四十而不惑。


昨日福岡に
無事に戻ってきて

今日もちょっと用事があり
お出掛け中です。

(例の馬鹿会社の退職手続きの一環ですね。)


福岡は
いろんな意味で
相変わらず(笑)

今日は
お天気もよく
あたたかいな。


なんか
空気が春みたいですよ。



期末の時期なのか
(早くね?)
電車には
お昼なのに
大量の高校生が
乗ってます。


京都の旅は
いろいろありましたが
私的には
やりたいこととか
見たいものは

だいたいできたし

まずまずの旅だったと
思います。


京都の旅については
近々少し書く予定

これから
ブログのほうも
整理していきたいので

前に書けなかった
長崎の旅のこととかも
書こうかなと
思ってます。

今回の旅はね
ネットは使わず

地図を片手に
昔ながらの旅の仕方を
したのです。

旅行本とかも
買ってね。

やっぱり
そういう旅がいいな
と思いました。


まぁ
私の場合
ネットとか通信系が
邪魔されたりするのも
あるから

ここ数年は
宿とかも
昔みたいに
ちゃんとしたところがとれなかったり

道を聞いたりしても
わざと違った方向を
教えられたりとか

いろいろあったけどね。


でも
それでも
自分的には
なかなかよい旅ができたので

よかったなぁ
と思う。

京都の地理も
歩き方とかは
少しわかったので


今度は
今回見られなかったところも
含めて

また行きたいなと
思ってます。

ストーカーを避けつつ(笑)。


いろいろ嫌なことも
あったけど

それで考えて
わかったことも
あったし、

改めて
自分のやり方とか

これから
どんな風にやっていくか
とかも
確認できて

それが間違っていないと
思えたから。


北野天満宮とか
エレカシのライブも
そのひとつだった。

それは
別に嫌なことが
あったわけでは
ないけど。
(馬鹿が勘違いして
勢いづかれても困るので
一応言っておく。)


そう言えば
ANAの機内に置いてある雑誌に
まるでこの間エレカシの福岡でのライブで
私がライブについて書いたことへの
反論のようなエッセイがあって
笑いそうになった(笑)


監視している人達も
監視対象への敬意を払ってもらいたいものだと
思うわ(笑)


いいなと思ったものは
横取りして、

勝手に見ている分際で
ちょっとでも
自分の考えと違うと思ったものに関しては

本人の視界にわざと入るまで
しつこく
しつこく

それはもう
しつこく
目の前にちらつかせて

本人が
見ていようが
見ていまいが

聞いていようが
聞いていまいが
お構いなしに
持論をぶつけ、


相手が別になんとも思っていない場合には

本人が怒ったり
嫌な気持ちになるまで
それを繰り返す。

自分で見たいと思って
お金まで払って見ているものには敬意を払うけど、

本人が公開していないところまで
無理やり見てるくせに
(犯罪です)

本人が
嫌がっているのをわかってて
嫌がらせを続けるのは
(まぁだから嫌がらせなんだろうけど)
人としてどうなのかと思う。



根本的に
考え方がおかしいのに
なんでそのことに気づかないんだろうか
と思うけど

最近それがわかってきた。

そいつらの頭が
おかしいからだと。


なのでそういうのを
ゴキブリと呼んでいるのだが。


いちいち人のこと監視して
遠回しになんか言うのとか
ほんとくだらないって

自分で思わないのかな?


まぁゴキブリだから
気づかないんだろうね。

そーいうのを
仕事のネタに勝手にしてるくらいだから(^-^)

ほんとあさましい。



あとさ、

紅白に出場することが
とても嬉しいことと
宮本さんは言っていたけど、

私は
紅白は基本見てないんだけど
見てるときは
タツで何も考えずに
なにか食べながらとか

適当にしか見てないのよね。

もちろん家のテレビで
無料でね。


だから宮本さんが
どうして
そんな人達になりたいのか
普通にわからないのよね。

私チケット買って
遠征してまでライブに来てるのは

それだけの価値があると
思っていたから
なんだけど

だけど宮本さんが
そんな風に言うんだったら
適当にしか見ないけど(笑)
って
最近思い始めた。



私は
普通に

いいなと思うものとか

見たいなと思うものや

行きたい場所には

行くの。


でも

本人がそんな感じだったら
別にね。


だって
わざわざ
本人が
ライブで言うくらいだから。


じゃあ
そういう考えの人
みんなで

楽しくやれば?
と思う。




私ね
最近思ったんだけど

人と違う存在になれる人って

やっぱり
自分は人とは違うって
思ってる人なんだなと思って。


だから
普段の生活も

ちゃんと自分がどういう風に
存在できるか
考えて生きていると思う。

そして
そのことに対する
責任感みたいなものも
あると思う。

自分が生きていくため

そして
そういう存在として
生きていく誰かのために。


だから
自分は
こうしたい
したくないっていうのは

ちゃんと決めないと
いけない。

一人のように見えても

そこで
自分以外の世界と
繋がっている。



表向きだけ
自分は特別な存在に見せていて

普段はそこいらの人と
変わらない人は
たくさんいる。


別にそれは
悪いことではない。


だけど
そういう人は
特別な存在にはなれない。

すごく簡単な理屈だ。

若いときは
それが無理やり
形だけのときもある

でも
それが年をとるにつれて
当たり前になっていく。



だから
若いときに
くだらないことしか
やってない人は
くだらない人間にしか
なれないよ。

これは
若い人に言いたいんだけど。


みんな
そうやって
努力してるのに

ヘラヘラ笑いながら
人に嫌がらせしてて

まともな人間に
なれるはずないだろ?

申し訳ないが
私も若いときは
結構努力してきたのでね。

今も
全然考え方が違う人達の中で
全然話も通じずに
嫌がらせもされながら

とても苦労しているわ(笑)

まぁ別に
どうってことないけど

悲しいときもあるし
いろいろある。


自分の周りの大人が
ゴキブリみたいな人しか
いないのかも
しれないけど。

まともな大人を
ちゃんと探して
みたほうがいいと思うの。

そういう意味では
もし私を監視しているんだったら

こいつどうしてこんなこと言ってるんだろうと
考えるだけでも
だいぶ違うわよ。

本当は
私の話を聞くのは
とても高いと思うの。


だって
10年以上
大学院でいろんな分野の
一流人達の話を
聞き続けた人間の話を聞く機会なんて

そうないと思うわ。

まぁ
専門的なことは
ひとつも書かないようにしているので
余技ですけど

でも
自分が思ったことは
惜しげもなく書いているし
わかったことも
惜しげもなく
教えているわ。


だから
ちゃんと
まともな思考回路を持って読めば

わかることも
たくさんあるはずなのよね。

私が高校生くらいのときは
そういう人は
まわりには
いなかったから


だから私は
いろんな人の書いているものを

読み漁ったの。


私が生きていて
感じることの
答えを
説明してくれるような
人を求めて。

だけど
思想家は
やっぱり
時代も考え方も

今生きている私とは
違っていて

ぴったりと来る人とかは
いなかったのよね。


でもね

そこで

芥川に会ったのね。


芥川は

死んではいけない
とは

言ってなかったの。


死にたいと思っている人間には

それは
真実だったのです。


そしてね


とても美しい
世界を
作り出していた。


だからね

私は
世界にはたぶん

いろんな人がいるんだと
思ったし


たぶん
美しいことも

楽しいことも

もっと
たくさんあるはずだと

私は
思ったのです。


だから

私は
芥川が死んだ歳までは
生きてみようと思って。


そして
そのまま
大人になったのです。


生きていく答えも
見つからないまま

もうすぐ
芥川が死んだのと

同じ歳になるなぁ
って

もしかしたら
その前に
死ぬのかな
って
思っていたとき


宮本さんに
会ったのです。



別に求道者たれ
とは言わないけれど

何かを真摯にやり続けると
それはひとつの
型になるし

思想になる。


それを
自分の中で育てていけば
いくほど

その世界は
広く大きく
なる。

ときには
その世界を一旦
捨てることで

新しい世界を
手に入れることもある。

ひとつの世界が

一気に広がることもある。


そういう自分の中の世界を

限りなく広げたり
縮小したりして

人というものは
形作られる。



見た目には
わからなくても

わかる人には
それがわかる。

というより

認識していないだけで

そのことは
実は
みんなわかっているのだ。

今のように
わざとらしくないライブを
見ていたとき

私は
そう思った。

実は
みんなわかっているのだ。


だからね

妥協したら
そこで終わりなんだよね。
迷いがなくなって
柔らかくなるのとは

違う。


自分の世界に
蓋をしたら

自分の世界を
殺し続けたら

人は枯れる。



才能は
消費されるし

枯渇するものだから。


有名になって

お金と権力を手に入れて

自分の力を知らしめたとしても


そこで知らしめられる
自分の力が

本当にその時
そこで
知らしめられるべきものなのか。


宮本さんは

どんな相手に
それを見せたいのか。

どんな相手にも

最高の自分を
見せたいのならば

もっと

ひとつひとつの
瞬間を
大切にするべきだと
思うの。


大切にするってなんなのか
考えてほしいの。


ライブで
どうでもいいことを
言わないでほしいの。

ライブは
音楽と
それにまつわる
想いを
やりとりする場なのです。

もし
相手と他のことをしたいならば

誰かと話したいなら

どんな手段を使ってでも
つかまえて

目の前で話して。


少なくとも
私は
目の前で
話せる相手としか
話さないし

信頼している相手にしか
心を開けないです。


今は。


だから

迷わないでよ。


弱くならないでよ。


いつでも

カッコよく
いてもらわないと

私が困るんです。



私が

宮本さんを見る
意味がなくなるから。


テレビとか
いろんなものの力を借りて
有名になりたいんだったら

その人とかの
力を借りればいいよ。


私が書くまでもなく
宮本さんは

きっと有名になれるでしょう。


私は

すばらしいものを

すばらしいと
書きたい。


テレビとか
いろんなメディアの
有名になるための手段を
使わなくても

素晴らしい人が
いるんだって

誇らしく書きたい。



そう思ったときに

一番書きたいと
思うような
気がするのよね。


テレビに出たら
有名になれるよ。
(って神話ももう終わりかけてるけど。笑)

でも
私は
その人達とは
違った立場だから。


おまけに
嫌がらせとかも受けてるし。


その人達とつるんでる人達のことで
許せないことが
たくさんあるんだよね。


それは
音楽だけじゃなくて
いろんな作品を見てきて
自分なりに思うことであり
少なくとも
文学・言語・思想という分野を
専門に勉強してきた人間の
責任でもあるのです。


だから
それだけは
譲れないのです。


から
私が力を貸せることと
貸せないことがあるの。


昔は
ただただ
宮本さんが好きで

周りが見えていないところが
あったかもしれないし
現実を知らなかったところもある。

馬鹿みたいに
人を信じていたし

おかしいなと思うことすら
無理やり気持ちを
押し込めたりしてた。 


ずっと
しあわせに
宮本さんを信じていられたら
良かったし

どんなときも
駆けつけて
そばにいたかったけど

環境的に
そんなことを
ずっと続けられないことも
わかっていた。


だから
今の結果は
当たり前とも言える。

でも
今も
エレカシのライブに
行っているし

歌も聴く。


私にとって
エレカシ
やっぱり
もう
私の一部だし

宮本さんは

やっぱり
私にとって
すごく大切な人なんです。

だからこそ

私に関わるよりも

もっと
自分のことを
考えてほしい

でも

ライブに行くと

つい
わがままになってしまうのよね。


でも

この間のライブも
そうだったけど

宮本さんは

なんというか

とらえどころの
ない人だと思った。


宮本さんが

ライブのときに

「大人みたいで
子供みたい」

って言ったけど


私も
そんな感じだし

宮本さんも
そんな感じだし。


やっぱり
似てるのかもな。(笑)


なので
他の人がなんと言おうと

気にしていないのだけど

でも
勝手なこと書いてあるのを読むと

いらっとすることもあるし

乗せられちゃいけないと思って

乗せられちゃうこともあるし

宮本さんとかが

乗せられちゃってるのを見て

あーあ
って思うこともある。


でも
ライブで
最終的には
いつも
なんやかやとおさまる感じなので


そういうことなんだと
思うけど(笑)

でも
ほんとに
毎回

これが最後だ
と思うことがあるし、

いろいろなのです。


でも
そういう

コールアンドレスポンスも
大切なつながりの
ひとつだから。


そんな感じで
さいごのほうは
帰り道に書いた。


つらつらと書いたけど

しばらく
いろいろ自由に
させてもらおうと
思ってるので

明日は
また
どうなることやら。


そんな感じで
毎日は続く。


まぁ
エレカシのファイナルまでには

ライブの感想は
書きます。


今まで
あれやこれやしていたら
ほんとに時間がなくて
書けなかったけど

少しは
時間ができそうかな
と思うので。


まず
会社の嫌がらせがなくなることが
大きい(笑)


そんな感じで。


気を緩めず
毎日頑張るつもりです!


ではでは

またね('ー')/~~