愛を語らないHeine。2/2

以下、前記事(2/2)からの続きです。↓


実はつい先日家族旅行で長崎に行ってきまして。

去年の夏は
父の誕生日(7月)の名目で熊本へ、
私の誕生日(8月)の名目で鹿児島へ行きまして。

正直、夏の暑い時期にわざわざ南九州とか(;´д`)しかも車で。。。
と最初は思ったんだけど、

旅の仕切りは弟がしてくれて
弟の車で行きましたが

お天気も良く
高原は思ったよりも暑くなかったので
楽しい旅となりました。
(ドライブ中にかかっていた音楽があまり良くなかった話は前に書きましたが(笑))

やっぱり
ホテルがね。。。。

どちらも一泊一万五千円のホテルだったんですけど、

宿泊料金自体、
数年前(もちろんコロナ前)の相場の二倍くらいになってたんですが、

それでもこの部屋とこの料理でこの金額は高いな
と思わざるを得ませんでした。

確かに都市部のホテルと比べて広いし
たぶん比較的最近(数年前)くらいにリフォームした形跡があるんで
デザイン的には
写真でちょっと撮るくらいにはアラは見えない感じなんですけど、

壁が汚れていたり、大きな傷があったり
窓なんかに至っては
酷い状態(←古い上に清掃した形跡がない)で
せっかくの外の景色も台無しみたいな。

建物が古くても
お客さんが泊まってお金を払うんだから(しかもそんなに安くない金額)、
お客さんが泊まる部屋として修繕、清掃は
ちゃんとすべきというのは
最低限のことじゃないですか。

それを、しない・できないっていうのは
ホテルとしては論外だし、
そりゃあホテル自体も
老朽化する一方っていうのは
当たり前にわかることです。


今の人達って
やっぱり維持する能力がないんだなーと。

昔のホテルって
古いけどちゃんとしてるところはきれいに掃除も行き届いていて
それが安心して泊まれるホテルの信頼と品格だったじゃないですか、

そういう当たり前のことができる人材がいないんでしょうね。

だって、そういう仕事って
日々の積み重ねと努力と
それが可能な環境じゃないですか。

お風呂については
熊本のホテルは
高原にあってちょっとペンション風に離れたところに
露天風呂があって広くて気持ちよかったんですけど、

鹿児島の方は
最近良く見る
作り露天で狭い感じ。
(屋内の大浴場は広かったけど。)

あれなんなんでしょ?
どこに行っても
同じデザインの露天風呂。
景色もただの雑木林みたいな感じのときもあって、
温泉でもなかったら
何のための露天なのかという。

ホテルのオリジナリティーもないし。

料理のほうも
昔は和室の場合は大抵部屋食だったんですけど、

今は夜でも会場での食事で、
熊本のときは
フロアにいたおばさん(ホテルの人)が
やたら話しかけてきて
たぶん、そうしたほうがいいと勘違いをしているみたいで

ワタクシ的には若干うざく、

鹿児島のときは
ビュッフェ形式だったこともあったんですけど、

サービスクリエイターの人達が若い
見るからにアルバイト(しかも研修中?)ですか?
みたいな人達だったんですが、
そのアルバイトぶりが
ものすごい素人ぶりで
海の家のアルバイトですか?
みたいな感じ。

いや、海の家のほうが
むしろ手際はいいのでは?
という。

しかも、カクテルを頼んだら、
セルフサービスだったんです。(笑)

どこの居酒屋の飲み放題だよ?
と。
一応、ホテルなんですけど。。。(苦笑)


なんというか
昔だったら許されないレベル。
(ていうか今も本当は許されないレベル。)

何て言うんでしょうね。
農業高校の高校生とかが
何かを商品化したりして
それを大人が温かく見守るみたいなのあるじゃないですか
そういう子達が
そのまま大人社会に来ちゃった
みたいな。

こっちがお金払ってるお客さんなのに
なんでそんな子供の成長の見守りみたいなボランティア精神で
対応してやらなくちゃいけないのかな?
っていう。

テルマンも
旅館の人達も
いつの間にそんなに素人くさくなったんだろうか
みたいな。

でも、
そのときは
まぁ、田舎のホテルだからね
って思って
済ましたんですが、

先日長崎で泊まったホテルは、

もう7、8年くらい前になりますか、

このブログでも少し書いたんですけど、
中華街にランタンフェスティバルを見に行ったことがあって、
そのとき泊まったホテルと同じところで、

今回は母親の古稀のお祝いと弟の誕生日(どちらも2月)という名目で
1月下旬頃に急に行くことに決めて(宿泊日は2月下旬)、

前回泊まったときに
自分達が泊まったホテルの同じ敷地内にあって、
より高くて良いホテルがあったから
今回はせっかくのお祝いだからそちらにしようということで
ネットで予約しました。

後からわかったことですが、
前回泊まったホテルが旧館で、
それとは違うところで予約したら
それは新館だったらしく
さらに別に別邸みたいなのがあって
本当は別邸が一番高いところだったみたいです。

でも、旧館に泊まった際に
部屋がとても綺麗でいい部屋だったから
それと同等以上の部屋だろうと
思っていたのですが、

旧館は洋室に全てリフォームされていて綺麗だったのに比較して、
新館は全て和室なのですが、外観からとても古びていて
やはり壁に大きな傷や汚れがあって
客室の居間や掃き出し、トイレ付近は綺麗に掃除されていたのですが、
部屋についている浴室らしきところへ通じるドアの汚れ方が酷くて開ける気にも
ならなかったのです。

ほんとあり得ないくらいの汚さで、
一応洗面台の隣だったので
なるべく視界に入れないようにしてましたが。

なんていうか
あり得ないなぁ
と。

利用したのは大浴場でしたけど、
脱衣洗面所は比較的綺麗なものの、
浴室の洗い場とかは
やっぱり汚い。

ちゃんと掃除されていない気配が濃厚でした。

数年前、京都に行ったときは
二泊目に泊まったJR系列のホテルは
明らかに掃除自体がされていなくて埃だらけで激怒しましたけど(そのときは携帯がハッキングされてて裏でいろいろと操作されていたこともありますが)、

今回は明らかに一部(しかも浴室等の一番汚れが激しく目立つ箇所)やらなくていいや
っていう
誰判断なの?それは?
みたいな。

そういうことをやる
ホテルのあり得なさというか。

偶然なのか何なのか鹿児島のときのホテルと
今回のホテルは同じグループの企業になっていて、

前回長崎に泊まったときは
そういうパンフレットは見かけなかったので
その後買収されて経営者が変わったのかどうかは
わかりませんが、

とりあえず、
前回宿泊時より
料金は上がっているのに
質は落ちている。

全体的に見て
ホテル業界の変化は
低レベル化しているというか。

間にコロナがあって
打撃を受けたにしろ、
できる範囲でやるべき最低限のところができていない。

掃除の人員にかかる費用を減らして、
何故入り口付近にたむろする
ホテル従業員の分際で
コロナの接種回数について、
こちらが嫌な顔をするレベルで失礼なくらいしつこく聞いてきて、
医者でもないくせに独自の見解を吹聴するような
不必要なサービスをやるフロントマンがいるのか?
疑問が生じるのも無理ないと思いません?

そんなことされてるの
私だけなのかもしれませんが(笑)
(それ以降長崎での他人との会話は必要最低限にした私(笑))

いいホテルって
きれいな状態を維持できて
お客さんが普通に満足できるおもてなしできるノウハウをもっているはずなんですけど、
たぶんそういう当たり前のノウハウがない人達が
今、ホテルをやっているんだろうな
っていう。

仮にそれが私に対するだけの嫌がらせだったとしても
そういう嫌がらせに加担するようなプロ意識の低いホテルマンが
他のお客さんに対するサービスを公平に真摯にできるはずないと
私は思います。

そういう人達が
ホテルの仕事をするべきではない

思います。

そういう人達こそ
向いてないから
辞めた方がいいのに(笑)

接客業もそうですが
そういうノウハウって
経験によって培われるものが
あると思うんですけど、

経験というのは
だらだら長くいるだけでは
怠惰しか身に付かず、
きちんとした意識を自覚的に向上させていかないと
身に付かないもので、

今やってる人達は
全てにおいてそれが絶対的に足りないし、
たぶん自分でできているつもりでも
傍から見ると全然できてないってことなんです。

今の職場の状況も同じで
ホテルの人達って
常にスマホを片手に情報を得ているみたいなんですけど、
結局、周りが全然見えていないんですよね。

何がどう汚れているとか
お客さんが何をどう希望されているとかって
誰かが直接その現場を見ているはずですが、
(お客さんの言い分だけに振り回されているのも
現場でお客さんと直接話してさらにお客さんから第一報を受けた現場の人間と話してないからです。)
誰かがその情報をスマホで流してそれで問題が解決するはずないんです。
サービス業って。

だからネット上だけで
担当員がお客さんとやりとりしたりとか
従業員同士がやりとりしたって
全然意味がないんです。

ホテル内に外資風の経営理念みたいなのとか
どこかからかとってきたビジネスモデルの方法論とかを真似たような掲示物とかあって、
上層部はたぶんそれをやって会社を良くしている「つもり」なんでしょうけど
そんなバーチャルな話し合いだけで、
現実世界のホテルの現場が良くなるわけないですよ?

だから
現実世界で
ちゃんとしたノウハウを持たない、
人材を育てない、
環境を改善しない
どのホテルも
きっと二三年後には既に老朽化してます。

今って
上層部に情報が集約されていて、
それをアップダウン方式で
下へ流すってところがほとんどなんですけど、

たぶん情報を扱っている人間が
情報って何なのかっていうことさえ本当に理解していない
素人みたいな人達がばっかりなので、

情報の切り分けも下手くそだし、
情報分析するにも絶対的な現場経験が不足しているので
とんちんかんなデータ分析しかできない
っていう。

例の従業員と思われるロングstayの部屋の机の上に
たまにビジネス関連書籍とか置いてあるんで目に入るんですけど、

こんな本読んでたら
さぞ仕事できないだろうな
っていう表紙の(笑)

情報って
鮮度があって
第一ソースが一番手に入れるべき、
見て、触って、自分が確かめられる極上の情報なんです。

だから、それを
手に入れることができる人が
一番美味しいんです。

一つのメディアも
一人の人も介さないのが
本当の第一ソースですけど、

メディアが発達すると
第一ソースに触れる機会が
ほとんどなくなる
というのは
これまでもこのブログでも
書いてきた通りです。

ネットを通して情報を得ている人達は
みんなそうなんです。

だから
どんどん感覚が鈍っていくんでしょうね。
「未経験」なのに
「経験」した「つもり」になる。


ちなみに
「経験」が足りないと書くと、
勤続年数の話を持ち出す人達がいて、

私がいたホテルも
「勤続年数○年おめでとう!
」みたいな貼り紙が顔写真付きで貼ってあって
まじまじと見たことがありますが、
現場付近で見かけたことが
全然ない
っていう(笑)

従業員用エレベーターで
すれ違ったこともないし、
もしかしたら
私が従食室で休憩時間に
おにぎりを食べているときに
1、2回くらい
遭遇したかもしれないけど、
まぁ、こっちは「普通のお昼の時間」に休憩がとれることとかほとんどなかったし、
食堂にも、ものの五分もいないので
もしそこにその人がいても見てないときもあったかもしれないですね。
(一応、ぐるりと誰がいるか毎回確認はしてますが。)

ホテルの客室以外の
どこに閉じこもって
長い間どういう「経験」をされたのか知りませんけど(笑)

とりあえず
あれだけ
終日客室間を往き来しているのに
一度もお見かけしなかった
っていう話です。

どこの職場でも
こういう
現実世界と端末の中だけの仮想現実世界の解離が
甚だしくて
作業系の現場でも
顕著になってきてますね。

バーチャルの世界と
現実世界が解離していくんです。

このコロナ禍は
情報戦争だと書きましたが、

アヘン戦争に似ているな
と思いました。

一種の脳内麻薬ですよ。

健康な人達が
副作用があると知っているにも関わらず、
意味不明のワクチンを
健康な体に何度でも打ち込む、

それが
普通に考えたら
どれくらい恐ろしいことなのかわかるはずなのに
「情報」に踊らされて
みんな(ていうか標的にされた人達は)疑うこともなく
むしろ「正しい」と信じて
ワクチンを接種するんです。

副作用だってごまんとあるって話なのに、
ワクチンを打ったあと30分何もなかったら(←目に見える自覚症状のみ)大丈夫とか
頭がおかしいとしか(笑)

やり方だけ見たら
893さん達が覚醒剤で人間をダメにするやり方と同じなのにね?

かつて
大国であった中国は
アヘン戦争によって滅亡へと向かいます。

もし、
かつての中国をアメリカに置き換えて
まずはアメリカのお小遣い袋の日本を標的にする。

あるいは、

日本政府は論外ですが
電子国家として日本は実質
世界に先駆けている国でしたから、

その日本の電子市場を
まるごと手に入れたい
ということだったのかもしれません。
(手に入れたいと思っている人達が
どこの国の人間(もちろん日本人含む)であれ、
みんな自分達の利益のためだけに
日本の資源を食い潰そうとしている人達です。)

まぁ、結果今の残念な日本があるっていう。

大きな流れで考えると
そんな感じですが、

まぁ、底辺の方が暴れだして
劣化がさらに激しいっていう。

観光業の廃退は
その余波でしょうね。

価値観の転換
技術者潰し
企業潰し

計画に反対しそうな
人間達の排除

そういう人達を排除するために利用される人間達
或いは排除することにより浮かび上がってきた人間達

そいつらが暴利を貪った結果

って感じですか。

で、目につくところ
素人ばっかりになって
馬鹿がやりたい放題やってるっていうのが

今の日本の現状なのだと
私は思ってますが。

その流れをわかった上で
その身を任せて流されている人達も
みんな日本潰しの加害者です。

さて、卑近な例に戻りまして
ホテルの話です。

私がいた職場のホテルでも
たまに
掲示物でアップストリームっぽく
「現場の声」みたいなのが貼ってありましたけど、
いつもそれを見て笑ってました。

更衣室に髪の毛が落ちていて、着替えるときにそれが制服の裾に付くから困るとか
がどうのこうのとか
書いてあるの。(笑)
で、「対応完了日未定」
とか書いてあるやつね。
明らかに「形だけやってます」的なね。

内容もさることながら、
やってることは、
ほんと江戸時代の目安箱から
全然変わってないな
と。(笑)

江戸時代の目安箱は
結構命懸けだったみたいですけどね。
近代に入ってからの
田中正造天皇への直訴みたいな感じでね。

田中正造って知ってます?

昔、「道徳」の教科書にも載ってましたけど。
道徳自体知らないかもしれませんが(笑)

まぁ、私自身、
道徳を振りかざす人間とか大嫌いですけど、
テキスト自体はいろんな話が載ってて面白かったです。

小学生の時、
新学年になって新しい教科書をもらって帰ったら
その日のうちに
国語と道徳の教科書は
目を通してました。
(↑活字中毒だから。)

安倍元首相は「道徳」科目を復活させたがってたらしいですけど。

安倍元首相は
ガラは悪くない人だったと思いますね。

皇族筋の方ですし、
創○とかも嫌いだったとかいう噂もありますし、
だから、あんなことになったっていうのもありますけど。

自分達の利益がらみで集まってる組織とか団体さんって
実は絆とかゆるゆるで
内部でいがみあってることが多いと思うんです。

だから自民党内部でもいくつもの派閥があるし、
自民党と創○だって
本当は仲が悪いのは目に見えてるし、
むしろネット選挙が現実化した日には
操作とかいくらでも可能になるから
実際の頭数とか必要じゃなくなるし、
自民党が創○を切り捨てようかな
とか考えている可能性を
創○自身もわかっているので、
自分達の立場が失われないうちに
今は散々自民党批判やってるんだと思いますけど。

官庁の公務員は
言うに及ばず
みんな利権争いしてるだけで
誰も本当の意味で国政のことを
考えている人達とかいないんです。

まぁ、そんな中での
安倍元首相襲撃事件なので
以前ブログの記事で書いたように、
あれは選挙前のデモンストレーションで
安倍元首相を国政潰しの加害者から被害者にして
自民党政権への批判を反らしつつ同情票を獲得するという
見る人から見たれば明らかに
子供騙しみたいなもので、

でも、そういう子供騙しみたいなのに
騙されるんですよね。
今の日本人って。

ていうか、楽な方へ楽な方へ考えたがるのは
人間の性なんでしょうけど、

今のお年寄りとか特に
なるべくめんどうなことに関わりたくないし、
そういう状況に自分達が陥っているとか
考えたくないし認めたくないので、

だから新聞含めメディアで流される「日本政府の言う通りにしておけば間違いない」っていう
根拠薄弱なのに自分達が守られているかに見えるような甘い情報に
いつまでも依存してしまうんでしょうね。

コロナの場合だと
「お年寄りは感染のリスクが高いので優先してもちろん無料(←税金から出ているわけなので無料ではない)でワクチンの接種は可能」
とか言われたら
必死になって我先に予約電話に飛び付き、

回線がパンクして
当たり前に不準備と想定力の無さを指摘されて
自分達の能力を批判されたことに逆ギレした日本政府(無能ぶりはいつものことだから逆ギレする必要ないのに(笑))から
「ワクチンはなくならないので急がなくても大丈夫です」みたいなことを
冷たく言われて
節操無さをあげつらわれてる
かわいそうな老人達。

それでも日本政府に見捨てられまいと
頑なに信じる気持ちはわかりますけど、
いい加減気づいたらいいのにね、
自分達が若い頃から必死で働いて納めてきた税金や年金を
我が物顔で使ってる日本政府のおかしさを。

そんで、そんな日本政府からお金を引き出せるだけ引き出して
自分達のためだけに使っている
他人を陥れることにしか日々の生活を費やすことのできない
キチガイのみなさん達の存在を。

まぁ、
これからたくさんの人達が生活を追い詰められていくので
近い将来やっと気付き、
憎むようになるかもしれませんが(笑)

話は戻りまして、

たぶん実際の安倍元首相は
アメリカかなんかに亡命してるのかな
と個人的には思ってますけど。

首相在職時も
ヤバくなってきたら
早々に辞職してましたからね(笑)
(2回とも。)

でも、死んだことにすると
むしろいつ殺されてもおかしくないので
危険だなぁと心配ですが。(笑)

ああいうことになると
まっさきに疑われるのが
創○なので
(↑実際安倍元首相が本当に殺されたとしたら、
口止めしたいことがヤマとある日本政府か
つるんでいろんなことをやってきた創○が最有力候補になりますから)
創○系メディアでは
今は必死で統一協会を叩いてる感じでそ。

んで、
今の日本政府のやり方に意見する他の宗教関係者に対して

出る杭は打つぞっていう
脅し?

脅されても
日本国憲法では
各個人の宗教、思想、信条は
犯されることがないこと、
そして言論の自由
定められているので
無問題です(笑)

まぁ、宗教の自由とかいって

宗教団体というより
単なる非合法営利組織みたいな創○とかが
どうなるかは危ういと思いますけど(笑)

政教分離って観点から見ても
かなり違法性が高い感じはしますし(笑)

そう言えば
宮内庁も一時期やたら
バッシングされてて
たぶん人員総入れ換えになったみたいだし、

たぶんそれまでは衛士に至るまで皇室近辺は
厳格な身分調査があったのに
きっと「門戸」も解放されて、
皇室近辺もだいぶ変わっただろうと思いますが。。。

あ、この「門戸」というのは
小泉元首相が使っていた
「門戸」解放の意味です。

小泉元首相時代に
「門戸」を解放した結果、
郵政事業は民営化されるし、
大学、警察、全て
崩壊していきましたね。

当時私は首をひねったものでした。

大学って既に「門戸開放」されているはずでは?
と(笑)

まぁ、「国立大学」には
「ある特定の人達」は
入れなかったのかもしれませんけど、
とりあえず、その後
国立大学制度はいつの間にか崩壊して、
現在の独立行政法人があるわけですが、
今私にわかるは
そこがヒドラの温床になっていることぐらいしか(笑)
(他にもいろいろありますけど(笑))

歴史的に見ても
日本の大学のレベルっていうのは
年々低下してきているんです。

そこにいる人達の能力のレベルの話です。

Q大とかも国立大学時代の前は帝国大学時代、
さらに遡ると旧制高校時代になるわけですけど、

旧世代の人達に言わせれば
時代によって全然レベルが違うんだそう。(笑)

私もそう思います(笑)

昔、田辺聖子さんも
旧制中学というのは
全然別次元の世界の人達って言ってました。

だから
旧制高校と大学、
大学と独立行政法人の間にも
相当なレベルの違いがあると
思いますし、
今後もその差は開くばかりになると思います。

そもそも
大学って
「自分で勉強するところ」
じゃないですか。
だから、大学には先生がいて、
そこに学生が「学びに行く」わけで
大学の先生は学生に何かを「教えてくれる」わけではないんです。

「教わる」というのは、
「学んだ」学生の結果であって、
勿論、残念ながら
何も学べなかった学生も出てくるわけですが、

だからこそ、学生は
自由に大学を選べるわけで、
国立大学というのは
日本のために
日本で一番優秀な教授陣を揃える必要があるわけで、
学生もその大学に入るには優秀でなければならない
という当たり前の理屈が
いつの間にか壊れた
って感じなんでしょうね。

私が博士くらいのときから
講義に出てる学生に
大学側がアンケートをとりはじめて
「講義はわかりやすいか?」とかいう質問があって唖然としましたけど(笑)

だから、そのときから
大学の先生よりも
学生という低レベルに合わせるようになったみたいですね。
(まぁ、そのとき既に学生よりも怠惰でレベルの低い先生も希にいたみたいですけど(笑))

そりゃあレベルも低くなるわ
っていう話ですが。

ホテルで客室清掃の仕事してるときに、
一言もしゃべってないのに私の学歴を何故かみんな知ってて(笑)
「勿体なくない?」とか(全然思ってないくせに)言われることが
あったんですけど、

このブログでもそうですけど
私は学究的なことって自分が研究していたことも含めほぼほぼ話さないんですが、

何故なら実際にその場にいなかった人達に
そういう話をしてもわからないからです。

世間的には旧大学時代の封建制度に似た師弟関係みたいなことを批判してくる人達が
結構いるんです。

私がいた頃には
封建制度みたいなものは末期になってて
真面目な学生が損をするような悪いところしか残ってなかったんで
そのことが批判の対象になることは
間違ってはないんですけど
批判したところで
そういう真面目な学生が救われたわけではないしね。

むしろ、
そういう批判を利用して旧制度を潰したかった人達が
たくさんいたのだと
今は思いますが、

その封建制度みたいな中にも師弟関係みたいなものはあって、
私はその師弟関係のなかから
たくさんのことを
学んできたし、教わってきたし、
良くしてくださった先生方も
たくさんいたんです。

何気ない会話ひとつとっても
勉強になることが
たくさんあったし、
それは私が会話ひとつからでも学ぼうとしたからです。

この間、ホテルに制服を返しに行ったときに
何故かまた大学の話を振ってきた人がいて
「先生の論文のデータを学生が準備したりとかいうこともあるんでしょう?」
みたいなことを言ってきた人がいたんですけど、

「うん、まぁ、そういうこともありますが、まぁそれはそれで。」みたいに
一応話は濁しておきましたけど(笑)

実際、私もそういうことをやったことはありますが
でも、それは私にとっても勉強になることだったんで、
別にいいんです。

教授っていっても
ほんとにピンからキリまでだと思うんですけど、

私が大学にいた頃の先生方は
やはりすごい人達が
まだ、たくさんいらっしゃったんです。

それはわかる人間にしか
わからないことなので(笑)

だから、そういう先生に
仕事を頼まれるのは
自分にとっては頑張りどころなんです。
ちゃんとした先生は、
ちゃんとしたデータを要求してくるし、
そういう学生にしか頼まないので。
だから、ちゃんと仕事して返せばいいわけです。

まぁ、自分が師と仰ぐ人達なので
仕事を頼まれるのは嬉しいことであり
それが採用されることも
嬉しいことです。

そういう師弟関係の良いところがなくなって
形だけ残っているのは
最悪ですが
(学生を単に利用しているだけの能力のない先生とか)、

私の時代(特に私がいた学部)までは
ギリギリ大学らしいところが
まだ残っていたんですけど、
今はもうそういう勉強ができる場所も、人もいないんだと思います。

この間、学会名簿を見て
その世代以前の優秀な先生方は
ほとんど亡くなっていることに
改めて気づきましたが。

残念ですよね。

もう、ああいう人達は
いないんです。

だから
誰からも学べないな
と思ったのも
私が大学に残らなかった理由のひとつです。

芥川が
漱石が亡くなったときのことを少しだけ書いてましたけど、

あれ、本当に
わかるなぁ
って思いました。

怒ってくれて
ほめてくれて
自分が本当に悲しかったり
嬉しかったりする
存在って
なかなかいないんですよね。

だから、
もう
話がわかり合える可能性のある人がいないんです。

日本政府は
いつだって
大学の実情なんて知らずに
いたし、
自分達の都合で
大学というもの自体を
崩壊させたわけなので、
今後この国に優秀な人間が育つわけがない。

ほんと、
「門戸開放」とか
意味不明です(笑)

今思うと、小泉元首相のあの不自然なくらいの靖国参拝は、
「日本人側の人間です」
っていうアピールだったんですかね?(笑)

まぁ、頭の悪い人達の考えることは
よくわかりませんけど(笑)

これだけ
日本と日本人を窮地に追いやるような政治を先導していれば、

さしずめ「右翼」あたりに殺されかねないと
身の危険を感じるのも
無理のないことかもしれませんし、

さすがに従順な日本人からも普通に批判が巻き起こる可能性も
あの時代はまだあったし、

実際、当時ネット上では
そういう論議
既に起きてましたからね。

だから、
日本政府は
ことあるごとにネット民を
弾圧してきたし

実際、その年代は
秋葉原近辺で
いくつも事件が起きてます。
(そこに改革したあとの「警察」を介入させていったわけです。)

そして、
その時代までに育って
日本政府とは異なる「価値観」を持った若い世代を
一旦パージ。

そこから、
世代の断絶、
企業内での断絶、

いろいろな「継承」が
行われなくなり、

日本を支える
屋台骨が
どんどんなくなっていったわけです。

話はそれましたが、
私が目安箱を見て思ったのが、
いつものことですが、
人間って進化しないんだな
と。

いや、近代に入って
田中正造の話が
道徳の教科書に載るくらいまでは進化したんだろうけど、

それからまた退化したんだろうな
と。

まぁ、
他のホテルの事情も
似たようなものだと思いますので
たぶん、みんなそんな感じ。

端末使って
情報を集約しているつもりが
収拾がつかなくなって
仮想現実世界で落としどころを見つけて
そこで安住しちゃって
現実世界は江戸時代くらいに退廃してることに
本人達も気づかないくらい
自分達が取捨選択した情報に陶酔しちゃってるんです。

上層部に現場経験がないアルバイト風情とか
田舎自治体の観光課で事務をやってたみたいな人達が何人集まっても
実質何もしてないから
それ以上のレベルにはなり得ないし、
そりゃあホテルの将来も先が見えてるっていう話でした。

私がいた職場のホテルは
設備的には
バブル時代にこれでもかと
お金をかけたらしいホテルなので、
ほんともったいないですよね。

器だけが素晴らしくてもね。

で、その器も
お手入れが杜撰で
次第に老朽化していく
という(笑)

まぁ、完全にダメになる前に
いろいろ見られて
良かったです。

今回も、職場では
いろいろこき使っていただき、
大変勉強になりました。
(いつも通り
何も教えてもらえないので、その分自分で考えてできましたし。)

その意味では、御礼申し上げますけど、
その御礼として
私が感じたことを
少し書かせていただきました。

さてさて、
長崎の旅行の話に戻りますが(笑)、

長崎駅周辺も私が通っていた15年前くらいから
だいぶ変わりつつあるみたいですね。

前はホームも少なくて
小さいけれど
小綺麗な駅でした。

電車から降りて
まっすぐ歩いていったら
改札があって。

昔は博多から四枚切符のバラ売りで
片道2500円で行ってました。
もちろん乗り換えなしで。

西九州新幹線ができて
値段が高くなって
乗り換えしないと着かないとか(一応旅行ガイド最新本にはそうあったけど実際は違うと思う)
誰得なのか知りませんけど、

新しい駅の建物の内部は
関東のJRのどこにでもあるような構造、デザインで
たぶん観光業が今後盛り上がると踏んだ人達が
長崎にも人が増えると見込んで急ピッチで計画を進めているんでしょうけど、
一時的に人が増えて(増えたようにみえて)
建築業者だけ儲かって
早々にポシャるとかだと
悲しいですよね。

昔からの老舗がなくなって
スタジアムまで建設しているらしいですが、
福岡の前例もありますし、
長崎の良さがなくならないことを願います。

長崎の街は、
今回はゆっくり見てまわれなかったけど
中心部は人が増えて
ややせわしい印象になってました。

連れて行かれたところが
新しく建て変わったPAとか
建設中の長崎駅近辺とか
リニューアルされた稲佐山とか、
建物がリニューアルされたか
リニューアル中のところばっかりだったので
そういう印象だったのかもしれませんけど、

そこにいる人達も
店員もせわしい印象の人達ばっかりでした。
老舗のカステラ屋さんの店員さんも、
なんか押し売りくさかったし。

忙しくても、
お客さんには丁寧に接してください(笑)
ていうか、これから人が増える見込みなら
そういうのにも慣れていかないとね。(棒)

今度来るときは
もっとゆっくりと
見てまわりたいです。

まぁ、今回は
身内の二転三転する仕切りで
イライラしたのと、
行政がらみのコロナとかPCR検査とかの情報がうざかったので、
旅行前にも「私は行きたくない」「じゃあ来なくていいよ」みたいなケンカを
二、三度したんです。

それでも、母親のお祝いだし、
せっかくの家族旅行だからと
気持ちを切り替えて
プレゼントまで買って
旅行前に渡して
なんとか行った旅行だったのに、

長崎に着いてからも
いつものキチガイストーカーどもによる
いろいろなうんこ嫌がらせを
されたのも含めて
げんなりしたので、
最終的には
我慢の限界にきて、
家族とケンカもして
今のところ弟とは修復不可能って感じです。

そんなわけで、
福岡に着いた瞬間、
一人で車を降りて
家まで帰ってきましたからね。(笑)

家族の誰かの運転で
車での旅行とか
二度と行きたくないなと思いました。

今回の車中は
何故か
一日目はSuperflyがしつこいくらいにリピートされていて、
二日目はAqua Timezが流れてました。
これまたしつこいくらいに。

Aqua Timezはメロディーラインがない曲ばっかりで
念仏みたいにぶつぶつ言っていたので
幸い後部座席までは聞こえませんでしたけど、

後部座席って
今はシートベルトしないといけないじゃないですか。

なんかそれも窮屈で嫌だったし
車酔いしそうだったし
冬なのに窓からの日差しも強くて
ジリジリとした暑さに処刑されてるみたいな気持ちになったので
耐えられず、

最終的に嫌になって、
一人で車を降りたあと
バスと電車を乗り継いで
家まで帰ってきました。

旅行前後、
旅行中
嫌がらせしてきた人達
(→長崎でも付いてまわるキチガイうんこストーカー達)のことは
これからも忘れません。
(旅行先にも来るのかとホテルで夢に見てうなされたわ(笑))

ワタクシ的には
例のコロナ三回接種割引とかPCR検査商売のあくどさとかにひっかからずに
(散々嫌な思いはしましたけど)

旅から無事戻ってこれたので良しとしましょう。

途中でお参りした神社の神様のおかげです。

今年の初めも三社参りできなかったので
今、二社やって
あと一社はぼちぼち参りませう。

旅日記については
いいこと、悪いことも含めて
まとめていつか書くかも書かないかも。

さて、こんな話で終わるのもなんなので、
ひとつ違った話を書いておきます。

前に書いた通り、
私は今でもテレビは全然見ないのですが、

私が一人で夜遅いご飯を食べているときとか
たまに両親がリビングのテレビで見ている番組を
目にすることがあって、

だから両親とかが
毎週見ている番組とかも
だいたいわかるんです。

その中で
昭和は輝いていた」という番組があって、
武田鉄矢さんが司会で
いつもながらに
なんかいろいろしゃべってるんですけど、

過去(番組のタイトル通り主に昭和期)の歌を取り上げて
歌手やプロデューサーが実際にスタジオに来て
当時のことを語ったりするので
結構、興味を持って
横でその話を聞いたりしてましたが、

ある時、
「四季の歌」を取り上げた回があって、
当時それを歌っていた林葉子さんとかも
スタジオに来てたんです。

なんかその回のテーマが
日本の歌と海外交流みたいな感じで、
ちょうど私がブログに日本に来るあやしげな外国人のことを書いたあとくらいだったんですが(笑)

もちろん、番組では
歌による平和的な海外交流の数々を紹介していて、

別にそれはそれでいいんですけど、

だからさ
そんな風に平和的にしか考えないのん気なところが
昭和世代(戦後生まれ)のご老人達の特徴なんだろうな
っていう。

ある意味ジェネレーションギャップですけど(笑)

たぶん、そういうことを言っている昭和世代のご老人達は

ちゃんと年金を納めた人もそうでない人も
つつがなく生活できる程度に国からお金をもらって
死ぬまで生きるのかもしれませんが、

これからの日本の人達はそうではないし、
海外の人達だって
そんな昭和世代の平和的な人達じゃないんだよ
っていう。

で、武田鉄矢さんがね
外国人は自分達が
思っても見ないようなところに
日本の魅力を感じているときがあるんだ
と言って
渋谷の交差点で
人がぶつからないのが
外国人にはすごいって言ってましたけど
たぶん日本人でも
そう思っている人はいると思うけど、

ああいう交差点をよく見たらわかるんですが、
結局、避けてあげてる人がいるから
ぶつからないんです。

交差点を歩き馴れていない人がいても
馴れてる人が何も言わずに避けてあげているから
ぶつからないんです。

それって
日本人の気質だな
と思って。

だから、避けてあげている人達が

なんで私ばっかり
避けてあげなきゃいけないのかな?
たまには向こうも避けたらいいのに。
ってモヤモヤが生じて
よし、もう避けないわ!
と思ったら
たちまちぶつかるんです。

避けずに歩いてきた人達は
避けようと思ったことがないし、
避ける方法も知らないからね。

「四季の歌」は

春を愛する人は~♪

という歌い出しで始まる
歌です。

昭和期小学生だった人達は
学校でも習って
知っている人も多いと思います。

私もその一人です。

それぞれを愛する季節を
人に喩えていく歌詞で、

昔、このブログでも少し書いたことがあります。

昭和は輝いていた」では
「四季の歌」が
中国でも、とても愛されたとのことで、
林葉子さんが
その理由を
日本の季節に対する憧れ
だと
当時は言われていた
と控えめに説明されていたのを、
スタジオでは皆感じ入って
共感しておられ、
上記の武田鉄矢さんの話につながっていったわけですけれども。

まぁ、短的に言って
中国にも四季はあります(笑)

むしろ、日本人は
中国の山水を詠んだ詩、
四季の移ろいを詠んだ詩、
それを時代や人に例えた詩、
たくさんの詩を
中国から学んできました。

確かに、中国と日本では
自然に対する向き合いかたが違います。

中国では
あくまでも自然は眺めるものであって、
日本は、自然はともに生きるものであったわけで、

だからこそ
日本人は自然を
擬人化したりすることもあって、

「四季の歌」でも
それぞれの季節を愛する人を、
友達、父親、恋人、母親に見立てたりしています。

自然と人間の関係が
近いんです。

詩の形式と主題としては、
春夏秋冬を段ごとに詠み込み、
これは中国の人も、日本の人も
大好きな形式であり
大好きなテーマです。

だからこそ、
むしろ当時の中国の人達は、
「四季の歌」に
中国の古詩に通じるような
懐かしさを感じたのではないかな
と思います。

例えば、それは
日本人が
「ふるさと」の
うさぎ追いしかの山♪という歌詞に郷愁を感じるような。

林葉子さんによると
「四季の歌」は
できるだけ日本語の歌詞に近いかたちで
美しい中国訳がついた
とのお話だったので、
なおさらだったと思いますが、

美しい歌詞、
美しいメロディーに

そして、もうひとつ。

それは、以前書いた
一節。


秋を愛する人

心深き人

愛を語るハイネのような

ぼくの恋人


この箇所は
子供ごころの私にも
ドキッとした
というか

明らかに他の季節と
違うんです。

たぶん、
歌詞をつけた人は
秋が一番好きなのかな
って思うくらい、

他の季節より
思い入れを感じます。

この箇所だけ
叙情的というか
ロマンチックなんです。

まぁ、現代のロマンチックって
結構軽いんですけど
当時はもう少し濃くて
妖艶な感じ。

だから、懐かしさのなかに
新しさがあるというか。

そういうのが
さりげなく入れてあるところが
絶妙なんです。

だから
この歌も
ここがクライマックスだと
思うんですけど、

愛を語るハイネ
というところが
また、いいんですよね。

以前このブログで書いたときに
説明しましたが

ハイネというのは
ドイツの詩人であり、
批評家なんです。

詩人であって
批評家であるということは、

ロマンティストであり
リアリストであるような。

だから、

愛を語るハイネのような

ぼくの恋人が

どんな人なのか

想像がふくらみますが、

逆に言うと
そんな季節が
秋ってことであるわけで。

この
二重にも
三重にも
仕掛けられた
言葉のマジックの見事さなんですが、

これが
言葉の異なる人の間でも
通じてしまう不思議さ
ですね。

このあたりに鍵があると
私は感じていて。

少し考えたことがあって

以前のブログでも
書いたと思うのですが、

この秋の箇所は
どちらかというと
フランス詩みたいな
印象があるんです。

最近の(おそらく)若い子から
なんで昔のアーティストは
ベレー帽をかぶっているのか?
というのを
架空のお便りコーナーで
頂いたことがありますが(笑)

日本人は
上田敏が「海潮音」で
ヴェルレーヌを紹介したときから
フランス人のとりこ
なんです。

それはまさに
上田敏の訳詩が
美しい名訳だったから
です。


秋の日の

ヴィオロン

ためいきの


という
例の詩ですね。

もう、この部分だけでも
心臓を鷲掴みにされて
めろめろになりますけど。

だから、
日本の作家を含めて

たくさんの人達が
フランスの詩や文学を愛し、

そして
このような表現は
どうしてこんなに
胸をしめつけるのか
ということを

模索します。

秋の日に
枯れ葉が一枚

はらりと落ちる

それを
自分の生命や一生に
なぞらえた
西洋の詩や文学に

古来から続く
日本人のDNAに
ひそかに埋め込まれた暗号のように
何かしら
相通じるところを
感じたのか。

しかも、そこに
日本人は
新しさを感じたんだと
思いますね。

日本文学史において
フランス浪漫派
ドイツ象徴派は

ある時期において
主流をなします。

今でも、
その流れや思想を受け継いでいる人達はたくさん
いると思いますが、

個人的には
川端康成の「雪国」において、

トンネルを抜けると
そこは雪国だった。

という
あまりにも有名すぎる
冒頭文も、

この文学史上の流れを経て
辿り着いた
まさに名文だと
思っています。

まぁ、
説明すると
こんな風に簡単になってしまいますけど(笑)

芥川もボードレールが好きで、

芥川好きの私も
ボードレールが好きで、

やっぱり
好きなもの同士は
相通じるところが
あるんですよね。

だから、すぐ
わかります。

以前、私が好きな
ドラマの脚本家である
野島伸司さんの
ドラマ「この世の果て」に
谷崎の「春琴抄」からの剽窃があるという話を書いたことがありますが、

ドラマ「人間・失格」のタイトルはもちろん太宰(仏文出身)で
作中にルカが図書室の案内をするときに、
「僕はバルザックとか読むけど、君は?」
って聞くシーンがありますし。

野島さんと
私は好きなものが
似ているんだろうな
と。

ちなみに
風立ちぬ」の堀辰雄も仏文出身なんですが、

風立ちぬ」の

風立ちぬ

いざ生きめやも

という冒頭は
あまりにも詩的で

個人的には
この冒頭だけで
風立ちぬ」は成立していると考えているので、

むしろ、そのあとの
散文はいらないくらい。

以前、宮崎駿監督が
風立ちぬ」を読んだけど
全然おもしろくない
何がおもしろいのかわからない
と言っておられたのですが、

そうなんです。

だから
私も本文は読み飛ばしてます(笑)

まぁ、好き嫌いは
あるとは思いますけど。

でも、「風立ちぬ」があったから
私は大学でフランス語を勉強しようと思ったし、

宮崎駿監督は
映画まで作ったわけなので(笑)

そんなわけで、
長くなりましたが
フランス詩や
フランス文学

それから
ドイツ詩、ドイツ文学が
日本に受容されるには

長い歴史があって
さまざまな人達が
その影響を受けて
それを何かしらの形で
表現してきたのです。

ファッションにおいても
フランス特にパリは
今でも流行の中心地ですが

だから
秋に
ベレー帽を被っている芸術家というのは
ヨーロッパ、特にフランスへの憧れがある人って
感じなんだと思いますが、

おそらく
そういう
時代的に当たり前に知っていたことも

今の若い人達は
知らないみたいなんですよね。

自分達の国の歴史や文化にも
あんまり興味が
ないみたいですし、

古いメディア(本)とかも
読まないからだと思いますが、
今の世代の大人達も
文学とか読まないからだと思いますけど。

だから、
たぶん
「雪国」の冒頭文も
なぜ名文なのか
わからない人達が
ほとんどなのではないかと。

それくらい、
本当の意味での
リテラシー能力というのが
低下している
というね。

そんなわけで、
「四季の歌」というのは
実は奥が深いという話なんです。

中国訳がどんなものか
知りませんけど

例えば
「秋思」と言えば
秋にする物思いのことなんですが、

そういうのって
日本人にもわかるし
中国人にもわかることなんです。

だから、
何かしらの形で
「四季の歌」の秋が
中国古来の自然を表現する懐かしさを感じさせる歌でありながら、
叙情的であり、
なおかつ西洋の香りを感じさせる新しさが
中国の人達にも伝わって
或いは刺激となって
美しいメロディーとともに
愛される歌となったのは

宜なるかな
と思うわけです。

なんとなく
アジアの人達が
日本の演歌を
恋愛の歌に変えて歌う訳も
そんな風に考えていくと、
わかる気がしますね。

まぁ、でも
そういう共通意識みたいなものを
持てたのは
中国の人達に
その前提となる教養や平和的な意識があってのことだし、

今の中国や他の国の人達に同様の共通意識を求めるのは
日本人の若い世代に「四季の歌」の良さを理解してもらうのと同じくらい難しいことなのではないか
ということは
前述の通りです。

まぁ、昭和世代の人達に説明しても
「四季の歌」とか
別に好きじゃないし、
みたいに言う人もいるだろうし(笑)

だから、
みんなそれぞれだし
みんなそんなに平和的じゃないですよ
って感じです。

それで、
フランスの秋の歌と言えば
ランボー
ボードレールであって、

つい一昨日
家の書棚から
久しぶりにランボーの詩集を手にとって見たら
またもや中身が変えられている!!

元に戻しとけやゴルァ(*`Д´)ノ!!

ってことで
最後に急遽
この話を付け加えた
ということです(笑)

あれですよね。

最近の人達は
いろんなところから
切り貼りしてるから
自分で考えたりしないし、
手間をかける苦労をしないから
作業時間は
ものすごく早いけど
出来たものがペラッペラの
極薄スリムなので
ほんと意味ないっていうか、

学部生だったら
退学レベルです。

なぜそれを
既存の出版物にまでやるの?
っていう。

信じられません。

千年前から
やり直してこい
としか。


そう言えば
前回のブログで
私が兼好先生の「徒然草」の私的訳をしたからか?(笑)

あれはあれで
別にいいんですよ。

そういうお遊びは
自分のSNSだけで
やれ
と。

ランボーとか
ボードレール
兼好先生の私的訳みたいにされてもね(笑)

兼好先生だって
全部が全部
植木等調ではなくて、
締めるところは
ビシッと締めているわけで。

何!?
植木等を知らない!?

ちょっとおっぱいのつもりで飲んで~♪
の人ですよ!!!!
(↑一部清水アキラ風の空耳あり。)

もう
みんなえろいことは
大好きなんだからなぁ。

まぁ、昔
ネットのフランス書院文庫(えろい人達の殿堂)で
いろいろ遊んだりしてたけど(笑)

それも
みんな
深い知性と教養を持って
遊んでいたわけであって。←

まぁ、
金髪美青年同士の恋愛とか
永久普遍に
みんな大好きだから
それはしょうがないんじゃないかと(笑)

今でもそれが
BLの腐女子の皆さんにも
受け継がれているわけであって
これはもう
人間の本能としか。

にしても、
ボードレールの地獄の季節
ランボーの秋の歌の背景には

胸をかきむしるほどの
深刻な恋愛沙汰があるのであって、

ここで言う恋愛沙汰とは
ヴェルレーヌ(男)から
ピストルで銃創を負わされるとかね。

ドイツ文学だって
ヴェルテルは
自殺するものであるし。

私の個人的な見解では
この命懸けの恋愛って
神様レベルなんじゃないかと。

伊勢物語」に
昔の人は、こんな風に
命懸けの恋愛をしたものです
みたいな話があるわけですが、

伊勢物語」より
ずっと以前の
どちらかと言えば
神代に近いレベルの
神様同士の恋愛なんですよね。

世間の規範(キリスト教とかね)も
何のしがらみもない
究極の世界の
究極のジェンダーフリー
でもあるわけですし。

思うに
小林秀雄
本居宣長」と同系列のごとく「ゴッホ」を論じているのも
たぶん彼の中では
同じ神様カテゴリーに入るからだと
最近気がつきましたけど。

だから、
兼好先生とは
またちょっと(だいぶ)違うんですよねぇ。

兼好先生は
もう少し現代人に近い
リアリストな感じ。

兼好先生は
枕草子」をお手本にして
徒然草」を書いているっぽいんですけど、

清少納言の彼氏の
藤原行成を実は理想としていたんじゃないかしら
とふと思ったんです。

藤原行成
能書家としても有名なんですが、
当時の能書家って
今で言えばデザイナーって感じかな。
だから芸術家としてのセンス抜群で
おまけに蔵人頭とか
エリート官僚で仕事もバリバリできて
でも強い後ろ楯もなく
そこまで上り詰めたけど
それ以上はいけないし、

それでも、清少納言とか
これまたセンスある彼女と
楽しく毎日を過ごしていて
まぁ、世の中こんな感じだけど
わかる人同士で
楽しくおもしろく過ごせたら
いいよね
みたいな。

そういうのが理想だったのかなぁ
って。

まぁ、夢破れて
世捨て人となって
一人庵で暇潰しノートに
いろんなことを
書いてたわけですが。

時代が時代なら
自分だって藤原行成みたいに
なってたのになぁ
っていう。

でも、今の時代では
藤原行成より
兼好先生のほうが
知られている
っていうね(笑)

まぁ、世の中
何が起こるかわからない
というわけです。

人間万事西翁馬
ってやつですな。

でも、
そういう
文学や詩を通して
時代を超えて
いろんなところで
いろんな人やモノとつながっている
っていう。

N先生が言ってましたけど、
文献というのは
タイムマシンであると。

タイムマシンの性能がいいと、
本当にいろんな時代に行けて、
いろんな人に出会える。

それは
今のネット上のSNSみたいに
陳腐な仮想世界ではない
もっと、自由で
もっと楽しい場所。

なので、
書棚の本も
ちゃんと元にもどしとけよ
っていう、

これは
アドヴァイスとかではなくて
犯罪者どもへの
警告です。

というわけで、
今回はこの辺りで。

2月書けなかったので
3月はもう一回書けたら
書こうかなー
とか思ってたけど、

めんどくさいっていうのと、

今年のイースター
4月みたいなので
3月はもう書かずに、
4月にまた書くことにします。

3月5日に書きはじめて
(途中2月末頃に書いた箇所も少しありますが)

日々のいろいろなことをこなしつつ
満月が来て
ようやく最後に書いた話と
タイトルが出てきました。

やっぱり
ちょうど
ひとつの結果が出てきた感じですね。

タイトルは
言わずもがなですが、

笑わない数学者」に
似せたところは
意図したところですけど、

今回もぴったりなタイトルだと
自負しております。(笑)

っつーことで
またねー('ー')/~~