SKYFALL 補足

(SKYFALL 4/4からの続きです。)

つーわけで、ここから6月30日に書いた分↓

超絶マニアエントリーNo.1

まがったことが
だいきらい~

は~ら~だ
たいぞうです♪
(@笑う犬の生活)

そう
原田泰造ではなく
ご存知、宮中の暴れん坊こと
藤原定家くんです。(笑)

定家くんと言えば
とある公家と口論になった際に
あまりにもムカついたのか
相手に燭台を投げつけるなどして
一時期、宮中参内禁止になったほどの(笑)
キレると危険印な
ときどき直情型な一面を持ちつつも、

パパの俊成卿譲りの
歌の才能は超一流で、

カリスマ的な存在となって
後に「新古今和歌集」の選者の一人となったほどの人です。

私が見るに
定家くんは
かなりの「源氏」マニアと推察されます。

言うまでもなく、
「源氏」の流布本、
青表紙本は定家くんの写本が元になっており、

私達が現在、「源氏」を読めるのは
定家くんのおかげと言っても
過言ではない。

定家くんは
かなりというか徹底的に
「源氏」を読み込んだ
と見えて

おそらく
シークレットモードを
制覇したからこそ
「源氏」の表現の虜となり
和歌界に
革命を起こしたとも言えます。

「新古今」の
定家くんの和歌をひとつ、
ふたつ取り上げて
見てみます。

まず、
こちら

春の夜の
夢のうき橋とだえして

峯にわかるるよこぐもの空

「新古今」の春の歌に
あります。

今まで述べてきたことを
ふまえてこの歌を読んだら

もう、すぐにわかりますよね。

もちろん、
「源氏」の最終巻
夢の浮橋」をイメージしています。

だから、
それをわかった上で
この歌を見ると

何故、「春の夜」なのか
何故、「峯にわかるる横雲」なのか
すぐにわかりますよね?

なに?
わからない?(笑)

しょうがないな。

じゃあ、もう少し
説明を加えてみましょう。

定家くんの歌ではないですが、

同じく「新古今」より
こちら

照りもせず曇りも果てぬ
春の夜の
朧月夜にしくものぞなき

大江千里の歌です。
(おおえせんり(笑)ではなくて
おおえのちさとという宇多・醍醐帝あたりの時代の人です。)

この歌は
「源氏」でも引用されている歌で、

どこで出てくるかと言うと、

ヒカルくんが
敵の右大臣家の姫君
朧月夜と出逢う場面です。

姫君が月を見ながら
この歌を口ずさんでいるところを
ヒカルくんが目撃して
発情、じゃなくて(笑)
心惹かれて
二人は結ばれるというくだりですね。

この歌も
「白氏文集」にある
嘉陵春夜詩、不明不暗朧朧月

和歌で読み替えた
言わば翻案とも言える
歌なんですね。

すなわち、
「源氏」が白居易の「長恨歌」の枠組みを借りつつも
日本の文学として
再構成して
新しい日本の物語を誕生させたのと
手法は同じなんです。

漢詩をいかに
日本の和歌として取り込み
日本ならではの表現にできるか
ということなんですね。

それができるのは
漢詩に流れる普遍的な世界と
日本における普遍的な世界が
重なる部分があるからに他ならず、
その普遍的な世界を
日本の和歌として
どのように表現できるか
ということなんです。

これが、まずひとつ。

もうひとつ、
例を挙げてみます。

同じく「新古今」から
藤原家隆の歌で

梅が香に
むかしをとへば春の月
こたへぬかげぞ
袖にうつれる

この歌も
先に説明した
「源氏」の梅、香、むかし、
春の月、こたへぬ(→今はいない)、かげ、映る
などを考えると
すぐにイメージできます。

(ほんとは、「袖」もポイントなんですけど、
これについては
以前、「わが衣手は露に濡れつつ」、「わが衣手に雪は降りつつ」について書いたときに
説明したと思います。)


歌を詠むとき、
目の前の光景や心情を
素直に詠む
というのがひとつの型として、
これが「万葉集」の人々が素直に歌を詠んだ世界であるとすると、

「伊勢」の
月やあらぬ
の歌は
時間軸における
今、昔を同時に詠み込むことで、
歌の意味合い、世界観がより多重的かつ重層的になります。

よって、
「古今」になると
序詞などによる
それまでに存在したと思われる
別世界(むかしうた、むかしものがたり)の導入という
重層的な構造になり、

「新古今」の歌では
取り込まれる世界が
さらに深遠かつ幻想的となります。

すなわち
現実世界ではない
幻世界(あったのか、あるのかわからない
けれど、おそらく
そこに確かにあって、
今もあるであろう世界)の導入
が行われ、
歌に詠み込まれるファクターが
より象徴的になります。

要するに、
時間軸が解放されるだけでなく
空間軸もフリーになる
ということですね。

なので、
この新しい世界というのは
言うまでもなく、
現実世界に対する幻世界
現在世界に対する死後の世界、
リアル世界に対するヴァーチャル世界
です。

要するに
目に見えない世界
っつーことですな。

うーん、海王星的(笑)

これを
いわゆる「幽玄」の世界
というわけですが。

「新古今」のあと発生する
能なんかもそうですが、

「新古今」の「幽玄」なくしては
能における死者との対話もないわけで。

能の演目に、
古代の神前舞踊に関わるものや、
「松風」(→須磨に出てくる行平中納言の話)や
「融」(→源融)
なども含めて
「源氏」に関わるものが多いのも、

今回ブログに書いた内容を
ご理解いただければ
おわかりいただけるかと。

その「新古今」の「幽玄」の世界が
何故開かれたのかというと、

「源氏」における異世界の導入(死後、幻世界、架空)というのがあって 、

定家くん達がそれらの表現を「源氏」によって開眼され、
それ以降の和歌の新しい形式かつ主流にしたから

私は睨んでいるわけです。

カリスマ定家くんは
かなりリベラルな人でもあったようで、

まぁ、「新古今」っていうタイトルからし
「古今」とは違うんだぜ!
って感じじゃないですか。(笑)

そのカリスマかつリベラルな定家くんが中心となった
「新古今」グループが
後鳥羽院のもとに集い、

一歌壇から政治的なグループが形成された後、

朝廷が南朝北朝とに分裂するきっかけとなり、

その後、朝廷を中心とした中央集権国家が崩壊したことは
史実の通りです。

定家くん
朝廷によっぽどムカつく奴がいたんだね(笑)

まぁ、そういうことは
あるよな(笑)

つーわけで、
超絶マニアエントリーNo.1は

まがったことが
だいきらい~♪


藤原定家くんでした。

ではでは、
続けて参りますよ~。

超絶マニアエントリーNo.2

なんと
時代は飛んで、

井原西鶴さん。

いやー
いきなり江戸時代まで
来ちゃいましたね(笑)

ていうか
間の時代で
出自とかがはっきりしている
「源氏」マニアが
なかなかいないもんでね。

鎌倉以降、
「源氏」の注釈書も出てきて
研究者っぽい人達は
出てくるんで
昔の研究者ほど
マニアに近くて
そういう人達も
結構いるんですけど、

いかんせん
研究者の枠組みから
脱しきれていないというか。

超絶マニアとは
言い難い感じがするので
ちょっと時代は飛びますが、

西鶴翁にご登場願ったわけです。

でも、まぁ
去年あたりにブログ記事で
時代スパンの話を書いたときに、
今、このブログ記事を書いている時点では
だいたい江戸時代くらいのはずで
その頃にどんなことになっているのか
書きますね
みたいなことを
書いていたと思いますし、

今回、「源氏」のことを
書くにあたり
何故一度平安時代に逆戻りせにゃならんのだ

我ながら思ったものですが、

最終的には
やはり江戸時代まで来て
現代につながることになりましたので、
そのあたりも後程
書いてみたいと思います。

とりあえず、
井原西鶴氏、ここでは
西鶴翁とでも呼びますが、

今回の「源氏」についての記事を書くにあたり、
やはり「源氏」マニア度に関しては、
ワタクシ的には
定家くんに次ぐNo.2と言えると判断しましたので
ここに挙げさせていただきました。

西鶴翁について
私のイメージは
あの「男色大鑑」の肖像絵の
つるっとした頭に
居ずまいを正した座像。

どことなく眼光の鋭さと
抜け目のない雰囲気を感じさせる
お爺さんですね。
(でも、五十二歳で亡くなっているので、
現代ではおじいちゃんってこともないんでしょうけど。)


西鶴翁に関しては
今回、「源氏」という視点から見たときに
今まで見知ってきたことも
違う視点から眺めることで
改めてわかったことも多く、
個人的には、かなり面白かったです。

ではでは、西鶴
何故、「源氏」マニア度が高いのか
ワタクシ的な観点から
述べさせていただきたく。

まず、西鶴という人なんですが、
もともと俳諧師なんです。

34歳くらいで
奥さんに死なれています。
(その時点で、三人の子供がいたとのこと。)

奥さんが死んで
すぐに出家して
奥さんに捧げる句を
一日千句詠んだりして、

そうこうしているうちに
一昼夜で二万三千句ほど
詠むという
大記録を達成しています。(笑)

いわゆる、大矢数と言われるやつですが。

このことから、
一般的には
西鶴は愛妻家だったと言われていて
(もちろん、そうじゃないと言う人もいる(笑))
それはともかくとして、

一昼夜に二万三千句というのは
尋常ならざる数字なんです。

数秒に一句は詠んでいる
計算になりますので。

だから、
西鶴という人は
極めて頭の回転が早い人だということと、
おそらく、連想力が
ずば抜けている
ということです。

この西鶴
「源氏」を読んだら
おそらく、いとも簡単に
シークレットモードに辿り着くということは
間違いないんです。

実際、西鶴の第一作「好色一代男」は
「源氏」の五十四帖を模して、
世之介の七歳から六十歳までの
五十四話になっていまして、

ストーリーも
世之介という一人の男の発情の生涯の記録であります(笑)

しかも、ですね
好色一代男」は
世之介の成長物語なんです。(笑)

七歳のときに
侍女に初めて性の手ほどきを受けてから、
十九歳で親に勘当されて家を出て、
言わば女修行とも呼べる全国行脚があり、
勘当が解けたあとの
親の遺産を使っての遊郭通いと
名伎列伝(遊女ランキング)があるわけです。

遊女というのは
現代の風俗嬢と違って
芸能に秀でた女性であり
恋愛のプロであるわけで、
名伎列伝=いい女ランキングなわけです。

そして、
最終的に
世之介は
六十歳にして、
残りの遺産と同士達(←笑)とともに
船に乗り込み
「女掴獲り(おんなつかみどり)の旅」へ出かけるのです。

ね?

一緒でしょうw?(笑)

もうさ、
世之介最後の船出シーンの
BGMは
「竹河」で決まりでしょう。

女の子ざくざく
ぴっちぴち~♪

みたいな(笑)
(あれ?違ったっけ?(笑))

ヒカルくんが
紫の上を求めて
水底へ向かったのと
若干のニュアンスが違いますけど(笑)

要するに世之介も
この世に二人といない
理想の女性とまぐわうために
船出したわけですから

まぁ、似たようなもんです。←

西鶴が「好色一代男」を
書くことになった経緯は、

俳諧仲間(たしか弟弟子←おとうとでし)の西吟
と「てんごう書き」をしてみた
ということですが、

この「てんごう書き」の定義について
諸説あるんですけど、

要するにパロディーってことだと
思うんです。

だって、一緒なんだもん(笑)

なんていうんですかね
西鶴の考え方
よくわかるんですよね~。

このフザけかた(笑)

結局、西鶴が「好色」を書き始めた経緯と
式部女史が「源氏」を書き始めた経緯は
似ているところが
あるんです。

西鶴は、やっぱり
愛妻家だったと思うんですね。

考え方としては
極端なところもあるんですけど、
ある意味突き抜けてるというか。

式部女史が
「源氏」の須磨の巻から
書き始めたとして、
その背景には
自身の人生の回顧、
女性の生き方(「蜻蛉日記」含む)について考えたときに、

関わってきた男性
すなわち夫について
ちらりと考えただろうことは
想像に難くないと
書きました。

それと同じで、
西鶴もまた
奥さんを亡くして
途方に暮れたそのやり場のない気持ちを
出家や一日千句独吟という形でやり過ごしていたときに、

弟弟子との
他愛のないやりとりで
ふと「源氏」の奥底に流れる
共有意識を
感じたんでしょうね。

それは、すなわち
式部女史の気持ちであるとともに
ヒカルくんが、
紫の上を亡くしたあとの
途方に暮れた気持ちだと
思うんです。

そして、式部女史の用意してくれた
シークレットモードにも
気づくわけで
そこに、光を見たんだと
思いますね。

そこから、西鶴がやったことは
まさに、式部女史と
同じでした。

当時、隆盛を極めていた
上方の町人文化の最上級のところに行って、
その超絶リアルを肉付けしていったんです。

以前、吉行淳之介さんの話(詳しく言うと、吉行淳之介さんが輝峻康隆さんから聞いた話)としてブログにも
書いたことがありますが、

当時の遊郭太夫(遊女の最上クラス)と付き合うには
四億くらいのお金が
常時回転していないと資格がない、
太夫の下の位(関西では天神)で
一億七千万から八千万くらいらしいんです。
(吉行淳之介さんの話が1970年代なので、
現在はその1.5倍くらいになると思いますが。)

西鶴も富裕な町人の出身ですが、
さすがに太夫を買うことができるようなレベルではなく、
一種の幇間的な側面を持っていて、
馴染みの金持ちと一緒に行動することで
遊郭の最上級の部分を
見聞きすることができたみたいなんですね。

まぁ、当時からそういう側面について
批判を受けることもあったようですが、
西鶴自体はお酒も飲まず、
宴会の席で乱れるようなことは決してなかったと
言われていて

西鶴としては
おそらく冷静に
遊郭と、それを取り巻くきらびやかな世界の表と裏を
目に焼き付けて
それを作品に反映させていったようですね。

西鶴
奥さんが死んだあと、
出家までして
現世とは縁を切っているので、
遊郭という世界で起きることも
自分とは全然別の世界の出来事として
割りきっているんだと思います。

だからこそ、
それを「源氏」に見立てて
フザケられるんだと思うんです。

まぁ、いろいろ付き合いがあって
西鶴自身の思惑とは
別のところを書いている箇所もあるんじゃないかと思いますが、

「一代男」で言うと
名伎列伝あたりのところとか
結構リア充臭いというか
付き合いで書いてそう
みたいなのは感じます(笑)

浮世絵とかも
時代が下っていくと
「どこそこの茶屋の娘」
とか
代わり映えのしない
インスタの素人投稿の自撮り画像みたいになってきて
かなりリア充臭くなってきて
パターン化して
つまらなくなってくるんですけど(笑)

それと同じで
名伎列伝とか
遊女列伝の類いも
時代が下ると
だんだんただの宣伝みたいに
なっていくんですが、

西鶴の書く名伎列伝は
一応、ちゃんとした
筋立てがあって
遊女の心持ちなんかも
しっかり書いてはいます。

でも、まぁ、
付き合いで書いてそう
ていうか
書かざるを得ないという
雰囲気を感じる箇所は
多々あって(笑)

だから、西鶴の作品は
「一代男」以外は
西鶴が書いてないみたいな説があるのも
頷けますけど、

おそらく西鶴の本領は、
浮き世に生きる人間達のリアルであって、
そこには「好色五人女」のお夏、清十郎だったり
八百屋お七だったり

近松の心中物に通じるような特に男女の色恋沙汰の部分じゃないかな
と思ったりするわけです。

八百屋お七の話にしても、
当時、火付けというのは死罪に相当するわけですが、

一方で、度重なる火災によって
丸儲けした某材木商が
遊郭で文字通り金銀ばら蒔いて豪遊する様子
(↑現代のコロナ禍の時期に
何故だかリニューアルしている一部飲食店と
官公庁関連施設からの需要で丸儲けしている建築業者みたいな感じですね)を
目の当たりにしている西鶴だからこそ
発想し得た

社会と対峙すべき命懸けの悲恋の物語であり、

浮き世の表と裏の人間模様
すなわち
人間とは一体何なのか
という
俗世を一歩離れた地点から
見据えた
人間の悲喜こもごもであるわけなんですね。

冷静かつリアルなんですけど、
古来から続く
人間の情の世界は
脈々と受け継がれているという。

だからこそ、
町人気質というか
人としてのプライドというか
日本のひとつの文化としての衿持を感じるのだと思います。

まぁ、当時の町人層自体
権力者のお上とは
対峙する存在なので、
西鶴もなんでもかんでも社会的に対峙している
ってわけではなくて、

そういう階級的な対峙からも
一歩離れたところで見ているので、
町人の中にもいろんなやつがいて
男や女の中にもいろんなやつがいる
ってことです。

なので、「源氏」の頃の女性達(女性というだけで生きていくことも困難であるという時代)とも
違うわけですし、
別に西鶴フェミニストってことでもないです。

(こうやって歴史的に見ていくと、
現代の似非フェミニストの人達が
いかにどうでもいいことを言っているかが
わかるのも面白いですよね(笑))

そんな感じで
西鶴翁も「源氏」のシークレットモードを
コンプリートし、
「好色モノ」というジャンルまで確立した超絶マニアであることは
間違いないということを
述べさせていただきました。(笑)

ちなみに、
好色一代男」の
十六歳 女はおもはくの外
    京川原町(かはらまち)の事

では、

世之介が
二人の子持ちの奥さんに
言い寄ろうとして
割木で眉間をしたたかに叩かれる話が
出てきます(笑)

挿絵は思いっきり後頭部ですけどw?


(なんかすごいブレてるんですが。(たぶん嫌がらせ(笑))

窓から差し出されたのが
夕顔の花じゃなくて
手頃な割木っていうね(笑)

西鶴翁からも
京都河原町付近では
おしおきだんべ~の教育的指導が(笑)

ね?

だから一緒なんだってば(笑)


ということで、

西鶴翁のマニアぶりを拝見したところで

西鶴の時代と
現代との時代的スパンの話を
少し書かせていただこうかと。

西鶴の時代は
貨幣経済への転換の時期でした。
租税などの公的通貨は
いまだに石高(米)でしたが、

通貨を流通させることで儲ける仕組みが
町人レベルでは整いつつあった
という時代です。

と言っても、
それは一部の豪商の間での話です。

特に、慶長小判(金)の海外流失に伴い、
西鶴の死後、数年後には
幕府は貨幣の質を落とす策に打って出ます。

この時期と
現代をシンクロさせて
考えると、

つまり
貨幣自体は出来ていても
それを制御するシステムが
確立していないために、
一部の人達だけに
富が集中するという格差が
生じているということです。

現代では、
電子マネーという
通貨はあるけれども
安全なシステムが整備されていない
っていうのと同じですね。

そのシステムの抜け穴を利用して
ガラの悪い人達だけが
儲かっている
っていう。(笑)

以前、述べた通り
現代の日本では、
電子マネーを流通させる
安全なシステムを確立する技術も人材も
90年代から2000年代初頭にかけて、
日本の国や企業の中枢からパージされて

特に技術に関しては
全て海外にほとんどタダ同然の形で
流出していて、

現時点までにそれらを難なく入手した
あんな国やこんな国が
既に自分達のものとして活用し、
どんどん電子マネーを集めています。

まぁ、店のレジとかやってても、
普通にペイ○イとかで
支払う人達が多いけど、
あれ?ペイ○イって
日本の企業だっけ?(笑)
って感じなんです。

こんなんじゃ、日本の銀行にも
お金が集まらないはずですわ。
(今、銀行はNISAとかで必死にお金を集めようとしているみたいですけど、
無理ぽよでしょ?)

まぁ、以前述べた様に
一部都銀はここ数年で通信業者と連携し出しましたけど、
所詮業務提携であって
自社内で優秀な技術者の確保や安全な自社システムを確立できなかったことに対する
弱味は今後明白になってくるでしょう。
このまま行くと
本当に日本の銀行潰れるよ?
って感じなんです。

みんなが
ブロックチェーンとかまで
やりはじめたら
日本の通貨(円)すら
いらなくなるかもしれないし。

一体どうなるんですかね?

近いうちに
その結果がわかると
思いますけど。

まぁ、時代的スパンの話で言うと、
近いうちに黒船みたいな
何かが来る(笑)

今度の黒船は
アメリカとは限りません。

電子マネー
江戸の通貨と違って
異次元の通貨なので(笑)

異次元の世界から
黒船的なものがやって来るのではないかと
思っています。

今後の展開を
見越して
歴史的トピックを
おさらいしておくと、

江戸幕府崩壊後、
日本は近代化の道を進もうとしますが
帝国主義に走り、
世界戦争が起こります。

今度の戦争の
規模がどれくらいのものなのか
わかりませんが
とりあえず
行く末を見守るしかない
って感じですかね。

今年の江戸期との
シンクロはそんな感じでしょう。

まぁ、他にも
これからも末期感は続くので
日本政府による情報統制などは
ますます厳しくなるでしょうけど、
厳しくなればなるほど
市民の反発も強まって
逆効果になるわけですが、

いつの世の政府も
わかっていながら
そうしてしまって
土壺に陥るという
毎回同じ結末になるとは思います。

今回の時代的シンクロについて
みなさんの
予想はいかがでしたか?(笑)

巷の噂アンケート結果によりますと、
江戸期とシンクロというのを
家康の出身地、駿河に重ね合わせた人が
多かったみたいですが。。。

うーん
どうでしょう?

まぁ、
鳴かぬなら鳴くまで待とう
ホトトギス
って言うのが

今の時代
いいのか
悪いのか
って感じですけど。

コロナ禍で
追い詰められて
ポシャった人達の
今後の再起があるのかどうかは
微妙です。

あとは、
中部地方の企業、
すなわちト○タの一人勝ちという予想をしていた人達を
多く見かけましたが(笑)

思うんですけど、
少し前に
ト○タのCMに社長自身が出たりしてたじゃないですか。

あのCMって誰得なんだろう?
ってぐらいに
むしろ企業イメージを下げてましたよね?(笑)

たぶん
昔流行ったジョブズのデモンストレーションみたいな感じの
アメリカちっくなプレゼンテーションをイメージしているのかな
という推測(←笑)はできるんですけど、

どう見ても、
夢グループの社長とか
ジャパネットたかたの社長みたいな印象しか持てないっていう(笑)

まぁ、今は
CM自体やっと変わってるみたいですけど。
(結構、気づいてやめるまで長かったよね?(笑))

会社的にはト○タも
今後ゆっくり下降線かもしれないと
予想しているんですが、

今のところ
自動車産業の需要は
まだあるんで
明白な落ち込みが
見られないだけだと思いますけど、

本業以外に手を広げすぎて
ダメになった企業が
多くあることは
過去に見てきた通りです。

まぁ、日本政府とがっつりな企業は
どこも、今後の日本政府次第なわけなので
日本政府がポシャったら
自動的に破滅なことは間違いないですよぬ。

しかも、寄生虫
食いまくられてるところも多いし。

日本における資本主義経済自体が末期なので
ポシャる可能性は大です。

自由競争が阻害されるというのは
資本主義経済にとって
致命的ですからね。

そんな感じー。

というわけで
西鶴翁のマニアぶりのお話と絡めて
前回のEaster関連記事からの
引き続きで
今年の時代的スパンのシンクロについて
書いてみました。

(こっから、7/6追記。↓
間で仕事が入るので
こんな感じで
飛び飛びになってます。(笑))

さてさて、
もう、二、三人ほど
「源氏」の超絶マニア(シークレットモードコンプリートクラス)
について
ご紹介しておきましょうか。

超絶マニアエントリーNo.3

言わずと知れた
本居宜長氏です。

彼をおいて古事記の緻密な分析による
古代の解明はなかったでしょうし、

その古代研究の一端として
の「源氏」研究において
もののあはれ」という概念が
思想という形で近世以降の世界に
紹介され広くゆきわたったことは
彼の素晴らしい功績であると
思います。

以前も書きましたが、

宜長氏の古事記研究は
細密過ぎて常軌を逸しているレベルなんですが、

まぁ、ちょっと「古事記伝」を読んだだけで
彼の「言葉」に関する異常なまでの緻密な徹底ぶりと
記憶力、網羅性、忍耐強さが桁外れだと感じるんですけど、
それを34年も続けて
ついに完遂するというのは
やはり、驚異に値するというよりタダ事ではないです。

ただ、宜長先生は
全く下ネタをお書きにならないので(笑)

人間世界を語るのに
下ネタを語らないのは
ちょっと片手落ちであって、

結果、論の偏りや不完全性が見られるのは
残念なところです。

(あれだけ緻密なのに、肝心な箇所で私感により
選択肢を切り捨ててしまっているところは
やはり研究者としては
完璧ではないと言えます。)

もともと宜長先生は、
賀茂真淵について国学を本格的に学ぶようになったきっかけとして
間淵の「冠辞考」をおもしろいと思ったから
ということなんですが、

要するに「冠辞考」というのは
歌の枕詞なんかについての考察であるわけで、

このブログの記事の最初の方で紹介した
「しのぶもぢずり」が何故「乱れ」につながるのか?
みたいなところを
詳細に調べてあるんですね。

真淵に限らず、
近世の学者達はやはり
皆熱心にこれをやっています。

何故ならば、それが
古来から続く和歌の秘密を解明するために
必要な作業だということを
皆、直感的にわかっていたからであり、

宜長先生も動機としては
同じなんですが、

宜長先生の異常なまでの細密ぶりと
それが、「源氏」「古事記」にまで波及して
一大古代研究として
まとめられたのは
確かに彼の偉業ではあります。

ですが、やはり34年っていうのは
長すぎっていうか(笑)

たぶん最後の方では
それを終わらせることだけに意味がある
みたいになっていってたんじゃないかな
っていう。(笑)

人間年を取ると
だんだん頑固になっていく人もいますし、

だから、
研究としてはどうかなー
っていうところが
多少見られます。(笑)

宜長が古事記の研究を始めるにあたり、
宜長の熱心さに感心して
真淵が自身でまとめていた
古事記についての
訓や注釈書を宜長に与えたりしていますが、

そのときの真淵の書も
神代あたりまでをまとめたもので
それ以降については
なかったか
ごく簡単にまとめたものだったみたいで、

そういう意味では
真淵の方が
ポイントを押さえている感じがします。

まぁ、研究は
長い時間をかけて
細密にやってればいい
ってわけじゃないっていう(笑)

でも、宜長先生の分析力は
私感の入らない
特定の箇所は
恐るべき威力を発揮していて、
この間何気なく「古事記伝」に付帯している
「三大考」
(→古事記の神代巻の最初に出てくるいわゆる国生みについての箇所を図示したもの)
を見ていたときに、


この図って
何かに似てるよなー
と思って、

そうだ!
ヒトの細胞分裂のモデル図だわ!
と 気づいて(笑)

例の
「くらげなすただよへるなかに」
みたいなところが
細胞分裂のときの
染色体がぽつぽつと出てきているところみたいでしょ?(笑)


(なんかすごいブレてry


(若干調整したら治った。(笑))

もちろん、
宜長の時代には
DNAの存在も何も明らかにされていなかったわけで、
もし「古事記」に書かれた「国生み」が
細胞分裂とほぼ同じ過程をモデル化できるとすれば
恐るべきことですよね。

要するに、
この世界は
ヒトが誕生するときと
ほぼ同じ過程を辿っているということが
日本の有史以前の書物に
書かれているということになります。

もちろん、それをモデル化したのは
宜長が初めてということになりますが。

しかも、宜長は、
古事記に流れる神的概念は
仏教その他の外国の悟りを開くための宗教とは違って
普遍的な世界の理であると
断言しているんです。

まさに近代の科学者的な
態度を持って
世界の普遍的な真理の追求を行っているんですね。

そんなわけで、
古代文献をまさに顕微鏡でひとつ残らず見たものを
記録したような
古事記伝」なわけでありますが、
ヒトの気持ちが
顕微鏡でわかるわけではないので(笑)

そのあたりが宜長先生の弱点とも言えるでしょう。

だから、
その点を含めて
秋成なんかに批判されたりも
するわけですが、

その秋成もまた
「源氏」の超絶マニアと考えられるわけで(笑)

ということで、
超絶マニアエントリーNo.4は
上田秋成氏です。

氏の怪奇モノは
実に近代に及ぶまで
日本人に多大な影響を与え、

現代の日本人が考える
怪奇モノは
だいたい秋成風味なんですよね。

怨霊とかね。

秋成氏の著作「春雨物語」に出てくる怪奇物語を読めば
だいたい現代の怪奇モノのルーツを辿れるという。

そして、
この「春雨物語」のルーツは、
「源氏」に辿れるのではないかと
私は見ているわけです。

まず、「春雨物語」で有名な
「吉備津釜」ですね。

これは古来の風習として伝わる「釜」にまつわる神事で
凶と判断された新婚二人が
その占いどおりに夫の裏切り行為により破綻して
死んだ妻の怨霊が夫を襲う
という話です。

描写がかなりグロいです(笑)

このブログ記事を読んだ皆様には
もうお分かりかと思いますが、

「釜」→「女の怨み」→「霊」とくれば、
霊→妖しい女→塩釜(某院)の夕顔巻
ですね。

先に、夕顔巻の妖しい女(霊)を六条さんと混同する人達がいると書いたのは
秋成の「吉備津釜」の話と葵巻の六条さん(生霊)を混同している人達が
多いからじゃないかな
と思うんですけど、

キーワードの「釜」の部分があるので、
夕顔巻だと思います。

で、
荒れ果てた屋敷(某院→河原院)と
妖しい女(霊)というのは、

先にも述べましたが
秋成の「春雨物語」の中の
「浅茅の宿」という話とも
ほぼ同じなんですね。

なので、
秋成もまた「源氏」の中の
今昔につながる人の想いと
とりわけ
霊などが存在する異世界と人間世界との交わりに
(一部超時間的な世界)
深い感心を持って、

その世界を彼の独自の観点で
再構成しなおしたのだと
思います。

だからこそ、
春雨物語」の中心となる
真名手児女(蛇)の話は、

すなわち人間と人間以外の(もしくは異世界の)存在との交流(恋愛)を
描いており、

個人的には
葵巻のAnother END とも解釈できると思っています。
(すなわち葵巻で、ヒカルくんが葵ちゃんとのリアル世界を選ばずに、
生霊の六条さんを選択した場合のストーリー設定。)

ちなみに、真名手児女の話は、
能の「道明寺」の清姫安珍の話を下敷きにしているとも
思われますが、
むしろ、古事記に出てくる
三輪山神話(毎晩通ってくる貴公子が蛇だったという話)
のほうだと思いますね。

要するに
古代に遡れば遡るほど
人間の実存する世界と
それ以外の世界との境界線が
曖昧だったのかもしれないということと、
そういう意識が
日本の近世期(江戸まで)の人々の中に実感としてあったのだと思います。

そういう異世界との融合を
初めてはっきりと記したのが
「源氏」だったということだと思います。

そんな「源氏」に影響を受けた秋成氏が
春雨物語」の最後に描いたのが
「夢応の鯉魚」という話です。

あるとき、病気の老人が
ふと気付くと池の鯉になっていた
という話です。

池の中の魚として過ごすうちに
いつしか捕らえられて
まな板の上に乗せられたところで
目を覚ますのですが、

ちょうどそのとき、
老人の家の調理場のまな板に
鯉が乗せられていて
慌てて止めたという話。

空間と時間
そして、己の存在が
人間界やそれ以外の世界で
錯綜する
秋成が描いた世界の極地なんですが、

なんとなく
「源氏」の「夢の浮き橋」を匂わせている感じがします。

秋成の考える「夢の浮き橋」というのは
ヒカルくんの夢オチだったのかも?(笑)

うーん、マニアック(笑)

秋成のこの世界は
例えばカフカの「化身」もそうですし、
実は、私達が生きているこの世界の
普遍的真実を示しているとも言えます。

あとね
あんまり関係ないんですが、
「夢応の鯉魚」で思い出したんですが、
私が小学生時代に
ぽっぺん先生シリーズっていう本があって
家に、「ぽっぺん先生と帰らずの沼」があり、

ぽっぺん先生
生物学者なんですけど
その本でぽっぺん先生
いろんな動物に姿形を変えて

私は
その本で
初めて食物連鎖というものを理解したんです。

なかなか
分厚い本でしたけど
一気読みして。

面白かったなぁ。(激懐。)

少し話がそれました(笑)

日本において
「新古今」で確立された幽玄の世界と
時代的背景を考えてみると、

その後の
日本における新興宗教(特に日本的な仏教の開宗)が
多く興り、

そのほとんどが
現世離脱、極楽往生を願うものであったことも加味すると
(後世これらは現世利益を求めるものに変化するが)、

末期的な世相では
古代から伝わる日本人の奥底に根付いた異世界の入り口が
開くというような印象ですね。
(江戸末期の「ええじゃないか」も同様。)

だから、
90年代末期から
ネット上で末期思想が出てきたことと
時代的にも末期感があり
今もそれが続いているということと

それが、ネット世界というリアル世界とは異なる
異次元の世界でありつつも、
ネット世界とリアル世界とが
融合しつつある点が
今までと違うところかな
と。

そんな感じで
ひとまず
超絶マニアエントリーNo.4まで書きましたが、

有名どころを挙げてみたので
わかりやすかったと思いますが、
それくらい
実に日本の多くの人達に
「源氏」や「源氏」の体現する世界が
大きな影響を与えてきたと言えます。

そして、それぞれ考え方は違っても
それらを内包できる懐の深さが
「源氏」の世界にはある。

それが
日本の人達の根底に流れる
日本人としての意識であり
文化であり、歴史であると
私は思うわけです。

近代以降も、
例えば、樋口一葉の「たけくらべ」は

「伊勢」の筒井筒の
「くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎて」

に由来するものであったわけですし、

夏目漱石
「吾が輩は猫である」の猫世界の設定は、

秋成の
「夢応の鯉魚」と同じであるし、

芥川の「河童」も
漱石を受けていると言っても
過言ではない
と。

現在の日本人は
そんなことさえ
知らない人がほとんどで、

一葉、漱石の紙幣も
もはや、姿を消しつつあり、

今後は、

明治成金、帰国子女、赤痢菌(先進国中心のノーベル賞つながり)

に変わるそうで(笑)

それも含めて
今後の日本は
なんだかなぁ┐(´д`)┌
という感じです(笑)

思えば、
十円玉の裏には
平等院鳳凰堂があるのだ。

当時のセンスのいい
造幣局の方に敬意を表して
今のうちにきれいな十円玉を
いくつかとっておくことにしよう。


ちなみに、
映画の「陰陽師Ⅱ」に
清明の敵役で
幻角という妖術使いが出てくるんですけど、

幻角は、普段はその妖術で貧しい人達の病気に治療を施したりしていて、

その背後で
過去に一族を根絶やしにされた怨みから
朝廷を呪詛するという役なんですが、

まさに平安期の朝廷側から見た典型的な敵役で(笑)

しかも、この幻角が妖術を使うときに塩釜っぽいのを
使うんです(笑)

まぁ、映画の設定が
何故だか(わかりやすいからか?)
根絶やしにされた一族を出雲族に置き換えて
しかも無理やり古事記の神様の名前を使って登場人物を作っているので
専門的な視点から見ると
ひっちゃかめっちゃかなんですけど(笑)

でも、なんとなく
いろんな要素をおさえてあるので
ある意味日本的だな~
と(笑)

しかも、その映画で萬斎さんが出てきて舞を舞った
その十年後くらいに
オリンピックで
弓弦くんという名前の人が
氷上で清明を体現して、
そのあと鬼退治ブームが起きるとは

日本って
ある意味昔から変わらないんだな
と(笑)

ほんと、
リア充の人達がやっていることは
毎回同じことの繰り返しっていうね。

その流れでの
例の「鬼滅」なわけなので
日本人って
どうしてこうも
飽きもせずに同じこと(しかも間違っている)を
繰り返すのかなぁ
と(笑)

しかも、全然おもしろくもなんともないんですけど、

いつの時代も
悪いことしている人達には
目先を反らすための
仮想敵(鬼)が
必要だったんでしょうね。

弓弦くんって
最初見たとき
「ほんとに本名か?」って思いましたけど(笑)

弓弦と言えば
「梓弓檀」で既に今回の記事でも出てきましたが、

「梓弓」と言えば、
「伊勢」ですね。

あづさ弓ま弓つき弓年を経て
わがせしがごとうるはしみせよ

です。

なので、
「源氏」の夕顔にも出てくる後世(平安時代以降)の
悪霊退散の破魔弓とは
本来はちょっと違うんです。

だから、平安期に入って
古代から続く氏族達を排斥して
怨みを買っている自覚があった藤原氏の一部(朝廷権力独占組)が
古来から伝わる弓を逆に
怨霊対策として利用したのかしらね?

まぁ、よくわからないことをする人達のことは
理解できませんけど(笑)

要するに
自分達の罪を恐れて
鬼や悪霊を仮想敵に仕立てて
怯えながら生きている
現代人(の一部)と同じです。

上記のあづさ弓の歌の意は、

私が愛したように
人を愛してください

って意味です。

鬼退治と
全然逆でしょ?(笑)

昭和期には
「まゆみ」さんっていう名前の女の子が
多かったんですけど、

上記の檀(まゆみ)から来ているんでしょうね。

おそらく、愛し愛される女の子に育ってほしいという
両親の願いが
こめられているのだと
思います。

ゆづるくんも
世界中の人達から
愛される存在だったのに、

変な人達に目をつけられたばっかりに
変な役回りにされて
とんだ災難でしたよね(笑)

今後は
気をつけてくださいね。

(って言っても
もう遅いかもしれないですけど。)

てなわけで、
だいたい
日本を牛耳っている人達のやってることは
昔から変わらないってゆーか、

それもまた
世界の普遍的な真実なんですよね。

で、それとは別に
正しい人々の想いも
形は変わりながらも脈々と受け継がれていて、

今後もそれは変わらないと
信じたいところですが
どうなることやら(笑)


実は超絶マニアの紹介のところで
芭蕉とかについても書こうかな
とか思ってたんですけど
さすがに長くなりそうなので
やめておきましたが(笑)

芭蕉の場合は俳句ですけど、
要するに上の句に含まれていたところは
大前提としてバッサリと捨て去って
メノマエだけを詠むっていう。

古代からの和歌を見たあとに
芭蕉を見ると
すごいわかりやすいですけど、

実は背景にいろんなことがあって
句にはメノマエの削ぎ落とされて洗練された具象しか存在しない
という

本当はある意味高度な解釈が
要求されるわけですが。

まぁ、「奥の細道」自体が
歌枕を巡って
古を辿る旅なわけなので
それを頭に入れて読む必要があるわけです。

もともと
芭蕉俳諧の師は
例の「湖月抄」の北村季吟先生ですし。

芭蕉の辞世の句で

旅に病んで
夢は枯野を駆け巡る

というのも

「夢」っていう言葉の意味が重層的であるのは
今回この記事を読んだ人達にはわかるかとは思いますが。

実は、私も今回気づいたんですが
「枯野」っていうのが
なんで「枯野」なのかな
っていう。

古代に
「枯野」っていう船があったんです。
どんな場所(空間)をも行き来する船で、

その船が古くなったので
壊して、
その木で琴を作ったら
どこまでも響き渡る琴になった
という伝説があるんですけど。

実は、その「枯野」の意味を含めているのかな
と。

夢の世界では
自分は
縦横無尽に突き進む船
なのだと。

そして、
その世界が
ずっと
今後も続いていくことを
願っているような。

自分は、その世界を伝え
残す琴のように
なりたかった
のだと。

この句は、
本当は
辞世の句ではないらしいですけど
芭蕉の辞世の句として
ふさわしいとして
当時の人達が芭蕉の意を汲んで
残したのでしょう。

最近、見かけた論で
芭蕉の自跋に
自分の経歴として「病弱」
みたいに書いているのを
真に受けて
芭蕉は実は病弱だったようだ
みたいなことを書いてる人がいましたけど(笑)

跋文っていうのは
本を記念して誰かに書いてもらったりして
著者の人となりが書かれてあったりするんですけど、

おめでたいことなので
結婚式のスピーチ並みに
だいたい良いことばっかり書いてあるんですが、

逆に自跋(自分で跋文を書く場合)は
自分のことを謙遜したり、
卑下したりすることが多いんです。

だから、前述の「病弱」説の人が挙げてる箇所も
そのあと「無学無能で」みたいな文が続くんです。

だから、それを真に受けて
芭蕉って病弱で、無学無能だったんだ~
とか普通思わないはずなんですけど(笑)

最近の研究者は┐( ̄ヘ ̄)┌

あり得ねw

ほんと、現代コミュニケーションから
やり直したほうがいいよな(笑)

あと、近世の戯作者達も顕著なんですけど
老人は病気ネタが好きです。
自分は痔がすごいとか
性病がどうのこうのとか
だいたい下ネタに近い自虐ネタ満載ですからね。

まぁ、現代の老人も病気ネタ好きじゃないですか。
健康な人ほど
やれ、あの病気にかかったのどうだの。
最近は健康志向がすごすぎてあんまりネタにならなくなってきましたけど、
ひと昔まえまでは
結構普通だったんですけどね。

私も、たまに
頭が中耳炎でとか書いたりしますけど(笑)
(昔、岡田あーみんさんが
「昨日から胸が膀胱炎で」て書いてたと思う。)

わかりやすく言うと
そんな感じなんですけど、
普通に冗談ですよね。

ていうか、
芭蕉とかあの年で
徒歩で
東京から東北まで行って帰ってくるわけなので
健康っていうか偉業ですよ。(笑)

なので、
前にも書いたことがありますが、
芭蕉忍者説(←伊賀出身なので(笑))もあるくらいなのに(笑)

それもわからないレベルとか
話にならんし。

ほんと
大概にしとけよ
みたいな。

芭蕉の情熱は
まさに超人的ですよね。
特定の分野で驚異的な力を発揮するヲタの凄さというか。

精神が肉体を超え始めたか。。。?(安西先生@スラムダンク)

みたいなね(笑)

それがヲタの力☆


というわけで
なんだかんだで
芭蕉のこともちらっと書きつつ

なんと奥の深い
古典の世界であることよ
と。

そんな感じで
本当にお開きにしたいとおもいます。

今回、仕事の合間を縫って
ちまちまと書き続けて

もう七夕ですからね。

最初、5月の下旬あたりに
とりあえずアップしなければ

気持ちが焦ったりもしましたが、

とある日
八雲立つ現象を目撃しまして、

例の

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに

の歌の意味がわかり、

合点して
この梅雨の間は
休みの日は籠って
少しずつブログを書いていた次第です。

思うに、
ジューンブライド
6月の花嫁なわけで。

6月って
昔風に言うと、新婚初夜を迎える人が多いんじゃないですかね。
日本でも昔から
田植えの季節ではありますが、
命を込める
種付けの季節だったのではないかと。

雨は生命を育て
世界の境界を曖昧にするわけですが、

実世界においても
秋の収穫時期を経たあと
冬籠もりになるので
妊婦もゆっくり休めるでしょ?

そうすると
計算上、
十月十日で
生まれるのが
三月から四月頃
つまり、
イースターの季節に一致するという。(笑)

まさにタイムリーな話で
お開きにしたいと思います。

ちなみに
本居宜長先生は
八雲立つ」の歌は
断じて''秘め事''のことではない
とおっしゃっておられましたが、
宜長先生は下ネタを
お書きにならないのでry(笑)


さてさて、
この記事をアップしたあと
ちょっとおやすみして
(気分は夏休み?(笑))
次回の記事のアップは、
9月か10月になると思います。

次回は、4月に行った京都旅行の現代リアル編を
書こうかなー
とか思ってますが、

予定は未定であって決定ではないという(笑)

京都旅行は
なんやかやありましたが

まぁ、宇治に行けたから
別にいいよ
っていう。

コロナ禍のせいなのか
どうなのかわかりませんが
前回京都へ行ったときとも
だいぶ変わっていて

応仁の乱の後のような印象さえありましたが(笑)

宇治の駅前のお茶屋さんの老舗が
ファミレスみたいになっていて
注文はQR読み取って自分でやれ
みたいなことを
アルバイト店員風情に言われて
メニューだけ投げ渡されたんですけど、

メニューを吟味しても
ファミレスみたいだったので
何も注文せずに
さっさと出てきましたが(笑)

でも、
ひとつ、ふたつ通りを外れて
散歩がてら
歩いて見ていると、

老舗も残っているところは
残っているもので

とあるお茶屋さんの老店主に
美味しいお茶の入れかたまで教わって
素敵な宇治茶(玉露)を買い求めることができました。

良い年齢を重ねたと思われる
いぶし銀の店内も拝見して、

ふと店主の指差す方向を見ると
なんと内国博覧会の出展証が!

なまじ江戸創業とかの触れ込みの老舗よりも
内国博覧会時点で
京都のお茶屋さんの代表の証が
さりげなく置かれているほうが
凄いってば(笑)

実は凄まじい歴史をお持ちの
お店でした。

昔から
雨の日も、晴れの日も
変わらずに店主自ら店先に立ち
お茶一筋に打ち込まれている
様子に敬意を抱いて
店を後にしたのでした。

さすが
プロよのう。

そういうお店が
京都にはまだまだたくさんあるようで。

恐るべし、京都。

てな感じで
次回詳しく書けたら書きます。


つーわけで、
今回はここまで。

京都時空編含め
今回の時間と空間がキーワードとなった
今回の記事いかがでしたか?

ちなみに
式部女史の有名な歌、

めぐりあひて
見しやそれともわかぬまに
くもがくれにし
夜半の月かな

この歌の意味は
もちろん
「訪ねてきた友人に対して詠んだ歌」を
そのままに解釈するのではないことを
もう、おわかりだと思いますが。

この歌はおそらく、

「伊勢」の

君や越し
我や行きけむおもほえず

夢かうつつか
寝てかさめてか

を踏まえているんだと
思うんです。


時空を行き来できない
現代人に
捧げて。

夜、
7月6日から7日へ
日付が変わったとき、

ふとベランダに月明かりが射していたので、

出てみると
梅雨の合間を縫って

月が出ていました。

すぐに雲に隠れてしまいましたが。

まさに
雲隠れにし夜半の月かな


今から千年ほど前、
式部女史も
こんな月を見たのでしょうか。


最後になりましたが、

私が最初に
「源氏」の本文に触れるきっかけとなった

円地文子さんに
御礼申し上げます。

円地さんの家には
幼少の頃から
本がたくさんあって、

病気の度に
寝床で繰り返して読む本のひとつが
「源氏」だったそうです。

「源氏」を読むたびに
なにかいつも新しい発見があるとのこと。

私は「源氏」に限らず
本を読みなおして
何か新しいことがわかるたびに、

円地さんのこの言葉を
いつも思い出します。

円地さんの経歴を
今改めて見ると、
上田万年氏(日本で言語を勉強している人間なら
知らない人はいない大御所)の
娘さんだったんですね
とか
いろいろと感無量ですけど。

どうりで家にたくさん本があるわけです(笑)

円地さんも
旅行がお好きで
よく京都に行かれていたそうです。

そのときに
いつも文庫本をいくつか
手に携えてゆくそうで。

「源氏」の口語訳の際に
失明しかけて
手術されたとき、

にもかかわらず
口語訳が嫌だなと思ったことは
一度もなかったそうです。

(ただ、失明したら
京都に旅行に行けなくなるかもしれないのが
残念と思ったとのこと。)

さすが超絶ヲタ(笑)

私が読んだ
円地さんの「源氏」の口語訳の経緯についての
あとがきは

次のような
「源氏」のヒカルくんが晩年に漏らした言葉で
締め括られていました。

円地さん自身が
年を経るにつれ
同じ想いを感じるのだそう。


さかさまに行かぬ年月よ


ヒカルくんによると
タイムマシンは
できないっぽい(笑)

事実、人類は
いまだに時間を遡ることは
できない。

でも、

だからこそ
私達は
時空を旅する手段を

たくさん持っているとも
言える。

そして、
そうやって

私達は
時空をつないで
世界を作ってきたわけなのだから。


今回の記事の
タイトルは、007のSKYFALL

私がシリーズ中
一番大好きな作品より。

実はこのタイトルは
かなり最初の方で決めていて、

結果まさにぴったりだったなぁ

我ながら驚愕しております。(笑)


Skyfall Opening Credits (HD)

www.youtube.com


James Bond 007 Skyfall by Adele [OFFICIAL FULL MUSIC VIDEO]

www.youtube.com


ではでは、
また秋に!
(更新がなかったら殺されたと思ってください(笑))

またね~(*・x・)ノ~~~♪