の人達は
昔から優れた道具が大好きだし
それを上手に使ってきた。



だからこそ、現代においてもなお
複雑な“漢字”が生き続けているのではないかな
と思います。

だからこそ
そういう意味では

文字も、絵も、音も、

さまざまな思いやそのときの空気まで
伝えることができる意味では

同じなんだなぁと
改めて思った次第です。

前に、このブログで
アナログレコードの録音方法が謎で
魔法みたいだと書いたことがありますが、

あのあと気になって
調べたんですが(笑)

どうやら
録音時のその場の振動をそのまますべて
レコード盤に刻む

ということらしいです。

だから、もしかしたら
人間の耳では聞こえないレベルの
空気や小さな粒子の音も

振動として刻み込まれるらしいんですね。

だから、きっと
わかる人には
そこに含まれる何かがわかるんじゃないかな

とか思ったりしたわけです。

文字も
そうだなと、

きっと目に見えない何かが
そこに込められている気がするのです。


だから、書くという行為も
きっと体で覚えることで

私たちはきっと何かを感じている。

そんな風に思うんですよね。


最初に、
本当は十干十二支を使って
今年の世相を占ってみよう!
と思っていたと書きましたが、

十干十二支というのは
12月の記事で書いた五行思想と干支を組み合わせたもので

12月の記事の通り
平安時代に流行した陰陽道とも関係が深いのですが、

日本での十干十二支は
中国にもともとあった五行思想と比べて
やや新しいといういうか(2000年前くらいの時点と比べてですが(笑))

ツール的な意味合いの強いもののような気がしますね。

12月の記事で書いた通り、もともとの五行思想
もっと世界を構成する要素(エレメント)との関係性の意味合いが強い気がします。

干支(えと)というのは兄弟(えと)であり、

対立する要素を組み合わせて行く感じで
かならず2項対立になっているため

要素の組み合わせも少ない感じです。

なんとなく、デジタルで何かが
そぎ落とされていくことと

似ている気がするんですよね。



と、そんなことをつらつら書いているうちに
時間もなくなってきたので

そろそろお開きです。

書き足りないことは
いろいろあるけれども、

要するに言いたかったことは

この1か月
なんかいろんなことを
“思い出したなぁ”

って気がするのと、

たぶん、目に見えないことはたくさんある

ってことだと思います。

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最後に、本日のタイトルにした
「東風吹かば」の句ですが、

一般的には「飛梅」の解釈で有名です。

春風が吹いたら 自分がいなくても 忘れずに咲いておくれよ

というような意味で、

自分がいない 遠く離れた京の宮廷や自分の住まいなどに思いを馳せた歌
という解釈がなされていると思いますが、

前にも書いたかもしれませんが

春というのは春宮(皇太子)のことで

東風が吹いたらというのはいろんな解釈ができそうですが
対抗勢力とも思えるし
味方の勢力とも思えますね。

「天子南面す」とか
朝廷の建物の配置とかから考えることもできそうですが
今回は保留。

なにはともあれ
ひとまずは

たぶん、道真は最後まで
自分のことよりも帝のことを思っていたんだろうなぁ
とか
思った次第です。

そんな道真が呪いをかけて帰ってくると思った人たちは

きっと、自分たちに何かやましいことが
あったんだと思いますね。

人を呪わば穴二つ

と申しますし。

自分の言葉や行いはきっと自分に返ってきますからね。

ちなみに
今年は丑年ですが

詳しく言うと辛丑(かのとうし)
なんですね。

昨年は庚鼠(かのえねずみ)でした。

やってみた占いも
結構面白かったので
機会があればご紹介するかもしれません(笑)

蛇足ですが
来年寅年でありまして、

艮(うしとら)は鬼門となっています。

今年から来年にかけて
一体何があるのでしょうか???

ちょっと興味深いです。(笑)

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今日文章の中に入れようと思ってたけど
紹介できなかった最近改めて見た映画3本。



冒頭のラングドン教授の言葉
“象徴(シンボル)”は過去を知る言語と言えます。
我々は過去を知ることにより現在を理解できるのです。”
から一気に引き込まれるまさに探求の旅的1本↓

人類史上最大の謎を解く!映画『ダ・ヴィンチ・コード』を振り返る

www.youtube.com



人間とは全く違う生命体とその言語に遭遇したとき
人はどうするのか、という1本↓
『メッセージ(ARRIVAL)』

www.youtube.com

未知の生命体のまるで書道の漢字のような文字を
形態的にデジタルで解析して意味を理解するという手法が興味深いです。
(書道っぽいからか謎の生命体がなんとなく墨を出すタコのような軟体動物っぽい(笑))


実は今回のブログの裏テーマAI的な1本↓
映画『エクス・マキナ』予告編

www.youtube.com

白黒の部屋のメアリーの話が今回の話に通じるかな
と思います。

ja.wikipedia.org


「白」って実は7色の光が重なったときにできる色なんだよな
と獏と思い出しました。



前回の記事からのつながりですが、
お分かりの通り「東」ですね。
(ほかにもいろいろと伏線はありますが。。。)

んでもって、
隠れていた言葉は
イースター」です。

実は、今回イースター周辺で
いろんなことが起きました。
(私的に)

2/12ブログ更新
2/17 Ash Wednesday

3/19ブログ更新
3/21 春分の日

※以下、イースターは3/21から7日後の満月の後の日曜日となっていて
今年は4/4となっているのだけれど
日本では3/28から29にかけて満月になっていて
3/28が日曜日なので3/28がイースターと考えると

3/25 聖木曜日(洗足日)
3/26 聖金曜日(受難日)
3/27 聖土曜日

3/28 イースター(復活祭)

みたいな感じで
特にこの辺り1週間前後が
いろいろあって

なんか不思議な一か月間でした。

雰囲気として
いろんなことを受け継ぎつつ
新しく生まれ変わる、って感じですかね。

というわけで。

それでは、また☆

スピッツ / 若葉

www.youtube.com
最近脳内ヘビロテ。