雲の向こう。

絵音くんは
ゲスの極み乙女。」の曲が
いろんな人に聴いてもらえたらいい
って言ってて
それは変わらなかった。

だから
私もindigo la Endのライブに行けたし

曲もちゃんと
聴かせてもらえたの。

それは
すごく
素敵な思い出だった。


ただ
私が
その場所に
居られなくなっただけの話。

そして
たぶん
そうなることは
最初から決まっていたし

私も
それはわかっていたの。


ただ
ずっと聴きに行けたら
いいなって
思ってた。


でも
無理だったんだ。


それは
仕方のないこと。


絵音くんは
誰かに嘘をついたかもしれないけど

音楽に嘘はついていないと思う。


誰が
白とか
黒とかじゃなくて。


全く嘘をつかないで
生きている人なんていない。

もちろん
本当にまっすぐなひとも
いるかもしれないし、

嘘をつかないで
生きていけたら
いいと思うけど。


嘘をついていないつもりの嘘つきより
よっぽどいいわ。

まぁ
みんな
自分は嘘をついてないと思って生きてるから。

そして
それでいいと思うんだけど
そういうのを
ほじくりかえしたい奴が
いるんだよね。


結局
嘘は事実の断片で

ただ
それを真実と言い張るかどうかの問題で

それ自体は
どうでもいいことなのに

みんな
「嘘つき」
という言葉に
ふりまわされてるんだ。


最近
私自身もそうなんだけど。
ほんと
この「嘘つき」論争
始めたやつは

くだらねぇな
と思うけど

これもまた
何年も前の話なんだよね。
ああ
この話は
もうやめよう。


この間
ひまつぶしで読んでいた
北杜夫さんの言葉が
おもしろかったので
載せておきます。


「仕事好きな祖先によって、
私たちはタグイ稀な文明を所有している。

だが、その仕事はしっぽに火のついたイノシシであり、
アブサンとショウチュウの酔っぱらいであり、
カンジンの目的を見失っているのではないか。

私たちは古代人から見れば魔法の世界に住んではいるが、
進歩なる概念こそペテンにみちたものであり、
たとえば人間にとってもっとも重要な部分は
古代人にくらべてどうだろうか。

知識ではなく知恵について、
私たちは古代の人間たちの残した遺産に
どれほどつけ加えるものを持っているか。


どうも仕事なるものを一考してしかるべきで、
岩にトンネルを掘るにしても、
すべてを犠牲にして掘りあげてしまうのは、
もっとも人間的のわざで、同時にもっとも人間的でない。

そんなものは三メートルもほってやめておけばよいので、
必ず誰かが次の三メートルを掘ってくれる。

やるな、といっても必ずやる。
学問でもなんでもそうである。」



おじいちゃんに
「あんまり勉強すると馬鹿になるぞ」
って言われたのを
思い出した(笑)

勉強して
毎日お仕事しているうちに
そうやって
日々を過ごしているうちに
大切なものが
どんどん失われていく気がする

歳を重ねるごとに
そう感じる。

でもね

私は

そういう合間にも
ゆっくりと
心を落ち着けて
物事を考えられるようには
なってきたかな
と思うし

そういうときも
自分が好きなことを
のんびりできるようになったと思う。



日々戦いだけど

それは
どうでもいい
戦いだから。




今日という日に
思ったこととして
書いておきたいなと
思ったので

書いておきます。


人は
誰だって

人を
愛したくて

愛されたくて
生きているなぁ

って
ここ数日は思った。


おじいちゃんが
カツ丼が好きだったことを
思い出したりしたんだ。


それなのに
目の前の現実は

なんで
こんなに悲しいことばかり
なんだろう
って
思った。

そして
そこから
目をそらすことを

私はしたくないんだよね。

でも

夜は
ゆっくり休もう。



おやすみなさい。