SKYFALL 4/4

(SKYFALL 3/4からの続きです。)


源氏物語」の「雲隠」の巻、
この巻でヒカルくんは
死んでいます。

あとの「宇治十帖」は
柏木と女三宮の子供、薫の大将と
紫の上の養女となった明石の姫君(中宮)の子供、匂宮の二人が主人公ですが、
この「宇治十帖」が
またパッとしないんです。(笑)

小学生のときに
初めて読んだときに、
「あれ?これ続編?」
って思ったくらい
中途半端なんです。

でも、巻名は
今までの巻と同じ付け方
(タイトルフェチの私が言うのだから間違いない(笑))なので、
恐らく、
雲隠→削除
宇治十帖→改作
みたいな感じなのかな
と。

雲隠の巻に関しては、
「源氏」の最古の注釈書(鎌倉時代頃)でも
あったに違いないと語られていて、

その後も「あった」と考える人は多く、議論も重ねられていますが
あったとしても
保管先(東北院説、平等院説さまざまです)で
火災等により焼けてしまって
現存しないという人達が
ほとんどです。

私も現存はしないと思いますが、
式部が生きていた時代くらいまでは
それを見た人達は
いたと思います。

先に書きましたが、
式部が「源氏」で再現した世界は、
あまりにもリアル過ぎて
リアル世界と奇妙に
リンクしていった可能性があります。

それは、「源氏」の世界が
普遍的な真実を
よりわかりやすい形で
表現していたからです。

登場人物は実に300人以上、
精巧な設定に裏付けされ、構築された宮中という舞台に
さまざまな恋愛の形が描かれ、

目に浮かぶような
景色、人物描写が
古来の形式を踏まえつつも
斬新な形で提示され、

読んでいる人達が、
登場人物の気持ちに素直に感情移入でき、

もしかしたらこれは
自分のことではないか
と思った人達も少なからずいたでしょう。

宮中における
「源氏」は
誰もが見たいと思う本という
それだけではなく、
それ以上の価値と存在感を持つようになります。

日記文学やこのあと発生する
歴史物語がそうですが、

それまで「歴史」とは
天皇の勅命により
編纂記録された「国史」や「勅撰和歌集」のことを指しましたが、

それとは別に
人々の思いや生き方の真実を表現し、記録するものとしての役割
すなわち、日記や物語の中に真実があるという認識が
人々の間に広がっていったわけです。

だからこそ、「源氏」の
ストーリーが
自分達のことのように
気になって気になって仕方がないという人達もいたわけで(笑)

道長は、あるとき
自ら式部の局(部屋)に行って
勝手に草稿本(下書き)を持ち出したりしています。

娘(たしか妍子)が欲しがったからあげたのだ
と言っていますが
たぶん一番早く自分が内容を確認しておきたかったのだろうと。(笑)

「雲隠」の巻があったと主張する人達の中に、

当時の貴族達がヒカルくんを真似して次々に出家したら困るから削除したという説を言う人もいますが、

その説はともかく
それくらいヒカルくんの存在は人々の心に浸透していて、
その頃から既に「源氏」には少なからず人々を動かす影響力があったのだろうと
思われます。

メディアの影響力にいち早く気付いた道長
誰より先に「源氏」の内容を確認しておく必要があったのだと思いますね。

しかも、道長
モデルの一人という説もあるくらいですから、
当時から演出としてまるで自身がヒカルくんのように
意図的に振る舞うことも
あったかもしれません。(笑)

なので、ヒカルくんの
死に方や「源氏」の終わり方に関して、
執筆の段階から「もの言い」的なものがつくようになったか、
出来上がってきたものが
道長からクレームがつくようなものだったか
というような状況になっていったのではないかと。

式部女史はヒカルくんの死に方や物語の結末については
譲れない確固たるものを持っていたはずであり、
今後のストーリー展開にもそれが影響するわけで、

式部女史の考えるものと
道長サイドが考えるものが違っていた場合、

どっちにしろ
道長サイドが気に入らなければ公表できないということを
考えると

とりあえず、「雲隠」巻は
できたあと削除
或いは
できているものがあっても
ないものとする(公表しない)
或いは
最初から書かない

みたいなことに
なってくるんじゃないかと
思うんです。

式部女史が出仕をやめた理由として
道長の怒りを買ったということが言われていて、

その原因はわかっていませんが
おそらく「源氏」を巡って
何かあったのだろうということは、

明らかにされていない分
余計にそうであろう(おそらく「源氏」のこと)
と推測されるわけです。(笑)


①書いたけど削除された
(タイトル&本文あり→本文は削除・一部保管分も焼失)

或いは
②書いたけど公表できなかった(タイトルのみ公表、本文あるも非公開→保管後焼失)

或いは
③書こうと思った(ストーリーはできてた)けど状況が書くことを許さなかった→(タイトルのみ公表、本文なし)

①~③含めて
「あった」と仮定しています。

あそこまで書いておいて、
最初から式部女史の意思として
ヒカルくんの死について
何も書くつもりはなかった
とかいうのは
絶対ないと思いますので、

④タイトルだけあったけど
本文はなし(全く考えていない)
⑤タイトルもない(巻1、2とかで式部女史以外の後世の人がタイトルをつけた)
っていうのは
考えていません。

で、「宇治十帖」に関してですが、
式部女史が書いたのか
式部女史が書いたことにしたのか

どっちの場合もあると
私は見ていて
これも、
上記の①~③になぞらえて書くと、
①-1、式部女史が書いたが、第三者に勝手に書き直された。

②-2、式部女史が書いたが、
自分が当初考えたストーリーじゃないものを書いた。(意図的に。)

③-3、式部女史が書いたが、
自分の考えとは異なるストーリーじゃないものを書かせられた。(強制的に。)

組み合わせ的には
①→①-1
②→②-2(或いは③-3)
③→③-3(或いは②-2)
って感じですが、

式部女史が生きている時代に
①をされたら
さすがに式部女史も
個人的に草稿本くらい残す可能性があるので、
②か③かな
と思いますが、
お互いの妥協ギリギリの可能性で
個人的には②かなと思います。

タイトルのみしか公表しない時点で、
おそらく今後のストーリーも違ってくるし、

たぶん、式部女史が
最初に思っていたストーリーじゃないと思うんです。
(だから、
あんまりパッとしない(笑))

なので、意図していなかった別ストーリーを書きつつも、

でも、背後にそれとなく本ストーリーを匂わせるような
書き方は
式部女史ならするはず
ってことで②ですね。

というわけで、
本ストーリーは一体どんな感じなのか
ということですが、

お察しください(笑)

と突き放したいところですが、
今回考えたところを
少しだけ書いてみたいと思います。

宇治十帖ということで
宇治にまつわる話だったということは、
なんとなく想像できます、

では、何故宇治だったのか
ってことです。

まず、書きたいのは
その宇治のことです。

かなり前の方で
源氏物語」のヒカルくんのモデルのお話をしました。

モデル候補として別に存在する源融という人物のこと、
源融の歌と「伊勢」とのつながり、
「伊勢」と「源氏」とのつながりについても書きましたね。(だいぶ前の方ですが覚えていますか?笑)

源融が、帝の子でありながら、臣籍に下ったこと、

とりわけ風雅を重んじた人物であったらしい
ということも述べましたが、

その源融のお屋敷が
昔の六条あたり(今の五条あたり)の鴨川沿いにあったようで、

その名を河原院と言い、
文字通り鴨川の川縁に建てた邸宅で、
鴨川からの水を引き込んで
陸奥の塩釜の情景を苑内に模し、
塩竃(昔の製塩機のこと、地名の「塩釜」と区別するためにここでは旧字体にしているだけで「塩釜」と同じです)まで作らせた大変雅やかなお屋敷だった
ということで有名です。

だから、源融
河原左大臣と言われているわけです。

陸奥の塩釜とは
松島湾内に位置し、
当時、船が出入りする天然の良港で
入江付近の風景の美しさが素晴らしい場所として、

古来から
数々の歌に詠み込まれて来た
有名な歌枕の地のひとつです。

前述の「伊勢物語の旅」の
榊原和夫氏によると、

塩釜の名の起こりは
塩竈神社別宮の祭人・塩土老翁が、初めて海水を煮て
製塩の方法を教えた故事に由来するとのこと。

(しかし、新産業都市となった現在の塩釜市は、工場群がならび港も整備され、
大きな船が岸壁をうずめており、
往時をしのぶのは
むずかしくなってしまったとのこと。
(↑1970年代当時))

古今集」の東歌に

みちのくは
いづくはあれどしほがまの
うらこぐふねのつなでかなしも

万葉集」からの歌として
とられているのが
有名です。

(※いづくはあれどの箇所は岩波旧体系「古代歌謡集」の注では佐伯梅友博士の「遠目にはあれど」と同じという解釈が書かれています。)

日本は海に囲まれた国なので
古代の歌にはやはり
海の歌がたくさんあるんです。

万葉集の歌は特に、
海の浜辺の風景のなかに
のどかな人びとの暮らしが詠み込まれているものが多く、

水藻(みるめ)かる

玉藻(たまも)かる

海女(あま=天)乙女らが
藻塩焼く
その煙がたなびき

浜千鳥が
ちよちよと啼く。

白波が
寄せては返す

そんな海の風景が。

要するに
古代の神々の時代から続く
人びとの暮らしであり
日本の原風景なわけですね。

そういう風景を見ると、
なんだか懐かしく

きっと昔も
こうだったのだろうという
古代の風景が
まるで見たことがあるかのように
心に「思い出される」のであって、

なんだか気持ちが
安心するというか。

そういう感覚が
昔から人びとの間に
あったのだと思いますね。

それは
桜の花や
秋の紅葉を愛でるとか

そういう気持ちと同じで

そういう気持ちが
そこに変わらずにある
という
感覚というか。

それが、この日本という国に生きてきた人達の
共有感覚というか。

要するに
日本という国が
つないできた
人びとの想いの
時間的かつ空間的な連続性であると
思うわけです。

河原院の話に
戻りますが、

河原院も四季折々の花が咲き、
花が見頃のときには
管弦などの遊びが夜どおしで繰り広げられるなど
大変雅やかなお屋敷だったようです。

このあたり、「源氏」の
例のヒカルくんの六条のお屋敷と似ていますよね。

実は、この河原院
「源氏」ではもう一ヶ所出てくるところがあります。

それは夕顔の巻です。
(夕顔のときにあとからまた書きますと書いたのが
やっとここまできました
って感じ。(笑))

夕顔の巻で
ヒカルくんが
夕顔を連れ込んだ
例の廃屋というのが、

本文では「某院(なにがしのいん)」と書かれていますが、
場所的に考えて河原院のことだとされています。

ヒカルくんの時代には
既に廃屋になっていて、
鬼でも出そうな心霊スポットとして描かれています。(笑)

まさに江戸時代に
秋成が「春雨物語」の「浅茅が宿」で描いたような。

だから、夕顔で出てきた
妖しい女(霊)とは
誰なのかとかいろいろ考えるとおもしろいんですけど、
それはさておき、

源融を主人公のモデルとして
書いていながらも、

ヒカルくんの生きる世界とは
時間的かつ空間的な
違いがあるんですね。

これが、まずひとつ。

源融
もうひとつ別荘を持っていて。
それが平等院です。

平等院
実際は源融の手から離れたあと、
天皇が院になられてからのお住まいになったりもしたらしいですが、
そのあと、道長の手に渡り、
道長の死後、
息子の頼通が貰い受けて
阿弥陀堂にしたということは
先に述べた通りです。

なので、現在の平等院から
源融の頃を想像することは
なかなか至難の業ですが、

やってみましょう(笑)

で、まず宇治という場所について
なのですが、

源融よりさらに遡って
古事記」の時代になりますが、
こういう歌謡があります。

いざ吾君
振熊が 痛手負はずは
鳰鳥の 淡海の海に 潜せなわ

これは、
神宮皇后が
熊王率いる反乱軍と
近江で戦ったときの
熊王の歌です。

振熊は神宮皇后の部下で
熊王の奇襲を受けたとき、

「ここに皇后はいない」と言って
弓矢を捨てて降参すると見せかけ、

軍を退こうとした忍熊王の軍の背後から
隠しもっていた弓で攻撃し、
淡海の海(琵琶湖)まで追い詰めます。

もはやこれまで
と敗れた忍熊王
淡海の海(琵琶湖)に投身しようとしたときの
入水の歌が上述の歌なんです。

数日後、
その忍熊の王の遺体は
瀬田川を流れ、
その下流宇治川
見つかりました。

その後、
応神天皇崩御したあと
大山命と宇治稚郎の兄弟の間で跡目争いが起き、

宇治川の渡し場で
弟が謀って
兄を船から堕します。

ちはやぶる 宇治の渡りに
棹とりに 速けむ人し わが仲間こむ


兄は仲間に助けを求めますが、

川の両岸には
あらかじめ待機していた
弟の兵達が弓を構えていて

仲間が来ないことは
もちろんのこと、

両岸に逃れることもできずに
兄は川底に沈んでしまいます。

死体は後日、見つかりましたが、
その遺体を見て
弟は、

ちはや人 宇治の渡りに
渡り瀬に 立てる 梓弓檀
い伐らむと こころは思へど
い取らむと こころは思へど
本邊は 君を思ひ出
末邊は 妹を思ひ出
苛なけく そこに思ひ出
愛しけく そこに思ひ出
い伐らずそ来る 梓弓檀

大意としては
兄を謀って川に落としたあと、
心では兄を殺さなくてはと
思っていても
いろんな思い出が頭をよぎり、

政権争いとはいえ
家族や親類の間での争いであるので
兄が死んで悲しい想いをする
のは
自分だけでなく
家族を含めてたくさんの人達が
嘆き悲しむだろう

それを思うと
自分にはその場で
弓矢で兄を殺すということは
どうしてもできなかった

と、
いうような感じになります。

兄の遺体を眼前にして
兄を殺したことを実感したんでしょうね。

要するに、
応神天皇以後の宇治の地もまた
政権争いのために
親族同士で殺しあいをしてきた
悲しい伝説の地であった
ということです。

政権争いとは
歴史的に記述すれば
誰から誰に実権が移ったという
それだけのことかもしれません。

しかしながら、
その戦いには
特に、国の統治を親族同士の血のつながりによって
維持してきた
日本の原始古代国家においては、

それは骨肉の争いであって
当人達にすれば
そこには悲劇とも呼べる殺しあいがあって
さまざまな涙が流れたことが

歌の中には、
刻まれているのです。

源融が臣籍を賜って
臣下に下った経緯が
どのようなものであるのか、
具体的にはわかりませんが、

それでも彼は
争いの起きる前の
平和であったろうと推測される
古代国家や人びとの暮らしに想いを馳せ、

政権争いから身を引いたあとも、
人を愛し、

草木を愛で、

移り行く世の中や
人の姿、

そして、
自分の人生の過去を
振り返りながら

一人宇治の地にあったのではないかと

そんな気がして
なりません。

それは、
おそらく
道長もそうだったと思います。

だからこそ、
道長
実際、源融の別荘を
自分のものとして
そこで過ごしたのではないかと。

これが、ふたつめ。

式部女史が
漢籍をバリバリ読みまくっていたことは、
先に述べましたが、
ということは、
もちろん日本の漢字文献も
バリバリに読めたことは言うまでもなく、

事実、式部女史の
異名は「日本紀の局」だったらしく(笑)

日本書紀」を
知りつくしていたことは
間違いないでしょう。

無論、上記の「古事記」のエピソードと歌謡は
日本書紀」にもあります。

源融と宇治と「日本書紀」のつながりを考えて、

おそらく式部女史が
ヒカルくんの晩年と
その最後として考えたのは、

宇治での余生と入水
だったのではないかと
思います。

当時の人々にとって、
これはかなりショッキングな
結末だったのではないかと
思います。

道長にとっても、
自分がモデルとされている可能性もある
ヒカルくんが
社会的には申し分のない地位にありながら
入水自殺をしようというのは
かなりマズイです。

宮中での公家達への影響を考えても、
出家どころの騒ぎじゃないです。
いわゆる、ヴェルテル効果というやつですね。

式部女史がその世界を描こうとしたとき、
時代がまだゲーテの生きた時代ほど
それが許される環境ではなかった
ということです。

しかも、日本人というのは
昔からメディアを政治的に利用し、
書物の改竄を
平気でやってきた人達なので(笑)

日本書紀」を知り尽くしている式部女史にとっては
そのことも
わかっていたからこそ、
自分が書こうとしていることが、
道長含め
当時の権力者達が許さないこと、
そして、おそらく
この結末を
今までの巻と同じように書けないということを
知っていた。


宇治川での「日本書紀」のエピソードをヒカルくんに再現されてしまうと、

ヒカルくんの死に対する悲しみとの相乗効果で、

それは
明らかに藤原氏による
骨肉の争いと権勢の独占に対する
批判となるでしょう。

おそらく、
式部女史は
少なくとも紫の上が死ぬことを考えている時点から
考えていたことは
間違いなく、

いや、本当は
源氏物語」を書き始めたときから
考えていたことだと
思われます。

ヒカルくんが
「死んでも」

ヒカルくんの
物語は続く、

という結末を。

実際、
源氏物語」は
ヒカルくんが死んでからも
物語は続いています。

だから、
紫の上にも、
ヒカルくんにも
出家させていないんです。

「雲隠」の前の巻である
「幻」でも
その前の巻で、紫の上の最期が描かれる「御法」でも
ヒカルくんに出家させていません。

これは意外と
当時の常識から考えると
あり得ないことだと思います。

どんなに遊びまくっている(←笑)
良家の子女でも
日々のお勤めについては
きちんとしなさいと
躾られていて
折を見て
写経とかもさせられてますし、
(実際、「宇治十帖」の最後の手前の巻で「手習」として
浮舟に字を書かせたりしています。)

自分の来世のことなのですから
現代日本において60歳近くになっても国民年金制度を理解していないのと同じくらい、

晩年に至って出家の意思もないというのは
一般貴族にとっては、ちょっと考えられないことです(笑)

まぁ、
国民年金
任意加入制度ですけど。

(我ながらすごくいい喩え(笑))

さて、
そろそろタネ明かしを致しましょうか。(笑)

紫の上とヒカルくんの死後、

式部女史は
どのようなストーリーを
考えていたのか。

出家とか
そういう小さな世界観におさまらない
紫の上とヒカルくんのその後とは。

そう、紫の上とヒカルくんのお話は
その後も続くのです。

それは
こういうことだと思います。

紫の上の天上界での転生、
そして、ヒカルくんは
入水後、現世を離脱し
この世とあの世の境界線をさ迷いながら、
紫の上を探し求める旅に出るのです。

ここまで書けば
もうお分かりですね。

そう、
楽天こと白居易による
長恨歌」です。

源氏物語」に
「白氏文集」の影響が見られるということは、
既に言われています。

それから
竹取物語」ですね。

ベースとなるのは
このふたつです。

何故そのようなストーリーにしたのか。

それは、
紫の上が
あまりにもかわいそうだからです。

ヒカルくんもかわいそうだし。(←え?付け足し?(笑))

そして、
それくらい
当時の人々の生き方は
あまりにも儚い。

何のために生きているかさえ
わからないくらいに。

愛とは一体なんなのか?

生きるとは一体なんなのか?

当時の貴族の
特に女性は
かなり若いときに亡くなっている人達が多いです。

式部女史のお母さんやお姉さんもそうだし、
更級日記」の作者の
乳母(かなり若い)やお姉さんもそうだし、

医療もままならない時代で
産後の経過が悪かったりして亡くなることも多く、

また、
貴族といえども食生活も粗食だし、
子供のときに亡くなっている人も多いです。

もちろん宮中の外に出れば
飢死している人達が
道端に転がっていたり、

疫病が流行して
次々に人々が死んでいったりというのが
当たり前の世界ですから、

貴族も中流以下は
かなり貧しい暮らしを
していました。

それでも
宮中では
裏で派閥争いの殺しあいをしながらも
表向き和歌を詠んだり
雅楽に興じたりしているわけなので
(結局何もしていない)
そりゃそうなるよね
っていう。

だから、
式部女史は

紫の上には、
死んだあとは
自由に幸せな生き方を
させてあげたかったのだと
思います。

それは
自身の願いであったかもしれませんし、
もしかしたら、
先に亡くなったお母さんや
お姉さんのことだったかもしれませんし、
同じ時代を生きている
すべての女性にとって
そうだったのかもしれません。

「宇治十帖」は
薫の大将と匂宮の二人が主人公ですが、
宇治に住む八の宮の姫君達のお話から始まります。

宇治の山里深くに
ひっそりと住む八の宮の姫君達は、
身なりも質素ですが
無邪気さは失わず
風雅を愛し、つつましやかに生きていました。

そこに
見た目重視で押しの強い匂宮と
出生に因縁を持つ少し影のある薫の君が
もつれこみ、

さらには
浮舟という、
名前から既に頼りなげで
優柔不断そうな(笑)女性が登場して
いわゆる三角関係に陥り、
浮舟を取り合います。

浮舟は苦悩の末、入水自殺を試みるも
横川の僧都に助けられ
出家するという話。

ね?
つまらないでしょ?(笑)

山里深くで美少女発見とか
若紫だし、

三角関係とか
葵の巻の修羅場を見てきてるのに
今更って感じなんです。

しかも、
物語の結末に響き渡る
浮舟による読経の声。(笑)

ヒカルくんにも
紫の上にも出家させなかった
式部女史が
どうしたことでしょう
という感じなんです。

浮舟とか
二人の男をどっちか選びきれなかっただけでそ?(笑)

それだけで、入水するとか
他の登場人物に
むしろ失礼じゃない?(笑)

そんなさぁ

ケンカをやめて~
二人をとめて~
私のために争わないでぇ♪

みたいな
のは

ちょっと違うと思うんですよね(笑)

これはヲタなら
すぐ気づくはずなんです。

更級日記」の作者は
少女の頃から
源氏物語」が
読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて
仕方なくて
特注の仏像まで作って
祈りまくって
宿願成就して読みまくって
その結果
「浮舟みたいな恋愛がしたい」
というのは、

おそらく設定的に
浮舟みたいなシチュエーションで恋愛がしたい、
ということであって

浮舟みたいに男達から逃げて出家するとかは
むしろしないと思うの。(笑)

本編の女達は
どうやっても最終的に不幸(に見える)だけど、
浮舟に関しては
「見方を変えれば」
いくらでも幸せになれる可能性はあるわけだから。

まぁ、「更級日記」の作者も
最終的には
「をばすて」なので
最初の頃、そういう風に思っていた自分を黒歴史的に見て
いる自虐ネタなのかもしれないが(笑)


とりあえず、まぁ
現実世界的な落としどころではあるよな
というストーリーではあると思う。

更級日記」の作者も
もともと「あづまじのおくつかた」の常陸の国で育っていて、
環境的に
浮舟に感情移入しやすいし、

そういう女の子達にとっては
都の貴公子が山里にやってきて
そこでの恋愛物語とかは
宮中のきらびやかな恋愛物語より真実味があるのかも。

更級日記」の作者が晩年
姨捨山に暮らしたのも
「をばすて」と言いつつ
やっぱり場所的に
八の宮の姫君とか浮舟のイメージだしょ?(笑)
(月がきれいな場所でもありますしね。)


まぁ、そういう
わりかしライトなヲタも
たくさんいるとは思うんです。

なので、表向き
それでもいいっちゃあいいんですよ、別に。

でも、式部女史は
それだけでは
終わらないんです。

シークレットモードを
お作りになっておられるのです。(笑)

マニアのためにね(笑)

(マニアとは
ヲタの中でも
よりヲタな
異次元レベルの人達のことを
いいます(笑))

まぁ、聞いてくださいよ。(←誰?(笑))

まず、
紫の上の転生について
ですが、

式部女史は
この設定については
かなり初期の段階で
イメージしていたと思われます。

おそらく須磨の巻で
理想の貴公子が誕生したときあたり。

理想の貴公子には
その相手にふさわしい理想の女性が必要ですからね。

むしろ、
理想の女性を書くために
理想の貴公子を誕生させたとも言える。

これは、まさに
竹取物語」の貴公子の求婚譚とかが
頭に浮かびますが。

竹取物語」の設定をどこかで使うことを意図していたことは、
式部女史が
源氏物語」を八月十五日の夜、
湖面に映る月を見て
書き始めたということから窺われます。
(北村季吟の「源氏物語湖月抄」という書名はこの故事に由来します。
ちなみに「湖月抄」は「源氏」の注釈書です。)

紫の上が亡くなったのも
八月十四日の未明で
(現代の時間概念では
八月十五日未明という説もあり。)
葬儀が八月十五日なので、

紫の上は
かぐや姫が月に帰ったのと同じ日に
亡くなっている。

紫の上は、
実はこの世の人ではないか、
かぐや姫の生まれ変わりか何かなのかもしれませんが、

逆にかぐや姫
紫の上みたいな人だった
ということなのかもしれません。

しかも、式部女史が
「源氏」を書き始めた石山寺は、
琵琶湖の湖畔にあります。
ちょうど琵琶湖から瀬田川が始まるあたりです。
(瀬田川から下ると宇治川となることは既に述べました。)

だんだん見えてきましたか?(笑)

また、「源氏物語」が「伊勢」を下敷きにしているのは
今までに繰り返し述べていますが、
「伊勢」と言えば
この歌を忘れてはいけません。

月やあらぬ

春はむかしの春ならぬ

わが身ひとつはもとの身にて


これしかない。

いや、これはもう
問答無用でこれですよ。

これがわからない人は
もう一度「伊勢」と「源氏」を
最初から読み直したほうがいいです(笑)

「源氏」で
紫の上が春が好きで、

死ぬ前に二条邸の紅梅を見ながら
私が死んだあと、
この紅梅が咲いたら
花を仏前に手向けてください
と言っている伏線があり、

「伊勢」で男が
今はいない女を思い出すのが、
女がいなくなった
正月十日からちょうど一年後の梅の花ざかりの頃なんです。

で、「源氏物語」のほうでも

紫の上が
「御法」の巻で亡くなったあと、

次の「幻」の巻で
新年になっても
春を愛でた紫の上のことばかり思い出されて
悲しみに沈むヒカルくんのことが
書かれています。

しかも、
「幻」の巻で
ヒカルくんと花散里と
衣替えの話で

ヒカルくんの詠んだ歌は

羽衣の 薄きにかはる今日よりは
空蝉の世ぞいとど悲しき

つまり
紫の上がこの世からいなくなって
(天女が羽衣だけを残して天上界に帰ってしまって)

脱け殻みたいになってしまったこの世は
よりいっそう悲しい

ということです。

では、
そろそろ白居易について
説明しておきましょう。

白居易
中唐の詩人です。

枕草子」の香炉峰雪撥簾看のエピソードでもお馴染みの(笑)
日本でも白居易の影響を受けた人達がたくさんいます。

白居易は、
優秀な成績で
29歳で役人生活に入りますが、

正義感の強い人で、

44歳のときに宰相の武元衡らが襲撃される事件があり、

犯人の早期逮捕を上申したが
これが越権行為と咎められて、
江州に左遷されます。

この時期に、
廬山に草堂を建てて詠んだときの詩が
例の香炉峰雪撥簾看の詩になります。

白居易の詩に
炭を売るおじいさんの詩があって(売炭翁)、
とてもいい詩なんです。

一人の貧しい炭売りのおじいさんが、
汗水流して炭を焼き、苦労して都へ炭を運んでくるけれども、
それをことごとく宮市使に持っていかれてしまい
後に残されたおじいさんが
がっくりとうなだれる
ということを詠んだ詩です。

つまり、詩をもって
世を正すというよりはむしろ、
老人とともに
悲しみ、

そういうことはおかしいという
静かな怒りが
伝わってきます。

読んだ人の心に
同じ共感を
「呼び起こす」かのような詩です。

そんな白居易が35歳のときに

友人の陳鴻らとともに仙遊寺を訪れ、

玄宗楊貴妃の愛の話を
後世に末長く残そうという話になって

陳鴻は「長恨歌伝」を
白居易は「長恨歌」を作ったとのこと。

楊貴妃の話は
言うまでもないですが

その美貌により
玄宗の寵愛を一身に受け、

楊貴妃の一族郎党は皆役職に就いたため、
国が乱れて反乱が起き、

楊貴妃は殺されてしまいます。

玄宗皇帝の悲しみは深く
楊貴妃への想いはつのるばかり。

とうとう、楊貴妃は夢にも現れなくなった。

ここまでは史実。

源氏物語」では、
桐壺帝の寵愛を一身に受ける
ヒカルくんの母
桐壺の更衣

帝の子を宿すことで
その母親や一族郎党が
政権を握る当時の摂関政治と重ね合わせたり
というところから始まって、

「白氏文集」による影響は
既に様々に指摘されています。

長恨歌」では
白居易
楊貴妃玄宗皇帝の史実を
詠んだあと、

エピソードを追加します。

道士という超能力を持った人物が登場し、
玄宗皇帝の想いに感じ入り、
弟子の方士とともに
楊貴妃を探し出します。

楊貴妃は仙人として
天上界の蓬莱宮に住んでおり、
「昔をしのぶ」思い出の品によって
玄宗皇帝に変わらぬ愛を伝える。

そして二人しか知らない
誓いの言葉を道士に託す。

すなわち、

在天願作比翼鳥
在地願為連理枝

そうすることで
二人の悲恋を少しだけ
和らげてあげることが
できますし、

何よりも
この二人の愛について、

二人の想いについて
希望のある結末を
残してあげたかったのではないかと。

白居易の想像力と
やさしさの賜物です。

さて、「源氏物語」の
「幻」の巻に戻りましょう。

紫の上が亡くなって
一周忌が終わった
神無月(十月)頃、

空を渡る雁を見て
ヒカルくんが詠んだ歌

大空をかよふまぼろし夢にだに
見え来ぬ魂の行方たづねよ

ここから
本格的に
白居易の「長恨歌」の世界に入っていきます。

大空を行きかよふというのは
長恨歌」の中の道士が
超能力を使って
空を飛び回り、
楊貴妃を探し求める箇所
ですね。

魂の行方たづねよ
というのもまさにそうです。

ここでは、

物語の世界における
現実と「幻」の世界が
次第に
その境界線を
曖昧にしていくというよりは、

その違いがはっきりしていて

ふたつの世界は
明確に別々の世界であって
行き来などできない
という嘆きのほうが
大きい。

そして、
ヒカルくんは
年の暮れに
来年こそは
出家しようと
固く心を決めて

「幻」の巻は
終わります。

ここまでは
「白氏文集」の影響を受けてますよね
ってだけの話で
終わるのかもしれないんですが、
(恐らく、現在の「源氏物語」の研究者達の見解もそう。)

私が言いたいのは
式部女史は
白居易がそうしたように、
ここから先に
物語の中のリアル世界を受けて、
さらに別世界を準備してあげた
ということです。

そうなると、
白居易の「長恨歌」は、
源氏物語」に部分的に影響を与えた
というだけではなく、
物語の構成自体を借りたということになります。

しかしながら、
源氏物語」は、
長恨歌」の単なる作り替え
ではなく、

それまでの日本に残る
さまざまな歌や物語を
独自の視点から再構成しなおしつつ、
式部女史が生きた時代と人々の想いを投影しながら、
ひとつの世界を作り上げた

まさしく、日本の物語であり、
文学作品です。

だからこそ、日本で生きる人達に
これほど多くの
影響を与え、
心を動かしてきたのだと
思うわけです。

現存しない「雲隠」以降の
ストーリーの
具体的な内容については、
推して知るべし
という感じですが、

長恨歌」と「竹取物語」をベースに
各タイトルを見ていくと
だいたいわかると思います。

恐らく、式部女史の
物語の理想形は

竹取物語」のように
女の子というのは
もともと神秘的である
ということ。

(実は貴い身分の人間或いは天女レベルのこの世界の者ではないか?
くらいの。)

毎日こつこつと誠実に仕事をする
つつましやかでありつつも
やさしい両親(または老夫妻)に

大切に育てられる女の子であり、

「伊勢」の「筒井筒」のように
幼馴染みとの初恋をしつつ
自分が自ら想いを寄せる相手と結ばれる。

もちろん、相手も自分のことを
大切に想ってくれる相手であること。

自分自身も幸せになり、
育ててくれた両親も幸せになり

望む相手とともに
人間世界で
いくつもの季節を経て、

歳をとって
お迎えが来たら
天に還っていく。

これこそ、女の子の
理想の生き方なんじゃないですかね?

そういうささやかな幸せを
物語として
いろんな人達に読んで欲しかったのだと
思いますね。

自分が物語を読んで
そうしてきたように。

でも、実際の
人間の世界は違うじゃないですか。

そんな、ささやかなことさえ
許されない世界なので。

だから、式部女史の描こうとした世界すら
現存していないけれども、

でも、わかる人には
わかるはず
ということで、
いろんな手がかりを残してくれています。

そう、

花橘の香をかげば
昔の人の袖の香を思い出すかのように。

そう考えると、
宇治十帖の主人公達の
名前が、
「匂(にほふ)」と「薫(かをる)

ということに
気づくわけです。

「匂(にほふ)」というのは
もともと、見た目の美しさを現す視覚的な言葉であったのですが、
時代を下るにつれ嗅覚的な意味を持ち始め、
式部女史の頃は
両用だったようです。

なので、
匂宮→視覚、嗅覚
薫→嗅覚のみ
です。

まぁ、この登場人物の名前の付け方を見た瞬間に
ん?
くらいは思ってほしいところですね。(笑)

このブログで
以前も書きましたが
(→反魂香、面影について。)、
香のかほりは
別世界へのトリップの合図です。

(※ちなみに、以前架空のお便りコーナーで「かほり」は
間違いではないかと言われましたが、わざとですよぬw(笑))

よって、
宇治十帖の
最初のタイトルから見ていくと、

匂宮→別世界への導入
   (御法での伏線→匂宮に紅梅が咲いたら云々託す
匂宮は介在者的な存在ということがわかります。)

紅梅→ヒカルくんの前に
紫の上の幻が現れる(梅が枝での伏線→紫の上、紅梅の香を調合)
  
竹河→紫の上天上界に転生
(御法での伏線→夕霧、催馬楽「竹河」)

匂宮~早蕨までは
主に紫の上の天上界での
転生の様子が描かれていると思われます。

現世界からは、
ヒカルくんが
おそらく紫の上が調合した香(紅梅)による
紫の上の幻を見るところから始まって
(たぶん、「幻」で紫の上がヒカルくんの夢にも現れなくなったと書かれていたので、

ヒカルくんは
手紙を焼いたり、いろんなことを試してみたあと
紫の上の香を焚くに至ったのではないかと(笑))

紫の上の幻に引かれてか、
ヒカルくんが紫の上に会いたくて
どうしても
死者の世界に行きたくなったのかわかりませんが、
ヒカルくん入水→
宇治の入水関連説話もありますけど、
日本の場合、やはり黄泉の国といえば
地下というより
ここでは海の底ですね。
三途の川だと彼岸ですけど、
やはり、琵琶湖(海)につながる宇治川に入水と考えられます。

「した行く水の」
というのは
「した心」と同じで

裏側に別の世界、
別の意図がある
ということになりますので、

現世の匂宮・薫の話とは別に
幻世界のヒカルくん・紫の上のストーリーがあるということです。

で、ヒカルくんは
入水したあと気づいたら
別世界にいましたが、
ここがどこなのかわかりません。

もしかしたら死後の世界なのかもしれないと、
紫の上を探し求める旅へでかけます。

紫の上の
転生のシーンに
ちょいちょいヒカルくんが
絡んでくる感じで
ストーリーは進みますが、
ニアミスはありつつも
出会えず。

このあたりのヒカルくんの旅は、
紫の上の曼陀羅供養あたりが伏線になっているかもしれませんが、
記紀の嫁取り説話の類を再検討&再構成したっぽいと考えられます。

催馬楽「竹河」は、

竹河の 橋のつめなるや 橋のつめなるや
花園に はれ
花園に 我をば放てや 我をば放てや 
少女伴へて

という
もともとは
伊勢の斎宮のあたりを読んだ歌みたいですが、

四季の花々が咲き乱れる
中に
神聖な少女達がたくさんいる様子が

まさに
花園と乙女って感じです。

長恨歌」の
道士が仙女達が多くいる場所に辿り着いたという
綽約多仙子を彷彿とさせます。

天つ風 雲のかよひ路 吹きとじよ
乙女の姿 しばしとどめむ
っていう感じでしょうか。

そのあとの「橋姫」は、

「伊勢」の「八橋」を想起させます。

水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つわたせるによりてなむ、八つ橋といひける

そのあとの、
「椎本」(しひがもと)は、
記紀の「其ねが本」と
語構成的には同じなので、なんとなくわかりますが、
ひとまず保留。

また、
「総角」も
催馬楽にあります。

総角や とうとう 尋ばかりや
とうとう 離りて寝たれども
転びあひけり
とうとう か寄りあひけり
 とうとう

歌の意味は、
少年、少女が
自重していたけれども、
ついに寄り添った
という感じですが、

幼馴染みの
近くて遠い距離感
それがいつか縮まり
ひとつに結ばれるという
ドキドキ感のある歌です。

「伊勢」の「筒井筒」に
似ていますね。

なので、
もしかしたら
「総角」で
幼少期のヒカルくんと若紫が
出会ってるかもしれません。
(このあたり時空のねじれあり。)

そんなこんなで
ヒカルくんの旅は、
続いて行きますが、

最後の「夢の浮橋」で
二人は邂逅し、
昇天するのか?

ちなみに、浮橋とは
天への階段、梯子のような
ものです。

普通は、「天(あめ)の浮橋」と書きますが、
ここでは、「夢の浮橋」ですね。

これは、
ヒカルくんが
現世と幻の世界の狭間で見た
夢に過ぎないのか?

時間と空間とが
交錯する
源氏物語」の
隠されたフィナーレです。

あとは、皆様の
ご想像にお任せ致します。(笑)

源氏香というのがあって、
江戸初期に後水之尾院が考案したと言われていて、

源氏物語の世界を
深く味わうことを目的としたものであると思われます。

源氏香は、
五つの香を
それぞれ五つの別の袋に取り出して、
二十五袋作ります。

その中から五つ取り出して
焚かれた香を聞く(嗅ぐ)たびに、
右から順に縦線を書く。

同じものは横線でつなぎ、
違うものはそのままにしておく。

あらかじめ、
源氏物語の巻名のついた
香のパターンの図形が
準備されていて、

焚かれた香の正しい図形に当てはまる源氏物語の巻名を
答えるという遊びです。

五種類の香の順番の組み合わせは、
最初(桐壺)と最後(夢の浮橋)を除いた五十二パターン。

(※雲隠の巻はなく、若菜は
上下を別にする)

この組み合わせのポイントは
「前に同じものが出てきたときに」横線を引く
ということです。

わかりますか?(笑)


まさに
時間軸に添って
香を聞き(嗅ぎ)、

たまに過去に遡って
同じものをつなげる
ということですね。

昔のマニアの人達は
そのことを知っていたのでしょう。

まさに
マニアによる
マニアを極めた遊び(笑)

というわけで、
無事、「源氏物語」の旅(時空編)
ヒカルくんと紫の上の
天上界における昇天の道筋を
つけたところで、
そろそろお開きにしたいと思います。

今回は
あくまでもヲタの見地から見たものであり、
本当は
あの本も、この本も見たいし、
というのはあるけれども
それは現状できないので、

完全ではないですが、
大方間違ってないと思う(笑)

だって、
「源氏」読むのだって
超久しぶりだったし、
でも、いろいろ思い出しながら、
ここまで辿り着いたのは、

過去の「源氏物語」のヲタ達が
いかに「源氏」に魅了されてきたかを改めて感じ、

そのヲタ達の「源氏」に対する愛が道しるべとなり
私を導いてくれたとしか
言えないです。

私がこの文章を書いたのも
一人のヲタとして
「源氏」に対する愛を書いたものであり、
それ以上でも
それ以下でもない。

なので、
最後に
源氏物語」を愛したヲタ達の中でも
式部女史の準備した
シークレットモードを制覇した
マニアと呼ぶべき人達を
紹介して終わりたいと思います。

何故なら、
彼らと私が行き着いた先は
形は違えど同じであり、
私の論の補強となってくれるだろうから。

そうそう、
式部女史の日記に
式部女史と藤原公任氏とのやりとりが
出てきます。

藤原公任氏と言えば、
和漢の才に優れ、

道長の覚えもめでたい
(いわゆる三舟の才)
人物であり、

日本で初めて歌論書を書いた人物としても有名です。

言わば、当時の
歩く有職故実みたいな人なのですが、

その公任氏が
あるとき
酔った勢いで
式部のところに来て

「このあたりに紫の上がいらっしゃると聞いたんだが」


言ったそうです。

この話は
一般的には
公任氏が式部女史を「源氏物語」の紫の上に見立てた
と解し、
式部女史を紫式部と呼ぶようになった所以
としていますが、

私の見解は
違います。

式部女史が
このやりとりを
清小納言のように
「セレブとの嬉しいやりとり」
として

「あの公任氏にまで、
紫の上とか言われちゃったぁ!」
みたいに日記に書くはずはなく(笑)

このあと、
式部女史は
こう答えています。

「ヒカルくんが存在しないのに、紫の上が存在するわけがないから
そんな方はこのあたりには
いらっしゃいません」

これは
謙遜ともとれますが、
にしても
言い方が強いんです。

源氏物語」の
誰かや何かに見立てるなり
もっとやわらかな返答の仕方が
あったはずなのに
それをやらなかったのは、

要するに、
この現世には
ヒカルくんのような人も、
紫の上みたいな人も実在しない、

ヒカルくんと
紫の上は
別世界にいる人間の話だと
わざわざはっきりと
言っているんです。

すなわち、
公任氏は
式部女史が
そう答えることをわかっていて
聞いているわけです。

たぶん、
公任氏がただ一人
式部女史の思惑を読みとって、

おそらく
早い時点で
シークレットモードを
コンプリートする(した)であろう人物として
記録したのか、

それとも
全く逆(「あの公任氏でさえ」みたいな(笑))ではないかな
と。

式部女史は
源氏物語」という架空の世界を作りあげつつ、

現実世界とそれが
いかに違うことを知っていた。

何故なら、
式部女史もまた
超絶ヲタだったから
である。(笑)

リア充の人達は
そのあたりを
勘違いしやすいよね
という
典型的な例であり、
それくらい
当時の日本人もまた
ほとんどの人達は

あれだけ歌のやりとりをしておきながら
本来歌というものが
どういうものなのか知らない、

遣唐使を廃止して
国風文化と騒ぎながら
自分達がどういう文化を持っているかも知らない、

そのルーツや歴史さえ知らない
知ろうとしない

その癖、歌や歴史を
権力闘争や自分達の利益に供する道具として
使用する。

そういう人達が
ほとんどだということです。

今と同じですよね?(笑)

だから、
式部女史は
わかる人達だけに
わかるように
書いたんです。

そして、
そういう人達が
源氏物語」を
今までつないで
残してきたと
言えなくもない。

では、そんな
過去の
源氏物語」超絶マニアの方々をご紹介致します。

そのマニアぶりに
敬意を表して。

2023年6月22日
ここに記す。


(記事を4つに分けようと思ったら
4つではおさまらなかった(笑)ので、
もう少し続きます。→SKYFALL 補足へ)