SKYFALL 3/4

(SKYFALL 2/4からの続きです。)

で、もちろん
もうお気づきの方もおられると思いますが、

「源氏」で
源氏の君が紫の上(若紫)を垣間見る
という場面も
この理想の出逢い必須ポイントを踏襲しているわけです。

だから、若紫だと思うんですが。

周知の事実ですが、
「源氏」は「伊勢」を参考にしたに違いないと思われる箇所が多々あります。
(これを典拠と言います。)

上述の我が家にある
「伊勢」の口語訳の田辺聖子さんも指摘していて、簡単にまとめています。

こんな感じ↓

二条后高子→朧月夜
禁じられた恋の相手(斎宮)→藤壺
妹にふと覚えた恋心→紫の上
東国をさすらう「むかし男」→源氏(須磨)
鬼ひとくち→夕顔
女車に蛍→玉鬘(蛍)


私も、高校生のときに、
初めて「伊勢」を原文で読んだときに
鬼ひとくちの話が夕顔に似てるなーと
思ったことを覚えています。


あとは

「つくも髪」→源の内侍の老いらくの恋

とか

禁断の恋の相手(斎宮)は
藤壺というのもあるけど
雰囲気的には六条御息所(娘は斎宮)っていうのも
あるし、
朧月夜とかもそうかな
とか

多少私の見解と違っているところもありますけど、

だいたい一緒。

「伊勢」には
東国をさすらう男の話はいくつかあって、
「かきつばた」よりも「かへる波」のほうが
より「須磨」って感じがします。

「鬼のすだく」なんかも
夕顔の巻に出てくる妖しい女(霊)っぽい感じがします。

女達がからかいに集まってきている様子を鬼に喩えたり
とか。

在原業平と惟喬親王との友愛エピソードは、青海波のヒカルくんと頭の中将を
彷彿とさせたり
とか。

他にもいろいろあるとは
思いますけど。

田辺聖子さんの本は
家にいくつかあって
エッセイとかもおもしろくて
よく読んでました。

写真を見ると
昭和期によくいた
強めにパーマあててる感じの
(さすがにパンチパーマではないが(笑))
関西のおばちゃんっていう外見で、
エッセイの文章とかはナニワのノリ(多少あけすけな感じ)だったりするんですけど、
根暗なところがなくて私は好きです。

小説や古典の和訳とかは
ガラッと変わって
あの関西のおばちゃんが書いているんだとは思えないほど
の文体、人物描写だったりして、
特に人間観察が細かいというか、
人物のキャラがパターン化しないんですよね。

しかも、田辺聖子さんは
ぬいぐるみと会話できるらしい(笑)

そんな田辺さんが
「源氏」を読んだとき(若い女学生の頃)に
最初は、
紫式部はいろんな男性遍歴があって経験豊かな人なんだろうな
だから、自分の経験を文章に生かせるんだろうな
と思ったそうです。

でも、「伊勢」を読んだりして、
どうやら、紫式部
「伊勢」に出てくる男達を自分なりのイメージで理想化しているんだと
わかってきたんだそうです。

前に書いたかもしれませんが、
私が思うに
清少納言紫式部の違いって
外交的と内向的って感じなんです。


清少納言の明るさは
わたしは好きです。

没落していく関白家にあって
現実と向き合いながらも
楽しいこと、美しいものに対して
前向きな姿勢を失わないところとか。

清少納言
交遊関係も積極的で
比較的華やかに見えるというか、
今で言うと
SNSとかにセレブと自分の写真を頻繁にアップしたがるタイプ。

本人はなんの悪意もなく
無邪気にやってるだけかもしれないけど
一部には大変不評なタイプですね(笑)

紫式部
「ああいう風にこれみよがしに何でも言いふらすのはよくない」
と日記に書いてますが(笑)

それに比べて
紫式部
そういうところは
ほとんどなく、

一応、彰子(道長の娘で一条帝の后)の教育係として
ライバルの定子&清少納言に対抗するために
彰子をプロデュースする必要があったんですけど
清少納言のように
あからさまに外向きなことはしないわけです。

紫式部自体、恋愛についても結構堅物だったみたいで
道宣という夫にも
なかなか色好い返事をせず、
結婚するまでに時間がかかったとも言われています。

道宣は式部より
年齢が結構上で
気乗りがしなかった
という説もありますが、

私の直感では
あんまり好きなタイプじゃなかったんじゃないかな
と(笑)

田辺聖子さんは
道宣はプレイボーイで
紫式部は開眼されたに違いないと書いていましたが、

式部にあれだけの文章力があって
題材をアレンジする能力があったとして
道宣らしきイメージが
全く文章にも歌にも現れないというのが

よほどプライベートとの区別をはっきり線引きしていたか、
モデル化するほど未練もなく、
全然恋愛の対象じゃなかったか
どっちかだと思うんです。

道宣とやっと結婚してからも、
すぐに道宣
他の女性のところへ通い始めます。

釣った魚にエサをやらないタイプといいますか、
才女と名高い女性を手に入れたという事実だけで
満足したというか。

で、遠い赴任先で
あっけなく亡くなってしまうんです。

だから、結婚生活は
2年くらいだったと
言われていますが、

そのあと、
式部は、一人になってから「源氏」を書き始めるわけですが、

式部は石山寺での参籠の際に
須磨の巻から書き始めたという説があり、
(なので、今でも石山寺には紫式部の部屋があるという)

この「石山寺」で「須磨」の巻から始めた
っていうのがポイントだと思うんです。

石山寺と言えば
蜻蛉日記」。

作者は道綱の母となっていますが、
式部とは近い親類でもあり
道長の父であり、時の権力者であった兼家の奥さん(正妻ではない)ですね。

蜻蛉日記」は
作者の人生に対する悲哀、
すなわち蜻蛉のようにはかない自分の人生について
書かれた日記ですが、

作者は才色兼備として名高い人であったらしく、
当時はそういう「噂」だけでも貴族の男どもは
手紙を山のように送ってきて自分のものにしようとするのだと、
本人が書いています(笑)

で、その争奪戦に
時の権力者兼家も参加してきたのですが、

女(作者)側は全然乗り気じゃなくて
ずっと断っていたんですけど、
その争奪戦も押しきる形で兼家が勝利して結婚することになりますが、

その数年後、子供(道綱)が生まれたあとくらいから
兼家は他の女のもとに通うようになり、

度重なる女通いに
ムカついていた(?)作者は
何も言わずに家を出て寺に籠ります。(笑)
それが石山寺なんですね。

紫式部もそれを思い出さないことはなかったでしょう。

蜻蛉日記」では
石山寺では
なんやかやあって
最終的には兼家が迎えに来てくれますが、

式部には迎えに来てくれる人すらいないわけです。

自分の夫は
遠い任地で亡くなるときに
少しでも自分のことを
思い出してくれただろうか、

そんなことを
考えたりしたかもしれません。

自分の人生とは
人の人生とは
一体何なのだろう

蜻蛉日記」ばりに
考えたあと、

「源氏」の須磨の巻を書き始めたとすれば

あの須磨の描写に
そこはかとなく漂う
人生の無常と

そこに
一人佇む貴公子が
そのとき誕生したとすれば

それは
式部が人生の波間に見た
清くも理想の風景だったんじゃないかな
と思うんですよね。

はっきり言って、
式部は文学ヲタだったと思うんです。

式部の家系は
学者筋で
式部は漢籍もバリバリ読みます。
小さい頃、他の兄弟より
漢字が読めて
史記とかもスラスラ読んでいたので
式部の父親が「男の子だったらよかったのに」
と言ったという
逸話さえあり、

だから、
小さい頃から
いろんな書物を読んでいただろうし、
とりあえずリテラシー能力は
すごく高かったみたいですね。

しかも、
親類に道綱の母がいて、

少し時代は下りますが
その姪が
更級日記(通称をば捨て日記)」
の作者ですからね。

更級日記」と言えば、
源氏物語」大好きで、
私は浮舟みたいな恋愛がしたいわ!
と約千年前に初めて書物でカミングアウトした
超絶文学ヲタ少女だったわけでして、

血筋的にも(?)
環境的にも
式部は文学ヲタに違いないと思うわけでして、

ヲタだからこそ、
「伊勢」のような文学的な世界と、
現実世界の両方を知っていて、
なおかつ
その世界があまりにも違うことを知っていたと思うんです。

だからこそ、
女性の人生は
蜻蛉のようであり、
最終的には
をば捨てであることを
悟る家系であると(笑)

だから、
式部の目は
かなり冷めてます(笑)

理想の物語を書き始めた式部の
最初の理想の形は
もちろん「伊勢」の「むかし男」の世界だったと思います。

だから、須磨は
結構、ストレートに
「伊勢」の「都落ち」感が
出てます。

それを、当代風(式部が生きた時代っぽく)に
洗練されたアレンジで仕上げていますが。

「伊勢」は
男目線なので、
作者は男性ではないかと言われていて、

(前述のご飯モリモリ覗き見男の話も
男性目線ですよね。
女から見れば、来なくなった男のことを思いつつも
一人生きていかなくては
ならないわけだし、
ご飯モリモリ食べてたから
っていちいちうるさいわ
って話ですが、
そういう「たくましさ」みたいなのも
男性からすれば「がっかり」対象になってしまうのが
男性目線というわけです。)

式部は
そのあたりの視点も
変えていて、

男でも女でもない
中立的な第三者の視点を置いて記述しています。
いわゆる「神の視点」というやつですね。

この点からも
「源氏」は近代小説に近いと思いますが、

式部自体が
女目線でも
男目線でも
物を見ることができたからだと思います。

で、
史記」を読んでいた式部としては
社会の有り様自体おかしいと気づいていたと思います。

時代は新勢力であった藤原氏が権勢を独占し、
古代から続いていた各氏族は排斥され、
それらの各氏族がいなくなったあと、
今度は藤原氏の中での争いが始まりました。

いわゆる骨肉の争いというやつですね(笑)

誰の娘が天皇の子供を生むのか
ということに
一族内で派閥に分かれて
文字どおり殺し合いが始まりました。

そんな時代が正しいわけないじゃんね?

道長の兄、隆家の死(恐らく謀殺)のあと、
その子供達(伊周ら)が配流されて中の関白家が没落したあと、

権勢がまわってきた
道長ですが、
その娘の彰子の教育係(兼プロデューサー)として
式部は宮中に出仕することになります。

式部の想像以上に
宮中が荒れ腐っていたことは
言うまでもなく(笑)

しかも、また式部のポジションが
普通の女房(宮中の女事務員みたいな人達ね)とは
違ったこともあって
式部自身に対する嫉妬やらなんやらも
女房達の間ではあったみたいですね。

でも、まぁ
式部は超絶冷めきってますから(笑)

で、最初は
そこはかとない
「ここにはない別世界」への憧れも含めて書き始めた「源氏」ですが、

式部が見た宮中の有り様をもとに
一人の貴公子の誕生と生い立ちに
超絶リアルな味付けをしていくことになります。

宮中という
きらびやかに装飾された舞台の裏で
文字通り糞尿を投げつけあうような
女性達の争いと

その争いの渦中で産まれた
輝くように美しく
けれど、因縁めいた
過酷な運命を背負った男の子。

そして、本当の意味での
源氏物語」が
ここに誕生するわけです(笑)

だから、
「伊勢」に題材を取りつつも
全く違うんですよね。

源氏の君(以下、めんどくさいのでヒカルくんと呼ぶ(笑))は、理想の男性というわけではない。

でも、美しくて
女性が放って置かない

存在するだけで
空気が変わって

まわりの景色まで
美しくなるような

ただ、それだけでも
許せるというか

そういう存在が
いてもいい

というか

いたらいいな

というか

それは、
手の届かない存在というより
この世に存在しないような
架空の存在
という意味で

ヒカルくんは
現実世界にあり得ない存在であって
その意味でも
ヲタ的なんですよねー。

要するに
伝説の貴公子が
現代に舞い降りたら
どうなるか
という話であって、

世界が違うので
当たり前に
いろんな齟齬が生じて
いろんな事件が起きるという
(笑)

若干コメディーちっくでさえあるというね。

式部女史は
そのあたりもわかった上で
書いてますね。

間違いなく。

だから、
ヒカルくんが
この世に舞い降りた最初の頃が
一番おもしろいです。

源氏物語」は
最後の宇治十帖をのぞけば、
要するに
ヒカルくんの生い立ちから
死ぬまでが描かれています。

違う世界からやってきた
この世のものではない美しさを持ったヒカルくんは

失敗の連続ですが、

でも、それがまた
おもしろいんですね。

逆に言うと、
歳をとって世間の常識に染まっていくヒカルくんは

あまりおもしろくなくなるんです。

式部女史は
そうやって、ヒカルくんを
育てていきます。

ヒカルくん自身も後年言っているように
決して後悔のない人生ではなかった
と。

以前も書いたことがありますが、
「源氏」では
幸せになった女性っていうのは
出てこないんですよね。

そのあたり
式部女史は
どう考えているかわかりませんが、
たぶん、作り上げられる世界をそのままに
描いていった結果
そうなったとしか
言いようがないのでは、

と思います。

なので、
別に女性を不幸にしようと思って描いたわけではなく、

そういう世界を描いていったら、
そこに生きた女性は
不幸にしかならなかった
ということです。

不幸、って言っても
なにが幸か不幸かなんて
本人に聞かないとわからないくらい
その尺度は千差万別なんですが、
その基準というか
尺度というか
それが読む人それぞれで
解釈できるようになっていて、
そのあたりも式部女史は絶妙な筆致で描いています。

例えば、夕顔の巻
ですね。

これは前述の通り
「伊勢」の「鬼ひとくち」を下敷きにしていますが、

「伊勢」だと
とても高貴で自分には手の届かないような女性を盗み出したものの、
夜更けで雨も降ってきたので
盗んだ女を荒れ果てたあばら家に押し込んで
自分は外に立っていたら、
女はいつの間にか鬼に食われてしまっていた、
という話ですが、
後ろに断り書きがあって

鬼というのは女の兄弟であって
女が兄弟に見つかって連れ戻されたのを
鬼に食われたと言ったのだ
と書かれてあります。

主題は、あくまでも
手に入れたい女性は命がけで盗み出す「むかし男」の恋愛に対するひたむきさ、
なのであって、
本当に鬼がいて食べられてしまったという怪談話ではないんです。(笑)
(現代だとどうしても怪談話として解釈したい人達がたくさんいるみたいなので
一応説明してみます(笑))

でもって、
夕顔の場合は、前の「雨夜の品定め(男性陣による女性品評会)」を受けて
中流階級のいい女」代表とも言えるような夕顔との
儚いやりとり、
夕顔を連れ出したヒカルくんが
「伊勢」ばりに
廃屋で夕顔と一夜を過ごすも、
廃屋に住み着いた霊が出てきて一騒動あって
その渦中に夕顔が急死してしまい、ヒカルくんは悲嘆に暮れる
という話。

一般的に考えられている
主題としては
夕顔の儚さ
とかですかね?

一般的には
そんな感じ。

でも、よくよく読んでみると
というか
ヒカルくんの成長物語として
これを読むと
なかなかにツッコミどころ満載なんですね、これが(笑)

まず、
夕顔のエピソードの導入というか
きっかけとなる
「雨夜の品定め」なんですが、

まぁ、これは
当時の若い貴族の間で
どういう女がいい女なのか?
ということを
いろいろ言い合っていて
若さを感じますよね。

初々しいっていうか。

式部女史も
言いたい放題言っている若い男子諸君を
生温かい目で見守っています。

で、セレブな育ち(帝の子だから)のヒカルくんは
中流階級の女、というのに
興味を持ちます。

そんな折、夕顔に出会うわけですが
夕顔には夫があったんですけど正妻に疎まれて身を隠している最中であって
中流と言っても出自はなかなかよろしい人だったと
あとから判明するのですが、

それを知らないヒカルくんは
庶民階級に思わぬ奥ゆかしさと風流さを持ち合わせた夕顔(しかも自分好みの美人)に巡りあって
テンションが高ぶり

「伊勢男」並みに
夕顔を連れ出します。
(なんで連れ出すことになったかというと、
ヒカルくんが通っていることが周囲にバレると
ヒカルくんの体裁が悪いからですが(笑))

で、いかにも鬼が出そうな廃屋に夕顔を連れ込みます。

まさに、「伊勢」ですね。
ヒカルくんも自覚ありと見えて、
「まさに鬼でも出そうなところだけど、
僕を見たら鬼も避けて通るでしょう(←セレブだし、イケメンだから)」
と、
このあたりまでは
ヒカルくんも余裕です。

夕顔としっかり致して、
控えめ、且つ、されるがままになっている夕顔を
愛しく感じたりなんかします。

で、ヒカルくんは
ご無沙汰している六条御息所を、ふと思い出して
夕顔と比べたりなんかします。

で、
「六条さんは思慮深いけど細かいし詮索するから気を使うんだよな。
夕顔といると楽だなぁ」

とかなんとか思いながら
くつろいでいます。

ハイ。
ここで、式部女史の
教育的指導が入ります(笑)

その一、
女性をお手軽感だけで
盗みだしては
いけません。

突如、怪しい気配が漂い始め
蝋燭の火も消え
あたりは真っ暗闇に。

パニックになるヒカルくん
気丈を装い
「伊勢男」ばりに
周囲に指示を飛ばし
(自分ではやらない←セレブだから)
自分自身を鼓舞しつつ
夕顔を見るも
夕顔まさかの頓死。

そのときの
ヒカルくんの様子。↓

さこそ、強がり給へど、
若き御心にて、
いふかひなくなりぬるを
見給ふに、やるかたなくて、
つと抱きて

「あが君、生き出で給へ。
いといみじき目、な見せ給ひそ」

訳)
そんな風に、強がっていらっしゃるけれど
ヒカルくんはお若いこともあって

夕顔が死んでしまったのを見ると
どうしたらいいのかわからなくなったのか

夕顔を抱き上げて一言。

「ああ、夕顔さん!
生き返ってください。
僕を大変な目にあわせないでください!」


・・・・おい(笑)

どこまでも自分な
ヒカルくんであった。。。

まぁ、まだ若いからね。

このとき、ヒカルくん齢17歳。
(ちなみに夕顔は19歳、
六条さんは24歳です。)

つーか
リアル世界で死んだ人間が
生き返るわけねーだろ
っていうね。(笑)

「伊勢」と違うのは
本当に女が死んでしまうところですね。

リアルです。

物語だけど
リアルなんです。

リアル世界で人が死ぬと
いろいろと大変なのは
現代と変わらず(笑)
なので、
困ったことになります。

ヒカルくんもあっという間に
夢から覚めて
つい保身的発言をしてしまったのだと思いますが。

「伊勢」ばりに
女を盗み出すには
それなりの覚悟が必要なのであって
式部女史はそのことを
ヒカルくんに諭してあげたのだろうと思います。(笑)

夕顔が死ぬ前に
怪しげな女(霊)が現れますが、
その女のセリフも
思わせぶりです。

「なーんだ、誰が来たのかと思ったら
大したことない女
連れ込んじゃって。

向こうですやすや寝ている
女の子起こしちゃおっかなぁ。」

この怪しげな女(霊)を、
このあとの葵の巻で
六条さんが生霊として出てくるので
同一と考えている人が
結構いるのですが、
違いますね。

夕顔と六条さんを比べるシーンが
出てくるので
それと連動していると
見る人もいますが、

ヒカルくんは
実際、その怪しげな女を
見ていて、
六条さんとは違うことを確認しています。

むしろ、六条さんのことが気になって
「伊勢」の「鬼ひとくち」の話をふまえた上で
ヒカルくんが夢に見てしまった
っていう
結構リアル世界でも
起こりがちな夢あるあるなんだと思うんです。

なので、ここの霊は
六条さんではありません。

私観ですが、
先に、「鬼のすだく」の茶化しにきた女達を
鬼に喩えてうまく切り返した男の話が
「伊勢」に出てくるのですが
それと似ているので

ヒカルくんが
「伊勢男」と同レベルで
怪しい女(霊)をうまくあしらって切りさばけたら
事なきを得たんだと思うんですけど、

あんなにパニッくってしまって、
自ら「鬼ひとくち」の方の世界(しかも女が本当に死んでしまうver.)を
再現してしまうという
選択ミスをしてしまったのだと思いますね。

いわゆる
BAD ENDというやつです。

式部女史が
ゲームクリエイターだったら
さぞやおもしろい
恋愛シュミレーションゲームが
作れるはず(笑)

そんなわけで
ヒカルくんは

式部女史的には
減点対象となり、

罰として、
夕顔を頓死させ、
ヒカルくんに熟考を促したとしか(笑)

夕顔の方は、
死んでしまって
一般的には不遇な女の代表
のように言われますが、

どうなんでしょうね?

「伊勢」の「鬼ひとくち」の話では、
「露」のように消えてしまう命の儚さが歌に詠みこまれていますが、

女性としては
好きな男性に連れ去られて
いっそ、その人の腕の中で
死んでしまいたい

という願望を持っている人もいたりするのではないかと
思います。

特に、この時代の女性は(も?(笑))
男性が永久に愛してくれるわけではないことを
知っているので、

夕顔も不運な境遇から
ヒカルくんに身を任せて
いつ死んでもいいと
思っていたのではないかな
と。

むしろ、そう思っていないと
身を任せたりしないのでは
と。

そういう女性視点からも
見ることができます。

だから、夕顔のほうが
「伊勢」に近いですね。

死と隣り合わせで恋愛をしているのですから。

そうやって怯えながらも
ある意味いつも死を念頭に置いてヒカルくんに身を預けている女性を
「お手軽さ」だけで
連れ回すのはいただけませんね。

女と男の体感温度
「伊勢」と全く違う。
温度差が激しいというか。

だから、ヒカルくんは
「伊勢男」としても
失格です。

式部女子からの
教育的指導もうなずけます(笑)

というわけで
この夕顔の巻については
あとからまた少し書きますが、
一旦置いておいて。

こんな風に
「伊勢」を下敷きにしつつも、
風流さと育ちの良さと見た目の美しさ以外は
まだまだ未熟な
ヒカルくんの大失敗は
その後も続きますが、

式部女史の教育的指導、
ここに極まれり
という
個人的に圧巻と思う箇所について
述べさせていただきたく(笑)


夕顔を死なせて
部下に死体の処理をさせたあと
しおらしく泣いたりした挙げ句
自分自身の体調も優れなくなったヒカルくんですが、

それでもなお
空蝉などの夫のある女性に
未練がましくしたりしつつ、

件の若紫を発見&入手(ヒカルくん18歳、若紫10歳)するに至り
ヒカルくんの「伊勢男」ぶり(修行中)は完全復活致します(笑)

途中、
性懲りもなく、
夕顔みたいな女性が
またいないかな~
と探していたら
例の常陸の宮の姫君に出会いまして、
一夜をともにするも
翌朝見たら、どう見てもブサイクだった(しかも結構びっくりする感じの外見だった)ので
超絶ガッカリするヒカルくん。

これも式部女史による教育的指導のたまものでしょう。(笑)

→その一、女性を雰囲気だけで選んではいけません。

常陸の宮の姫君は
とても気立ての良い女性であり、
そのことにヒカルくんは気づきますが、

まだまだ若く、心の余裕のないヒカルくんは、

姫君に対しては
表面上では真摯に装いつつも

裏では「末摘花(紅花→赤鼻)の姫君」とあだ名をつけて
若紫と一緒に絵に描いて馬鹿にしたり、
末摘花の姫君からの贈り物をダサいとわざと嘆いてみせたりして
ストレスを発散(笑)

一方では、
入内(天皇のお嫁さん候補として宮中に入る)予定の
敵方の姫君(朧月夜)との
アヴァンチュ~ルを楽しんだりと、

式部女史の教育的指導スレスレの毎日を
送っておられたヒカルくんでしたが、
ついにその日が
着々と近づいてきました。

式部女史の筆も
ノリにノッてくるわけです(笑)

まず、その事件の起きた状況について書かせていただきます。

古今東西名家の子息子女には幼少の頃から許嫁がいるのが通例ですが、

ヒカルくんも例外ではなく、

左大臣家の姫君と早々に結婚
しています。
(こう見えてもヒカルくん、
実は既婚なんです(笑))

右大臣、左大臣と言えば、
宮中におけるツートップとも言える役職であり
左大臣の姫君はもちろん
ヒカルくんの正妻となります。
(ちなみに右大臣家の姫君が朧月夜です。)

この姫君が一般的には
葵の上(以下、葵ちゃんと呼ぶ)と呼ばれていて、
ヒカルくんより二歳くらい歳上です。

葵ちゃんは、お嬢様気質なのか
人見知りするタイプなのか
ヒカルくんによると
「とりすましていて、打ち解けづらい」
ということで、

同じ歳上でも、教養があると名高い六条さんのところへ、
足繁く通いはじめます。

六条さんは
分別ある大人の女性であり、
娘は神に使える斎宮候補であったため
この関係に多少悩みますが、

ヒカルくんのように
輝くばかりに美しい若い男の子が慕ってくるのを
無理に拒むことができずに、

ヒカルくんの
傍若無人かつ強気な攻めに
抗えず関係を持ち続けてしまいます。

左大臣家は
新婚早々別の女性のところへ足繁く通うヒカルくんに対して、

表立って何か言うということはありませんが、
内心おもしろくないことは
言うまでもなく。

そんな中、
その事件は
葵祭の日に起きました。

葵祭とは
今でも京都で行われる伝統的なお祭りですが、

その日、選ばれたヒカルくんが
華麗なる姿を披露することになっていて、

左大臣家の人達も
我が婿殿の晴れ姿を
こぞって見に出掛けることになります。


平安時代、女性は自分の姿を人前で曝すことはできませんでしたので、
皆牛車に乗ってでかけます。

その牛車に乗ったまま
牛車の中から舞台を見る、
というのが、
当時のライブビューイングの基本型です。

(もちろん牛は牛車が停まっている間は
別のところへ連れていかれています。)

コロナ期に
映画を車に乗ったまま見るというのがありましたが、
ああいう感じ(笑)

牛車は屋根つきの小さな部屋を載せているような感じで、
前面に簾がかかっているので
外から中の人物を見ることはできません。

ただ、牛車に紋がついていたり、
わざと着物の裾を出したりして、
誰が乗っているかはだいたいわかりますし、

誰かわからなくても
着物の裾でセンスの良さをアピールしたりすることもできます。

お祭りなので、
車を花で飾ったりして
楽しく盛り上げます。

噂に名高いヒカルくんを見るべく
会場は大にぎわいで、
ところ狭しと牛車が立ち並び、
たくさんの姫君が牛車の中から
熱視線を送っています。


そんな中、
六条さんは
行っていいものかと
悩みますが、
ヒカルくんの姿を
一目見たいと思い、

牛車を地味にして
こっそり端の方で見ることにしました。

もちろん左大臣家は
特等席をげとしようとしますが、

そのとき六条さんの牛車が
左大臣家の家臣に
めざとくみつかってしまい、

左大臣の家臣は、
六条家の家臣に対して、
ここぞとばかりに日頃の不満を嫌味たらしくふっかけます。

家臣が家臣に対して言っているわけですが、
牛車に乗っている六条さんにもそれは聞こえるわけで、

身分の低い人達から
直接罵倒されているのと同じことであり、

楽しいお祭りの日に
みんなの見ている前で
六条さんはプライドをずたずたに傷つけられるわけです。

無論、六条側の家臣も言い返し、
ついに家臣同士の争いになりますが、

もともと左大臣家の権勢の強さは圧倒的であるので
六条側はろくな反抗もできずに
牛車をボッコボコにされてしまいます。

かわいそうな六条さん。

みんなの前で恥をかかされ、
やはり行くべきではなかったと後悔しますが、
文字通りあとの祭りというやつです。

しかも、その後
六条さんの目の前を通ったヒカルくんは
六条さんに気づかず
まさかのスルー!!

にこやかな笑顔で
目の前を通りすぎてしまいました。

ヒカルくん、
それはアカン!(笑)

六条さんは
悲しく思い、
これ以上ヒカルくんとの関係を続けることはできないと、
娘の斎宮に付いて、
伊勢に下ることを決意しましたが、
失意のなか病に臥してしまいます。

結構あとになって
人から事情を聞いたヒカルくんは
慌ててお詫びをしつつも
能天気に六条さんのところへやってきますが、
案の定、門前払い。

伊勢に下るという六条さんに対して
未練がましく、お手紙を送ったりしますが
六条さんはとりあいません。

一体誰のせいで、
こんなことになったのか
っていう(笑)

そんな中、なんと
葵ちゃんにオメデタとの噂。

ヒカルくん
これは危険信号です。(笑)

かつて、よく不倫ドラマで、
不倫相手の女性が激怒して、

「奥さんにはもう愛情はないとか言ってなかった?
なんで子供ができるのよ!」

みたいなことを
絶叫するシーンがよくありましたが、

まさにその典型的な例ですね。

六条さんは
分別のある女性なので
激昂してヒカルくんを責めたりしませんが、
内心裏切られたと思います。

葵ちゃんに対して
打ち解けないとかいいつつも
しっかり肉体関係持ちつつ
子供までできてるじゃねーか
と。
(↑六条さんはそんな言葉遣いはしないと思いますので、
ワタクシ的意訳です。)

ハイ、ヒカルくんに
決断のときが訪れます(笑)

こんなとき、
理想の「伊勢男」は
どうするでしょうか???

式部女史は
六条さんの気持ちを汲み取って
素晴らしい舞台設定を準備してくれました。

葵ちゃんの出産の時期が近づくにつれ
葵ちゃんの容態は悪くなっていき、

祈祷している僧達の話によると、
どうやら物凄く執着している生霊のようなものがひとつある、
と。

これを聞いて、
左大臣家の事情を知っている人達は
もちろん自分達がしたことに
心当たりがあるわけです(笑)

葵ちゃんは
日に日に容態が悪くなっていきます。

左大臣家の人達は
嘆き悲しみます。

ヒカルくんが
葵ちゃんの容態を見に行ったときも、

左大臣家の人達は
葵ちゃんの容態の原因について
ヒカルくんの耳にも聞こえる声で
噂し合います。

事情を知らない人達まで

「取りついている生霊というのは、
婿殿が通っておられる
女性なのですか?
あの人?それとも、あの人?」
と囁きあっています。

ヒカルくん
針のムシロ(笑)

しかも、
左大臣家の人達は
自分達の解釈で
葵ちゃんが、一方的に被害者みたいな感じで
大事になってきているので、

まだそうと決まったわけではないのに
生霊まで六条さんのせいにされて
六条さんはだんだん怒りがこみ上げてきます。

ヒカルくんは
六条さんの気持ちを落ち着けるため、
六条さんを訪れ、
「自分はそのようには思っていない」と釈明します。

六条さんは、ヒカルくんを信じつつも、
ヒカルくんへの思いを断ち切れない自分を責め、
また鬱に。

人々の噂はやみません。

この頃から
六条さんは
自分が葵ちゃんのところに言って、
責めたたているような夢を見たりして、
自分の魂が抜け出して歩いているような
錯覚を感じ始めます。

もはや、末期ですな。

そんな、
六条さんを気遣いつつ
よかれと思い、

葵ちゃんと六条さんの間を
行ったり来たりする
ヒカルくん。

なかなかの優柔不断ぶりです。

こやつ、根本的に
わかっとらんな。

おしおきだんべ~!
(@タイムボカンシリーズ)

さて、ここからがクライマックス!(笑)

式部女史の真骨頂です。

とある日のこと、

ヒカルくんが
葵ちゃんを見舞っているとき、
臥したままの葵ちゃんが、
しゃべり始めます。

「ちょっと、祈祷をやめていただけませんか。
ヒカルの君にお話したいことがあります。」

いつもと声が違います。

物の怪が話しているに違いない
と、周囲に緊張が走りつつも
葵ちゃんの願いとあって、

しばし、祈祷がやみます。

普段出産中の女性を見ることなどあまりないので、
ヒカルくんがおそるおそる几帳(カーテン)の内側に入ると、

そこには
大きなお腹のまま
葵ちゃんが白い出産用の着物に身を包んで
少し汗ばんだ感じで横たわっています。

このときの葵ちゃんの姿がはっとするほどなまめいていて(若々しく)

ヒカルくんは、
思わず発情、じゃない(笑)
葵ちゃんの人間的な部分や女性らしさに
やっと気付くのです。

ヒカルくん、
「ああ、僕をこんな辛い目に合わせないでください」

いつものごとく
まず、自分
なんですけど(笑)

そんな葵ちゃんが
黙ったまま
涙をぽろぽろ流して
ヒカルくんを
じっと見つめています。

そんな葵ちゃんの姿を見て
ヒカルくんは
いとおしさがこみ上げてくるわけです。

思えば、政略結婚のような
形式的な結婚であると
ヒカルくんが一方的に決めつけて、
葵ちゃんを避けていました。

性格が合わないといって
葵ちゃんと正面から向き合わなかった自分の愚かさを
ヒカルくんは
痛感するわけです。

自分が他の女性のところへ足繁く通っている間
正妻であるにも関わらず、
一人、どんな思いで自分を待っていただろうか
と。

身重になってからも
大きなお腹を抱えて
物の怪につかれて
今はまさに生死の境をさ迷っている
どんな思いで自分を
見つめているのだろうか
と。

まぁ、そこまで
ヒカルくんの考えが及んだかわかりませんが(笑)

ヒカルくんも
もともと、やさしくて愛情深い人であるので
このとき、葵ちゃんへの愛情を
身に染みて気付いたのですね。

少なくとも、
式部女史はヒカルくんに
それをわかってほしかったことは
たしかです。

で!

ヒカルくんにそれを
わかってもらった上で。

ここからです(笑)


葵ちゃんがきっと自分が死んだあとの
両親やヒカルくんのことを考え、
会えなくなったらさぞ淋しかろうと思っているのだと
ヒカルくんは思って、

「大丈夫ですよ、来世でもきっと会えますから」

なんて
とんちんかんなことを
言っていると、

葵ちゃんが
しゃべり始めます。

「そうじゃないんですよ、ヒカルの君。

祈祷されると苦しいから、
祈祷を少しの間やめてくださいと
お願いいたしましたの。

こんな風にここへ来ようなどとは、
思ってもいませんでしたのに、
物想いをする人の魂というのは
こんな風に出歩いてしまうものなんですねぇ。」

と、
その声つき、雰囲気
まさに六条さんではないですか!


すごいですよね。

生死をさ迷う
妻の口から
交際相手の声で
しゃべらせる
っていう。(笑)

今、明らかになっていく
事実!!(笑)

しかも、
場所は
妻の実家であり、

その妻がまさに生死の境をさ迷っているときにですよ。

妻の親戚、家臣一同が
固唾を飲んで
見守る、その最中です。

妻、夫、交際相手の三つ巴。

式部女史による
渾身の修羅場設定。

世界初かも。

しかも、
ときは平安時代
この妻、夫、交際相手が
一同に会する修羅場の実現など
普通はとうてい不可能なのです。

女はそれぞれの屋敷に籠りきりのことが多く、
男がそれぞれの屋敷に通うわけですから、
その三者が一同に会するなど。

それを、
まず葵祭での間接的な遭遇と事件の勃発、
そして、生き霊という、
まさしく離れ業を使っての
修羅場の設定。

見事としか言いようがありません。

妻の実家で、
親族、関係者一同の眼前で、

妻の体に乗り移った交際相手が
夫に語り始める修羅場
とか(笑)

これ以上の修羅場が
あるだろうか。
(いや、ない。(笑))

そして、
狼狽えたヒカルくん
「生き霊が葵ちゃんを苦しめているなんて、
そんなの、良からぬ人達のつまらない噂だと思っていたから、
打ち消して来たのに、
こ、こんなことが起きるなんて。」

と、

そして、心の中では

(うわ~やっぱ六条さんだったのかよ。)

めんどくせ~!

どうしよ?
ウツだよorz

と(笑)

いや、
ほんとに、そう書いてあるんですよ?(笑)
→「うとましうなりぬ。あな、心憂とおぼされて」

近くには、
すぐにでも話を誇張して
広めて回りそうな
女房達(例の女事務員の人達ね(笑))が
興味津々に成り行きを見守っているので、
この、とてもマズイ状況に
ヒカルくんは
舌打ちしたいくらいの気持ち。

いや、ほんとに、そう書いてあるんだってば(笑)
→「人々、近う参るもかたはらいたう思さる。」

※「かたはらいたし」というのは、苦々しいとかきまりが悪いとか
要するに胸くそ悪いという意味です。(笑)

生き霊の正体が六条さんだと
わかってしまったヒカルくんですが、

わざと気づかないふりをして、

「生き霊だったとはわかったが、
そうは言っても、どこの誰だかは、わからないな。

お前の正体は誰なんだ。
名を、名を名乗れ!」


ヒカルくん。

あくまでも
自分は第三者を装う
完全なる卑怯男です(笑)

そんなヒカルくんの姿を見て、
生き霊の六条さん
呆れて物も言えず。

黙ったまま
ヒカルくんを
じっと見つめたあと、

フッと姿を消しました。

世間体を気にして、
他人のフリされちゃあ
百年の恋もいっぺんに覚めますよね。

まぁ、でも、
それが
世の常ってものですな

式部女史による
一言。

男って
いつもこんな感じ。

やはり、
ヒカルくん

このターンも、

理想的な男には
程遠く
BAD END。

ヒカルくんは
左大臣家における面目の
失墜とまでは行きませんでしたが、

大変みっともない姿を
みんなの前でさらしてしまいました。

今回の式部女史による、
教育的指導、

その一、
女の情の怖さを
ナメてはいけない(笑)

さてさて
このあとの続きとして、

ヒカルくんに
幻滅した生き霊(六条さん)が
葵ちゃんを離れて、

葵ちゃんは
無事男の子(後の夕霧)を出産。

葵ちゃん自身も
正気に戻りますが

産後の容態があまりよくなくて、
しばらくしてから
他界してしまいます。

せめてもの救いは
最後にヒカルくんと葵ちゃんが
夫婦として心を通い合わせることができ、

葵ちゃんが亡くなるまでの間は
ヒカルくんも
女通いをやめて
葵ちゃんのそばにいてあげたということでしょうか。

まぁ、途中で
夕霧の姿を見て
思わず藤壺を懸想したり
(↑おいおい(笑)
夕霧はベビーで、男の子なんだぜ。)、

六条さんにも
マメにお手紙を送ったり、

ヒカルくん
気遣いは忘れません。

それが
ヒカルくんの
いいところであり、
悪いところでもあるわけですが(笑)

ちなみに、六条さんは
葵ちゃんが無事に男の子を産んだということを聞き、
よかったとほっとして、
娘さんと伊勢へ下られました。

(ちなみに、
六条さんが亡くなられたあと、
この娘さんを
ヒカルくんが引き取って
立派に育て上げます。)

六条さんは分別のある方なので
リアル世界では
あくまでも一歩引いたところにいますが、

そういう女性のほうが
本気になったときの情の怖さはすさまじく、
決してナメてかかってはいけないということですな。

式部女史による
見事な一件落着(笑)

なので、
現代の「源氏物語」の解釈で
巷でよく見かける
六条さんの生き霊が
葵ちゃんを呪い殺したとかいうのは
全然ちが~~~う!
のです。

実際のこの場面の
テーマは
修羅場における
男への尋問と刑の執行です(笑)

ハハッ(´∀`)

さて、みなさん
だんだんわかって来たのではないですか?(笑)

そんなわけで、
ヒカルくんは
葵ちゃんが亡くなったあと、

左大臣(葵ちゃんの父親)とともに
鳥部山にて葵ちゃんの亡骸を見送り

夫としてどうあるべきか
娘の父の気持ちも身近に感じて、
少しだけ成長します。

このあと、
いろんなことを終えて
疲れきって
自分の屋敷に戻ったヒカルくんは
若紫に出迎えられます。

久しぶりに若紫を見て、
その少し大人びた姿に
ヒカルくん
思わず発情、じゃない(笑)
心を動かされ、
ついにその夜、若紫と契りを結びます。

それまで妹のような存在として
一緒にふざけあったりしてきた若紫を
その夜、ついに
一人の大人の女にしたのです。

若紫だって
そういう男女の交わりを
全く知らなかったわけではないでしょうが、

今まで、
お兄ちゃん、お兄ちゃんと
慕ってきたような存在の人に、
おそらく、そんな存在だからこそ、
急にあんなことやこんなことをされて、

突然のことに
ショックを受けた若紫は、
次の日も部屋に閉じ籠ったまま出てきません。

ヒカルくんが
宥めても、
布団をかぶったまま
汗びっしょりになって
口もききません。

ヒカルくんに対して
完全なる無視。(笑)

当時、結婚初夜があけた朝、
男性から女性へ
後朝の文(きぬぎぬのふみ)という歌を
送り、
もちろん女性もその返事の歌を送ります。

一夜をともにしたあと、
お互いの気持ちを確かめるための意思確認みたいな儀式ですね。(笑)

大概の場合、
「昨日の夜は楽しかったよ、早く会いたい(はーと)」
「私もよ(はーと)」
みたいな歌がやりとりされて
結婚が成立したことを
確認するのですが、

ヒカルくんが
後朝の文を送っても
若紫はガン無視しようとして(いわゆる既読スルーというやつですね)、
侍女に怒られて
渋々返事を書きます(笑)

このとき、
若紫は14歳。

14歳と言えば、
当時の女性としては
結婚するのに
それほど早い年齢ではない。

それまでに紆余曲折があって
ヒカルくんに出会い
亡くなった夕顔だって19歳でした。

それにくらべると
やはり精神的に幼いと言えます。

さすが
ヒカルくんが
手塩にかけて甘やかしてきたじゃなくて(笑)
蝶よ、花よと
大切に育ててきただけあって、
ヒカルくんに
負けず劣らずの幼さです。

当時、結婚から数日して
女のもとに「三日夜の餅(みかよのもち)」を届ける風習がありました。

その「三日夜の餅」が
届けられたときも
若紫はガン無視しようとしたため、
侍女から説教されます。

そのとき侍女が本音をもらします。

実は、ヒカルの君があんな感じの方なので(←笑)
本当はお嬢様の行く末が不安で仕方なかったのだ
と。

でも、
こうやって、正式な手続きを踏んで
やはり、お嬢様をちゃんと妻として
迎え入れる気持ちが
あったのだということがわかって
とても安心したのだ
と。

そう言って涙を浮かべる侍女の姿を見て、
若紫もヒカルくんが
自分を社会的にも
大切な女性として迎えようとしてくれていることを
少し理解したようです。

ここから、
若紫(紫ちゃん)は、
ヒカルくんを支える一人の女性、
紫の上(紫さん)へと
変貌していきます。

そりゃあそうですよね。

ヒカルくんは
あんな感じの人(←笑)だから、
周囲の人達はいつもやきもきしているだろうなと。

ヒカルくんの従者の人達とか
特にいつも大変だろうな
と思うんですけど(笑)
(↑惟光とか死体の処理までさせられるしな)

でも、みんなヒカルくんが
人間的に悪い人ではないことをわかっているので
ただひたすらヒカルくんに従っている。

だから、若紫の侍女の言葉は
結構親身に頷けると思うんですよね。

つまり、六条さんとのことや、葵ちゃんの死を越えて
やっとヒカルくんにも
大人の男性としての気持ちの持ち方、
そして女性への向き合い方が
わかってきたのだと思うんです。

だからこそ、
ヒカルくんにとって
ともに生きていく女性として、
若紫を妹的存在ではなく
女性として受け入れる日は
必ず来るはずであり、

若紫にも
ヒカルくんのことを
無条件に守り育ててくれる家族のような存在ではなく、
若紫自らが求める大人の男性という存在に認識を変更してもらう必要がある。

そのためには、
若紫は大人の女性に
なってもらわなければならず、
いつまでも、ひいな人形で遊んでいる女の子から
そのひいな人形を取り上げてその女の子が泣き喚いたとしても
それでも
若紫を大人にしたのですね。

だから、
社会的にそうでなくても、
紫の上は
実質的には
源氏の君の正妻なんです。

その前提として、
若紫との結婚の前に、

ヒカルくんに
大人になってもらうための
さまざまな女性との恋愛エピソード(失敗談)があり、

特に直前の葵のエピソード(大失敗)が
若紫との結婚のきっかけになっていることは
言うまでもない。

ヒカルくんが
若紫を大切に育てているように、
式部女史もヒカルくんを
大切に育てているんです。

そして、
式部女史や、多くの女性に
大切に育てられたヒカルくんが
さらに大切に若紫を
育てる。

ヒカルくんにとって
若紫は
そういう存在なんです。

ここで、
もし、ヒカルくんが
嫌がる若紫を無理やり女にしたというだけの話ならば、
すかさず式部女史の
教育的指導が入っているはずであり(笑)

だから、そうではないんですよね、ここは。

その部分が、ヒカルくんと
その辺のロリ男どもと
違うところです(笑)


さて、それから
本当の大人の男性として歩き出したヒカルくん
いよいよ、大人の男性として
社会と対峙するときがやってきます。

それが、ヒカルくんと朧月夜との逢瀬が
大臣家に発覚し、
ヒカルくんが須磨へ流浪するという下りになります。

前述のように、
大臣家左大臣家は
宮中のツートップでありますが、
この時代、親族同士でも骨肉の争いをやっていたわけですから、
政治上のこの二つの役職を中心に広がった派閥もまた
覇権を争う敵同士の二大派閥でした。

ヒカルくんは、左大臣家側の派閥に属する人間、
朧月夜は右大臣家側の人間、
しかも、右大臣家と言えば、
ヒカルくんのお母さんをイジメぬいて
死に追いやった宿敵、
弘徽殿の女御(今は母后)がいます。
(しかも、今回の密通のことを帝にチクったのもこのBBA(笑))

じゃあ、そもそも
そんな右大臣家の女なんかと寝るなよ
っていうツッコミは
超自由恋愛主義者ヒカルくんには通じません(笑)

まぁ、好きな女には
それが誰であろうと
真っ正面から!
がポリシーのヒカルくんですから。

それがヒカルくんのいいところでもあり、
悪いところでもry

朧月夜の姫君も
かなり奔放で強気な女性で、

なんやかやあった後でも
帝の寵愛をも勝ち取った

なんとなく額田王を彷彿とさせるような女性だなぁ
と個人的には思いますが。

この二人の超自由恋愛(密通)は
朝敵同士の許されざる恋、
まさに、
ロミオとジュリエットでありますが、

ある意味、ロミオとジュリエットより
堂々としています。(笑)

今回はヒカルくんは
逃げも隠れもせず
堂々と認めました。

しかし、問題はかなり深刻で
した。

朧月夜が入内(天皇の后候補として宮中に入る)予定だったため、
天皇の女性に手をつけた
すなわち、見方によれば
天皇への敵対行為=謀反人として
死を免れない場合もあるわけです。

さすがにヒカルくんも
この難を避けて、
速やかに都から退避することが必要となり、
須磨に身を隠すことになったのです。

都落ちは、
たいていの場合、
寄るべもなく都を出て
地方を流浪することになりますから、
生きて帰って来られない場合の方が多い。

だから、都落ちする人達は
ある程度、死の覚悟を持って
都やそこに住む親しい人達に別れを告げて去っていきます。

須磨でのヒカルくんは
とても簡素で
しかしながらも
風流と気高さを忘れない生活をしていました。

ヒカルくんが
須磨で生き延びられたのは
明石に住む明石入道というパトロンがついたことです。

明石入道の娘とヒカルくんが
関係を持つことで、
明石入道はこれを喜び
支援してくれることになったのです。

(後に、ヒカルくんは明石の姫君(明石の上)も都の自邸に呼び寄せ、
その娘の姫君まで立派に育て上げます。←育てたのは紫の上だけど(笑))

死と隣り合わせの恋愛、
そして、流浪。

まさに「伊勢男」となったヒカルくん。

自分の身の上を嘆いたり、
都の紫の上を思い出したりして
涙にくれます。

その姿は、むしろ
今まで以上に美しく、
須磨の風景と溶け込み
より一層の風情を極めます。

おそらく、
そうやって涙にくれた
男達が
過去にもたくさんいたことでしょう。

そういった
かつて、その場所で
涙を流した男たちの想いがつながって、
より普遍的な美を
ヒカルくんに与える。

まさに、須磨のシーンは
時空を超えた名場面です。

そうやって、
風景や自然に
人々の想いが刻み込まれてゆく、

そして
その場所で
何かの折に触れて
誰かが何かを「思い出す」

それこそが
もののあはれ
なんだと思うんです。


そういう場所が
日本の各地
至るところにあって、

残された歌や伝説を通して、
人々の想いに
今でも触れることができる。

それは、
とてもすごいことだと思うし、

それこそが
日本の文化であり
歴史であると
私は思います。

想いは
風化し
いつしか消えてしまうことだってある。

でも、強い想いは消えない。

だからこそ、
人は願う。

想いが消えないように
と。

さざれ石の
巌となりて

苔のむすまで。

文字の歴史とは
金光文から始まっていて、

最初は
文字を岩に刻み付けていく。

それが消えないように
金を流し込んだりする。

昔の人達は、

伝えるべき想いが
消えないように
文字とともに
そこに刻み付けたのである。

平安時代
紙はとても貴重なものだった。

枕草子」の作者
清少納言
定子から素晴らしい紙の束を受け取って

そこに
楽しかったことや
素敵だなと思ったことや
涙したことなどを
書いていった。

いつも、そのことを
思い出せるように。

式部女史は、

そこに
理想の貴公子が生きる
もうひとつの世界を作り上げた。

大切に
大切に。

そして、
それは
いつしか奇妙にも
現実世界とリンクしていくことになる。

なぜなら
その世界は、

現実世界、

過去、
そして
未来とも
つながっていくことになるからである。

さて、
源氏物語」に
戻りましょう。

そうこうしているうちに
都でも宮中の情勢が変わり、

敵方の右大臣家が没落して、
ヒカルくんも
無事、都に戻ることになりました。

そのきっかけとなったのが、
3月の暴風雨です。

その日、ヒカルくんは
海岸に出て
開運の祈りを捧げていました。
すると、急に雨雲がやってきて
暴風雨になりました。

その暴風雨は都でも続き、
人々は口々に不吉の前兆ではないかと噂しあい、
雨で道もままならないため
公達が朝廷へ参内することができず、公の政は全て中止。

そんな中、
ある夜、そのときの帝(朱雀帝)の夢に
故桐壺帝(ヒカルくんのお父さん)が出てきて、
大変怒った口調で
「何故ヒカルを都に呼び戻さないのだ」と言う。

帝は、それを母后(弘徽殿の女御)に訴えるも
母后は、
「お天気が良くないときは、不安ごとが募ってそういう夢を見ることだってあります。」
と言ってとりあわない。
(↑言いそうw(笑))

そうこうしているうちに、
右大臣が亡くなり
帝も母后(弘徽殿の女御)も病気になり、
なかなか治らないので、
ついに帝は母后の言いつけにそむき、ヒカルくんを
都に呼び戻すことにしたのでした。

ヒカルくんが都に戻ったあとも、
朱雀帝の病は平癒せず譲位されて、
冷泉帝(実は藤壺とヒカルくんの子供)が即位されます。

そこから、ヒカルくんは
順調に社会的な地位を上げていきますが、

その上でヒカルくんがしたことは、
自分と関係を持った女性達を
次々と自邸に引き取ってゆくということでした。

六条さんが亡くなられたのを期に
六条さんの娘(のち入内して梅壺(秋好中宮とも))、
花散里、末摘花、明石の上とその娘
などなど。

二条邸から改築した六条院に移った際には、

院を春夏秋冬の4つの町にわけて(各西の対と東の対があるので合計8つのゾーンがあることになる)、
町ごとにその季節にあった趣向を凝らし、

どの部屋に行っても
各季節の風情が感じられるようにしました。

そして、
それぞれの雰囲気に合った女性を
各部屋に住まわせたわけです。

紫の上は特別なので、ヒカルくんの部屋がある
「春」に一緒に住むことに。

春は紫の上が一番好きな季節ですから。

当時の通い婚の常識とは
まさに一線を画す
ヒカルくんの世界☆

女性達はヒカルくんの性質をよくわかっているので、
意外とみんな幸せに過ごしていて、

二条邸の頃からですが
紫の上は、明石の姫君を養女にして
自分の娘のように育てていますし
(↑このあたり「蜻蛉日記」に似ています。詳しくは、いつか書きます(笑))、

まぁ、ヒカルくんを中心にした
大家族みたいな感じですね。

ここでも、社会の常識に打ち勝ち、
まさに天下はヒカルくんのためにあるかのように思えたのですが、

朱雀院が出家前に娘(女三宮)をヒカルくんに頼みたいと言ってきて
ヒカルくんはそれをどうしても断れず、
ヒカルくんは女三宮と結婚することになります。

このときから、
このヒカルくんの世界は
均衡が崩れ始めます。
(そりゃそうだ。)

しかも、朱雀院の娘ですから、
もちろん、六条院にいる誰よりも格上、
ヒカルくんの正妻となるわけです。

今までは実質、紫の上が
正妻であり、

社会的な身分がどうのこうのとか
そんなの全部関係なしに、

ヒカルくんにとっては
紫の上が一番大切な存在であるわけです。

紫の上は、ヒカルくんにとって何なのか?

早くに両親と死別and訣別したヒカルくんにとって、
小さい頃から一緒に育ってきた妹(家族)のような存在でありながら、

ヒカルくんに似て、
この世のものとは思われない美しさを持ち、
ヒカルくんを愛する貞淑な妻であり、

いつもヒカルくんの身を案じて
ヒカルくんが帰ってくる場所である六条院を守る母のような存在であるわけです。

とりあえず、
ヒカルくんにとって、
紫の上が
誰にも変えることができない至高の存在であるというのは
自他ともに認めるところであって、

ヒカルくんも
相当悩みます。

女三宮はまだ13歳くらいなんですよ。

しかも、宮育ちのためか
おっとりしすぎていて
「感情のない人形」のようだと評する人もいます(笑)

ちなみに、漫画「あさきゆめみし」で描かれる女三宮
目が真っ黒で光彩(←おめめの中にあるキラキラね)がないんです。(笑)
(それは、あまりにも
という感じがしますけどw)

まぁ、でも
いくら相手がヒカルくんとは言え
40歳のおじさんと結婚する13歳の女三宮
不憫と言えば不憫ですよぬ。

普通でも何話していいかわからないし、
それなのにそのおじさんと
いきなり夜の行為まで致すわけですから、
むしろ感情もなくなります。

ヒカルくんは
朱雀院から今後のことをよくよく恃まれているものの

この姫君を今から
立派に育て上げて
紫の上のようにしてほしいとか言われても

六条院の女性達の
一番上に13歳のあどけない少女が配置されるようになるわけであり、
それは、みんな動揺しますわね。

ヒカルくんは
このことを
まず紫の上に打ち明けますが、
紫の上は思いの外
素直に受け入れます。

。。。でも、
表向き素直に受け入れても
悲しいですよね。。。
自分の居場所を奪われるような気持ちに
なったのではないかと。

ときに、
ヒカルくん40歳、
紫の上32歳の春でした。

女三宮がそれはそれは
盛大なお越し入れをして
六条院に来られたあと、

「張り合いがない」
と言いつつも
ヒカルくんは
毎晩、女三宮を抱きに行くわけで、

紫の上は
夜もひとりぼっちになってしまいます。

その後、
心労が積み重なったせいか
紫の上は重い病に伏し、
二条邸へ移ってしまいました。

このあたりから
物語はヒカルくんの息子、
夕霧の話も加わってきて、
世代交代の様相を呈してきます。

そして、柏木と女三宮の密通により、
かつて、ヒカルくんが藤壺と密通することで
桐壺帝がヒカルくんの子供(冷泉帝)を自分の子供として育てたように、
ヒカルくんは柏木の子供を
自分の子供として
育てることになるわけです。

この因縁めいた悲劇に、
ヒカルくんは宿命のようなものを感じつつも、

感情のないと思われていた女三宮
柏木との手紙のやりとりでは
少しずつ打ち解けてきている様子に愕然とし、

とある折に
つい、柏木を皮肉ってしまいます。

柏木はヒカルくんに秘密が露呈されていることを知り、
苦悩したあと病に伏し、
そのまま死んでしまいます。

このあたりから、
「源氏」の世界に
濃い死の気配が漂い始めます。

紫の上は
重病以来
日に日に衰弱しており、
出家をしたい(現世の人達と関わりを断ち仏道に入る)と
ヒカルくんに願い出ますが、
ヒカルくんは
それを許しません。

柏木の一周忌から
少し経ったある日、

紫の上の容態が急変し、
ヒカルくんと
養女の明石の姫君(入内して中宮)に見守られながら
ついに帰らぬ人となります。

ヒカルくん51歳、紫の上43歳の秋、

八月十四日の未明のことでした。

二条邸は
若い頃のヒカルくんと
紫の上が
二人で暮らした御屋敷です。

紫の上は、
ヒカルくんに見つけられたとき、
お祖母さんの尼君と暮らしていて

その尼君が亡くなったのを期に
ヒカルくんが
この場所に奪うように連れて来たのでした。

だから、
紫の上も
身内はいなくて、

ヒカルくんも
母と死別し、
臣籍に下って
父(桐壺帝)と訣別したあと

母方の祖母にここで育てられ、
祖母が亡くなったあとは
一人きりでした。

二人は
やはり、似ているのかもしれない。

二人で
兄弟のように暮らし、
夫婦になって暮らした二条邸。

ヒカルくんは
六条院を
ヒカルくんの世界にして、

そこでの生活も
楽しかったかもしれないけれど、

六条院からまた
二条邸に戻った紫の上は
一人で
いろんなことを思い出しながら
暮らしたんだろうなぁ
と。

何故、ヒカルくんは
ずっと一緒にいてあげなかったのか。

ほんとに
ヒカルくんは
ダメな男だ。

社会的地位を獲得してからの
ヒカルくんは
失敗しない代わりに
つまらない。

だから、物語の結末も
悲しい。

式部女史は
リアリストだ。
リアリストは残酷だ。

物語の後半も
絡み合った伏線が
ひとつにつながっていくストーリー展開も見事だし、

内容もドラマチックである。

でも、逃れられない現実を
目の前につきつけられたようで、
悲しい気持ちになりますよね。

それまで、物語に引き込まれていたヲタ達にとっては
なんともやるせない結末。

物語の後半で
「伊勢」から設定をとられた
話がひとつだけある。

それは、蛍の巻だ。

玉鬘は、
「源氏」の姫君の中でも
とりわけ美しい女性である。

ヒカルくんは
玉鬘に指一本
触れていない。

それは、玉鬘が
ヒカルくんでさえ
侵してはならないほどの
美しさを持った女性だからだ。

ある夜、
ヒカルくんが
いたずらをして、

蝋燭の灯を消し、
玉鬘がいる御簾のうちに
ぱっと蛍を入れたことがある。

暗闇の中、
その蛍のほのかな光に
照らされて
浮かび上がる
玉鬘の美しい姿。

玉鬘が
驚き、とまどう姿も
美しい。

色とりどりの
着物の裾が動いて
衣ずれの音がする。

それを蛍の光
断片的に
そして静かに

浮かび上がらせたり
消したりする。

それを
黙って見ているヒカルくん。

「源氏」の中でも
その光景が
ひときわ鮮やかに目に浮かぶ
優美で幻想的なシーンである。

そんな
玉鬘に
その美しさを知る
誰もが憧れたが、

侍女が勝手に手引きをしたせいで
玉鬘は
髭黒の中将(のち大将)
と結婚することになってしまう。

髭黒ですよ?(笑)

いかにも粗野な感じじゃないですか。

髭黒の中将も
玉鬘の美しさに惹かれた一人なんでしょう。

でも、
いかにもモノの価値が
わからなそうな
人じゃないですか。(笑)

ヒカルくんでさえ
手を出しかねていたのに。

夢中になって
どうしても手に入れたくなったんでしょうね。

そういう人達のほうが
かましくて
自分の欲望にまかせて
手に入れたいものは
手に入れるというか。

実を言うと、
私が最初に読んだとき
(小学生のとき)
玉鬘が髭黒と結婚するという展開が
一番不可解でした。
というか、
不愉快でした(笑)

今でも不可解かつ不愉快ですが。

式部女史は
リアリストだから
世の中、こういうことの方が多いということなんだろうと
思いますけど。

なんか、それでも
胸糞悪いですよね。

式部女史は
この蛍の巻で
源氏の君の口から
物語論を論じさせます。

そらごとのなかに
まことがある

と。


以前、「火垂るの墓」の話を書きました。

お兄ちゃんは
せっちゃんと
二人だけの世界で暮らしたかったのだという
話です。

別にあれは
子育て支援金を設置したらどうかという話では
もちろんありません。
(当たり前だ。馬鹿どもが。)

火垂るの墓」は
「源氏」の再現だと
思うんですよね。

ヒカルくんと
若紫の二条邸での暮らし
そのものじゃないですか。

それが、
平安時代
第二次世界大戦中か
という話なんです。

あんな風に
せっちゃんが死んだのは

二人の幸せな暮らしを
奪ったのは
社会です。

社会がせっちゃんを
殺した。

くだらない
社会の「常識」にとらわれつつ
その「常識」の中で
自分達のくだらない欲望を
汚いやりかたで
弱い者達に捌け口を見いだす

そんな「大人」達が
小さな子供の幸せを奪い、
あっけないほど簡単に
殺したんだと
思いますね。

二条邸での
ヒカルくんと
若紫の
怒ったり
泣いたり
笑ったり
というのは、

別にお金が
あってもなくても
それは二人の幸せな世界なんです。

せっちゃんと
お兄ちゃんには
食べるものも
着るものもなくて、

でも、
蛍の光に照らされた
せっちゃんの姿は
たぶん、
玉鬘並みに美しかったと
思います。


誰にでもわかることなんですけど、
わからない人達もいるんです。

そういう人達のほうが
多いんです。

この世の中は。

今は特にね。

蛍って儚いですよね。

一夜明けたら
死んでしまうし。

その一夜を
自分達の欲望を発散するために
使う人達が増えたんだと
思いますけど、

そうじゃない人達も
たくさんいるし、

むしろ、日本人は
蛍の儚さも美しいと思ってきた人達が多かった。

だからこそ、
ホタルの名前まで
ゲンジボタルと名付けて
その儚い命と光を愛でてきたわけです。

今の若い人達は
「源氏」の蛍の巻も知らないし、
ホタルの名前さえ
それが、どうしてそういう名前なのかさえ
知らずに育つ。

そう、育ててきた「大人」達の責任です。

式部女史の言う通りですよね。

でも、
そういうの胸糞悪いんです。

そう思っている人達もいることを
覚えておいてほしいな
と思いますけど。

世の中は儚いと
言うのは簡単なんですけど、

そうじゃなくて、
式部女史は
生きている人達を
真正面から描こうとしました。

物語の中で。

そして、
そこに願いを込めたのです。

だから
ヒカルくんに対する
最後の罰は
紫の上が
自分より先に死ぬことでした。

夕顔もそう、
葵の上もそう、
六条御息所もそう、
そして、
紫の上も。

愛する人を失って
残された人間は
残りの人生を
そこにいない人を
思い続けて生きなければならないじゃないですか。

それが
どれほどつらいことなのか。

汚い人達は
それをわかった上で
大切な人を奪ったり
大切な物を壊したり
するから
わからないかもしれないけれど、

そのことに対して
ものすごい怒りをため込んでいる人達がいることを
覚えておいてください。

ヲタをナメんなよ
と。

ヒカルくんは、
失意のうちに出家する決意を固めます。

出家と言っても
仏道に帰依するというよりは
現世離脱ですね。

紫の上が生きていない世界とか
ヒカルくんにとって
生きるべき世界ではないことに
ヒカルくんは
やっと気づいたのですね。

さて、
このあとの
「雲隠」の巻ですが、

巻名だけあって存在しない
というのが
現在の通説ですが

私は

雲隠の巻はあった

と思います。

それが、今回の
源氏物語」の時空の旅の最後になります。


(というわけで、次の記事へ→SKYFALL 4/4)