釈迦に説法。

          20176/20/7:28


おはよう(*´∇`*)

今日も朝はよから
出勤ですよ!


いい忘れてたけど
昨日会社をお休みしたのです。

体調不良で。

というか
会社にいくと体調不良になるので
そのことを考えただけで
気が滅入るし
心まで病気になりそうだったので
おやすみしました。


気分転換に
お店とか
ぷらぷらしてきたの。

平日は良いねー。

人が少なくて。

会社に入るまえのこと
思い出してた。

前までは
平日は学校で
土日祝日は朝5時30分に起きてバイトしてたから

基本休みはなかった。


学校も博士になる前までは
とても忙しかったし
博士になってからは

講義にあまり出なくて
よくなったので
平日の暇なときとかに
お店に行くようにしてたんだった。

懐かしい。


そう言えば
昨日のMUSICAで
BIGMAMAの金井さんが
おもしろいこと
書いてたね。


自分は曲を先に作って
それに合わせて歌詞を付けるから
恋愛の歌を作ろうと思って
作っている訳じゃない
とか
なんとか。


こういうこと言う人
結構見かける気がするけど
よくわからないんだよね(笑)

言語学だとね
音は意味を持たない
っていう考え方が
基本だから

どういうことなのかな
って考えたりする。

例えば
aという音に意味はない
ただ
appleという音の連なりがあり
それをリンゴと認識する概念(一般化)があって
初めてそれは
リンゴという意味を持ち得る。

つまり
a p p l eという音の繋がりが
リンゴという概念を
要求しているわけではない。

これを言語の恣意性と言って
詳しくはソシュール記号論とかを
読んでほしい。

話は戻って
例えば
音があって

その音のつながりが
メロディーになったとする。

そのメロディーを作ったアーティストが
この曲には
この言葉がふさわしいと思って
歌詞をつけたとする。

その行為に
普遍的な法則が
存在するか

ということです。

私は
その作業は
極めて恣意的だと思うんですよね。


わかりやすく言うと
それは
その人が
そう感じたから
そこにそういう言葉が乗った
ということだと。

つまり
曲に歌詞をつけることは
とてもパーソナルな行為で
その人のその行為によって
その曲が「解釈」されるということに他ならない。


もしかしたら
この音には絶対この言葉が乗るべきだとか
思う人もいるかもしれないけど
「絶対」のレベルが
普遍的な法則になるまでのレベルかどうかは
わからないですし

おそらく「絶対」というのは
ないんじゃないかと。

そうするとね

逆に言えば

例えばとある曲を作った人が
そこに愛の歌をのせたら

それはやっぱり
「その人が作った」愛の歌なんだと

私は思うわけです。


だから
金井さんが書いた文章で

恋愛の歌について
曲が先にできることが
どんな風に影響するのか
というのは
あまりあの文章からは
見えてこなくて

要するに言いたいのは
自分の作る恋愛の歌は
ほとんど実体験に基づいて
作られているものはない

ってことが
言いたかったのかな
って
思うんですけど。

まぁ
なぜそんなことを
みんな
わざわざ書きたがるのか

わかりませんけど(笑)


自分の作った恋愛の歌が
フィクションです
って言うことに
なんか意味あるのかな???

そう言わなきゃいけないような
困った状況に陥っているとか?(笑)

ま、
それは
いいとして。

なんだっけ?


乗り換えしてたら
書こうと思ってたこと
忘れちゃった(笑)

とりあえず
思い出したから
書いてみました。


ちなみに
昨日
「小賢しいから反論してやりたくなる」
って書いたけど

別にそれは
金井さんのことでは
ないです(^-^)


そういうわけで
そろそろ会社に着きそうなので

この辺りで。


今日も1日
頑張ろう。

またねー('ー')/~~