SKYFALL 4/4

(SKYFALL 3/4からの続きです。)


源氏物語」の「雲隠」の巻、
この巻でヒカルくんは
死んでいます。

あとの「宇治十帖」は
柏木と女三宮の子供、薫の大将と
紫の上の養女となった明石の姫君(中宮)の子供、匂宮の二人が主人公ですが、
この「宇治十帖」が
またパッとしないんです。(笑)

小学生のときに
初めて読んだときに、
「あれ?これ続編?」
って思ったくらい
中途半端なんです。

でも、巻名は
今までの巻と同じ付け方
(タイトルフェチの私が言うのだから間違いない(笑))なので、
恐らく、
雲隠→削除
宇治十帖→改作
みたいな感じなのかな
と。

雲隠の巻に関しては、
「源氏」の最古の注釈書(鎌倉時代頃)でも
あったに違いないと語られていて、

その後も「あった」と考える人は多く、議論も重ねられていますが
あったとしても
保管先(東北院説、平等院説さまざまです)で
火災等により焼けてしまって
現存しないという人達が
ほとんどです。

私も現存はしないと思いますが、
式部が生きていた時代くらいまでは
それを見た人達は
いたと思います。

先に書きましたが、
式部が「源氏」で再現した世界は、
あまりにもリアル過ぎて
リアル世界と奇妙に
リンクしていった可能性があります。

それは、「源氏」の世界が
普遍的な真実を
よりわかりやすい形で
表現していたからです。

登場人物は実に300人以上、
精巧な設定に裏付けされ、構築された宮中という舞台に
さまざまな恋愛の形が描かれ、

目に浮かぶような
景色、人物描写が
古来の形式を踏まえつつも
斬新な形で提示され、

読んでいる人達が、
登場人物の気持ちに素直に感情移入でき、

もしかしたらこれは
自分のことではないか
と思った人達も少なからずいたでしょう。

宮中における
「源氏」は
誰もが見たいと思う本という
それだけではなく、
それ以上の価値と存在感を持つようになります。

日記文学やこのあと発生する
歴史物語がそうですが、

それまで「歴史」とは
天皇の勅命により
編纂記録された「国史」や「勅撰和歌集」のことを指しましたが、

それとは別に
人々の思いや生き方の真実を表現し、記録するものとしての役割
すなわち、日記や物語の中に真実があるという認識が
人々の間に広がっていったわけです。

だからこそ、「源氏」の
ストーリーが
自分達のことのように
気になって気になって仕方がないという人達もいたわけで(笑)

道長は、あるとき
自ら式部の局(部屋)に行って
勝手に草稿本(下書き)を持ち出したりしています。

娘(たしか妍子)が欲しがったからあげたのだ
と言っていますが
たぶん一番早く自分が内容を確認しておきたかったのだろうと。(笑)

「雲隠」の巻があったと主張する人達の中に、

当時の貴族達がヒカルくんを真似して次々に出家したら困るから削除したという説を言う人もいますが、

その説はともかく
それくらいヒカルくんの存在は人々の心に浸透していて、
その頃から既に「源氏」には少なからず人々を動かす影響力があったのだろうと
思われます。

メディアの影響力にいち早く気付いた道長
誰より先に「源氏」の内容を確認しておく必要があったのだと思いますね。

しかも、道長
モデルの一人という説もあるくらいですから、
当時から演出としてまるで自身がヒカルくんのように
意図的に振る舞うことも
あったかもしれません。(笑)

なので、ヒカルくんの
死に方や「源氏」の終わり方に関して、
執筆の段階から「もの言い」的なものがつくようになったか、
出来上がってきたものが
道長からクレームがつくようなものだったか
というような状況になっていったのではないかと。

式部女史はヒカルくんの死に方や物語の結末については
譲れない確固たるものを持っていたはずであり、
今後のストーリー展開にもそれが影響するわけで、

式部女史の考えるものと
道長サイドが考えるものが違っていた場合、

どっちにしろ
道長サイドが気に入らなければ公表できないということを
考えると

とりあえず、「雲隠」巻は
できたあと削除
或いは
できているものがあっても
ないものとする(公表しない)
或いは
最初から書かない

みたいなことに
なってくるんじゃないかと
思うんです。

式部女史が出仕をやめた理由として
道長の怒りを買ったということが言われていて、

その原因はわかっていませんが
おそらく「源氏」を巡って
何かあったのだろうということは、

明らかにされていない分
余計にそうであろう(おそらく「源氏」のこと)
と推測されるわけです。(笑)


①書いたけど削除された
(タイトル&本文あり→本文は削除・一部保管分も焼失)

或いは
②書いたけど公表できなかった(タイトルのみ公表、本文あるも非公開→保管後焼失)

或いは
③書こうと思った(ストーリーはできてた)けど状況が書くことを許さなかった→(タイトルのみ公表、本文なし)

①~③含めて
「あった」と仮定しています。

あそこまで書いておいて、
最初から式部女史の意思として
ヒカルくんの死について
何も書くつもりはなかった
とかいうのは
絶対ないと思いますので、

④タイトルだけあったけど
本文はなし(全く考えていない)
⑤タイトルもない(巻1、2とかで式部女史以外の後世の人がタイトルをつけた)
っていうのは
考えていません。

で、「宇治十帖」に関してですが、
式部女史が書いたのか
式部女史が書いたことにしたのか

どっちの場合もあると
私は見ていて
これも、
上記の①~③になぞらえて書くと、
①-1、式部女史が書いたが、第三者に勝手に書き直された。

②-2、式部女史が書いたが、
自分が当初考えたストーリーじゃないものを書いた。(意図的に。)

③-3、式部女史が書いたが、
自分の考えとは異なるストーリーじゃないものを書かせられた。(強制的に。)

組み合わせ的には
①→①-1
②→②-2(或いは③-3)
③→③-3(或いは②-2)
って感じですが、

式部女史が生きている時代に
①をされたら
さすがに式部女史も
個人的に草稿本くらい残す可能性があるので、
②か③かな
と思いますが、
お互いの妥協ギリギリの可能性で
個人的には②かなと思います。

タイトルのみしか公表しない時点で、
おそらく今後のストーリーも違ってくるし、

たぶん、式部女史が
最初に思っていたストーリーじゃないと思うんです。
(だから、
あんまりパッとしない(笑))

なので、意図していなかった別ストーリーを書きつつも、

でも、背後にそれとなく本ストーリーを匂わせるような
書き方は
式部女史ならするはず
ってことで②ですね。

というわけで、
本ストーリーは一体どんな感じなのか
ということですが、

お察しください(笑)

と突き放したいところですが、
今回考えたところを
少しだけ書いてみたいと思います。

宇治十帖ということで
宇治にまつわる話だったということは、
なんとなく想像できます、

では、何故宇治だったのか
ってことです。

まず、書きたいのは
その宇治のことです。

かなり前の方で
源氏物語」のヒカルくんのモデルのお話をしました。

モデル候補として別に存在する源融という人物のこと、
源融の歌と「伊勢」とのつながり、
「伊勢」と「源氏」とのつながりについても書きましたね。(だいぶ前の方ですが覚えていますか?笑)

源融が、帝の子でありながら、臣籍に下ったこと、

とりわけ風雅を重んじた人物であったらしい
ということも述べましたが、

その源融のお屋敷が
昔の六条あたり(今の五条あたり)の鴨川沿いにあったようで、

その名を河原院と言い、
文字通り鴨川の川縁に建てた邸宅で、
鴨川からの水を引き込んで
陸奥の塩釜の情景を苑内に模し、
塩竃(昔の製塩機のこと、地名の「塩釜」と区別するためにここでは旧字体にしているだけで「塩釜」と同じです)まで作らせた大変雅やかなお屋敷だった
ということで有名です。

だから、源融
河原左大臣と言われているわけです。

陸奥の塩釜とは
松島湾内に位置し、
当時、船が出入りする天然の良港で
入江付近の風景の美しさが素晴らしい場所として、

古来から
数々の歌に詠み込まれて来た
有名な歌枕の地のひとつです。

前述の「伊勢物語の旅」の
榊原和夫氏によると、

塩釜の名の起こりは
塩竈神社別宮の祭人・塩土老翁が、初めて海水を煮て
製塩の方法を教えた故事に由来するとのこと。

(しかし、新産業都市となった現在の塩釜市は、工場群がならび港も整備され、
大きな船が岸壁をうずめており、
往時をしのぶのは
むずかしくなってしまったとのこと。
(↑1970年代当時))

古今集」の東歌に

みちのくは
いづくはあれどしほがまの
うらこぐふねのつなでかなしも

万葉集」からの歌として
とられているのが
有名です。

(※いづくはあれどの箇所は岩波旧体系「古代歌謡集」の注では佐伯梅友博士の「遠目にはあれど」と同じという解釈が書かれています。)

日本は海に囲まれた国なので
古代の歌にはやはり
海の歌がたくさんあるんです。

万葉集の歌は特に、
海の浜辺の風景のなかに
のどかな人びとの暮らしが詠み込まれているものが多く、

水藻(みるめ)かる

玉藻(たまも)かる

海女(あま=天)乙女らが
藻塩焼く
その煙がたなびき

浜千鳥が
ちよちよと啼く。

白波が
寄せては返す

そんな海の風景が。

要するに
古代の神々の時代から続く
人びとの暮らしであり
日本の原風景なわけですね。

そういう風景を見ると、
なんだか懐かしく

きっと昔も
こうだったのだろうという
古代の風景が
まるで見たことがあるかのように
心に「思い出される」のであって、

なんだか気持ちが
安心するというか。

そういう感覚が
昔から人びとの間に
あったのだと思いますね。

それは
桜の花や
秋の紅葉を愛でるとか

そういう気持ちと同じで

そういう気持ちが
そこに変わらずにある
という
感覚というか。

それが、この日本という国に生きてきた人達の
共有感覚というか。

要するに
日本という国が
つないできた
人びとの想いの
時間的かつ空間的な連続性であると
思うわけです。

河原院の話に
戻りますが、

河原院も四季折々の花が咲き、
花が見頃のときには
管弦などの遊びが夜どおしで繰り広げられるなど
大変雅やかなお屋敷だったようです。

このあたり、「源氏」の
例のヒカルくんの六条のお屋敷と似ていますよね。

実は、この河原院
「源氏」ではもう一ヶ所出てくるところがあります。

それは夕顔の巻です。
(夕顔のときにあとからまた書きますと書いたのが
やっとここまできました
って感じ。(笑))

夕顔の巻で
ヒカルくんが
夕顔を連れ込んだ
例の廃屋というのが、

本文では「某院(なにがしのいん)」と書かれていますが、
場所的に考えて河原院のことだとされています。

ヒカルくんの時代には
既に廃屋になっていて、
鬼でも出そうな心霊スポットとして描かれています。(笑)

まさに江戸時代に
秋成が「春雨物語」の「浅茅が宿」で描いたような。

だから、夕顔で出てきた
妖しい女(霊)とは
誰なのかとかいろいろ考えるとおもしろいんですけど、
それはさておき、

源融を主人公のモデルとして
書いていながらも、

ヒカルくんの生きる世界とは
時間的かつ空間的な
違いがあるんですね。

これが、まずひとつ。

源融
もうひとつ別荘を持っていて。
それが平等院です。

平等院
実際は源融の手から離れたあと、
天皇が院になられてからのお住まいになったりもしたらしいですが、
そのあと、道長の手に渡り、
道長の死後、
息子の頼通が貰い受けて
阿弥陀堂にしたということは
先に述べた通りです。

なので、現在の平等院から
源融の頃を想像することは
なかなか至難の業ですが、

やってみましょう(笑)

で、まず宇治という場所について
なのですが、

源融よりさらに遡って
古事記」の時代になりますが、
こういう歌謡があります。

いざ吾君
振熊が 痛手負はずは
鳰鳥の 淡海の海に 潜せなわ

これは、
神宮皇后が
熊王率いる反乱軍と
近江で戦ったときの
熊王の歌です。

振熊は神宮皇后の部下で
熊王の奇襲を受けたとき、

「ここに皇后はいない」と言って
弓矢を捨てて降参すると見せかけ、

軍を退こうとした忍熊王の軍の背後から
隠しもっていた弓で攻撃し、
淡海の海(琵琶湖)まで追い詰めます。

もはやこれまで
と敗れた忍熊王
淡海の海(琵琶湖)に投身しようとしたときの
入水の歌が上述の歌なんです。

数日後、
その忍熊の王の遺体は
瀬田川を流れ、
その下流宇治川
見つかりました。

その後、
応神天皇崩御したあと
大山命と宇治稚郎の兄弟の間で跡目争いが起き、

宇治川の渡し場で
弟が謀って
兄を船から堕します。

ちはやぶる 宇治の渡りに
棹とりに 速けむ人し わが仲間こむ


兄は仲間に助けを求めますが、

川の両岸には
あらかじめ待機していた
弟の兵達が弓を構えていて

仲間が来ないことは
もちろんのこと、

両岸に逃れることもできずに
兄は川底に沈んでしまいます。

死体は後日、見つかりましたが、
その遺体を見て
弟は、

ちはや人 宇治の渡りに
渡り瀬に 立てる 梓弓檀
い伐らむと こころは思へど
い取らむと こころは思へど
本邊は 君を思ひ出
末邊は 妹を思ひ出
苛なけく そこに思ひ出
愛しけく そこに思ひ出
い伐らずそ来る 梓弓檀

大意としては
兄を謀って川に落としたあと、
心では兄を殺さなくてはと
思っていても
いろんな思い出が頭をよぎり、

政権争いとはいえ
家族や親類の間での争いであるので
兄が死んで悲しい想いをする
のは
自分だけでなく
家族を含めてたくさんの人達が
嘆き悲しむだろう

それを思うと
自分にはその場で
弓矢で兄を殺すということは
どうしてもできなかった

と、
いうような感じになります。

兄の遺体を眼前にして
兄を殺したことを実感したんでしょうね。

要するに、
応神天皇以後の宇治の地もまた
政権争いのために
親族同士で殺しあいをしてきた
悲しい伝説の地であった
ということです。

政権争いとは
歴史的に記述すれば
誰から誰に実権が移ったという
それだけのことかもしれません。

しかしながら、
その戦いには
特に、国の統治を親族同士の血のつながりによって
維持してきた
日本の原始古代国家においては、

それは骨肉の争いであって
当人達にすれば
そこには悲劇とも呼べる殺しあいがあって
さまざまな涙が流れたことが

歌の中には、
刻まれているのです。

源融が臣籍を賜って
臣下に下った経緯が
どのようなものであるのか、
具体的にはわかりませんが、

それでも彼は
争いの起きる前の
平和であったろうと推測される
古代国家や人びとの暮らしに想いを馳せ、

政権争いから身を引いたあとも、
人を愛し、

草木を愛で、

移り行く世の中や
人の姿、

そして、
自分の人生の過去を
振り返りながら

一人宇治の地にあったのではないかと

そんな気がして
なりません。

それは、
おそらく
道長もそうだったと思います。

だからこそ、
道長
実際、源融の別荘を
自分のものとして
そこで過ごしたのではないかと。

これが、ふたつめ。

式部女史が
漢籍をバリバリ読みまくっていたことは、
先に述べましたが、
ということは、
もちろん日本の漢字文献も
バリバリに読めたことは言うまでもなく、

事実、式部女史の
異名は「日本紀の局」だったらしく(笑)

日本書紀」を
知りつくしていたことは
間違いないでしょう。

無論、上記の「古事記」のエピソードと歌謡は
日本書紀」にもあります。

源融と宇治と「日本書紀」のつながりを考えて、

おそらく式部女史が
ヒカルくんの晩年と
その最後として考えたのは、

宇治での余生と入水
だったのではないかと
思います。

当時の人々にとって、
これはかなりショッキングな
結末だったのではないかと
思います。

道長にとっても、
自分がモデルとされている可能性もある
ヒカルくんが
社会的には申し分のない地位にありながら
入水自殺をしようというのは
かなりマズイです。

宮中での公家達への影響を考えても、
出家どころの騒ぎじゃないです。
いわゆる、ヴェルテル効果というやつですね。

式部女史がその世界を描こうとしたとき、
時代がまだゲーテの生きた時代ほど
それが許される環境ではなかった
ということです。

しかも、日本人というのは
昔からメディアを政治的に利用し、
書物の改竄を
平気でやってきた人達なので(笑)

日本書紀」を知り尽くしている式部女史にとっては
そのことも
わかっていたからこそ、
自分が書こうとしていることが、
道長含め
当時の権力者達が許さないこと、
そして、おそらく
この結末を
今までの巻と同じように書けないということを
知っていた。


宇治川での「日本書紀」のエピソードをヒカルくんに再現されてしまうと、

ヒカルくんの死に対する悲しみとの相乗効果で、

それは
明らかに藤原氏による
骨肉の争いと権勢の独占に対する
批判となるでしょう。

おそらく、
式部女史は
少なくとも紫の上が死ぬことを考えている時点から
考えていたことは
間違いなく、

いや、本当は
源氏物語」を書き始めたときから
考えていたことだと
思われます。

ヒカルくんが
「死んでも」

ヒカルくんの
物語は続く、

という結末を。

実際、
源氏物語」は
ヒカルくんが死んでからも
物語は続いています。

だから、
紫の上にも、
ヒカルくんにも
出家させていないんです。

「雲隠」の前の巻である
「幻」でも
その前の巻で、紫の上の最期が描かれる「御法」でも
ヒカルくんに出家させていません。

これは意外と
当時の常識から考えると
あり得ないことだと思います。

どんなに遊びまくっている(←笑)
良家の子女でも
日々のお勤めについては
きちんとしなさいと
躾られていて
折を見て
写経とかもさせられてますし、
(実際、「宇治十帖」の最後の手前の巻で「手習」として
浮舟に字を書かせたりしています。)

自分の来世のことなのですから
現代日本において60歳近くになっても国民年金制度を理解していないのと同じくらい、

晩年に至って出家の意思もないというのは
一般貴族にとっては、ちょっと考えられないことです(笑)

まぁ、
国民年金
任意加入制度ですけど。

(我ながらすごくいい喩え(笑))

さて、
そろそろタネ明かしを致しましょうか。(笑)

紫の上とヒカルくんの死後、

式部女史は
どのようなストーリーを
考えていたのか。

出家とか
そういう小さな世界観におさまらない
紫の上とヒカルくんのその後とは。

そう、紫の上とヒカルくんのお話は
その後も続くのです。

それは
こういうことだと思います。

紫の上の天上界での転生、
そして、ヒカルくんは
入水後、現世を離脱し
この世とあの世の境界線をさ迷いながら、
紫の上を探し求める旅に出るのです。

ここまで書けば
もうお分かりですね。

そう、
楽天こと白居易による
長恨歌」です。

源氏物語」に
「白氏文集」の影響が見られるということは、
既に言われています。

それから
竹取物語」ですね。

ベースとなるのは
このふたつです。

何故そのようなストーリーにしたのか。

それは、
紫の上が
あまりにもかわいそうだからです。

ヒカルくんもかわいそうだし。(←え?付け足し?(笑))

そして、
それくらい
当時の人々の生き方は
あまりにも儚い。

何のために生きているかさえ
わからないくらいに。

愛とは一体なんなのか?

生きるとは一体なんなのか?

当時の貴族の
特に女性は
かなり若いときに亡くなっている人達が多いです。

式部女史のお母さんやお姉さんもそうだし、
更級日記」の作者の
乳母(かなり若い)やお姉さんもそうだし、

医療もままならない時代で
産後の経過が悪かったりして亡くなることも多く、

また、
貴族といえども食生活も粗食だし、
子供のときに亡くなっている人も多いです。

もちろん宮中の外に出れば
飢死している人達が
道端に転がっていたり、

疫病が流行して
次々に人々が死んでいったりというのが
当たり前の世界ですから、

貴族も中流以下は
かなり貧しい暮らしを
していました。

それでも
宮中では
裏で派閥争いの殺しあいをしながらも
表向き和歌を詠んだり
雅楽に興じたりしているわけなので
(結局何もしていない)
そりゃそうなるよね
っていう。

だから、
式部女史は

紫の上には、
死んだあとは
自由に幸せな生き方を
させてあげたかったのだと
思います。

それは
自身の願いであったかもしれませんし、
もしかしたら、
先に亡くなったお母さんや
お姉さんのことだったかもしれませんし、
同じ時代を生きている
すべての女性にとって
そうだったのかもしれません。

「宇治十帖」は
薫の大将と匂宮の二人が主人公ですが、
宇治に住む八の宮の姫君達のお話から始まります。

宇治の山里深くに
ひっそりと住む八の宮の姫君達は、
身なりも質素ですが
無邪気さは失わず
風雅を愛し、つつましやかに生きていました。

そこに
見た目重視で押しの強い匂宮と
出生に因縁を持つ少し影のある薫の君が
もつれこみ、

さらには
浮舟という、
名前から既に頼りなげで
優柔不断そうな(笑)女性が登場して
いわゆる三角関係に陥り、
浮舟を取り合います。

浮舟は苦悩の末、入水自殺を試みるも
横川の僧都に助けられ
出家するという話。

ね?
つまらないでしょ?(笑)

山里深くで美少女発見とか
若紫だし、

三角関係とか
葵の巻の修羅場を見てきてるのに
今更って感じなんです。

しかも、
物語の結末に響き渡る
浮舟による読経の声。(笑)

ヒカルくんにも
紫の上にも出家させなかった
式部女史が
どうしたことでしょう
という感じなんです。

浮舟とか
二人の男をどっちか選びきれなかっただけでそ?(笑)

それだけで、入水するとか
他の登場人物に
むしろ失礼じゃない?(笑)

そんなさぁ

ケンカをやめて~
二人をとめて~
私のために争わないでぇ♪

みたいな
のは

ちょっと違うと思うんですよね(笑)

これはヲタなら
すぐ気づくはずなんです。

更級日記」の作者は
少女の頃から
源氏物語」が
読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて
仕方なくて
特注の仏像まで作って
祈りまくって
宿願成就して読みまくって
その結果
「浮舟みたいな恋愛がしたい」
というのは、

おそらく設定的に
浮舟みたいなシチュエーションで恋愛がしたい、
ということであって

浮舟みたいに男達から逃げて出家するとかは
むしろしないと思うの。(笑)

本編の女達は
どうやっても最終的に不幸(に見える)だけど、
浮舟に関しては
「見方を変えれば」
いくらでも幸せになれる可能性はあるわけだから。

まぁ、「更級日記」の作者も
最終的には
「をばすて」なので
最初の頃、そういう風に思っていた自分を黒歴史的に見て
いる自虐ネタなのかもしれないが(笑)


とりあえず、まぁ
現実世界的な落としどころではあるよな
というストーリーではあると思う。

更級日記」の作者も
もともと「あづまじのおくつかた」の常陸の国で育っていて、
環境的に
浮舟に感情移入しやすいし、

そういう女の子達にとっては
都の貴公子が山里にやってきて
そこでの恋愛物語とかは
宮中のきらびやかな恋愛物語より真実味があるのかも。

更級日記」の作者が晩年
姨捨山に暮らしたのも
「をばすて」と言いつつ
やっぱり場所的に
八の宮の姫君とか浮舟のイメージだしょ?(笑)
(月がきれいな場所でもありますしね。)


まぁ、そういう
わりかしライトなヲタも
たくさんいるとは思うんです。

なので、表向き
それでもいいっちゃあいいんですよ、別に。

でも、式部女史は
それだけでは
終わらないんです。

シークレットモードを
お作りになっておられるのです。(笑)

マニアのためにね(笑)

(マニアとは
ヲタの中でも
よりヲタな
異次元レベルの人達のことを
いいます(笑))

まぁ、聞いてくださいよ。(←誰?(笑))

まず、
紫の上の転生について
ですが、

式部女史は
この設定については
かなり初期の段階で
イメージしていたと思われます。

おそらく須磨の巻で
理想の貴公子が誕生したときあたり。

理想の貴公子には
その相手にふさわしい理想の女性が必要ですからね。

むしろ、
理想の女性を書くために
理想の貴公子を誕生させたとも言える。

これは、まさに
竹取物語」の貴公子の求婚譚とかが
頭に浮かびますが。

竹取物語」の設定をどこかで使うことを意図していたことは、
式部女史が
源氏物語」を八月十五日の夜、
湖面に映る月を見て
書き始めたということから窺われます。
(北村季吟の「源氏物語湖月抄」という書名はこの故事に由来します。
ちなみに「湖月抄」は「源氏」の注釈書です。)

紫の上が亡くなったのも
八月十四日の未明で
(現代の時間概念では
八月十五日未明という説もあり。)
葬儀が八月十五日なので、

紫の上は
かぐや姫が月に帰ったのと同じ日に
亡くなっている。

紫の上は、
実はこの世の人ではないか、
かぐや姫の生まれ変わりか何かなのかもしれませんが、

逆にかぐや姫
紫の上みたいな人だった
ということなのかもしれません。

しかも、式部女史が
「源氏」を書き始めた石山寺は、
琵琶湖の湖畔にあります。
ちょうど琵琶湖から瀬田川が始まるあたりです。
(瀬田川から下ると宇治川となることは既に述べました。)

だんだん見えてきましたか?(笑)

また、「源氏物語」が「伊勢」を下敷きにしているのは
今までに繰り返し述べていますが、
「伊勢」と言えば
この歌を忘れてはいけません。

月やあらぬ

春はむかしの春ならぬ

わが身ひとつはもとの身にて


これしかない。

いや、これはもう
問答無用でこれですよ。

これがわからない人は
もう一度「伊勢」と「源氏」を
最初から読み直したほうがいいです(笑)

「源氏」で
紫の上が春が好きで、

死ぬ前に二条邸の紅梅を見ながら
私が死んだあと、
この紅梅が咲いたら
花を仏前に手向けてください
と言っている伏線があり、

「伊勢」で男が
今はいない女を思い出すのが、
女がいなくなった
正月十日からちょうど一年後の梅の花ざかりの頃なんです。

で、「源氏物語」のほうでも

紫の上が
「御法」の巻で亡くなったあと、

次の「幻」の巻で
新年になっても
春を愛でた紫の上のことばかり思い出されて
悲しみに沈むヒカルくんのことが
書かれています。

しかも、
「幻」の巻で
ヒカルくんと花散里と
衣替えの話で

ヒカルくんの詠んだ歌は

羽衣の 薄きにかはる今日よりは
空蝉の世ぞいとど悲しき

つまり
紫の上がこの世からいなくなって
(天女が羽衣だけを残して天上界に帰ってしまって)

脱け殻みたいになってしまったこの世は
よりいっそう悲しい

ということです。

では、
そろそろ白居易について
説明しておきましょう。

白居易
中唐の詩人です。

枕草子」の香炉峰雪撥簾看のエピソードでもお馴染みの(笑)
日本でも白居易の影響を受けた人達がたくさんいます。

白居易は、
優秀な成績で
29歳で役人生活に入りますが、

正義感の強い人で、

44歳のときに宰相の武元衡らが襲撃される事件があり、

犯人の早期逮捕を上申したが
これが越権行為と咎められて、
江州に左遷されます。

この時期に、
廬山に草堂を建てて詠んだときの詩が
例の香炉峰雪撥簾看の詩になります。

白居易の詩に
炭を売るおじいさんの詩があって(売炭翁)、
とてもいい詩なんです。

一人の貧しい炭売りのおじいさんが、
汗水流して炭を焼き、苦労して都へ炭を運んでくるけれども、
それをことごとく宮市使に持っていかれてしまい
後に残されたおじいさんが
がっくりとうなだれる
ということを詠んだ詩です。

つまり、詩をもって
世を正すというよりはむしろ、
老人とともに
悲しみ、

そういうことはおかしいという
静かな怒りが
伝わってきます。

読んだ人の心に
同じ共感を
「呼び起こす」かのような詩です。

そんな白居易が35歳のときに

友人の陳鴻らとともに仙遊寺を訪れ、

玄宗楊貴妃の愛の話を
後世に末長く残そうという話になって

陳鴻は「長恨歌伝」を
白居易は「長恨歌」を作ったとのこと。

楊貴妃の話は
言うまでもないですが

その美貌により
玄宗の寵愛を一身に受け、

楊貴妃の一族郎党は皆役職に就いたため、
国が乱れて反乱が起き、

楊貴妃は殺されてしまいます。

玄宗皇帝の悲しみは深く
楊貴妃への想いはつのるばかり。

とうとう、楊貴妃は夢にも現れなくなった。

ここまでは史実。

源氏物語」では、
桐壺帝の寵愛を一身に受ける
ヒカルくんの母
桐壺の更衣

帝の子を宿すことで
その母親や一族郎党が
政権を握る当時の摂関政治と重ね合わせたり
というところから始まって、

「白氏文集」による影響は
既に様々に指摘されています。

長恨歌」では
白居易
楊貴妃玄宗皇帝の史実を
詠んだあと、

エピソードを追加します。

道士という超能力を持った人物が登場し、
玄宗皇帝の想いに感じ入り、
弟子の方士とともに
楊貴妃を探し出します。

楊貴妃は仙人として
天上界の蓬莱宮に住んでおり、
「昔をしのぶ」思い出の品によって
玄宗皇帝に変わらぬ愛を伝える。

そして二人しか知らない
誓いの言葉を道士に託す。

すなわち、

在天願作比翼鳥
在地願為連理枝

そうすることで
二人の悲恋を少しだけ
和らげてあげることが
できますし、

何よりも
この二人の愛について、

二人の想いについて
希望のある結末を
残してあげたかったのではないかと。

白居易の想像力と
やさしさの賜物です。

さて、「源氏物語」の
「幻」の巻に戻りましょう。

紫の上が亡くなって
一周忌が終わった
神無月(十月)頃、

空を渡る雁を見て
ヒカルくんが詠んだ歌

大空をかよふまぼろし夢にだに
見え来ぬ魂の行方たづねよ

ここから
本格的に
白居易の「長恨歌」の世界に入っていきます。

大空を行きかよふというのは
長恨歌」の中の道士が
超能力を使って
空を飛び回り、
楊貴妃を探し求める箇所
ですね。

魂の行方たづねよ
というのもまさにそうです。

ここでは、

物語の世界における
現実と「幻」の世界が
次第に
その境界線を
曖昧にしていくというよりは、

その違いがはっきりしていて

ふたつの世界は
明確に別々の世界であって
行き来などできない
という嘆きのほうが
大きい。

そして、
ヒカルくんは
年の暮れに
来年こそは
出家しようと
固く心を決めて

「幻」の巻は
終わります。

ここまでは
「白氏文集」の影響を受けてますよね
ってだけの話で
終わるのかもしれないんですが、
(恐らく、現在の「源氏物語」の研究者達の見解もそう。)

私が言いたいのは
式部女史は
白居易がそうしたように、
ここから先に
物語の中のリアル世界を受けて、
さらに別世界を準備してあげた
ということです。

そうなると、
白居易の「長恨歌」は、
源氏物語」に部分的に影響を与えた
というだけではなく、
物語の構成自体を借りたということになります。

しかしながら、
源氏物語」は、
長恨歌」の単なる作り替え
ではなく、

それまでの日本に残る
さまざまな歌や物語を
独自の視点から再構成しなおしつつ、
式部女史が生きた時代と人々の想いを投影しながら、
ひとつの世界を作り上げた

まさしく、日本の物語であり、
文学作品です。

だからこそ、日本で生きる人達に
これほど多くの
影響を与え、
心を動かしてきたのだと
思うわけです。

現存しない「雲隠」以降の
ストーリーの
具体的な内容については、
推して知るべし
という感じですが、

長恨歌」と「竹取物語」をベースに
各タイトルを見ていくと
だいたいわかると思います。

恐らく、式部女史の
物語の理想形は

竹取物語」のように
女の子というのは
もともと神秘的である
ということ。

(実は貴い身分の人間或いは天女レベルのこの世界の者ではないか?
くらいの。)

毎日こつこつと誠実に仕事をする
つつましやかでありつつも
やさしい両親(または老夫妻)に

大切に育てられる女の子であり、

「伊勢」の「筒井筒」のように
幼馴染みとの初恋をしつつ
自分が自ら想いを寄せる相手と結ばれる。

もちろん、相手も自分のことを
大切に想ってくれる相手であること。

自分自身も幸せになり、
育ててくれた両親も幸せになり

望む相手とともに
人間世界で
いくつもの季節を経て、

歳をとって
お迎えが来たら
天に還っていく。

これこそ、女の子の
理想の生き方なんじゃないですかね?

そういうささやかな幸せを
物語として
いろんな人達に読んで欲しかったのだと
思いますね。

自分が物語を読んで
そうしてきたように。

でも、実際の
人間の世界は違うじゃないですか。

そんな、ささやかなことさえ
許されない世界なので。

だから、式部女史の描こうとした世界すら
現存していないけれども、

でも、わかる人には
わかるはず
ということで、
いろんな手がかりを残してくれています。

そう、

花橘の香をかげば
昔の人の袖の香を思い出すかのように。

そう考えると、
宇治十帖の主人公達の
名前が、
「匂(にほふ)」と「薫(かをる)

ということに
気づくわけです。

「匂(にほふ)」というのは
もともと、見た目の美しさを現す視覚的な言葉であったのですが、
時代を下るにつれ嗅覚的な意味を持ち始め、
式部女史の頃は
両用だったようです。

なので、
匂宮→視覚、嗅覚
薫→嗅覚のみ
です。

まぁ、この登場人物の名前の付け方を見た瞬間に
ん?
くらいは思ってほしいところですね。(笑)

このブログで
以前も書きましたが
(→反魂香、面影について。)、
香のかほりは
別世界へのトリップの合図です。

(※ちなみに、以前架空のお便りコーナーで「かほり」は
間違いではないかと言われましたが、わざとですよぬw(笑))

よって、
宇治十帖の
最初のタイトルから見ていくと、

匂宮→別世界への導入
   (御法での伏線→匂宮に紅梅が咲いたら云々託す
匂宮は介在者的な存在ということがわかります。)

紅梅→ヒカルくんの前に
紫の上の幻が現れる(梅が枝での伏線→紫の上、紅梅の香を調合)
  
竹河→紫の上天上界に転生
(御法での伏線→夕霧、催馬楽「竹河」)

匂宮~早蕨までは
主に紫の上の天上界での
転生の様子が描かれていると思われます。

現世界からは、
ヒカルくんが
おそらく紫の上が調合した香(紅梅)による
紫の上の幻を見るところから始まって
(たぶん、「幻」で紫の上がヒカルくんの夢にも現れなくなったと書かれていたので、

ヒカルくんは
手紙を焼いたり、いろんなことを試してみたあと
紫の上の香を焚くに至ったのではないかと(笑))

紫の上の幻に引かれてか、
ヒカルくんが紫の上に会いたくて
どうしても
死者の世界に行きたくなったのかわかりませんが、
ヒカルくん入水→
宇治の入水関連説話もありますけど、
日本の場合、やはり黄泉の国といえば
地下というより
ここでは海の底ですね。
三途の川だと彼岸ですけど、
やはり、琵琶湖(海)につながる宇治川に入水と考えられます。

「した行く水の」
というのは
「した心」と同じで

裏側に別の世界、
別の意図がある
ということになりますので、

現世の匂宮・薫の話とは別に
幻世界のヒカルくん・紫の上のストーリーがあるということです。

で、ヒカルくんは
入水したあと気づいたら
別世界にいましたが、
ここがどこなのかわかりません。

もしかしたら死後の世界なのかもしれないと、
紫の上を探し求める旅へでかけます。

紫の上の
転生のシーンに
ちょいちょいヒカルくんが
絡んでくる感じで
ストーリーは進みますが、
ニアミスはありつつも
出会えず。

このあたりのヒカルくんの旅は、
紫の上の曼陀羅供養あたりが伏線になっているかもしれませんが、
記紀の嫁取り説話の類を再検討&再構成したっぽいと考えられます。

催馬楽「竹河」は、

竹河の 橋のつめなるや 橋のつめなるや
花園に はれ
花園に 我をば放てや 我をば放てや 
少女伴へて

という
もともとは
伊勢の斎宮のあたりを読んだ歌みたいですが、

四季の花々が咲き乱れる
中に
神聖な少女達がたくさんいる様子が

まさに
花園と乙女って感じです。

長恨歌」の
道士が仙女達が多くいる場所に辿り着いたという
綽約多仙子を彷彿とさせます。

天つ風 雲のかよひ路 吹きとじよ
乙女の姿 しばしとどめむ
っていう感じでしょうか。

そのあとの「橋姫」は、

「伊勢」の「八橋」を想起させます。

水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つわたせるによりてなむ、八つ橋といひける

そのあとの、
「椎本」(しひがもと)は、
記紀の「其ねが本」と
語構成的には同じなので、なんとなくわかりますが、
ひとまず保留。

また、
「総角」も
催馬楽にあります。

総角や とうとう 尋ばかりや
とうとう 離りて寝たれども
転びあひけり
とうとう か寄りあひけり
 とうとう

歌の意味は、
少年、少女が
自重していたけれども、
ついに寄り添った
という感じですが、

幼馴染みの
近くて遠い距離感
それがいつか縮まり
ひとつに結ばれるという
ドキドキ感のある歌です。

「伊勢」の「筒井筒」に
似ていますね。

なので、
もしかしたら
「総角」で
幼少期のヒカルくんと若紫が
出会ってるかもしれません。
(このあたり時空のねじれあり。)

そんなこんなで
ヒカルくんの旅は、
続いて行きますが、

最後の「夢の浮橋」で
二人は邂逅し、
昇天するのか?

ちなみに、浮橋とは
天への階段、梯子のような
ものです。

普通は、「天(あめ)の浮橋」と書きますが、
ここでは、「夢の浮橋」ですね。

これは、
ヒカルくんが
現世と幻の世界の狭間で見た
夢に過ぎないのか?

時間と空間とが
交錯する
源氏物語」の
隠されたフィナーレです。

あとは、皆様の
ご想像にお任せ致します。(笑)

源氏香というのがあって、
江戸初期に後水之尾院が考案したと言われていて、

源氏物語の世界を
深く味わうことを目的としたものであると思われます。

源氏香は、
五つの香を
それぞれ五つの別の袋に取り出して、
二十五袋作ります。

その中から五つ取り出して
焚かれた香を聞く(嗅ぐ)たびに、
右から順に縦線を書く。

同じものは横線でつなぎ、
違うものはそのままにしておく。

あらかじめ、
源氏物語の巻名のついた
香のパターンの図形が
準備されていて、

焚かれた香の正しい図形に当てはまる源氏物語の巻名を
答えるという遊びです。

五種類の香の順番の組み合わせは、
最初(桐壺)と最後(夢の浮橋)を除いた五十二パターン。

(※雲隠の巻はなく、若菜は
上下を別にする)

この組み合わせのポイントは
「前に同じものが出てきたときに」横線を引く
ということです。

わかりますか?(笑)


まさに
時間軸に添って
香を聞き(嗅ぎ)、

たまに過去に遡って
同じものをつなげる
ということですね。

昔のマニアの人達は
そのことを知っていたのでしょう。

まさに
マニアによる
マニアを極めた遊び(笑)

というわけで、
無事、「源氏物語」の旅(時空編)
ヒカルくんと紫の上の
天上界における昇天の道筋を
つけたところで、
そろそろお開きにしたいと思います。

今回は
あくまでもヲタの見地から見たものであり、
本当は
あの本も、この本も見たいし、
というのはあるけれども
それは現状できないので、

完全ではないですが、
大方間違ってないと思う(笑)

だって、
「源氏」読むのだって
超久しぶりだったし、
でも、いろいろ思い出しながら、
ここまで辿り着いたのは、

過去の「源氏物語」のヲタ達が
いかに「源氏」に魅了されてきたかを改めて感じ、

そのヲタ達の「源氏」に対する愛が道しるべとなり
私を導いてくれたとしか
言えないです。

私がこの文章を書いたのも
一人のヲタとして
「源氏」に対する愛を書いたものであり、
それ以上でも
それ以下でもない。

なので、
最後に
源氏物語」を愛したヲタ達の中でも
式部女史の準備した
シークレットモードを制覇した
マニアと呼ぶべき人達を
紹介して終わりたいと思います。

何故なら、
彼らと私が行き着いた先は
形は違えど同じであり、
私の論の補強となってくれるだろうから。

そうそう、
式部女史の日記に
式部女史と藤原公任氏とのやりとりが
出てきます。

藤原公任氏と言えば、
和漢の才に優れ、

道長の覚えもめでたい
(いわゆる三舟の才)
人物であり、

日本で初めて歌論書を書いた人物としても有名です。

言わば、当時の
歩く有職故実みたいな人なのですが、

その公任氏が
あるとき
酔った勢いで
式部のところに来て

「このあたりに紫の上がいらっしゃると聞いたんだが」


言ったそうです。

この話は
一般的には
公任氏が式部女史を「源氏物語」の紫の上に見立てた
と解し、
式部女史を紫式部と呼ぶようになった所以
としていますが、

私の見解は
違います。

式部女史が
このやりとりを
清小納言のように
「セレブとの嬉しいやりとり」
として

「あの公任氏にまで、
紫の上とか言われちゃったぁ!」
みたいに日記に書くはずはなく(笑)

このあと、
式部女史は
こう答えています。

「ヒカルくんが存在しないのに、紫の上が存在するわけがないから
そんな方はこのあたりには
いらっしゃいません」

これは
謙遜ともとれますが、
にしても
言い方が強いんです。

源氏物語」の
誰かや何かに見立てるなり
もっとやわらかな返答の仕方が
あったはずなのに
それをやらなかったのは、

要するに、
この現世には
ヒカルくんのような人も、
紫の上みたいな人も実在しない、

ヒカルくんと
紫の上は
別世界にいる人間の話だと
わざわざはっきりと
言っているんです。

すなわち、
公任氏は
式部女史が
そう答えることをわかっていて
聞いているわけです。

たぶん、
公任氏がただ一人
式部女史の思惑を読みとって、

おそらく
早い時点で
シークレットモードを
コンプリートする(した)であろう人物として
記録したのか、

それとも
全く逆(「あの公任氏でさえ」みたいな(笑))ではないかな
と。

式部女史は
源氏物語」という架空の世界を作りあげつつ、

現実世界とそれが
いかに違うことを知っていた。

何故なら、
式部女史もまた
超絶ヲタだったから
である。(笑)

リア充の人達は
そのあたりを
勘違いしやすいよね
という
典型的な例であり、
それくらい
当時の日本人もまた
ほとんどの人達は

あれだけ歌のやりとりをしておきながら
本来歌というものが
どういうものなのか知らない、

遣唐使を廃止して
国風文化と騒ぎながら
自分達がどういう文化を持っているかも知らない、

そのルーツや歴史さえ知らない
知ろうとしない

その癖、歌や歴史を
権力闘争や自分達の利益に供する道具として
使用する。

そういう人達が
ほとんどだということです。

今と同じですよね?(笑)

だから、
式部女史は
わかる人達だけに
わかるように
書いたんです。

そして、
そういう人達が
源氏物語」を
今までつないで
残してきたと
言えなくもない。

では、そんな
過去の
源氏物語」超絶マニアの方々をご紹介致します。

そのマニアぶりに
敬意を表して。

2023年6月22日
ここに記す。


(記事を4つに分けようと思ったら
4つではおさまらなかった(笑)ので、
もう少し続きます。→SKYFALL 補足へ)

SKYFALL 3/4

(SKYFALL 2/4からの続きです。)

で、もちろん
もうお気づきの方もおられると思いますが、

「源氏」で
源氏の君が紫の上(若紫)を垣間見る
という場面も
この理想の出逢い必須ポイントを踏襲しているわけです。

だから、若紫だと思うんですが。

周知の事実ですが、
「源氏」は「伊勢」を参考にしたに違いないと思われる箇所が多々あります。
(これを典拠と言います。)

上述の我が家にある
「伊勢」の口語訳の田辺聖子さんも指摘していて、簡単にまとめています。

こんな感じ↓

二条后高子→朧月夜
禁じられた恋の相手(斎宮)→藤壺
妹にふと覚えた恋心→紫の上
東国をさすらう「むかし男」→源氏(須磨)
鬼ひとくち→夕顔
女車に蛍→玉鬘(蛍)


私も、高校生のときに、
初めて「伊勢」を原文で読んだときに
鬼ひとくちの話が夕顔に似てるなーと
思ったことを覚えています。


あとは

「つくも髪」→源の内侍の老いらくの恋

とか

禁断の恋の相手(斎宮)は
藤壺というのもあるけど
雰囲気的には六条御息所(娘は斎宮)っていうのも
あるし、
朧月夜とかもそうかな
とか

多少私の見解と違っているところもありますけど、

だいたい一緒。

「伊勢」には
東国をさすらう男の話はいくつかあって、
「かきつばた」よりも「かへる波」のほうが
より「須磨」って感じがします。

「鬼のすだく」なんかも
夕顔の巻に出てくる妖しい女(霊)っぽい感じがします。

女達がからかいに集まってきている様子を鬼に喩えたり
とか。

在原業平と惟喬親王との友愛エピソードは、青海波のヒカルくんと頭の中将を
彷彿とさせたり
とか。

他にもいろいろあるとは
思いますけど。

田辺聖子さんの本は
家にいくつかあって
エッセイとかもおもしろくて
よく読んでました。

写真を見ると
昭和期によくいた
強めにパーマあててる感じの
(さすがにパンチパーマではないが(笑))
関西のおばちゃんっていう外見で、
エッセイの文章とかはナニワのノリ(多少あけすけな感じ)だったりするんですけど、
根暗なところがなくて私は好きです。

小説や古典の和訳とかは
ガラッと変わって
あの関西のおばちゃんが書いているんだとは思えないほど
の文体、人物描写だったりして、
特に人間観察が細かいというか、
人物のキャラがパターン化しないんですよね。

しかも、田辺聖子さんは
ぬいぐるみと会話できるらしい(笑)

そんな田辺さんが
「源氏」を読んだとき(若い女学生の頃)に
最初は、
紫式部はいろんな男性遍歴があって経験豊かな人なんだろうな
だから、自分の経験を文章に生かせるんだろうな
と思ったそうです。

でも、「伊勢」を読んだりして、
どうやら、紫式部
「伊勢」に出てくる男達を自分なりのイメージで理想化しているんだと
わかってきたんだそうです。

前に書いたかもしれませんが、
私が思うに
清少納言紫式部の違いって
外交的と内向的って感じなんです。


清少納言の明るさは
わたしは好きです。

没落していく関白家にあって
現実と向き合いながらも
楽しいこと、美しいものに対して
前向きな姿勢を失わないところとか。

清少納言
交遊関係も積極的で
比較的華やかに見えるというか、
今で言うと
SNSとかにセレブと自分の写真を頻繁にアップしたがるタイプ。

本人はなんの悪意もなく
無邪気にやってるだけかもしれないけど
一部には大変不評なタイプですね(笑)

紫式部
「ああいう風にこれみよがしに何でも言いふらすのはよくない」
と日記に書いてますが(笑)

それに比べて
紫式部
そういうところは
ほとんどなく、

一応、彰子(道長の娘で一条帝の后)の教育係として
ライバルの定子&清少納言に対抗するために
彰子をプロデュースする必要があったんですけど
清少納言のように
あからさまに外向きなことはしないわけです。

紫式部自体、恋愛についても結構堅物だったみたいで
道宣という夫にも
なかなか色好い返事をせず、
結婚するまでに時間がかかったとも言われています。

道宣は式部より
年齢が結構上で
気乗りがしなかった
という説もありますが、

私の直感では
あんまり好きなタイプじゃなかったんじゃないかな
と(笑)

田辺聖子さんは
道宣はプレイボーイで
紫式部は開眼されたに違いないと書いていましたが、

式部にあれだけの文章力があって
題材をアレンジする能力があったとして
道宣らしきイメージが
全く文章にも歌にも現れないというのが

よほどプライベートとの区別をはっきり線引きしていたか、
モデル化するほど未練もなく、
全然恋愛の対象じゃなかったか
どっちかだと思うんです。

道宣とやっと結婚してからも、
すぐに道宣
他の女性のところへ通い始めます。

釣った魚にエサをやらないタイプといいますか、
才女と名高い女性を手に入れたという事実だけで
満足したというか。

で、遠い赴任先で
あっけなく亡くなってしまうんです。

だから、結婚生活は
2年くらいだったと
言われていますが、

そのあと、
式部は、一人になってから「源氏」を書き始めるわけですが、

式部は石山寺での参籠の際に
須磨の巻から書き始めたという説があり、
(なので、今でも石山寺には紫式部の部屋があるという)

この「石山寺」で「須磨」の巻から始めた
っていうのがポイントだと思うんです。

石山寺と言えば
蜻蛉日記」。

作者は道綱の母となっていますが、
式部とは近い親類でもあり
道長の父であり、時の権力者であった兼家の奥さん(正妻ではない)ですね。

蜻蛉日記」は
作者の人生に対する悲哀、
すなわち蜻蛉のようにはかない自分の人生について
書かれた日記ですが、

作者は才色兼備として名高い人であったらしく、
当時はそういう「噂」だけでも貴族の男どもは
手紙を山のように送ってきて自分のものにしようとするのだと、
本人が書いています(笑)

で、その争奪戦に
時の権力者兼家も参加してきたのですが、

女(作者)側は全然乗り気じゃなくて
ずっと断っていたんですけど、
その争奪戦も押しきる形で兼家が勝利して結婚することになりますが、

その数年後、子供(道綱)が生まれたあとくらいから
兼家は他の女のもとに通うようになり、

度重なる女通いに
ムカついていた(?)作者は
何も言わずに家を出て寺に籠ります。(笑)
それが石山寺なんですね。

紫式部もそれを思い出さないことはなかったでしょう。

蜻蛉日記」では
石山寺では
なんやかやあって
最終的には兼家が迎えに来てくれますが、

式部には迎えに来てくれる人すらいないわけです。

自分の夫は
遠い任地で亡くなるときに
少しでも自分のことを
思い出してくれただろうか、

そんなことを
考えたりしたかもしれません。

自分の人生とは
人の人生とは
一体何なのだろう

蜻蛉日記」ばりに
考えたあと、

「源氏」の須磨の巻を書き始めたとすれば

あの須磨の描写に
そこはかとなく漂う
人生の無常と

そこに
一人佇む貴公子が
そのとき誕生したとすれば

それは
式部が人生の波間に見た
清くも理想の風景だったんじゃないかな
と思うんですよね。

はっきり言って、
式部は文学ヲタだったと思うんです。

式部の家系は
学者筋で
式部は漢籍もバリバリ読みます。
小さい頃、他の兄弟より
漢字が読めて
史記とかもスラスラ読んでいたので
式部の父親が「男の子だったらよかったのに」
と言ったという
逸話さえあり、

だから、
小さい頃から
いろんな書物を読んでいただろうし、
とりあえずリテラシー能力は
すごく高かったみたいですね。

しかも、
親類に道綱の母がいて、

少し時代は下りますが
その姪が
更級日記(通称をば捨て日記)」
の作者ですからね。

更級日記」と言えば、
源氏物語」大好きで、
私は浮舟みたいな恋愛がしたいわ!
と約千年前に初めて書物でカミングアウトした
超絶文学ヲタ少女だったわけでして、

血筋的にも(?)
環境的にも
式部は文学ヲタに違いないと思うわけでして、

ヲタだからこそ、
「伊勢」のような文学的な世界と、
現実世界の両方を知っていて、
なおかつ
その世界があまりにも違うことを知っていたと思うんです。

だからこそ、
女性の人生は
蜻蛉のようであり、
最終的には
をば捨てであることを
悟る家系であると(笑)

だから、
式部の目は
かなり冷めてます(笑)

理想の物語を書き始めた式部の
最初の理想の形は
もちろん「伊勢」の「むかし男」の世界だったと思います。

だから、須磨は
結構、ストレートに
「伊勢」の「都落ち」感が
出てます。

それを、当代風(式部が生きた時代っぽく)に
洗練されたアレンジで仕上げていますが。

「伊勢」は
男目線なので、
作者は男性ではないかと言われていて、

(前述のご飯モリモリ覗き見男の話も
男性目線ですよね。
女から見れば、来なくなった男のことを思いつつも
一人生きていかなくては
ならないわけだし、
ご飯モリモリ食べてたから
っていちいちうるさいわ
って話ですが、
そういう「たくましさ」みたいなのも
男性からすれば「がっかり」対象になってしまうのが
男性目線というわけです。)

式部は
そのあたりの視点も
変えていて、

男でも女でもない
中立的な第三者の視点を置いて記述しています。
いわゆる「神の視点」というやつですね。

この点からも
「源氏」は近代小説に近いと思いますが、

式部自体が
女目線でも
男目線でも
物を見ることができたからだと思います。

で、
史記」を読んでいた式部としては
社会の有り様自体おかしいと気づいていたと思います。

時代は新勢力であった藤原氏が権勢を独占し、
古代から続いていた各氏族は排斥され、
それらの各氏族がいなくなったあと、
今度は藤原氏の中での争いが始まりました。

いわゆる骨肉の争いというやつですね(笑)

誰の娘が天皇の子供を生むのか
ということに
一族内で派閥に分かれて
文字どおり殺し合いが始まりました。

そんな時代が正しいわけないじゃんね?

道長の兄、隆家の死(恐らく謀殺)のあと、
その子供達(伊周ら)が配流されて中の関白家が没落したあと、

権勢がまわってきた
道長ですが、
その娘の彰子の教育係(兼プロデューサー)として
式部は宮中に出仕することになります。

式部の想像以上に
宮中が荒れ腐っていたことは
言うまでもなく(笑)

しかも、また式部のポジションが
普通の女房(宮中の女事務員みたいな人達ね)とは
違ったこともあって
式部自身に対する嫉妬やらなんやらも
女房達の間ではあったみたいですね。

でも、まぁ
式部は超絶冷めきってますから(笑)

で、最初は
そこはかとない
「ここにはない別世界」への憧れも含めて書き始めた「源氏」ですが、

式部が見た宮中の有り様をもとに
一人の貴公子の誕生と生い立ちに
超絶リアルな味付けをしていくことになります。

宮中という
きらびやかに装飾された舞台の裏で
文字通り糞尿を投げつけあうような
女性達の争いと

その争いの渦中で産まれた
輝くように美しく
けれど、因縁めいた
過酷な運命を背負った男の子。

そして、本当の意味での
源氏物語」が
ここに誕生するわけです(笑)

だから、
「伊勢」に題材を取りつつも
全く違うんですよね。

源氏の君(以下、めんどくさいのでヒカルくんと呼ぶ(笑))は、理想の男性というわけではない。

でも、美しくて
女性が放って置かない

存在するだけで
空気が変わって

まわりの景色まで
美しくなるような

ただ、それだけでも
許せるというか

そういう存在が
いてもいい

というか

いたらいいな

というか

それは、
手の届かない存在というより
この世に存在しないような
架空の存在
という意味で

ヒカルくんは
現実世界にあり得ない存在であって
その意味でも
ヲタ的なんですよねー。

要するに
伝説の貴公子が
現代に舞い降りたら
どうなるか
という話であって、

世界が違うので
当たり前に
いろんな齟齬が生じて
いろんな事件が起きるという
(笑)

若干コメディーちっくでさえあるというね。

式部女史は
そのあたりもわかった上で
書いてますね。

間違いなく。

だから、
ヒカルくんが
この世に舞い降りた最初の頃が
一番おもしろいです。

源氏物語」は
最後の宇治十帖をのぞけば、
要するに
ヒカルくんの生い立ちから
死ぬまでが描かれています。

違う世界からやってきた
この世のものではない美しさを持ったヒカルくんは

失敗の連続ですが、

でも、それがまた
おもしろいんですね。

逆に言うと、
歳をとって世間の常識に染まっていくヒカルくんは

あまりおもしろくなくなるんです。

式部女史は
そうやって、ヒカルくんを
育てていきます。

ヒカルくん自身も後年言っているように
決して後悔のない人生ではなかった
と。

以前も書いたことがありますが、
「源氏」では
幸せになった女性っていうのは
出てこないんですよね。

そのあたり
式部女史は
どう考えているかわかりませんが、
たぶん、作り上げられる世界をそのままに
描いていった結果
そうなったとしか
言いようがないのでは、

と思います。

なので、
別に女性を不幸にしようと思って描いたわけではなく、

そういう世界を描いていったら、
そこに生きた女性は
不幸にしかならなかった
ということです。

不幸、って言っても
なにが幸か不幸かなんて
本人に聞かないとわからないくらい
その尺度は千差万別なんですが、
その基準というか
尺度というか
それが読む人それぞれで
解釈できるようになっていて、
そのあたりも式部女史は絶妙な筆致で描いています。

例えば、夕顔の巻
ですね。

これは前述の通り
「伊勢」の「鬼ひとくち」を下敷きにしていますが、

「伊勢」だと
とても高貴で自分には手の届かないような女性を盗み出したものの、
夜更けで雨も降ってきたので
盗んだ女を荒れ果てたあばら家に押し込んで
自分は外に立っていたら、
女はいつの間にか鬼に食われてしまっていた、
という話ですが、
後ろに断り書きがあって

鬼というのは女の兄弟であって
女が兄弟に見つかって連れ戻されたのを
鬼に食われたと言ったのだ
と書かれてあります。

主題は、あくまでも
手に入れたい女性は命がけで盗み出す「むかし男」の恋愛に対するひたむきさ、
なのであって、
本当に鬼がいて食べられてしまったという怪談話ではないんです。(笑)
(現代だとどうしても怪談話として解釈したい人達がたくさんいるみたいなので
一応説明してみます(笑))

でもって、
夕顔の場合は、前の「雨夜の品定め(男性陣による女性品評会)」を受けて
中流階級のいい女」代表とも言えるような夕顔との
儚いやりとり、
夕顔を連れ出したヒカルくんが
「伊勢」ばりに
廃屋で夕顔と一夜を過ごすも、
廃屋に住み着いた霊が出てきて一騒動あって
その渦中に夕顔が急死してしまい、ヒカルくんは悲嘆に暮れる
という話。

一般的に考えられている
主題としては
夕顔の儚さ
とかですかね?

一般的には
そんな感じ。

でも、よくよく読んでみると
というか
ヒカルくんの成長物語として
これを読むと
なかなかにツッコミどころ満載なんですね、これが(笑)

まず、
夕顔のエピソードの導入というか
きっかけとなる
「雨夜の品定め」なんですが、

まぁ、これは
当時の若い貴族の間で
どういう女がいい女なのか?
ということを
いろいろ言い合っていて
若さを感じますよね。

初々しいっていうか。

式部女史も
言いたい放題言っている若い男子諸君を
生温かい目で見守っています。

で、セレブな育ち(帝の子だから)のヒカルくんは
中流階級の女、というのに
興味を持ちます。

そんな折、夕顔に出会うわけですが
夕顔には夫があったんですけど正妻に疎まれて身を隠している最中であって
中流と言っても出自はなかなかよろしい人だったと
あとから判明するのですが、

それを知らないヒカルくんは
庶民階級に思わぬ奥ゆかしさと風流さを持ち合わせた夕顔(しかも自分好みの美人)に巡りあって
テンションが高ぶり

「伊勢男」並みに
夕顔を連れ出します。
(なんで連れ出すことになったかというと、
ヒカルくんが通っていることが周囲にバレると
ヒカルくんの体裁が悪いからですが(笑))

で、いかにも鬼が出そうな廃屋に夕顔を連れ込みます。

まさに、「伊勢」ですね。
ヒカルくんも自覚ありと見えて、
「まさに鬼でも出そうなところだけど、
僕を見たら鬼も避けて通るでしょう(←セレブだし、イケメンだから)」
と、
このあたりまでは
ヒカルくんも余裕です。

夕顔としっかり致して、
控えめ、且つ、されるがままになっている夕顔を
愛しく感じたりなんかします。

で、ヒカルくんは
ご無沙汰している六条御息所を、ふと思い出して
夕顔と比べたりなんかします。

で、
「六条さんは思慮深いけど細かいし詮索するから気を使うんだよな。
夕顔といると楽だなぁ」

とかなんとか思いながら
くつろいでいます。

ハイ。
ここで、式部女史の
教育的指導が入ります(笑)

その一、
女性をお手軽感だけで
盗みだしては
いけません。

突如、怪しい気配が漂い始め
蝋燭の火も消え
あたりは真っ暗闇に。

パニックになるヒカルくん
気丈を装い
「伊勢男」ばりに
周囲に指示を飛ばし
(自分ではやらない←セレブだから)
自分自身を鼓舞しつつ
夕顔を見るも
夕顔まさかの頓死。

そのときの
ヒカルくんの様子。↓

さこそ、強がり給へど、
若き御心にて、
いふかひなくなりぬるを
見給ふに、やるかたなくて、
つと抱きて

「あが君、生き出で給へ。
いといみじき目、な見せ給ひそ」

訳)
そんな風に、強がっていらっしゃるけれど
ヒカルくんはお若いこともあって

夕顔が死んでしまったのを見ると
どうしたらいいのかわからなくなったのか

夕顔を抱き上げて一言。

「ああ、夕顔さん!
生き返ってください。
僕を大変な目にあわせないでください!」


・・・・おい(笑)

どこまでも自分な
ヒカルくんであった。。。

まぁ、まだ若いからね。

このとき、ヒカルくん齢17歳。
(ちなみに夕顔は19歳、
六条さんは24歳です。)

つーか
リアル世界で死んだ人間が
生き返るわけねーだろ
っていうね。(笑)

「伊勢」と違うのは
本当に女が死んでしまうところですね。

リアルです。

物語だけど
リアルなんです。

リアル世界で人が死ぬと
いろいろと大変なのは
現代と変わらず(笑)
なので、
困ったことになります。

ヒカルくんもあっという間に
夢から覚めて
つい保身的発言をしてしまったのだと思いますが。

「伊勢」ばりに
女を盗み出すには
それなりの覚悟が必要なのであって
式部女史はそのことを
ヒカルくんに諭してあげたのだろうと思います。(笑)

夕顔が死ぬ前に
怪しげな女(霊)が現れますが、
その女のセリフも
思わせぶりです。

「なーんだ、誰が来たのかと思ったら
大したことない女
連れ込んじゃって。

向こうですやすや寝ている
女の子起こしちゃおっかなぁ。」

この怪しげな女(霊)を、
このあとの葵の巻で
六条さんが生霊として出てくるので
同一と考えている人が
結構いるのですが、
違いますね。

夕顔と六条さんを比べるシーンが
出てくるので
それと連動していると
見る人もいますが、

ヒカルくんは
実際、その怪しげな女を
見ていて、
六条さんとは違うことを確認しています。

むしろ、六条さんのことが気になって
「伊勢」の「鬼ひとくち」の話をふまえた上で
ヒカルくんが夢に見てしまった
っていう
結構リアル世界でも
起こりがちな夢あるあるなんだと思うんです。

なので、ここの霊は
六条さんではありません。

私観ですが、
先に、「鬼のすだく」の茶化しにきた女達を
鬼に喩えてうまく切り返した男の話が
「伊勢」に出てくるのですが
それと似ているので

ヒカルくんが
「伊勢男」と同レベルで
怪しい女(霊)をうまくあしらって切りさばけたら
事なきを得たんだと思うんですけど、

あんなにパニッくってしまって、
自ら「鬼ひとくち」の方の世界(しかも女が本当に死んでしまうver.)を
再現してしまうという
選択ミスをしてしまったのだと思いますね。

いわゆる
BAD ENDというやつです。

式部女史が
ゲームクリエイターだったら
さぞやおもしろい
恋愛シュミレーションゲームが
作れるはず(笑)

そんなわけで
ヒカルくんは

式部女史的には
減点対象となり、

罰として、
夕顔を頓死させ、
ヒカルくんに熟考を促したとしか(笑)

夕顔の方は、
死んでしまって
一般的には不遇な女の代表
のように言われますが、

どうなんでしょうね?

「伊勢」の「鬼ひとくち」の話では、
「露」のように消えてしまう命の儚さが歌に詠みこまれていますが、

女性としては
好きな男性に連れ去られて
いっそ、その人の腕の中で
死んでしまいたい

という願望を持っている人もいたりするのではないかと
思います。

特に、この時代の女性は(も?(笑))
男性が永久に愛してくれるわけではないことを
知っているので、

夕顔も不運な境遇から
ヒカルくんに身を任せて
いつ死んでもいいと
思っていたのではないかな
と。

むしろ、そう思っていないと
身を任せたりしないのでは
と。

そういう女性視点からも
見ることができます。

だから、夕顔のほうが
「伊勢」に近いですね。

死と隣り合わせで恋愛をしているのですから。

そうやって怯えながらも
ある意味いつも死を念頭に置いてヒカルくんに身を預けている女性を
「お手軽さ」だけで
連れ回すのはいただけませんね。

女と男の体感温度
「伊勢」と全く違う。
温度差が激しいというか。

だから、ヒカルくんは
「伊勢男」としても
失格です。

式部女子からの
教育的指導もうなずけます(笑)

というわけで
この夕顔の巻については
あとからまた少し書きますが、
一旦置いておいて。

こんな風に
「伊勢」を下敷きにしつつも、
風流さと育ちの良さと見た目の美しさ以外は
まだまだ未熟な
ヒカルくんの大失敗は
その後も続きますが、

式部女史の教育的指導、
ここに極まれり
という
個人的に圧巻と思う箇所について
述べさせていただきたく(笑)


夕顔を死なせて
部下に死体の処理をさせたあと
しおらしく泣いたりした挙げ句
自分自身の体調も優れなくなったヒカルくんですが、

それでもなお
空蝉などの夫のある女性に
未練がましくしたりしつつ、

件の若紫を発見&入手(ヒカルくん18歳、若紫10歳)するに至り
ヒカルくんの「伊勢男」ぶり(修行中)は完全復活致します(笑)

途中、
性懲りもなく、
夕顔みたいな女性が
またいないかな~
と探していたら
例の常陸の宮の姫君に出会いまして、
一夜をともにするも
翌朝見たら、どう見てもブサイクだった(しかも結構びっくりする感じの外見だった)ので
超絶ガッカリするヒカルくん。

これも式部女史による教育的指導のたまものでしょう。(笑)

→その一、女性を雰囲気だけで選んではいけません。

常陸の宮の姫君は
とても気立ての良い女性であり、
そのことにヒカルくんは気づきますが、

まだまだ若く、心の余裕のないヒカルくんは、

姫君に対しては
表面上では真摯に装いつつも

裏では「末摘花(紅花→赤鼻)の姫君」とあだ名をつけて
若紫と一緒に絵に描いて馬鹿にしたり、
末摘花の姫君からの贈り物をダサいとわざと嘆いてみせたりして
ストレスを発散(笑)

一方では、
入内(天皇のお嫁さん候補として宮中に入る)予定の
敵方の姫君(朧月夜)との
アヴァンチュ~ルを楽しんだりと、

式部女史の教育的指導スレスレの毎日を
送っておられたヒカルくんでしたが、
ついにその日が
着々と近づいてきました。

式部女史の筆も
ノリにノッてくるわけです(笑)

まず、その事件の起きた状況について書かせていただきます。

古今東西名家の子息子女には幼少の頃から許嫁がいるのが通例ですが、

ヒカルくんも例外ではなく、

左大臣家の姫君と早々に結婚
しています。
(こう見えてもヒカルくん、
実は既婚なんです(笑))

右大臣、左大臣と言えば、
宮中におけるツートップとも言える役職であり
左大臣の姫君はもちろん
ヒカルくんの正妻となります。
(ちなみに右大臣家の姫君が朧月夜です。)

この姫君が一般的には
葵の上(以下、葵ちゃんと呼ぶ)と呼ばれていて、
ヒカルくんより二歳くらい歳上です。

葵ちゃんは、お嬢様気質なのか
人見知りするタイプなのか
ヒカルくんによると
「とりすましていて、打ち解けづらい」
ということで、

同じ歳上でも、教養があると名高い六条さんのところへ、
足繁く通いはじめます。

六条さんは
分別ある大人の女性であり、
娘は神に使える斎宮候補であったため
この関係に多少悩みますが、

ヒカルくんのように
輝くばかりに美しい若い男の子が慕ってくるのを
無理に拒むことができずに、

ヒカルくんの
傍若無人かつ強気な攻めに
抗えず関係を持ち続けてしまいます。

左大臣家は
新婚早々別の女性のところへ足繁く通うヒカルくんに対して、

表立って何か言うということはありませんが、
内心おもしろくないことは
言うまでもなく。

そんな中、
その事件は
葵祭の日に起きました。

葵祭とは
今でも京都で行われる伝統的なお祭りですが、

その日、選ばれたヒカルくんが
華麗なる姿を披露することになっていて、

左大臣家の人達も
我が婿殿の晴れ姿を
こぞって見に出掛けることになります。


平安時代、女性は自分の姿を人前で曝すことはできませんでしたので、
皆牛車に乗ってでかけます。

その牛車に乗ったまま
牛車の中から舞台を見る、
というのが、
当時のライブビューイングの基本型です。

(もちろん牛は牛車が停まっている間は
別のところへ連れていかれています。)

コロナ期に
映画を車に乗ったまま見るというのがありましたが、
ああいう感じ(笑)

牛車は屋根つきの小さな部屋を載せているような感じで、
前面に簾がかかっているので
外から中の人物を見ることはできません。

ただ、牛車に紋がついていたり、
わざと着物の裾を出したりして、
誰が乗っているかはだいたいわかりますし、

誰かわからなくても
着物の裾でセンスの良さをアピールしたりすることもできます。

お祭りなので、
車を花で飾ったりして
楽しく盛り上げます。

噂に名高いヒカルくんを見るべく
会場は大にぎわいで、
ところ狭しと牛車が立ち並び、
たくさんの姫君が牛車の中から
熱視線を送っています。


そんな中、
六条さんは
行っていいものかと
悩みますが、
ヒカルくんの姿を
一目見たいと思い、

牛車を地味にして
こっそり端の方で見ることにしました。

もちろん左大臣家は
特等席をげとしようとしますが、

そのとき六条さんの牛車が
左大臣家の家臣に
めざとくみつかってしまい、

左大臣の家臣は、
六条家の家臣に対して、
ここぞとばかりに日頃の不満を嫌味たらしくふっかけます。

家臣が家臣に対して言っているわけですが、
牛車に乗っている六条さんにもそれは聞こえるわけで、

身分の低い人達から
直接罵倒されているのと同じことであり、

楽しいお祭りの日に
みんなの見ている前で
六条さんはプライドをずたずたに傷つけられるわけです。

無論、六条側の家臣も言い返し、
ついに家臣同士の争いになりますが、

もともと左大臣家の権勢の強さは圧倒的であるので
六条側はろくな反抗もできずに
牛車をボッコボコにされてしまいます。

かわいそうな六条さん。

みんなの前で恥をかかされ、
やはり行くべきではなかったと後悔しますが、
文字通りあとの祭りというやつです。

しかも、その後
六条さんの目の前を通ったヒカルくんは
六条さんに気づかず
まさかのスルー!!

にこやかな笑顔で
目の前を通りすぎてしまいました。

ヒカルくん、
それはアカン!(笑)

六条さんは
悲しく思い、
これ以上ヒカルくんとの関係を続けることはできないと、
娘の斎宮に付いて、
伊勢に下ることを決意しましたが、
失意のなか病に臥してしまいます。

結構あとになって
人から事情を聞いたヒカルくんは
慌ててお詫びをしつつも
能天気に六条さんのところへやってきますが、
案の定、門前払い。

伊勢に下るという六条さんに対して
未練がましく、お手紙を送ったりしますが
六条さんはとりあいません。

一体誰のせいで、
こんなことになったのか
っていう(笑)

そんな中、なんと
葵ちゃんにオメデタとの噂。

ヒカルくん
これは危険信号です。(笑)

かつて、よく不倫ドラマで、
不倫相手の女性が激怒して、

「奥さんにはもう愛情はないとか言ってなかった?
なんで子供ができるのよ!」

みたいなことを
絶叫するシーンがよくありましたが、

まさにその典型的な例ですね。

六条さんは
分別のある女性なので
激昂してヒカルくんを責めたりしませんが、
内心裏切られたと思います。

葵ちゃんに対して
打ち解けないとかいいつつも
しっかり肉体関係持ちつつ
子供までできてるじゃねーか
と。
(↑六条さんはそんな言葉遣いはしないと思いますので、
ワタクシ的意訳です。)

ハイ、ヒカルくんに
決断のときが訪れます(笑)

こんなとき、
理想の「伊勢男」は
どうするでしょうか???

式部女史は
六条さんの気持ちを汲み取って
素晴らしい舞台設定を準備してくれました。

葵ちゃんの出産の時期が近づくにつれ
葵ちゃんの容態は悪くなっていき、

祈祷している僧達の話によると、
どうやら物凄く執着している生霊のようなものがひとつある、
と。

これを聞いて、
左大臣家の事情を知っている人達は
もちろん自分達がしたことに
心当たりがあるわけです(笑)

葵ちゃんは
日に日に容態が悪くなっていきます。

左大臣家の人達は
嘆き悲しみます。

ヒカルくんが
葵ちゃんの容態を見に行ったときも、

左大臣家の人達は
葵ちゃんの容態の原因について
ヒカルくんの耳にも聞こえる声で
噂し合います。

事情を知らない人達まで

「取りついている生霊というのは、
婿殿が通っておられる
女性なのですか?
あの人?それとも、あの人?」
と囁きあっています。

ヒカルくん
針のムシロ(笑)

しかも、
左大臣家の人達は
自分達の解釈で
葵ちゃんが、一方的に被害者みたいな感じで
大事になってきているので、

まだそうと決まったわけではないのに
生霊まで六条さんのせいにされて
六条さんはだんだん怒りがこみ上げてきます。

ヒカルくんは
六条さんの気持ちを落ち着けるため、
六条さんを訪れ、
「自分はそのようには思っていない」と釈明します。

六条さんは、ヒカルくんを信じつつも、
ヒカルくんへの思いを断ち切れない自分を責め、
また鬱に。

人々の噂はやみません。

この頃から
六条さんは
自分が葵ちゃんのところに言って、
責めたたているような夢を見たりして、
自分の魂が抜け出して歩いているような
錯覚を感じ始めます。

もはや、末期ですな。

そんな、
六条さんを気遣いつつ
よかれと思い、

葵ちゃんと六条さんの間を
行ったり来たりする
ヒカルくん。

なかなかの優柔不断ぶりです。

こやつ、根本的に
わかっとらんな。

おしおきだんべ~!
(@タイムボカンシリーズ)

さて、ここからがクライマックス!(笑)

式部女史の真骨頂です。

とある日のこと、

ヒカルくんが
葵ちゃんを見舞っているとき、
臥したままの葵ちゃんが、
しゃべり始めます。

「ちょっと、祈祷をやめていただけませんか。
ヒカルの君にお話したいことがあります。」

いつもと声が違います。

物の怪が話しているに違いない
と、周囲に緊張が走りつつも
葵ちゃんの願いとあって、

しばし、祈祷がやみます。

普段出産中の女性を見ることなどあまりないので、
ヒカルくんがおそるおそる几帳(カーテン)の内側に入ると、

そこには
大きなお腹のまま
葵ちゃんが白い出産用の着物に身を包んで
少し汗ばんだ感じで横たわっています。

このときの葵ちゃんの姿がはっとするほどなまめいていて(若々しく)

ヒカルくんは、
思わず発情、じゃない(笑)
葵ちゃんの人間的な部分や女性らしさに
やっと気付くのです。

ヒカルくん、
「ああ、僕をこんな辛い目に合わせないでください」

いつものごとく
まず、自分
なんですけど(笑)

そんな葵ちゃんが
黙ったまま
涙をぽろぽろ流して
ヒカルくんを
じっと見つめています。

そんな葵ちゃんの姿を見て
ヒカルくんは
いとおしさがこみ上げてくるわけです。

思えば、政略結婚のような
形式的な結婚であると
ヒカルくんが一方的に決めつけて、
葵ちゃんを避けていました。

性格が合わないといって
葵ちゃんと正面から向き合わなかった自分の愚かさを
ヒカルくんは
痛感するわけです。

自分が他の女性のところへ足繁く通っている間
正妻であるにも関わらず、
一人、どんな思いで自分を待っていただろうか
と。

身重になってからも
大きなお腹を抱えて
物の怪につかれて
今はまさに生死の境をさ迷っている
どんな思いで自分を
見つめているのだろうか
と。

まぁ、そこまで
ヒカルくんの考えが及んだかわかりませんが(笑)

ヒカルくんも
もともと、やさしくて愛情深い人であるので
このとき、葵ちゃんへの愛情を
身に染みて気付いたのですね。

少なくとも、
式部女史はヒカルくんに
それをわかってほしかったことは
たしかです。

で!

ヒカルくんにそれを
わかってもらった上で。

ここからです(笑)


葵ちゃんがきっと自分が死んだあとの
両親やヒカルくんのことを考え、
会えなくなったらさぞ淋しかろうと思っているのだと
ヒカルくんは思って、

「大丈夫ですよ、来世でもきっと会えますから」

なんて
とんちんかんなことを
言っていると、

葵ちゃんが
しゃべり始めます。

「そうじゃないんですよ、ヒカルの君。

祈祷されると苦しいから、
祈祷を少しの間やめてくださいと
お願いいたしましたの。

こんな風にここへ来ようなどとは、
思ってもいませんでしたのに、
物想いをする人の魂というのは
こんな風に出歩いてしまうものなんですねぇ。」

と、
その声つき、雰囲気
まさに六条さんではないですか!


すごいですよね。

生死をさ迷う
妻の口から
交際相手の声で
しゃべらせる
っていう。(笑)

今、明らかになっていく
事実!!(笑)

しかも、
場所は
妻の実家であり、

その妻がまさに生死の境をさ迷っているときにですよ。

妻の親戚、家臣一同が
固唾を飲んで
見守る、その最中です。

妻、夫、交際相手の三つ巴。

式部女史による
渾身の修羅場設定。

世界初かも。

しかも、
ときは平安時代
この妻、夫、交際相手が
一同に会する修羅場の実現など
普通はとうてい不可能なのです。

女はそれぞれの屋敷に籠りきりのことが多く、
男がそれぞれの屋敷に通うわけですから、
その三者が一同に会するなど。

それを、
まず葵祭での間接的な遭遇と事件の勃発、
そして、生き霊という、
まさしく離れ業を使っての
修羅場の設定。

見事としか言いようがありません。

妻の実家で、
親族、関係者一同の眼前で、

妻の体に乗り移った交際相手が
夫に語り始める修羅場
とか(笑)

これ以上の修羅場が
あるだろうか。
(いや、ない。(笑))

そして、
狼狽えたヒカルくん
「生き霊が葵ちゃんを苦しめているなんて、
そんなの、良からぬ人達のつまらない噂だと思っていたから、
打ち消して来たのに、
こ、こんなことが起きるなんて。」

と、

そして、心の中では

(うわ~やっぱ六条さんだったのかよ。)

めんどくせ~!

どうしよ?
ウツだよorz

と(笑)

いや、
ほんとに、そう書いてあるんですよ?(笑)
→「うとましうなりぬ。あな、心憂とおぼされて」

近くには、
すぐにでも話を誇張して
広めて回りそうな
女房達(例の女事務員の人達ね(笑))が
興味津々に成り行きを見守っているので、
この、とてもマズイ状況に
ヒカルくんは
舌打ちしたいくらいの気持ち。

いや、ほんとに、そう書いてあるんだってば(笑)
→「人々、近う参るもかたはらいたう思さる。」

※「かたはらいたし」というのは、苦々しいとかきまりが悪いとか
要するに胸くそ悪いという意味です。(笑)

生き霊の正体が六条さんだと
わかってしまったヒカルくんですが、

わざと気づかないふりをして、

「生き霊だったとはわかったが、
そうは言っても、どこの誰だかは、わからないな。

お前の正体は誰なんだ。
名を、名を名乗れ!」


ヒカルくん。

あくまでも
自分は第三者を装う
完全なる卑怯男です(笑)

そんなヒカルくんの姿を見て、
生き霊の六条さん
呆れて物も言えず。

黙ったまま
ヒカルくんを
じっと見つめたあと、

フッと姿を消しました。

世間体を気にして、
他人のフリされちゃあ
百年の恋もいっぺんに覚めますよね。

まぁ、でも、
それが
世の常ってものですな

式部女史による
一言。

男って
いつもこんな感じ。

やはり、
ヒカルくん

このターンも、

理想的な男には
程遠く
BAD END。

ヒカルくんは
左大臣家における面目の
失墜とまでは行きませんでしたが、

大変みっともない姿を
みんなの前でさらしてしまいました。

今回の式部女史による、
教育的指導、

その一、
女の情の怖さを
ナメてはいけない(笑)

さてさて
このあとの続きとして、

ヒカルくんに
幻滅した生き霊(六条さん)が
葵ちゃんを離れて、

葵ちゃんは
無事男の子(後の夕霧)を出産。

葵ちゃん自身も
正気に戻りますが

産後の容態があまりよくなくて、
しばらくしてから
他界してしまいます。

せめてもの救いは
最後にヒカルくんと葵ちゃんが
夫婦として心を通い合わせることができ、

葵ちゃんが亡くなるまでの間は
ヒカルくんも
女通いをやめて
葵ちゃんのそばにいてあげたということでしょうか。

まぁ、途中で
夕霧の姿を見て
思わず藤壺を懸想したり
(↑おいおい(笑)
夕霧はベビーで、男の子なんだぜ。)、

六条さんにも
マメにお手紙を送ったり、

ヒカルくん
気遣いは忘れません。

それが
ヒカルくんの
いいところであり、
悪いところでもあるわけですが(笑)

ちなみに、六条さんは
葵ちゃんが無事に男の子を産んだということを聞き、
よかったとほっとして、
娘さんと伊勢へ下られました。

(ちなみに、
六条さんが亡くなられたあと、
この娘さんを
ヒカルくんが引き取って
立派に育て上げます。)

六条さんは分別のある方なので
リアル世界では
あくまでも一歩引いたところにいますが、

そういう女性のほうが
本気になったときの情の怖さはすさまじく、
決してナメてかかってはいけないということですな。

式部女史による
見事な一件落着(笑)

なので、
現代の「源氏物語」の解釈で
巷でよく見かける
六条さんの生き霊が
葵ちゃんを呪い殺したとかいうのは
全然ちが~~~う!
のです。

実際のこの場面の
テーマは
修羅場における
男への尋問と刑の執行です(笑)

ハハッ(´∀`)

さて、みなさん
だんだんわかって来たのではないですか?(笑)

そんなわけで、
ヒカルくんは
葵ちゃんが亡くなったあと、

左大臣(葵ちゃんの父親)とともに
鳥部山にて葵ちゃんの亡骸を見送り

夫としてどうあるべきか
娘の父の気持ちも身近に感じて、
少しだけ成長します。

このあと、
いろんなことを終えて
疲れきって
自分の屋敷に戻ったヒカルくんは
若紫に出迎えられます。

久しぶりに若紫を見て、
その少し大人びた姿に
ヒカルくん
思わず発情、じゃない(笑)
心を動かされ、
ついにその夜、若紫と契りを結びます。

それまで妹のような存在として
一緒にふざけあったりしてきた若紫を
その夜、ついに
一人の大人の女にしたのです。

若紫だって
そういう男女の交わりを
全く知らなかったわけではないでしょうが、

今まで、
お兄ちゃん、お兄ちゃんと
慕ってきたような存在の人に、
おそらく、そんな存在だからこそ、
急にあんなことやこんなことをされて、

突然のことに
ショックを受けた若紫は、
次の日も部屋に閉じ籠ったまま出てきません。

ヒカルくんが
宥めても、
布団をかぶったまま
汗びっしょりになって
口もききません。

ヒカルくんに対して
完全なる無視。(笑)

当時、結婚初夜があけた朝、
男性から女性へ
後朝の文(きぬぎぬのふみ)という歌を
送り、
もちろん女性もその返事の歌を送ります。

一夜をともにしたあと、
お互いの気持ちを確かめるための意思確認みたいな儀式ですね。(笑)

大概の場合、
「昨日の夜は楽しかったよ、早く会いたい(はーと)」
「私もよ(はーと)」
みたいな歌がやりとりされて
結婚が成立したことを
確認するのですが、

ヒカルくんが
後朝の文を送っても
若紫はガン無視しようとして(いわゆる既読スルーというやつですね)、
侍女に怒られて
渋々返事を書きます(笑)

このとき、
若紫は14歳。

14歳と言えば、
当時の女性としては
結婚するのに
それほど早い年齢ではない。

それまでに紆余曲折があって
ヒカルくんに出会い
亡くなった夕顔だって19歳でした。

それにくらべると
やはり精神的に幼いと言えます。

さすが
ヒカルくんが
手塩にかけて甘やかしてきたじゃなくて(笑)
蝶よ、花よと
大切に育ててきただけあって、
ヒカルくんに
負けず劣らずの幼さです。

当時、結婚から数日して
女のもとに「三日夜の餅(みかよのもち)」を届ける風習がありました。

その「三日夜の餅」が
届けられたときも
若紫はガン無視しようとしたため、
侍女から説教されます。

そのとき侍女が本音をもらします。

実は、ヒカルの君があんな感じの方なので(←笑)
本当はお嬢様の行く末が不安で仕方なかったのだ
と。

でも、
こうやって、正式な手続きを踏んで
やはり、お嬢様をちゃんと妻として
迎え入れる気持ちが
あったのだということがわかって
とても安心したのだ
と。

そう言って涙を浮かべる侍女の姿を見て、
若紫もヒカルくんが
自分を社会的にも
大切な女性として迎えようとしてくれていることを
少し理解したようです。

ここから、
若紫(紫ちゃん)は、
ヒカルくんを支える一人の女性、
紫の上(紫さん)へと
変貌していきます。

そりゃあそうですよね。

ヒカルくんは
あんな感じの人(←笑)だから、
周囲の人達はいつもやきもきしているだろうなと。

ヒカルくんの従者の人達とか
特にいつも大変だろうな
と思うんですけど(笑)
(↑惟光とか死体の処理までさせられるしな)

でも、みんなヒカルくんが
人間的に悪い人ではないことをわかっているので
ただひたすらヒカルくんに従っている。

だから、若紫の侍女の言葉は
結構親身に頷けると思うんですよね。

つまり、六条さんとのことや、葵ちゃんの死を越えて
やっとヒカルくんにも
大人の男性としての気持ちの持ち方、
そして女性への向き合い方が
わかってきたのだと思うんです。

だからこそ、
ヒカルくんにとって
ともに生きていく女性として、
若紫を妹的存在ではなく
女性として受け入れる日は
必ず来るはずであり、

若紫にも
ヒカルくんのことを
無条件に守り育ててくれる家族のような存在ではなく、
若紫自らが求める大人の男性という存在に認識を変更してもらう必要がある。

そのためには、
若紫は大人の女性に
なってもらわなければならず、
いつまでも、ひいな人形で遊んでいる女の子から
そのひいな人形を取り上げてその女の子が泣き喚いたとしても
それでも
若紫を大人にしたのですね。

だから、
社会的にそうでなくても、
紫の上は
実質的には
源氏の君の正妻なんです。

その前提として、
若紫との結婚の前に、

ヒカルくんに
大人になってもらうための
さまざまな女性との恋愛エピソード(失敗談)があり、

特に直前の葵のエピソード(大失敗)が
若紫との結婚のきっかけになっていることは
言うまでもない。

ヒカルくんが
若紫を大切に育てているように、
式部女史もヒカルくんを
大切に育てているんです。

そして、
式部女史や、多くの女性に
大切に育てられたヒカルくんが
さらに大切に若紫を
育てる。

ヒカルくんにとって
若紫は
そういう存在なんです。

ここで、
もし、ヒカルくんが
嫌がる若紫を無理やり女にしたというだけの話ならば、
すかさず式部女史の
教育的指導が入っているはずであり(笑)

だから、そうではないんですよね、ここは。

その部分が、ヒカルくんと
その辺のロリ男どもと
違うところです(笑)


さて、それから
本当の大人の男性として歩き出したヒカルくん
いよいよ、大人の男性として
社会と対峙するときがやってきます。

それが、ヒカルくんと朧月夜との逢瀬が
大臣家に発覚し、
ヒカルくんが須磨へ流浪するという下りになります。

前述のように、
大臣家左大臣家は
宮中のツートップでありますが、
この時代、親族同士でも骨肉の争いをやっていたわけですから、
政治上のこの二つの役職を中心に広がった派閥もまた
覇権を争う敵同士の二大派閥でした。

ヒカルくんは、左大臣家側の派閥に属する人間、
朧月夜は右大臣家側の人間、
しかも、右大臣家と言えば、
ヒカルくんのお母さんをイジメぬいて
死に追いやった宿敵、
弘徽殿の女御(今は母后)がいます。
(しかも、今回の密通のことを帝にチクったのもこのBBA(笑))

じゃあ、そもそも
そんな右大臣家の女なんかと寝るなよ
っていうツッコミは
超自由恋愛主義者ヒカルくんには通じません(笑)

まぁ、好きな女には
それが誰であろうと
真っ正面から!
がポリシーのヒカルくんですから。

それがヒカルくんのいいところでもあり、
悪いところでもry

朧月夜の姫君も
かなり奔放で強気な女性で、

なんやかやあった後でも
帝の寵愛をも勝ち取った

なんとなく額田王を彷彿とさせるような女性だなぁ
と個人的には思いますが。

この二人の超自由恋愛(密通)は
朝敵同士の許されざる恋、
まさに、
ロミオとジュリエットでありますが、

ある意味、ロミオとジュリエットより
堂々としています。(笑)

今回はヒカルくんは
逃げも隠れもせず
堂々と認めました。

しかし、問題はかなり深刻で
した。

朧月夜が入内(天皇の后候補として宮中に入る)予定だったため、
天皇の女性に手をつけた
すなわち、見方によれば
天皇への敵対行為=謀反人として
死を免れない場合もあるわけです。

さすがにヒカルくんも
この難を避けて、
速やかに都から退避することが必要となり、
須磨に身を隠すことになったのです。

都落ちは、
たいていの場合、
寄るべもなく都を出て
地方を流浪することになりますから、
生きて帰って来られない場合の方が多い。

だから、都落ちする人達は
ある程度、死の覚悟を持って
都やそこに住む親しい人達に別れを告げて去っていきます。

須磨でのヒカルくんは
とても簡素で
しかしながらも
風流と気高さを忘れない生活をしていました。

ヒカルくんが
須磨で生き延びられたのは
明石に住む明石入道というパトロンがついたことです。

明石入道の娘とヒカルくんが
関係を持つことで、
明石入道はこれを喜び
支援してくれることになったのです。

(後に、ヒカルくんは明石の姫君(明石の上)も都の自邸に呼び寄せ、
その娘の姫君まで立派に育て上げます。←育てたのは紫の上だけど(笑))

死と隣り合わせの恋愛、
そして、流浪。

まさに「伊勢男」となったヒカルくん。

自分の身の上を嘆いたり、
都の紫の上を思い出したりして
涙にくれます。

その姿は、むしろ
今まで以上に美しく、
須磨の風景と溶け込み
より一層の風情を極めます。

おそらく、
そうやって涙にくれた
男達が
過去にもたくさんいたことでしょう。

そういった
かつて、その場所で
涙を流した男たちの想いがつながって、
より普遍的な美を
ヒカルくんに与える。

まさに、須磨のシーンは
時空を超えた名場面です。

そうやって、
風景や自然に
人々の想いが刻み込まれてゆく、

そして
その場所で
何かの折に触れて
誰かが何かを「思い出す」

それこそが
もののあはれ
なんだと思うんです。


そういう場所が
日本の各地
至るところにあって、

残された歌や伝説を通して、
人々の想いに
今でも触れることができる。

それは、
とてもすごいことだと思うし、

それこそが
日本の文化であり
歴史であると
私は思います。

想いは
風化し
いつしか消えてしまうことだってある。

でも、強い想いは消えない。

だからこそ、
人は願う。

想いが消えないように
と。

さざれ石の
巌となりて

苔のむすまで。

文字の歴史とは
金光文から始まっていて、

最初は
文字を岩に刻み付けていく。

それが消えないように
金を流し込んだりする。

昔の人達は、

伝えるべき想いが
消えないように
文字とともに
そこに刻み付けたのである。

平安時代
紙はとても貴重なものだった。

枕草子」の作者
清少納言
定子から素晴らしい紙の束を受け取って

そこに
楽しかったことや
素敵だなと思ったことや
涙したことなどを
書いていった。

いつも、そのことを
思い出せるように。

式部女史は、

そこに
理想の貴公子が生きる
もうひとつの世界を作り上げた。

大切に
大切に。

そして、
それは
いつしか奇妙にも
現実世界とリンクしていくことになる。

なぜなら
その世界は、

現実世界、

過去、
そして
未来とも
つながっていくことになるからである。

さて、
源氏物語」に
戻りましょう。

そうこうしているうちに
都でも宮中の情勢が変わり、

敵方の右大臣家が没落して、
ヒカルくんも
無事、都に戻ることになりました。

そのきっかけとなったのが、
3月の暴風雨です。

その日、ヒカルくんは
海岸に出て
開運の祈りを捧げていました。
すると、急に雨雲がやってきて
暴風雨になりました。

その暴風雨は都でも続き、
人々は口々に不吉の前兆ではないかと噂しあい、
雨で道もままならないため
公達が朝廷へ参内することができず、公の政は全て中止。

そんな中、
ある夜、そのときの帝(朱雀帝)の夢に
故桐壺帝(ヒカルくんのお父さん)が出てきて、
大変怒った口調で
「何故ヒカルを都に呼び戻さないのだ」と言う。

帝は、それを母后(弘徽殿の女御)に訴えるも
母后は、
「お天気が良くないときは、不安ごとが募ってそういう夢を見ることだってあります。」
と言ってとりあわない。
(↑言いそうw(笑))

そうこうしているうちに、
右大臣が亡くなり
帝も母后(弘徽殿の女御)も病気になり、
なかなか治らないので、
ついに帝は母后の言いつけにそむき、ヒカルくんを
都に呼び戻すことにしたのでした。

ヒカルくんが都に戻ったあとも、
朱雀帝の病は平癒せず譲位されて、
冷泉帝(実は藤壺とヒカルくんの子供)が即位されます。

そこから、ヒカルくんは
順調に社会的な地位を上げていきますが、

その上でヒカルくんがしたことは、
自分と関係を持った女性達を
次々と自邸に引き取ってゆくということでした。

六条さんが亡くなられたのを期に
六条さんの娘(のち入内して梅壺(秋好中宮とも))、
花散里、末摘花、明石の上とその娘
などなど。

二条邸から改築した六条院に移った際には、

院を春夏秋冬の4つの町にわけて(各西の対と東の対があるので合計8つのゾーンがあることになる)、
町ごとにその季節にあった趣向を凝らし、

どの部屋に行っても
各季節の風情が感じられるようにしました。

そして、
それぞれの雰囲気に合った女性を
各部屋に住まわせたわけです。

紫の上は特別なので、ヒカルくんの部屋がある
「春」に一緒に住むことに。

春は紫の上が一番好きな季節ですから。

当時の通い婚の常識とは
まさに一線を画す
ヒカルくんの世界☆

女性達はヒカルくんの性質をよくわかっているので、
意外とみんな幸せに過ごしていて、

二条邸の頃からですが
紫の上は、明石の姫君を養女にして
自分の娘のように育てていますし
(↑このあたり「蜻蛉日記」に似ています。詳しくは、いつか書きます(笑))、

まぁ、ヒカルくんを中心にした
大家族みたいな感じですね。

ここでも、社会の常識に打ち勝ち、
まさに天下はヒカルくんのためにあるかのように思えたのですが、

朱雀院が出家前に娘(女三宮)をヒカルくんに頼みたいと言ってきて
ヒカルくんはそれをどうしても断れず、
ヒカルくんは女三宮と結婚することになります。

このときから、
このヒカルくんの世界は
均衡が崩れ始めます。
(そりゃそうだ。)

しかも、朱雀院の娘ですから、
もちろん、六条院にいる誰よりも格上、
ヒカルくんの正妻となるわけです。

今までは実質、紫の上が
正妻であり、

社会的な身分がどうのこうのとか
そんなの全部関係なしに、

ヒカルくんにとっては
紫の上が一番大切な存在であるわけです。

紫の上は、ヒカルくんにとって何なのか?

早くに両親と死別and訣別したヒカルくんにとって、
小さい頃から一緒に育ってきた妹(家族)のような存在でありながら、

ヒカルくんに似て、
この世のものとは思われない美しさを持ち、
ヒカルくんを愛する貞淑な妻であり、

いつもヒカルくんの身を案じて
ヒカルくんが帰ってくる場所である六条院を守る母のような存在であるわけです。

とりあえず、
ヒカルくんにとって、
紫の上が
誰にも変えることができない至高の存在であるというのは
自他ともに認めるところであって、

ヒカルくんも
相当悩みます。

女三宮はまだ13歳くらいなんですよ。

しかも、宮育ちのためか
おっとりしすぎていて
「感情のない人形」のようだと評する人もいます(笑)

ちなみに、漫画「あさきゆめみし」で描かれる女三宮
目が真っ黒で光彩(←おめめの中にあるキラキラね)がないんです。(笑)
(それは、あまりにも
という感じがしますけどw)

まぁ、でも
いくら相手がヒカルくんとは言え
40歳のおじさんと結婚する13歳の女三宮
不憫と言えば不憫ですよぬ。

普通でも何話していいかわからないし、
それなのにそのおじさんと
いきなり夜の行為まで致すわけですから、
むしろ感情もなくなります。

ヒカルくんは
朱雀院から今後のことをよくよく恃まれているものの

この姫君を今から
立派に育て上げて
紫の上のようにしてほしいとか言われても

六条院の女性達の
一番上に13歳のあどけない少女が配置されるようになるわけであり、
それは、みんな動揺しますわね。

ヒカルくんは
このことを
まず紫の上に打ち明けますが、
紫の上は思いの外
素直に受け入れます。

。。。でも、
表向き素直に受け入れても
悲しいですよね。。。
自分の居場所を奪われるような気持ちに
なったのではないかと。

ときに、
ヒカルくん40歳、
紫の上32歳の春でした。

女三宮がそれはそれは
盛大なお越し入れをして
六条院に来られたあと、

「張り合いがない」
と言いつつも
ヒカルくんは
毎晩、女三宮を抱きに行くわけで、

紫の上は
夜もひとりぼっちになってしまいます。

その後、
心労が積み重なったせいか
紫の上は重い病に伏し、
二条邸へ移ってしまいました。

このあたりから
物語はヒカルくんの息子、
夕霧の話も加わってきて、
世代交代の様相を呈してきます。

そして、柏木と女三宮の密通により、
かつて、ヒカルくんが藤壺と密通することで
桐壺帝がヒカルくんの子供(冷泉帝)を自分の子供として育てたように、
ヒカルくんは柏木の子供を
自分の子供として
育てることになるわけです。

この因縁めいた悲劇に、
ヒカルくんは宿命のようなものを感じつつも、

感情のないと思われていた女三宮
柏木との手紙のやりとりでは
少しずつ打ち解けてきている様子に愕然とし、

とある折に
つい、柏木を皮肉ってしまいます。

柏木はヒカルくんに秘密が露呈されていることを知り、
苦悩したあと病に伏し、
そのまま死んでしまいます。

このあたりから、
「源氏」の世界に
濃い死の気配が漂い始めます。

紫の上は
重病以来
日に日に衰弱しており、
出家をしたい(現世の人達と関わりを断ち仏道に入る)と
ヒカルくんに願い出ますが、
ヒカルくんは
それを許しません。

柏木の一周忌から
少し経ったある日、

紫の上の容態が急変し、
ヒカルくんと
養女の明石の姫君(入内して中宮)に見守られながら
ついに帰らぬ人となります。

ヒカルくん51歳、紫の上43歳の秋、

八月十四日の未明のことでした。

二条邸は
若い頃のヒカルくんと
紫の上が
二人で暮らした御屋敷です。

紫の上は、
ヒカルくんに見つけられたとき、
お祖母さんの尼君と暮らしていて

その尼君が亡くなったのを期に
ヒカルくんが
この場所に奪うように連れて来たのでした。

だから、
紫の上も
身内はいなくて、

ヒカルくんも
母と死別し、
臣籍に下って
父(桐壺帝)と訣別したあと

母方の祖母にここで育てられ、
祖母が亡くなったあとは
一人きりでした。

二人は
やはり、似ているのかもしれない。

二人で
兄弟のように暮らし、
夫婦になって暮らした二条邸。

ヒカルくんは
六条院を
ヒカルくんの世界にして、

そこでの生活も
楽しかったかもしれないけれど、

六条院からまた
二条邸に戻った紫の上は
一人で
いろんなことを思い出しながら
暮らしたんだろうなぁ
と。

何故、ヒカルくんは
ずっと一緒にいてあげなかったのか。

ほんとに
ヒカルくんは
ダメな男だ。

社会的地位を獲得してからの
ヒカルくんは
失敗しない代わりに
つまらない。

だから、物語の結末も
悲しい。

式部女史は
リアリストだ。
リアリストは残酷だ。

物語の後半も
絡み合った伏線が
ひとつにつながっていくストーリー展開も見事だし、

内容もドラマチックである。

でも、逃れられない現実を
目の前につきつけられたようで、
悲しい気持ちになりますよね。

それまで、物語に引き込まれていたヲタ達にとっては
なんともやるせない結末。

物語の後半で
「伊勢」から設定をとられた
話がひとつだけある。

それは、蛍の巻だ。

玉鬘は、
「源氏」の姫君の中でも
とりわけ美しい女性である。

ヒカルくんは
玉鬘に指一本
触れていない。

それは、玉鬘が
ヒカルくんでさえ
侵してはならないほどの
美しさを持った女性だからだ。

ある夜、
ヒカルくんが
いたずらをして、

蝋燭の灯を消し、
玉鬘がいる御簾のうちに
ぱっと蛍を入れたことがある。

暗闇の中、
その蛍のほのかな光に
照らされて
浮かび上がる
玉鬘の美しい姿。

玉鬘が
驚き、とまどう姿も
美しい。

色とりどりの
着物の裾が動いて
衣ずれの音がする。

それを蛍の光
断片的に
そして静かに

浮かび上がらせたり
消したりする。

それを
黙って見ているヒカルくん。

「源氏」の中でも
その光景が
ひときわ鮮やかに目に浮かぶ
優美で幻想的なシーンである。

そんな
玉鬘に
その美しさを知る
誰もが憧れたが、

侍女が勝手に手引きをしたせいで
玉鬘は
髭黒の中将(のち大将)
と結婚することになってしまう。

髭黒ですよ?(笑)

いかにも粗野な感じじゃないですか。

髭黒の中将も
玉鬘の美しさに惹かれた一人なんでしょう。

でも、
いかにもモノの価値が
わからなそうな
人じゃないですか。(笑)

ヒカルくんでさえ
手を出しかねていたのに。

夢中になって
どうしても手に入れたくなったんでしょうね。

そういう人達のほうが
かましくて
自分の欲望にまかせて
手に入れたいものは
手に入れるというか。

実を言うと、
私が最初に読んだとき
(小学生のとき)
玉鬘が髭黒と結婚するという展開が
一番不可解でした。
というか、
不愉快でした(笑)

今でも不可解かつ不愉快ですが。

式部女史は
リアリストだから
世の中、こういうことの方が多いということなんだろうと
思いますけど。

なんか、それでも
胸糞悪いですよね。

式部女史は
この蛍の巻で
源氏の君の口から
物語論を論じさせます。

そらごとのなかに
まことがある

と。


以前、「火垂るの墓」の話を書きました。

お兄ちゃんは
せっちゃんと
二人だけの世界で暮らしたかったのだという
話です。

別にあれは
子育て支援金を設置したらどうかという話では
もちろんありません。
(当たり前だ。馬鹿どもが。)

火垂るの墓」は
「源氏」の再現だと
思うんですよね。

ヒカルくんと
若紫の二条邸での暮らし
そのものじゃないですか。

それが、
平安時代
第二次世界大戦中か
という話なんです。

あんな風に
せっちゃんが死んだのは

二人の幸せな暮らしを
奪ったのは
社会です。

社会がせっちゃんを
殺した。

くだらない
社会の「常識」にとらわれつつ
その「常識」の中で
自分達のくだらない欲望を
汚いやりかたで
弱い者達に捌け口を見いだす

そんな「大人」達が
小さな子供の幸せを奪い、
あっけないほど簡単に
殺したんだと
思いますね。

二条邸での
ヒカルくんと
若紫の
怒ったり
泣いたり
笑ったり
というのは、

別にお金が
あってもなくても
それは二人の幸せな世界なんです。

せっちゃんと
お兄ちゃんには
食べるものも
着るものもなくて、

でも、
蛍の光に照らされた
せっちゃんの姿は
たぶん、
玉鬘並みに美しかったと
思います。


誰にでもわかることなんですけど、
わからない人達もいるんです。

そういう人達のほうが
多いんです。

この世の中は。

今は特にね。

蛍って儚いですよね。

一夜明けたら
死んでしまうし。

その一夜を
自分達の欲望を発散するために
使う人達が増えたんだと
思いますけど、

そうじゃない人達も
たくさんいるし、

むしろ、日本人は
蛍の儚さも美しいと思ってきた人達が多かった。

だからこそ、
ホタルの名前まで
ゲンジボタルと名付けて
その儚い命と光を愛でてきたわけです。

今の若い人達は
「源氏」の蛍の巻も知らないし、
ホタルの名前さえ
それが、どうしてそういう名前なのかさえ
知らずに育つ。

そう、育ててきた「大人」達の責任です。

式部女史の言う通りですよね。

でも、
そういうの胸糞悪いんです。

そう思っている人達もいることを
覚えておいてほしいな
と思いますけど。

世の中は儚いと
言うのは簡単なんですけど、

そうじゃなくて、
式部女史は
生きている人達を
真正面から描こうとしました。

物語の中で。

そして、
そこに願いを込めたのです。

だから
ヒカルくんに対する
最後の罰は
紫の上が
自分より先に死ぬことでした。

夕顔もそう、
葵の上もそう、
六条御息所もそう、
そして、
紫の上も。

愛する人を失って
残された人間は
残りの人生を
そこにいない人を
思い続けて生きなければならないじゃないですか。

それが
どれほどつらいことなのか。

汚い人達は
それをわかった上で
大切な人を奪ったり
大切な物を壊したり
するから
わからないかもしれないけれど、

そのことに対して
ものすごい怒りをため込んでいる人達がいることを
覚えておいてください。

ヲタをナメんなよ
と。

ヒカルくんは、
失意のうちに出家する決意を固めます。

出家と言っても
仏道に帰依するというよりは
現世離脱ですね。

紫の上が生きていない世界とか
ヒカルくんにとって
生きるべき世界ではないことに
ヒカルくんは
やっと気づいたのですね。

さて、
このあとの
「雲隠」の巻ですが、

巻名だけあって存在しない
というのが
現在の通説ですが

私は

雲隠の巻はあった

と思います。

それが、今回の
源氏物語」の時空の旅の最後になります。


(というわけで、次の記事へ→SKYFALL 4/4)

SKYFALL 2/4

(SKYFALL 1/4からの続きです。)

ちなみに、アインシュタイン
「神様は賽を振らない」という言葉は
前述の本によると
まるで確率論のような量子論に対する異議であり
相対性理論の「相対的」という言葉が確率論的に捉えられることに対する異議でもある
とのことですが、
まぁ、どこまでが正しいのか
その辺りはわかりませんけど(笑)

上記の意味合いだと、
アインシュタインの言葉は
少なくとも、世界には神様が定めたような厳然たるルール(法則)が存在する
という意味にもとれますし、

それこそが普遍的な法則を追求するという
まさに物理学の極みとも思われるわけですが、
そこに神様の存在みたいなのを結びつけて言ったかどうか、
実際のところはわかりませんけど(笑)

まぁ、最近でも
いろんな意味でアインシュタインの言葉を使ったりしてる人達が結構いるけど、
たぶん本当に理解しないで
使っている人達がほとんどなんじゃないかな
と思います。


アインシュタインと言えば
例のあっかんべーの写真が有名ですけど、
あれって
どういう意味のあっかんべーなのかな?
といつも思います。

おどけてあっかんべーってやったっていうくらいの
気さくな、陽気な人
(ちょっと変わってる人)だったということなのか、

メディアが嫌いで
あっかんべーってやるくらいの反抗心を持ってる人だったのか、
とか。

ストーンズのマークのあっかんべーは
権威に対する反抗みたいな
ロックな感じだと
ずっと思ってたんですけど、
本当のところ、どうなんでしょうね。
たぶん、昔のネットだったら
そういうこともすぐに調べられたのに
今はできないからなぁ。

今はネット情報も
素人だらけで
嘘ばっかりなので
あてになりません。

話は戻りまして、

要するに
科学というのは
基本的には世界の解明が目的であって、
研究者は世界の真実とひたすら向き合う必要があるわけです。

そうでなければ、
世界の解明なんてできないから
当たり前なんですけど、

いつの頃からか、
相対性理論の誤った解釈(?)と同様に
事実を自分たち独自の座標軸で「相対的に正しい」と言って
神様気取りになっている人達が増えたんだと思いますね。

でも、そういう人達って
結局地球上のどこかに住む
同じ人間なわけで、

違う座標軸上の異次元に住む神様ではないんですよ。

ネット世界を牛耳ったり、
メディアを征服して、

ここに地獄があり
ここに天国があると
言って
民衆を誘導して、

でも、そこは
地獄でも
天国でもない
ただの人間世界なんです。

人間世界のルールは
人間が創り上げた
人間だけに適用できるルールであって、

その他の自然界や
存在する地球上の全ての生き物のルールとは
異なっていることもあって
綻びが生じてくるんです。

人間は
この地球上で
連繋しあって生きている生き物に過ぎないので。

ダンテの地獄篇と天上界への昇天は
そんな人間世界の縮図です。

おもしろいのは
ダンテの描く楽園は
空の彼方にないんです。

地上のどこか、
すなわち地球上のどこかにある
島のてっぺんみたいなところにあるんです。

だからいつでも地獄に繋がっています(笑)

まぁ、それからさらに
天空の地球よりもさらにはるかな
宇宙の外側みたいなところにあるらしい、
エムピレオなる天上界は
神様だけがいる場所になりますが、
存在しないんです。

岩波文庫版では、
「處なし」と訳されていますが。

存在しないのに
「ある」って言うのも
難しい話ですが(笑)

ダンテの言わんとするところは
なんとなく理解できます。

空即是色、色即是空

光しか存在しないという感じが似ていますね。

その光というのも
結局は、私達地球に住む人間が、
恒星からの光を
太陽の光の反射として受け取っているにすぎないのと同じで、
つまりは太陽を中心とする
太陽系の惑星の軌道内の法則
からは逃れられない
ということを意味しています。

ちなみに、
ダンテの時代には
太陽系の惑星は
土星までしか見つかっておらず、

その外側は
恒星天と言って、
たくさんの星が描かれている図がありますが、

恐らく土星の外側は
小惑星がたくさんあって、
天王星海王星と続くはずです。
(ダンテの時代は海王星より内側に冥王星の軌道があった可能性もある。)

ダンテの解釈では
上述の恒星天(小惑星群)の外側に
プリーモ・モービレとも言われる原動天というものが
設定されており、
恒星天の周りを空気のように包んで
その内側の全ての天体を動かしている
と定義しています。

天王星は占星学の上では、
原子の意味も持つと書きましたが、
原子すなわちatom→atmosphereという意味でも
原動天と天王星は定義が似ています。

昨年のEasterの頃のブログの記事に、

一昨年までは
天王星が強い感じがしていたけど、
今年あたりから海王星の動きが気になるところ
と書いていましたが、

そのときの記事に
天王星ウラヌスを物質的に考えるとウラニウムであり、

天王星が発見された時期と、
原子核の実験が本格的になった時期と対応するということも
述べました。

冥王星
別世界であって、
位置的には
どの場所でも自由という感じがする
と、
そのときも書きましたが、

冥王星
極限、最果て
つまりリミッターの役割を果たし、

他の星にキックすると
そのリミッターが解放されると同時に
莫大なエネルギーが放出されて
ゼロになる
(リセットされる)
のではないかと
最近、思えてきました。

つまり、
天王星ウラニウム
冥王星プルトニウム
キックして
極限でリミッターが解除された
エネルギーの暴発が
原子爆弾だったのではないかと。

ニュートン万有引力の法則を得て、

人々は天上の夢を捨てました。

その後、
アインシュタイン相対性理論という
「科学」の翼を得て
宇宙へと羽ばたいたものの、

結果、空から降ってきたものは
ソドムの町を焼き尽くした
天上からの火、
すなわち
浄化の火だったのです。

この時期を、相対性理論の暴走の時期と考えると、

海王星の発見は、
量子論の展開と考えられるのかな
と思います。

原子がindividualな(それ以上分割できない)
明確な個別的単位であるのに対して、

曖昧模糊かつ偶発的にも似た
量子の世界と、

海王星が表すものが
似ている気もします。

つまりは、

ニュートン万有引力の法則
土星(キリスト教における悪魔的解釈)

アインシュタイン相対性理論
天王星

量子論
海王星

と、

物理学上のエポックメイキングを
占星学に当てはめても
結構すんなりと解釈できるわけです。

そんな海王星
ここ数年で
魚座から牡羊座に移動するわけなので、

何らかの終局と
新展開が起こるということが
一体何を意味するのか
気になるところです。

以前のブログで書いた通り、
海王星が「境界」を表し、
とくに現実世界と架空世界との境界を意味する点で、


前回のブログでも書きましたが
(↑前回は仮想現実への耽溺による現実逃避的傾向が福岡の某ホテルの事業展開にまで及んでいる例(笑)と
コロナ禍の情報戦争と情報統制の在り方がアヘン戦争に似ているという考察
について述べました。)

近年起きているさまざまな事象を照らしあわせると
なんとなくわかるような気がします。

そこに冥王星含め
他の天体がどのように絡んできて
何が起きるのか、
ひとまずは行末を案じながら
見守りたいと思います。(笑)

ニュートン
万有引力の法則は
地獄を普遍化し、

アインシュタイン
相対性理論
天上の浄化を普遍化した。

ダンテの描くこの世界は
既に1300年には出来上がっていて(出版年は1400年ですが、示現が1300年なので
そういうことにしておきます。)、

万有引力の法則も
相対性理論
その延長に過ぎないというか、

それを近代的なモノの見方で
いかに普遍性を持ったものにするか、
ということに過ぎないのではないかとさえ
思うんですよね。

科学というのは
そういうものだと思います。

だから、
万有引力の法則も
相対性理論
間違ってはいない。

ただ、
それらの「自然科学」の法則を
「間違った方法」で使用すると
人間世界とそれ以外の「世界」との間で
綻びが生じることがある
ということを
失念しがちであるのが
人間であり、

人間とはそのような
不完全な存在であるということを

ダンテの説くところの
「世界」は示していると思います。


人間は科学というものを通して、
「世界」を知ろうとしましたが、

別にそのことが
間違っているわけでは
ない。

世界の仕組みを
全て解明するに至っていないだけです。

だから、研究者というのは
前の人達が積み上げた石に
またひとつ石を乗せるに過ぎない
という、

いつか森村誠一さんが言っていた
「作家とは」
という言葉の定義と同じだなぁ
といつも思っています。

だから
前の人達がどんな風に石を積んできたのかもわからないのに、
上手に石を乗せられない人達が多いのは
当たり前の話です。

そりゃ、崩れるよねっていう。

地獄篇は
さまざまな人達に影響を与えますが、
とどのつまり
みんな、同じところに辿り着くってことなんじゃないかな
と。

鏡の国のアリス」の
ルイス・キャロルも数学者でしたが、

アリスも
深い、ふかーい穴に落ちるじゃないですか。

で、
最後に現実世界に帰ってくる。

アリスも
ダンテも同じなんですよね。


というわけで、
そんなこんなを考えているうちに
アルバイトの仕事もしながら日々を過ごしつつ、

京都旅行の日が来たわけで。

旅行の行程を考えているときから、
漠然と「源氏」だな
って考えていて。

前から、宇治に行ってみたいとは思っていたんですが、

「源氏」で宇治と言えば、
宇治十帖ですけど、

宇治十帖とか別にあまり好きじゃないし。

高校生のときに
その場にいた三人とも
「源氏」の中で浮舟が一番キライだと一致して盛り上がったこともあるくらいだし(笑)

どうしたもんかなぁ
と思っていたんですが、

でも、宇治に行ってみたい気持ちは
以前からあって、

今回は母親も一緒だし、
まぁ、宇治で抹茶パフェも食べたいし、
とりあえず行ってみるかくらいの気持ちで
最初は考えていたんです。

宇治は昔(平安時代くらい)から
貴族達が世俗を離れて
静かに暮らす
いわばセレブの隠れ里みたいな雰囲気があり、

最近の私の傾向としても
現世離脱的な趣向があるので(笑)
まぁ、宇治に惹かれるのは
なんとなく
そういう心のうちから沸き上がるそこはかとない願望のような
気もしないではありません。

でも、そう言えば
宇治には平等院があるな
と。

現存するのは、阿弥陀堂だけですけど
この世の極楽であると言われたくらいの鳳凰堂ですからね。

そこまで考えたときに、
ちょうどダンテの地獄篇を読み終えていた私は
ピーンと来たわけです。

これはワタクシ的
地獄篇につづく
天上篇なのではないかと。

それでね、
この世の極楽とは
どんなものなのかと
それを日本人の私が
日本的な天上界を巡ってみるのも
よろしいのではないかと
思ったわけです。

もちろん、残されているのは
阿弥陀堂という仏教的極楽浄土のかほりがする建築物だけなので、
どんな感じになるかは
未知数。

平等院は、道長の子、
頼通が仏教建築に立て替える前は
道長の別荘だったわけで、

そこまで来ると
思い出してきたのです。

源氏の君が
女性達を住まわせたお屋敷のイメージを。

道長は「源氏」のモデル候補の一人であるわけなので、
もしかしたら、
そんなかほりの残存が
あるかもしれない
と。

「源氏」では
源氏の君のお屋敷は、
はじめ二条あたりにあって
若い頃(最初は帝の子なので内裏にいますが、
臣籍を賜った元服後は母方の屋敷に戻る)はそこで過ごしますが、

そのあと、
なんやかやあって(←(笑))
大人の世界も板についてきた
源氏の君は、
六条御息所のお屋敷を改築して
まさに彼自身の理想的な
光の君オブザワールドな
お屋敷を建てるわけなんですけど、

なんとなく
なんですが

そのお屋敷のモデルとなる建物が存在するとすれば
それは、宇治にあった
道長の別荘なんじゃないかな
っていう気がしてきたんです。

兼好先生が
「空の名残」の話をしている箇所は
道長の話もしていて、
兼好先生も何かしら感じたような気配があり、

だから、私も行ってみたら
何か感じるかもしれない
と思い、

そう思ったら
俄然やる気が出てきまして(笑)

絶対宇治には行くぞ
という気持ちになったわけです。

そんなわけで行った京都旅行は
道中てんやわんやで
先に述べた通り、
具体的な現世旅日記は
次回の記事で書きます(たぶん(笑))が、

今回の記事では
天上篇としての宇治の
ワタクシ的「源氏物語
空旅日記の部分だけ書きたいと思います。

旅から帰ってきてからも
少し調べたりして、
個人的にはすごく楽しかった
のですが、
この楽しさがうまく伝わるかどうかは
疑問ですけど
とりあえず頑張って書いてみる(笑)

というわけで、
まだまだ続きます(笑)。

さてさて、
先程、
源氏の君のモデルの一人として、
道長の名前を挙げましたが、

他にもモデル候補がいて
その人は源融と言います。

で、実は
元を辿れば平等院源融の持ち物だったのを
道長が別荘にしたらしいのですね。

源融という人は、
道長より少し前の世代の人で、
在原業平に近い時代の人です。

最近、「伊勢」の
''古の真剣に恋愛をする神様レヴェルな人達''
についての記事を書きましたが、
その世代ですね。

源融も、
帝の子でありながら
臣籍に下り(しかも源氏姓)、

私の家に大岡信さん(評論家)の古今集の注釈があるんですけど、
大岡さんによると
源融ドン・ファン的な人物だったとの記載もありますが、

政治的な世界よりも
風雅に生きる類いの人であったようです。

そんなわけで、
生い立ちから
その後の人生、
趣向や立ち居振舞いまで
源氏の君と共通点が多く、
源氏の君とモデルの有力候補の一人として
考えられているわけです。

他にもいろいろな点で
源氏の君と源融との共通点は散見されますが、

今回私が注目したキーワードは、
「流浪」または「漂泊」ですね。
まぁ、今回の京都旅行が
源氏物語」の時空の旅なので(笑)

源融と言えば、
古今集
次のような歌があります。

みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに
みたれむと思ふ我ならなくに

河原左大臣として載せてあります。

「みちのく」、すなわち東国(現在の関東・東北地方)
という言葉が使われていて、
「しのぶもぢずり」という言葉に掛かって、
この歌の重要なキーワードになっています。

平安時代の頃、
貴族は田舎のほうの人達のやることを
興味深く詠んだ歌というのが結構ある
と言われていて、

歌の世界では
よく歌に詠み込まれる地名を歌枕と言いますが、

「みちのく」もまた
古くから
歌ごごろをそそる地名として
たくさんの歌に詠み込まれています。

たしかに景色の美しい場所、
というのは歌枕のポイントなんですけど、

それだけではないんです。

この、しのぶもぢずりの歌もそうで、
歌も恋歌にカテゴライズされているとおり、
男女の恋のやりとりの歌です。

この歌は、
女性から浮気心を軽くなじられたあとに答える男の歌で、

大意としては、
''女性のみだれ髪のように乱れている私の心は
あなた以外の誰に心を乱すでしょうか
(私はあなた以外に心を乱したりはしないのです。)''
というような感じ。

大岡信さんは、この箇所について、
次のように書いています。


''「みちのくのしのぶもぢずり」は、歌の内容とは無関係であるが、
「みだれ」を引き出してくる序詞であるとともに、
この歌の調べの中心となっている。
「しのぶもぢずり」の考証はまだ一定の説がないが、
通説では、福島県信夫郡で産する
摺り染めの布地を捩摺(もぢずり)といい、
その模様が乱れた髪のように捩れたものだったというところから、
「みだれ」に掛かる。
この序詞は、当時でも新鮮な印象を与えたので愛誦された。''

出た(笑)

''歌の内容とは無関係である''

みなさんも思い出して欲しいんですけど
(もはや記憶の彼方というより記憶そのものにないかもしれませんが(笑))

学校の古典の授業でも
聞かされませんでしたか?

序詞は歌の意味とは無関係
とか
句の調子を整えるだけとか。

それで、現在○○地方に
△△という地名が残っていて、そこに残存するほにゃららに由来する
とかなんとか。

だから何?
っていう(笑)

無関係の言葉を
前半の大部分に持ってきて
意味はない
とか
そんなのあるか!
と。

それで、
しまいには
古今集」は
技巧的で修辞的であるとか
なんとか
言い出す始末。

そんなわけねーだろ、
と。

古今集の仮名序に

やまとうたは
ひとのこころをたねとして
よろづのことのはとぞ
なれりける

と書いている紀貫之がですよ?

技巧的で修辞的なだけの歌を
採録するわけないんです。

で、この歌は
どういう歌かと言うと、

伊勢物語」を知っている人には
その、あまりにも有名な初段の、

みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに
みだれそめにしわれならなくに

という「古歌」をすぐに
思い出しますよね。

「むかし、男ありけり」
という
昔語りの形式ですすめられる
伊勢物語」は、
「むかし人」の
歌と、それとともに語られる恋物語が多く、
これもそのひとつであり、

初段は初冠(昔の男子の成人の儀式)をしたばかりの
男の子が
「都以外の場所で」
ちらりと見かけた女性に
胸をときめかせて、
初めて恋の歌を捧げるという
なんとも若々しく、
きゅんとするような
歌物語のはじまりにふさわしい話が載せてあるんですね。

で、この男の子、
ちょっと大人びて
「古歌」を踏まえて
歌を詠んだりして
それもまたほほえましいんですけど、

「古歌」を踏まえるというのは
歌物語のはじまりを
神聖な趣にもしているんですね。

これは、そもそも歌というものが
現代よりも
もっと神聖だったから
だと思うんですが、
まぁ、詳しくは後述します。

先にも述べましたが、
「伊勢」は
主人公を在原業平をモデルにしたと言われていて、

初段の最後に
「むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける」
(むかしの人はこんな風に素直な情熱的な恋をしたんですよね~)
みたいな感じで、

昔への憧憬というか
古き時代を懐かしむような雰囲気があるんです。

だから、なんていうか
当時の人達の思う
理想的な世界というか、

そういう
素敵な恋愛話を
たくさん集めたような
みやびやかな話がたくさんあるわけですが、

きれいごとばかりではなくて、

怒ったり
がっかりしたり
笑える話とかもあって、

そういう意味でも
素直っていうか
いい感じに理想的なんです。

しかも
その話が結構センスが良い
っていうか、

例えば、

久しぶりにたずねる女を
男が窓からこっそりのぞいていたら、

女が自分でご飯よそってて、

(当時はご飯を盛るみたいな行為をする女性は
身分的にもはしたないと思われていたというのはあるけど)

男はそんな女を見て

大盛り二杯目か?
てか、予想以上にめっちゃ元気にしてるし!!

と思ったかどうかはともかく(笑)

とりあえず、
なんかがっかりしたorz

みたいな話とかもあって

こんな細かいこと
書いてる1000年以上前の
古典が存在するとか

日本の古典のハイレベルさを
痛感しますけど(笑)

「伊勢」の話では
結構地方の話が
多いんですね。

「かきつばた」の
東国への都落ちの話は
有名ですが、

なんらかの諸事情があって
都から離れた人達が
遠い土地で思いがけず美しい風景とか
人とかに出会ったり、

そのことをきっかけに
昔を思い出したりして
あの人どうしているかなぁ
とか、

だから
「昔物語」という形式にふさわしいんだろうとは
思うんですけど、

で、
しのぶもぢずりの歌の話に戻りますが、

この話も
元服したばかりの少年が
奈良の春日の里に鷹狩りに出かけたときに、

さびれた古都に不似合いな
美しい姉妹がいるのを
「垣間見て」
発情、
じゃなくて(笑)
心がときめいて

自分が着ていた狩衣の裾を切って
それを添えて歌を書いて送った
わけです。

そのときの歌が

春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれかぎり知られず

この歌だと
しのぶもぢずりのふまえている意味は
なんとなくわかりますよね。

「しのぶ」というのは
現代語で言うところの
「堪え忍ぶ」
とかいうときの
「がまんする」
の意味なんですけど、

奈良時代に使われていた
「しのふ」
だと、
恋慕う、とか
昔の人を懐かしく思い出す
という意味になるんです。

その辺りも
なんとなく古い時代を踏襲している感じです。

ちなみに我が家にある「伊勢物語」の田辺聖子さんによる口語訳の本の巻末に
伊勢物語の旅」として
榊原和夫氏が「伊勢物語」にまつわる地名、史跡をまとめておられていますが
その中の「信夫山(福島県)」の項に
福島あたりは、古くは「しのふの里」と呼ばれ、「伊勢」にも「しのぶ山」の歌があるが、
山頂の羽黒神社を紹介しつつも、本社に「伊勢」にまつわる話はなく、
阿武隈川を渡った文知摺観音堂
''もじずり絹''の遺跡があり、
''信夫文知摺石''というのがあって、
この石面で草葉の汁をすり、絹布に模様をプリントしたとのこと。

その巨石には言い伝えがあり、
麦の青葉で石の面をすると、
愛する人の面影が浮かぶという。

''嬉しくもはかないお話だ。''と榊原氏は
書いておられる。

まさに、その「しのふ」
なのだと思いますが、

たぶん、昔
「いはでしのぶ」のことを書いたときに
少し書いたとは思いますが、
その「しのふ」ですね。

つまり、「みちのく」の「しのぶもぢずり」という言葉で、

「伊勢」の情景、人物、そこでの想いのやりとり、そして空気そのものを
「思い出す」のであって、

簡単に言うと場面設定というか、
ある特別な世界へ導くような役割を果たしているんですね。

だから、表現として
「みちのく」の「しのぶもぢずり」というのを和歌に取り入れたのが、
河原左大臣が最初(だったのかどうかは知りません)だとしたら、
その意味で
「当時でも新鮮な印象を与えた」
と言えなくは
ないかもしれないけれど、

こういう序詞を「様式」として使っているのは
別にこの歌だけではないので、
大岡さんの評は
その意味でも若干おかしいですね。

むしろ、「みちのく」の「しのぶもぢずり」と聞いて、
それがわかる人間には

ああ、あのことか
と「思い出す」のであって、
「古歌」が読まれた当時を頭に思い浮かべることで
一瞬にして現世界とは違う「古歌」の世界へと
「時を遡る」わけです。

で、このブログを
丹念に読んでいる読者で
勘のいい人なら
この若紫の歌の時点で気づくと思うんですが、

そう、この若紫の歌
何かの歌に似てません?

句の前半の
春日野の若紫のすり衣
の「野」・「紫」・「狩衣」

そう、
天皇の御狩のときの額田王の歌

茜さす紫野行き標野行き
野守りは見ずや
君が袖振る

ですね。

その返歌
紫の匂へる妹のにくくあらば
人妻ゆへに我恋めやも

も含めて
「場面設定」が
似ているんですね。

なので、
天皇の御狩りという
行幸の場面設定を
借りているんです。

以前も、ちょっと書きましたけど、

古代日本の神様含めて
昔の人達は
超自由恋愛でした。

「いいな」と思ったら
即アプローチ。

野を越え、
山を越え、
会いに行きます。

古事記の歌謡に
こういう歌があります。

八千矛の 神の命は
八島国 妻枕きかねて

遠々し 高志の国に

賢し女を 有りと聞かして
麗し女を 有りと聞こして

さ婚(よば)ひに 在立たし
婚ひに 在通はせ


神様だってそんな感じで、

まぁ、西洋の
古代の神様達も似たような感じで
ゼウスとか
「そんなモノにまで変わるか!(笑)」
というくらいに
ありとあらゆるものに姿形を変えて
乙女と契りあそばされておられるじゃないですか。(笑)

そんなわけで、
日本の古代の神様の皇孫であらせられる天皇
言うに及ばず。

例えば、
応神天皇
近江に行く途中
木幡の道で美しい乙女に会って、

「帰りに絶対寄るからね!(* ^ー゜)ノ」
と約束して、

約束通りにやってきた天皇
乙女を目の前にして
歌った歌。

この蟹や いづくの蟹
百伝ふ 角鹿の蟹
横去らふ いづくに至る

(途中略(笑))

すくすくと 我いませばや

木幡の道に 逢はししおとめ
後手は 小盾ろかも
歯並は 椎菱なす

(途中略(笑))

斯くもがと 我が見し子ら
斯くもがと 吾が見し子に
うたたけだに 向かひ居るかも い副ひ居るかも


だいたいの意味↓

もうさー
蟹みたいに
ほうほうの体で這ったり、

水鳥みたいに
潜ったり
浮かんだりしながら、

一生懸命やってきたよ
この遠い道をさ

木幡の道で出会った可愛い子

首もとから背中にかけて
すらっとしてて
そそられるんだけど
振り向いて笑ったときの
小さな白い歯が印象的で
とってもかわいいし、
その健康的な肌の色も
いいなぁ
君の※※の※※を
僕の※※で
※※して※※したときの
君の表情が見たいな(はーと)

そんな風に
あんなことやこんなことを
してみたいと思ってた君に
やっと会えたよ

やっと君を抱けるくらいの
距離にね

もう、ほんとうに嬉しいよ!

(以上、※印部分自主規制(笑))

自主規制部分(笑)以外にも
いろいろと秘密のある歌のようですが、

まぁ、ね
こんな風に
好き好き言われたら
断れないですよね(笑)

それくらい
なんか
天真爛漫というか。

しかも相手は
天皇ですからね(笑)

普通に庭先にいたら
急に身なりのいい男の人がいて、
「ぼく天皇だけど、
君のこと好きだから
帰りに寄るからね」とか
いきなり言われても

家の人達も含めて
困りますけど(笑)

相手が
ある意味神様みたいな人だから
仕方ないっていうか、

当時は、
まぁ、それが普通。

でも、
天皇といっても
公務は年中行事の際と、
国内外をご訪問あそばされたときに
にこやかに手を振って
ご挨拶賜るだけではなく

国内外の反乱あれば
その鎮圧のために
戦地へ赴く
若く、たくましい
歴戦の勇者の趣も携えていて、
イメージはたぶん
だいぶ違います。

そういう
若き勇者のごとき
貴公子が
いきなり現れるわけなので、

なんていうか、
急に白馬の王子様が現れて
求婚されるのに
似ていますよね。

だから、そういうのに
憧れる人達もいただろうし
(てか、大半がそうだったでしょう)、

でも、万葉集には
自分の娘を宮廷に召す親の気持ちみたいなのを詠んだ歌もあったりして

打日指す宮に行く児を
ま愛しみ
留むれば苦し
聴去ばすべなし

(宮廷に召されて行く、
まだいとけない娘のかわいらしさに
引き留めれば心苦しいし、
行かせればやるせないし
どうしようもない)

みたいな

親御さんの気持ちも
わかりますよね。

もちろん断っても
大丈夫だったみたいで、

そういうところも含めて
身分とかそういうの関係なしに
素直に人と人が
自分の思いを伝えられる
そういうことが許される
理想的な世界であったことが、

万葉集の各階層の歌から
感じられます。

前半部分の蟹云々の話は
今手元にある本(岩波旧体系「古代歌謡集」古事記歌謡)には
゛饗応の際に蟹が出たのだろう゛とかいう
近世の注釈書をそのまま引用して注をつけてありますが、

というよりも
蟹のいる海辺(沢蟹だったら山かも)や水鳥のいる沼地に近いような
当時の道なき道を
苦労して辿りついた様子がよく現れていて、

まさに

かわぐちひろしは~
どうくつにはいる~
カメラさんと~
照明さんの~
あとからはいる~♪
(後半部分、昔ひょうきん族でやっていたネタですが何か?)

という
川口ヒロシ探検隊のごとく
乙女を目指して
ジャングルを進み行く
天皇様ご一行のご様子が
瞼に浮かんで
目頭が熱くなるほどで
ございます。(笑)

なので、
それくらい苦労して
君のもとにたどり着いたよ
という
天皇から娘への愛の深さを
示す、
多少大袈裟な表現であるということです。

自分の愛がいかに深いかという
これもその後の
和歌の表現の方法のひとつとなっていることは
ご存じの方には
言うまでもありませんが、

知らない方には
冗談さえ通じないかもしれないと気づいたので
一応、補足しておきます(笑)

まぁ、今でも
そういう表現ってありますよね?

僕の愛は
君の私生活全てを
手に入れたいくらい
深いのだ
とか?(笑)

こういう歌が
わざとらしく聞こえないポイントは
その喩えができるだけ
身近で親近感を
覚えられるか
或いは
逆にとんでもなく実際とかけ離れている
というのもいいかもしれませんね。

相手をくすっとさせて
気持ちをやわらげる効果があります。

僕の愛は
海より深い

という表現を
言ったとき

相手が

は?(#`Δ´)ナニイッテンノコイツ

みたいになっては
困るので

絶妙なタイミングと
そのときの状況
自分の立場などを
見極めて表現することが
大切です(笑)

なので、
この応神天皇の歌は
なかなか好印象だと思いますね。

当たり前の話ですが、
別にここでは
道がジャングルかだったかどうかとか
この歌が探検をテーマにしているとかいう主張ではありません。
(当たり前ですけどry)

まぁ、実際、当時は
道もそれほど整備されてはいなかったと思いますよ?(笑)
(そんなにムキになって反論しなくてもおk(笑))

まぁ、
蟹が饗応で出るくらいだとしても
結構遠い地方なんじゃないかと。

古代歌謡には
前述の高志の国(=越の国→後の越前・越中・越後あたり)とかの歌も出てきますから、

なんとなく
福井とかあのあたりの
蟹がとれるような地域を
漠然と思い浮かべますが、

それはまぁ、あくまでも
個人的な感想です。 

思うに、

古代の地名記述を巡っても
必ずと言っていいほど、
邪馬台国畿内説、九州説とかが強引に結びつけられて
論じられていたりして
うんざりしますけど、

そういうのって
関係ないんですよね。

魏誌倭人伝の記述の通り、
邪馬台国っていうのは、
「たくさんの国々の集まり」であって、
それが統一国家だったかも
確定しがたいんです。

私が、思うには
かなり個々の国々の独立性、自治が保たれていた
連合国みたいな感じがしています。

リーダーみたいな国とか、
主に外交を担当していて、
便宜的に代表として海外交渉にあたった国とか
連合国内で役割分担があったのかもしれないし、
現在のような統一された中央集権国家とイコールではないのではないかと。

上述の応神天皇行幸
古代原始連合国家
統一国家成立に向かう
少し手前くらいで設定してある気がしますが、

だからこそ、
リーダーとなる国は
各地の国々と
婚姻関係を結んでいた可能性もあります。

戦国時代に、戦国大名が国同士で
人質なるものとして
自分の家族を
交換したりしますが、

現代(昭和期くらいまで)の誘拐犯が身代金の要求のために
確保して、
殺すぞと脅したりする人質と違って、

同盟のしるしの意味のほうが
強くて、

人質先でその国の家族のようにもてなされていて、
子供は、違和感なく育てられたりしています。
(もちろん国同士の裏切りなどがあれば、
殺される可能性はありますが。)

そういうところに、
名残があるような気がしますが、

だから
政略結婚というより
同じ連合国内の仲間として、

婚姻関係を結ぶことで、
それぞれの国は違えども、
国全体をひとつの親族のようにみなしていたのではないかと思います。

だから、さまざまな土地に
さまざまな文献が残っているし、
そこには、さまざまな土地の歌が残っていたりもするわけです。

日本は島国だから
いろんなところから
いろんな人達が来て
住んでいた可能性はあるし、

それでいいんですよ。

別にひとつの独裁国家を設定しなくても。

それでも
昔から日本に住んでいた人達は
日本人なんです。

しかも、
古代に日本に住んでいた人達の数は少なく、
国と言っても集落程度だった可能性もありますし、
その集落の数と言っても
たかがしれていて、
近現代の「国家」と同じように考えることはできません。

連合国家があったとしても、
連合国以外の国もあったかもしれないわけですし、

そうなると、
誰が一番最初に日本に住んでいて
誰が最初に日本に「国」を作ったかとか
わかるはずもなく。

だから、ことあるごとに
自分達の地方が
邪馬台国だとか声高に叫んでいる人達のほうが、

むしろ古代日本の有り様や考え方を理解できない
後世の時代の人達だなぁ
って、
いつも思っていますが(笑)

徐福という人がいて、

秦の始皇帝
蓬莱島(中国における仙人の住む宝島のようなイメージ)を探すように
厳命された人なんですが、

秦の始皇帝といえば
中国全土を統一して
秦という一大帝国を成して
万里の長城を築いた皇帝です。

皇帝になったあと
始皇帝を待ち受けていた毎日とは
いつ殺されるかわからない
恐怖の日々です。

国家統一を果たした始皇帝を殺して、
その座を奪えば
簡単に統一国家の皇帝になれるわけですから。

始皇帝はいつ毒殺されてもおかしくない日々から
遁走したくなったのでしょうね。

そんなときに
蓬莱島という伝説の島について
どういう経緯で知ったのかわかりませんが、

まるで天国のように
思えたに違いありません。

その島を探すように
徐福に命じた
始皇帝の気持ちは
よくわかります。

おもしろいことに、
この徐福が
度々日本に訪れた形跡があるんですよ。

想像してみてください。

もしかしたら、
秦の始皇帝だって
日本に移り住んだかもしれないんです。

だから、
いろんな人達が
住んでいたんですよ。

別にいいんじゃないですか
古代のことはそれで。

そのことで、
今の日本人同士でいがみ合ったり
ケンカしたり
我田引水的な論を振り回したりしても
意味はないんです。

現代の日本の問題として
先住民である日本人を駆逐して
外国人にやりたい放題されたら
さすがに日本国民だって
怒りますが
それとこれとは
話が別です。(笑)

だから
よくわからない古代のことを
自分達のモノの見方だけで
あれやこれや言う人達とか
ほんと無意味だなぁ
と思います。

いろんな人達がいても
いいんです。

日本人は日本人なのですから。
それは、変わらないので。

現代日本
とりあえず、日本国民とは日本国籍を有する人を
日本人と言う
というのが社会的な定義であり、
それに則って
全てのルールが動いている。

それだけの話です。


そんなわけで、
話は少しそれましたが、

とりあえず、
そんな風に
天皇が宮廷の外に出かけるとき(行幸とか御狩とか)は
外の世界の女性との恋愛が
つきものであって、

それが、いつからか
慣習化されて
自由恋愛ではなくて
儀式みたいに
なっていったんだと思うんですけど、

巷では
よばひの風習は
近代に入ってからも(昭和期くらいまで)
各地に残っていたくらいなのですが、
要するに、
男なら好きな女性をモノにしたければ
自然な感じで(無理やりはダメ)
あたって砕けろ
(→もちろん女性は断ってもいいが、普通はあんまり断らない)
みたいな考え方は
一般大衆レベルではかなり時代を下っても残っていたようです。

古今集くらいまでは
宮廷風味の白馬の王子様的な雰囲気が残っていて、

雅やかな貴公子が
よその土地に行ったときに
ふとかいま見た女性に求婚する
っていう。

なので、
この「貴公子」、
「遠隔地(非日常的ロケーション)」、
「チラ見」という
三大要素が
当時の理想的恋愛(出逢編)には
必須であったわけです。

だから、
「茜さす」の歌について
額田王
宴席でプライベートな不倫の歌を歌ったはずがない
とか論じられていることがたまにありますが
ナンセンスですね。

むしろ、額田王の歌は
正統派であり
理想的な恋の歌であって、
そういう歌を
堂々と歌える額田王という女性は
魅力的な女性だったんだろうな
と思うわけです。

不倫がどうのこうのとかは
あくまでも
後世のモノの見方でそ。

というわけで、
話が少し長くなりましたが、

「伊勢」の初段のしのぶもぢずりの歌は
そんな感じ。


(というわけで、まだまだ続きます。
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