思い違いなわけない。(後半)

(もしかしたら、さっきの記事
途中で切れているかもなので後半のみ再アップ。)
昨日、一昨日は
志摩さんのインタビューがおもしろかったから
いろいろ考えることができて
よかったよ。

また
いろいろ書きたいなぁ
という気持ちにはなった。
「★」も聴いてみたいなって
思っていたのも
思い出したし。

2月までは
結構WOWOWで録画したのを見て
楽しんだんだけど
WOWOWは3月は解約したんだよね(笑)

なんか
送られてきた番組表見たら
地デジっぽくなってたので←(笑)
やめたった。

9/10以降
地デジ、BSなど
いわゆるテレビ局で作っている番組は
全く見ていないので。
(結弦くんのフィギュアを一回見たときだけ)

なので
時間があったら
映画を見てました。
WOWOWで(笑)


WOWOW
また
しばらくしたら
戻るかもしれないけど
予定は未定です。

最近は洋画にはまってたよ。

見出すとおもしろいからね。


あ、話がそれたけど
昨日の話の続きで

志摩さんのインタビューでね

音楽を聞く人達について
「容量オーバー」というような表現を
されていたんだけど

「容量オーバー」っていうより
「聴いてない」んだと
思うの。

聴いていないのよ。

そんなに深くは。

みんな
表面で
さらっと聴いているの。


若い人達は
特に顕著で

「なんとなく」好きで
楽しくて
カッコいい

みたいな?

若いうちは
そういうものかもしれないけど。

あとは
大人になったら
そんなに時間自体があまりないし、
だから逆にたまに聴くとよかったりするんだけど。

朝夜帰りに
音楽を聴くようになっても
たまに別のことを考えて
聴き流している自分がいるのよね。


ネット上の
いろんな人の書いているものを見ると

やたら一生懸命ライブレポートとか
書いてる人とかもさ
よく見たら
なんか別の思惑が透けて見えたりとかね。(笑)

まぁ
別に言葉にできるできないはあるだろうから
黙ってひそかに聴いて
味わっている人も
いるかもしれないけれど。

でも
これはさ
ミュージシャン側にも責任があって
そういうリスナーしか
育ててこなかったから
こういうことになったとも言える。


やたら
「キャパの大きな」会場を埋めるために必要な頭数
とか

SNS
なんかうまいこと言えるファン
みたいなのばっかりを
増やしてきたから

結局こんなことに
なってしまったのではないかと
思わないこともない。

傍から見ている印象ですが。

だから
アーティストの人が
一生懸命作品を作っても
その熱意と同等のレベルで
聴いている人ばかりではないし
むしろ
そんなに深く聴いていない人の方が
多いと思う。


だから
ちょっと時間がたつと
忘れるのね。


ネット上を見ると
そんな感じだし
それを見た同じ雰囲気の人達が
どんどん増えて
それが主流になっていったとしてもね

ちゃんと聴いている人達はいるってことも

忘れてほしくないんですよね。


去年の夏のRIJで
ドレスコーズのライブを
WOWOWで見たけど
志摩さんと志摩さんの歌う歌が
それを聴いている人達に
すごい愛されているなぁ
って思った。


だからね
ネット上に目に見える形で
そういう人達がいなくても
ちゃんと歌を受け止めている人達は
いるんじゃないかなと

私は思うのよね。

まぁ
「ずっとファンでした」
って言ってくる人と
たまにライブで聴いて
一人で感動してる人の
どっちが音楽をより
深く聴いているかの判断は
アーティストの人達に任せますよ。

心の目で見てください。

そうじゃないと
伝わるものも
伝わらないのは
当たり前で

だってファンが
アーティストと会話とかできないんだからさ(笑)

ていうか
別に日常会話とか
したくはないですよ
私は。

ついったとかで
ファンとのやりとりをしているアーティストとか見ると
「忍耐力あるなー」と
感心してしまう。

ま、
本人じゃないかもだけど(笑)

だから
私は
極力そういうのがありそうなところは
避けてます。

いい加減
気づいてほしいんだけどね。


レコード会社の人が
「次のアルバム作りましょう」って言うのは
仕事だし

「次のアルバム早く聴きたい」って言うのは
どうしようもないファン心理としか
言いようがないの(笑)

みんな
自分のペースで
仕事できたらいいのにね
って
私は思うけど。

早くたくさん仕事やろうと思えば
できるよね
そりゃあ。
(まともな環境ならね。)

でもさ
そこまでやる必要が
そもそもあるのかと問われれば
ないわけで。

たぶん
誰かの利害関係の中で
私たちは
動かされているだけの話で。

昨日の自分の仕事のことを考えても
まぁ自分が納得いくよう
きっちりとやっていきたいな
と思った次第です。

でも
やる必要のないことを
残業までしてやる意味はないのでね。


あとね
何かを捨てたら
何かを得られるということは
改めてわかった。

私は
ずっと性善説に基づいて生きてきたし
ちゃんとそういう場所を選んで
そういう場所に行けるよう
努力してきたからね

私の最初の頃のブログを
読み返してみてもわかると思いますが

私のあのブログの文章が
いかに世間で荒波に揉まれて薄汚く汚れてしまった心の人達の反感を買ったかは(笑)
まぁ同感はしないが
理解はできるようになりました。


だからと言って
実害を被る誹謗中傷、嫌がらせの類いに甘んじるつもりは
全くないの。

心が醜く汚いほど強いわけでもないのでね。

そう
「変態であればあるほど強いわけではない」と
HKも言っていたわ。

あ。
HKというのは
変態仮面のことね。

映画は
まぁまぁね(笑)

ていうか
変態については
言いたいことがたくさんあるので
別の機会に。(笑)


とりあえず
私は私なりのやり方で
やっていきたいなと
思うわけです。

話が逸れたけれども
それまで性善説に基づいて
生きてきた私は
とかく
いろいろなものを
大切にしてきたわけです。

でもさ
世の中には
別に大切にしなくてもいいものなんて
たくさんあって
しかもその一見大切なもののようで
実は羊の皮を被った狼ではなく
人間に化けたゴキブリのようなものまでいることが
判明し
ゴキブリはもちろん
たくさんの大切なものを
捨ててしまって

というか
実際私には大切にすべきものが
何一つないという状況だと感じる場面が
多々あったので

私の中の大切なものについての定義が
少し変わったのよね。

生きていく上での
考え方も
そうだけど。

だから
私は基本何も持たない状態が
一番安心できるように
なったのです。

そうしたら
いつでもいちばんふさわしい道具を手にして
いちばんふさわしいやり方で
いろんなことができるようになる。

だから
私には

究極のところで大切なものは
ありません。

大切なものを失って

また
取り戻すために

大切なものを
ちゃんと自分で実感して
手に入れるために

いろんなものを
一旦破壊することは
致し方なかろうと
思うわけです。

だからね
今まで無難なやり方を
やっていたところから
少し道が開けた。

そう思うの。

思えば
「悪の経典」のハスミンには
大切なものは全くない
強いて言えば
自分くらいしか
大切なものをないと言ってもいい。


だからどんな選択肢も選べる。

だからどんなこともできる。

それを実行する能力があれば
ね。

私は
ハスミンほどのレンジはないし
ハスミンほど割りきれていないが
でも、今、私やそれをとりまく環境を見てみると

私も少し選択肢の幅を広げてみようと思う。


これはゴキブリどもに対する最後通諜的なものであり、
自分のなかでの
確認でもある。

なので
書いておくことにする。


たぶんしばらくは
書かないと思うので。


では、また('ー')/~~