12月11日

こんにちは。
この間しばらくは書かないと書いたけど
また書いてみます。

嫌がらせは相変わらずな毎日ですが
自分なりに楽しみを見つけて
過ごしています。

今日は午前中にぶらりとお庭を散歩しました。

気づかないところに
野生の植物が増えていて
小さいけれどきれいな花を咲かせていて
なんだか
嬉しい気持ちになりました。

でお散歩の最後に
私が育てていた
木瓜のところに来て
思い出したのね。

この花のことを。

今年の春に
この木瓜の花が
白くて薄い桃色のかわいらしい花を咲かせたことを
ブログの記事で書いたと思うんだけど

そのときね
同じ鉢に生まれた
黄色いタンポポの花みたいな植物のことも
書いたんだけど。

その植物はね
私が仕事に行っている間に
なんか酷いことになっていて
私の手元に置いておくと
枯れそうな気がしたので
庭に植え替えたんだけど

二三日してすぐに
枯れてしまったの。

それから
すぐあと

だから
私は木瓜のことも
用心して見ていたんだけど
それからすぐに葉っぱの一部が
少し黄色くなっていて。

ある日ね

帰ってきたら
違う鉢に
勝手に植え替えられていたの。

なんか

枯れそうだったから
植え替えた

とか言ってた。

勝手に。

私は
木瓜の花が何をされたのか
すぐわかった。

だから
心の中が
怒りでいっぱいになったけど
怒ると相手の思う壺だからね。

何も言わずに
黙ってた。

木瓜の花の無惨な姿を見たくなくて
ずっと見なかったの

夏はね
枯れないように水やりはしたけど

そのときは
本当に
木自体が痩せほそって
どこが幹だか
どこが枝だか
わからなくなっていたけど
今やっと回復してきて
以前と同じように
わかるようになった。

そして
あのとき
この木瓜が何をされたのか
その傷跡も
却ってはっきりわかるようになったのね。

枯れて弱っていただけなら
姿形は変わらないはずなんだけどね。

でもね
違うのよ。

私は
そのときから
わかっていたけれど。

木瓜の花は
枝のあちこちが
切られていたの。

何のために?

嫌がらせか

あるいは

「それがないと困る」
「それが欲しくてたまらない」
人がいたのね。

木瓜はね
育った環境によって花の色も形も
違うから。

同じ木の実からできた種から生まれたものさえ
全然違ったんだからね。

あの木瓜の花は
私のところにしかない
唯一の木瓜だったの。

同じもの売っていないしね(笑)

それが
気に入らないか
あるいは
自分の手元にも
ないと困る誰かが
切ったんだろうと思う。

実はね
一昨年も
同じようなことがあったの。

木瓜の枝が
一ヶ所だけ切られていたのね。

まだ花が咲く前の枝だったんだけど。

でも
あとからわかったんだけど
その枝の花はね
同じ種から出来て
同じ鉢から生まれた木瓜だったんだけど

白い花じゃなくて
赤い花が咲いたのね。

だから
勝手に切り取って
持っていって挿し木にして
育てたとしても
赤い花しか

咲かなかったんだろうと思う。

私は
そのとき

神様は見ているな
って思った。

神様は
その枝を持ち去った犯人に
教えたんだと思うのよね。
君は
違う色だよ
ってね。

でも
その人は
納得しなかったのね。

他人の色が
羨ましくて

欲しくて
自分のものにしたくて

そんなわがままな
欲深い心のために
他人が持っているものを
めちゃくちゃにしても構わないと
思って


今度は
今咲いている木瓜
白い花の枝をさんざん切って
持ち去り

酷い有り様にしたの。

あるいは
そんな欲望すらなく

単に
そういうことをすれば
私が悲しんだり怒ったりすると
思っただけかもね。

どちらにしろ
酷いやつだなと思うし、

かわいそうな人達だなと思う。

でも
植物はね
強いなって
今日は思った。

もうこのブログで
自分の育てた木瓜の花を
紹介することは
二度とないと
あのとき思ったけど

最後に書いておこうと思ったの。


もし私の木瓜と同じ花を咲かせて
ブログでアップしている人がいたら

その人が
ずっと私に付きまとって
嫌がらせを続けている
心の卑しい犯人だと
わかるんだけどね。

久しぶりに
木瓜を見て
あのときの怒りを思い出した。

今年も
ちゃんと咲いてくれたら
いいけど。

ちなみに
その当時

相葉雅紀主演で
一家がわけのわからない嫌がらせを受けるという内容のドラマが
フジテレビの月9で放送されていたみたいで

見ていないからストーリーはわからないけど

私が考えるなら
少なくとも私や私の家族に嫌がらせしている
犯人は

嫌がらせの内容を知ってて
それを
面白がったり、
ごまかしたり、
犯人を別の人にするためにテレビドラマのひとつでも
作るかもしれないよね
とは思う。 

なんでもやるし、
捕まることはないと
思ってるみたいだから(笑)

そうそう
昨日
「V・フォー・ヴェンデッタ」という映画を
WOWOWで(録画で)見ましたよ。

前に「キングスマン」で
陰謀に加担して各国を陰で牛耳っているやつらの脳天を
イギリスのスパイが爆発させてたけど
今度は自国の国会議事堂を爆発させてて
これもまた爽快でありました。

まぁ
各国やいろんな宗教が
どんな風に対立しているか
知らないし
興味もないし
煽るつもりもないけれど

どの国の人達も
自分達の国が
なんだかおかしいと思っているのかもしれない
とは思いました。

見ていて
この首相は日本で言えばあの人で
二番目に影で牛耳っているのはあの人で
国営放送はあの局で

テレビで馬鹿みたいなことを
しつこくしつこく言ってるのは
(日本の場合お国柄に合わせて講義形式の穏やかな風味ですけど)
あの局のあいつで
とか

ナントカ教は例の某宗教団体ですね
とか

警察はまぁ
ピンからキリまでいて

正義感に燃えてて
論理的な人が
本当にいるのかどうかは
知らないし、

でもなんかゴロツキみたいなのが
動いてるのは知ってるし、

でも
ナタリー・ポートマンみたいな
すごく美人で
両親がもと活動家で既に亡くなってて
心が清らかな人で
テレビ局に勤めているけど正義感はある
みたいな都合がいい人がいるかどうかは知らない(笑)
ちょくちょく耳にするけど
この噂。

たぶんいろんな話が混じった嘘だと思うけど(笑)


それから
民衆が
あんなに正義感があって
テレビに釘付けで
でも内容をすぐに嘘だと見抜いて
自分の正しい論理に基づいて
積極的に行動できるものだとも
正直思わない。(笑)


でもね


テレビの「ニュース」の情報が
逆に真実に蓋をすることをに疑問を抱き、
そのことと正面から向きあって手に入れた真実とともに
自分の正しいと思うことを明らかにしていくという
ストーリー展開は
見事だったし

この国の未来の姿は
この映画の中にある、
と思いました。

Vはね
吹き替え版だったからか
あまりキャラクターが
好きではなかった。

本当は台詞回しも
もう少し洒脱なのかとも思うけど
日本のちょっとコメディちっくな人物のアテレコは
これが限界なのかもしれない。

キャラクターの軽薄がやや買っていて
過去の悲壮さは伝わってこず、
だから
ナタリー・ポートマンの熱演に関わらず
というか
熱演で拷問を疑似体験したあとだけに
拷問がVによる嘘だとわかったときの失望が大きすぎて
むしろ、あの時点から
Vに対する復讐心は芽生えても
決して愛にはならないだろうと思った。

何故なら
何の罪もない自分が受けた苦痛を
それが凄まじいものであればあるほど
それを何の罪もない人間に同じように与えるということは
本当にそれを受けた人間はしないからだ。

本当にそういうことをされた人間はね。

それを
行った人物
そして
それに加担した人に
それをやることが
一番だと
よくわかっているからね。
もちろん加担した人間というのは
ピンからキリまでいると思うけど。

結局、首謀者の中の女性医師にしろ、首相にしろ
痛みひとつ、精神的な苦痛ひとつ味わわずに死んでいったのに
なぜイビー(ナタリー)だけがあんな目にと(笑)

確かにイビーは
テロリスト(に普通思える)に拉致されたら
助けを求めるわけで
それを予測できなかったからといって
あんなことしないと思う。
あれで「愛」とか言われても
拷問の理由にはならない。(笑)

だから
その後のダンスシーンとかを見ていても
冷めてしまってげんなりした。

思うにオペラ座の怪人のファントムも含め
女性からしてみれば
単に恐ろしいストーカーと紙一重であると思った。

そういうところに
なんか隠されたごまかしのようなものを感じる。

あとひとつ
恐らく全ての人が勘違いしていることがあって

現代社会において
革命をしたり
国会議事堂を吹き飛ばしたりせずとも
首相は変えられる
ということだ。

国を専横した党派は議会に上らせないこともできるし
邪な裁判を行った裁判だと思われるものに対して、
また
その最後の砦である最高裁において
不当な裁判を下した最高裁の裁判長は
弾劾できるし、

政治と癒着した
私企業は社会的制裁を加えることができる。

マスコミも同様。


何の罪もない一般人を監視し、
集団ストーカー行為を行い
嫌がらせをして
そのことに反抗されて
その立腹を原因に

さらに嫌がらせを続けるような
馬鹿らしいことを
するくらいなら

その目を議員への徹底監視に変えたら
少なくともあなたがたの未来は変わるのでは
ないですかね?

監視を続けているうちに、不信任案を要求できるようなことなんて
いくらでも見つかるでしょうし、

あるいは
議員が驚くほど何もしていないことに気づくでしょう。

何も恐れることはありません
議員は「公人」ですから、プライベートなどありません。

この国を左右する
この国にすむ人達の命を左右する責任のある仕事を行っているわけですから

そのために国民が納めた税金の中から多額の報酬を受けることができ
そのことをわかった上で国会議事堂で国を左右する発言を許されるのです。

ですから、それに見合う責任を果たしていない議員については
きちんと退席していただかなくとはなりませんし、
そうすることは国民の権利であり義務であるのですから。

憲法にある「国民主権」というのは
そういう意味です。

本来主権は国民にあり、議員はその代表に過ぎませんから、いつでも辞めてもらうよう要求することができます。
なんかお隣の韓国でも同じような話題があるみたいですね(笑)

ま、
監視したら面白いことが続々出てくるかもしれませんね。

それから、議員たちがどんな企業に付き合いがあり、その企業がどんな企業であるか
調べたらいいんじゃないですか?(笑)
IR情報は大企業になればなるほど、公開されてしかるべきものですから。
その下請け企業ですらそうです。

そういうのをお得意の人海戦術
やってみたらいいじゃないですか。

企業の方々も思い出してみたらいいと思いますね。

自分達がされたことを
急になんらかの不祥事が勃発(データ流出とか)あったんじゃないですか?

で、任せきりにしていたシステム系の委託企業にそれはどこかの派遣社員がミスをしたため起きた事故で、その派遣社員は解雇しましたので
と言われたのじゃないですか?
もしくはアクセス経路が海外のサーバーを通してからの侵入なので辿れませんとか
意味不明なことを言われたのじゃないですか?
(少なくとも新聞などのメディアにはそう書かれているはずです笑)

まぁ
自衛手段はお任せ致しますが、
企業にとって何が生き残るための手段になるか
よく考えた方がいいと思いますね。


あるいは
議員が実質何もしていないのならば
じゃあ誰がその責任ある仕事をやってるってことに
なるんですかね?

官公庁ですか?
それはそれはご苦労様です。

そうですね
そうすれば実質の権限も官公庁にあるということになり、
こちらも監視の対象になるでしょうか。(笑)

まぁ
普通に清廉潔白なお仕事をされていれば
問題はないでしょう。

いろんな企業や
いろんな有象無象が利権を争っているようですから
さぞ面白いことが出てくるだろうと勘案していますが
何せ私は
手鎖の刑が未だに解かれていない様子なので
ぼちぼち
まずは自分の身に降りかかる
周辺の嫌がらせ犯人の追求から
参りますので。


昨日の映画を見ていて
よく同性愛の話題が出てくることの意味が少しわかったような気がしています。

恐らく今の日本の憲法では同性との結婚が認められていないことに関するものなのかもしれないなと。

たぶん日本の憲法ではキリスト教の思想的なものとは違っています。

日本では思想の自由は認められていますから
同性との恋愛等に関しては自由で、そのことで差別されることはむしろ違法です。
ただ入籍ができません。

恐らくこのことを私が考えると
当時今の日本の国の状況を考えて
当然のことだったろうと思います。

つまり本来的な意味で男性と女性との性交によってしか子供はできません。
クローン技術もなかっただろうし、当時日本ではたくさんの人が死にました。一人でもたくさんの命を増やしたいという希望は国力を考える上でも、たくさんの命を失った一人一人の気持ちの問題としても、必ずあったし、だからと言って、同性愛者を差別しようという意思から来ているものとは思えないんですよね。

憲法ではたくさんの人々の細やかな部分をフォローできないところもあるかもしれませんが
まずは、憲法の大枠を守ることで
大前提となる人々の基本的人権は守られるということを
もっと知ってもらいたいなと
私は思います。

もう革命の時代は終わりました。

血を流さず、みんなが正しい生き方が
できる時代なんです。

本当はね。

だから、
それを守らない人間には
やはり政治や社会を口にする権利はないと
私は思っているし

たくさんの人に
もっと真実を見抜く力をもってほしいなと

今朝木瓜を見ながら考えたことを
まとめておきます。