愛を両手に。

おはよう(*^ー^*)

今朝からまた
朝の電車はゴキブリが
大量発生している模様(笑)

なんで?(笑)

昨日スガシカオさんの歌のこと
書いたからかな?(笑)

なんか
失礼なこと
書いたかしら?
(´・ω・`)?

まぁ
それは置いておいて。

昨日の
ap bank fes.で
印象に残ったのは

ACIDMAN
「愛を両手に」
という歌でした。


私は昨日の番組は
音楽フェスの番組として
見てた。

東北の復興のことに
関連して
いろいろ試みをやっているみたいだったけど

私が東北の人達の気持ちとか
現在の状況とか
軽々しく考えたり書いたりすることは
絶対にないので

主に私が理解できる範囲で
音楽番組として
それを見てたわけです。


だから
私は
ACIDMANのその歌も
そういうふうに
何気なく聴いていました。

その歌は

「みんなが
神様がいなければよかった
と思ってしまった」

という

そんな言葉で
始まるのね。


誰しもある
そんな瞬間。

運命的な出来事。

もし神様が
いて

公平に
人間を生かしているのなら

なぜこんなことに
なるのだろう

天を恨む瞬間は
誰にでもある。

でも
「みんなが」
そう思った瞬間

その出来事が起こったその日。


それは
そこにいた人達が
頭に思い浮かべたことは。


何も考えていなかった私にも
それは
ごく自然と
思い浮かべられてしまった
のでした。


でも
その歌は

神様を恨む歌では
なかった。


私達は
自分達によい出来事が起きると

神様に感謝し、

悪い出来事が起きると

天に向かって唾を吐く。


でも

神様は

そんな人達を

繰り返し
繰り返し

見てきたのだ。


もし
神様が何かできるなら

きっと
何かしてくれていたのでは
ないだろうかと
思う。


つまり
神様は

意外と無力なのだ。

無力というよりは

人間を
この世界を
見つめるという
そのためだけの存在が
神様なのかもしれない。


だから
大木さんは

歌った。


自分が
抱きしめる

と。


神様ごと

抱きしめてくれたのだ。


この世界を。


どうにもならないことは

たくさんある。


でも

自分が愛を持って
抱きしめることは

できる。


それを
高らかに歌った。


たとえ
物理的に
人を抱きしめることができなくても

昨日見た

大木さんは

たくさんの人を
抱きしめていたと
思う。


それができるのが

歌なんだと

改めて思った。


そういう歌を

簡単に
歌う人は多いけれど

私は
昨日聴いた大木さんの
ACIDMANの歌には

そこに
本当の想いがあったような
気がした。


私が
そう思っただけで

他の人は
そう思わないと

思うかもしれないけど


少なくとも
私はそう思ったのだ。


何故なら

この歌を

その場所で歌おうと

いつか
そんな日が来る日のために

一人で
ギターを片手に

言葉を探る
大木さんの姿まで

心に浮かんだからだ。


人の心を打つ歌は

こうしたらよい
というセオリーが

あるわけではない。


一生懸命やっていて

その努力だけで伝わるわけではない。


ただ

そこに
本当の想いがあって

それが
ちゃんと届けられる状況で
届くことは
確かだと思った。


昨日は

結局

東北のことを敢えて
考えずに見ていた私にとって

一番印象に残った曲が
その曲であったことは

とても
感慨深いと思う。


見せかけの言葉は
消え去る。


そこには
本当の想いだけが

淘汰されるように
残る。


シンプルで
それでいて

一番
印象的だった。


だから
私は
なんだか

それを聴いただけで

すごく
満ち足りた気分になってしまって

あとは
聴かなかった。(笑)

ごめん(笑)



それから
夜は

映画の
裏切りのサーカス」を
見ました。


これも
とてもおもしろい映画だった。


そのことは
また
明日にでも書きます。


ではでは
またねー('ー')/~~

201710100845