ろじかる。


おはよう。

今日は雨の日の朝。
今日から1週間
またお仕事がんばらなくては。

マスクは持っていってるけど
風邪はだいぶよくなったよ。

昨日の夜は
録画してた
「ヒメアノール」を見た。
「ヒメノワール」と勝手に思っていたけど
「ヒメアノール」だったのです。

殺人鬼になってしまった人のお話。

前半は濱田岳さんと森川葵さんのカップルが(それにムロツヨシさんが加わって)
なんかほのぼのしていたのだけど
後半からがすごかった。

後味が
ものすごくどす黒い。

悲しくて
やりきれない話だった。

「悪の経典」より
ぶっ飛んだ感じはなく
非現実の中の
リアル感がすごい。

なんとなく
森田剛さんの年齢不詳の相貌と
どこにでもいそうな
キチガイ感(演技の上での)が
とても怖かったです。


森田剛さんって昔
携帯の電話帳のメモリをたまにリセットするって
お話されてたけど
(今ならLINE全部削除するようなものだろうか)

そのときは
どうしてそんなことするんだろう
と思ったけど
今はよくわかる。
(私は今家族の番号すら登録していないから。←携帯のセキュリティの問題もある。)

というのを
ふと思い出した。

とにかく
無差別殺人を
平気でやる人
というのが
本当にいたら
すごく怖いなという
当たり前の恐怖感を
改めて植え付けられたような
感じ。


普通に家に帰ったら
知らない人がご飯食べてて
横にレイプされて
殺されて
半裸になった奥さんが転がってて

逃げようとしたら
背中を包丁で
めった刺しにされるとか。
殺人鬼となってしまった人は
学校で
それこそ死ぬほどいたぶられて
恥辱を受けるような
いじめかたをされたらしいが
途中で
いじめているやつを
ついに殺してから
おかしくなったらしい。
(その辺りの理由はあいまい。)

なんとなく
怖さを煽っている演出は
否めないが

この間
ふと考えたことがあって。
暴力を振るう人って
相手が何も反撃しないから
それを続けるんだと思う。
自分の欲望だけを
思う存分晴らせるから。

そして相手が殴られた痛み以上に
どれくらい傷ついているかとか
爪の先ほども感じない
無神経な人なんだと思う。

だから本当は
そういう人達には
同じ痛みを感じてもらうのが
一番効果的なんだろうけど、

やさしくて弱い人はそれができない。
絶対に。

まぁ追いつめられたらどうなるかわからないけど。

人間には二種類いる。

他人を傷つけても無関心な人間と
傷つけられる痛みを知っているからこそ
他人を傷つけられない人間と。

でも後者は痛みを知っているからこそ、
自分の痛みが当然のものになったとき、
それを
他人にも理解してもらえるくらいに当然なもの
と考えるようになり、

自分も他人を傷つけるようになるのかもしれない。

暴力を受けた人が
自分も暴力を振るうようになる理由は
そういうことだと思う。

「ヒメアノール」の
殺人鬼も
然り。

先日
久しぶりに「悪の経典」を読んで

そのあと
いろいろと考えていた。

いじめられる側には
いじめられる理由があることが
多い。

それは際立った弱点もそうだし
逆に際立った才能が
その要因となることもある。

けれどハスミンこと
蓮実聖司は
サイコパスと呼ばれるが
他人を毛嫌いしているわけでもなく
殺したいほど人を憎んでいるわけでもない。

ただ
自分が生きていくために
そういう決断を行っているだけだ。

共感意識の欠落
という
今書いていてもやっぱりわからないけど
それがハスミンには
欠けているという。

共感意識って何だろうと思う。

他人の立場に立って
思いを巡らすことのできない人間とか
他人の痛みがわからない人間なんて
ごまんといる。

私のまわりにもたくさんいるよ。

でも
ハスミンには
とにかくそれが欠けていて
普通とは違う人間というレッテルを
小さな頃から貼られる。

どんなに頑張っても
人とは違うバケモノなのである。

改めてハスミンを見てみよう

見た目は
普通
小さい頃から
なんなくクラスをとりしきり
教師からの信頼もあつく
成績は優秀で
京大を1ヶ月で退学したあと
アメリカへと渡り
MBAまで取得している。

教師になれば
授業は完璧
日々努力を怠らず
生徒にも真摯に対応し
人気も絶大。


まさに
社会に順応できた
完璧な人間だと思う。

「社会」が求める
完璧な「人間像」と
言ってもいい。

けれど
ハスミンが社会に受け入れられることはない。

それは
ハスミンが
普通の人とは
「違った人間」だからだ。

どんなに涙ぐましい努力をしたって
ハスミンが
社会に受け入れられることはない。

そうやって
「社会」の「人間」は
自分達とは違うものを
徹底的に排除する。

そういう
「共通意識」で
「社会」は
成り立っている。

そして
そんなことを
誰も考えたことがない。

大多数の中で
当たり前に生きている人にとっては
それは当たり前でしかないからだ。

物事の側面は
常に
片側からしか見られていない。


ハスミンは
できるだけ社会に溶け込もうとした。

けれど自分が生きるためには
絶対に自分を受け入れない人がいる。

その理由は
わからない。

どうにもならない理由だ。

だから
ハスミンは
自分の周りを
そうならないように変える。

自分が生きていくために。

映画
「渇き。」で
主人公の女の子が
殺されるとき

その女の子を殺そうとした女教師に
「なんで?」
と聞く。

女教師は
泣きながら言う。

「自分の娘を愛しているから」
だと。

女の子は言う。

「超ウケる」

それは
当たり前だ。

「愛しているなら
殺すはずだ」

女の子が
父親から受けた「愛」は

「殺されかける」
ことだったから。

その女教師が
自分の娘を「愛して」いるなら
その娘を「殺すべき」ではないのか。

間違っている

その女の子は思う。

自分の娘を愛しているから
人の娘を殺すって
おかしいけどね

っていう
当たり前の結論もある。

「人間」は
おかしい。

適当に
自分たちが「正しい」と思う理屈を
振りかざし
真面目ぶって生きている。

ほんと
超ウケるね。

って思うことが
よくある。


雲は流れる。

今朝はこんな話。

今日は
いつもより
一本遅い電車で
行ってるんだけど

またよくわからない理由で
JRも地下鉄も遅れている。
たぶん
会社に着くのは
ギリギリだろう。

今日も1日
頑張ろう。


ではでは
またね('ー')/~~