春のAIまつり【番外編・東京喰種】

今日は
楽しみにしていた
「東京喰種」を
見ました。

とても
良かった。

窪田正孝さんの
演技が

とても素晴らしい。


人間と喰種という
両性を持つ
そのコントラスト
というよりは

その根底にある
限りなく
ニュートラルで
透明な精神。


その
清廉な
透明さによって

逆に
二つの種の特性を
強く表現している。


人間にとって
人間を補食する生き物は
凶悪で
凶暴に見えるかもしれないが

その本能は
とても
純粋だから。


清水富美加さんの
演技も
とてもよい。


「東京喰種」の感想を
春のAIまつりの番外編としたのは
【その3】に
書こうとしていたことと

少し重なるからだ。



私は

AIが人間を超えるときがきたら

人間は皆
お花みたいになる

って
書いたことがある。


何故なら
エネルギーの体系の違う生物が
ヒトよりも上位に来たとき

それは
例えば

現在のヒトと植物のような
関係性に

なるからだ。


言葉も
想いも
伝わらない。



花が
どのように
循環するエネルギーを
作り出しているか

花が何を感じているのか

つまりは
花が
どのように生きているのか
私達が
花の想いが
わからないのと
同じように。


AIも
喰種も
人間とは別の種と
考えると

きっと
同じことが起こる。

すなわち

人間より優位な能力をもった
生物が現れたとき

人間は
その種を
どのように受け入れるのか
ということである。

AIについてのことも含めて
そのことは
【その3】に書くつもり。

人間は
恐れている。

もし

自分達より
優れた能力を持った生物(或いは何か)が
自分達人間を
支配するようになったら

どうなるか。


人間は

知っている。

それは

人間が

自分達が支配してきた
生き物に対して

してきたことだから。

それを

今度は

自分達人間が
受けることに

なるということを。


人間は皆

お花のようになる。



相手には

言葉も
想いも
通じない。



大切に
保護されることも

あるだろう。

或いは

無下に
切り捨てられることも

あるだろう。


自分達が

植物にしてきたことを

考えてみれば
わかるはずだ。


「東京喰種」は

そのギリギリ手前の
戦いを描いているように思う。


或いは

それは
単に
物事が移り変わる前の
一瞬の出来事を

描いているだけかも
しれない。


せつなさは
懐かしさに
似ている。


懐かしいという気持ちは

今そこに
それがないことを

しみじみと思い出す
感情だ。


せつないという気持ちは

実はそのことが
なくなってしまうことを
予知した

未来の感情であると

誰かが言っていたのを

ふと
今、思い出した。


本当は

みんな

過去も
未来も

知っている。


だから


せつなくて

懐かしい気持ちになる。


illionの主題歌も
よい。


愛って
なんだろう

と思う。


人間は

出産を
社会システムに
組み込むことにより

子を生み育てるという本能を
失ってしまった。


愛は
本能とは別に

精神的なものだと
人は言う。


よくわからないけれど

例えば

子供を守りたいとか

家族を守りたいという気持ちは

愛ですか?

それとも
本能ですか?


そして
それも
いつしか
なくなってしまうのだろうか。


そんなことを
思いながら

映画のワンシーンを

せつない気持ちで
見てしまった。


これも

愛を語ることに
なるのかな?



愛を語るな
って言われたら

淋しい。


考えるな

言葉にするな

って


生きるなって

言われるのと

同じ意味に


私は
感じる。


だから
私は

言葉を綴りたい。


昨日
今日の放送で
「東京喰種」があることを知り

illionの歌を
断片的に聴きながら

想いを巡らせていた。


illionの日本語の歌詞の歌は
初めて聴いたので

他に日本語の歌詞の歌が
あるのか
探していたら

「Strobo」
という歌があった

そこにあった言葉を見て

いいな
と思った。




   *   *   



顔も眼も名も
形さえなく

ただ二人

笑い合う

Strobo 歌詞【illion】


   *   *   


そんな言葉を歌う
洋次郎くんが

私は好きだ。


日付が変わってしまったけれど

今日
小さな赤い薔薇が
無事に咲きました↓
(*´∇`*)


ではでは
おやすみなさい☆


201804290139