人間の弱さ。


おはよう(*^ー^*)
お久しぶりです。

週末は
ちょっと体調を崩していて
(ということになっているので)
ブログはおやすみしました(笑)

まぁ
でも
金曜日の午後からは
普通の私に
なってましたので
(ということになっているので)

ご安心ください(笑)


今朝はね
朝起きて
昨日の夜にWOWOWで見た
「怒り」という映画について
考えていて

日曜日は
特にやることもないし
朝考えたことを
書いてみてもいいな

思ったので
書いてみることにしました。


まぁ
映画の中で
犯人が「書かずにはいられない」人みたいな
設定になってましたが(笑)
まぁ
私は人は殺さないので
(笑)

あと
たぶん
犯人が
「頭に血が上らないと
落ち着かないんだわー」
って言ってたのは

たぶん
私が
「私は怒ったときが
一番冷静なんで」
って言ったからかな?
(^-^)


まぁ
私の場合はね
怒ると情に流されなくなるからですね

「情」とか
人の「許す」とか
「やさしさ」とかを利用した人の
まやかしを
一切排除して
事実だけを見られるようになるからです。

だから
その方が
信じるべき人を
本当の意味で
信じられるように
なるんだよ。

わからないかも
しれないけど(^-^)


さて
「怒り」という映画のことについて
書きましょう。

最近の邦画はさ

なんかおかしくてね

私は

徹底的に
見るのを避けてるんだけど
(まぁたまに
気分とかその他諸々の理由で
見ることは
あるけど) 

この「怒り」という映画も
そのひとつで
何回か
WOWOWでやってたのも
知ってたけど

見るのやめてたんだよね。

でも
昨日見てみようかな
とか
思ったのは

時間があったから
というのもあるけど

その前の時間にね。

「悪人」という映画を
録画していて

その余波で
見てみようかな
と思った

というのが
理由だと思う。


「悪人」という映画はね
映画館で公開前の
フライヤーを見て

直感的に
「見たいな」と
思った映画で。

そのときは
見られなかったけど

私には
ある法則があって

見たいなとか
思った作品はね

必ずあとから
何らかの形で
見られるようになるの。


これは
私が小学生とか
中学生のころから
自覚していた法則なんだけど。

落とし物とかも
そうなんだよね。

不思議と。

だから
私が見たり聴いたり読んだりする
作品はね

私に何らかの縁があるってことです。

見るべき
聴くべき
知るべき
事柄。

ある意味
必然なんだよね。


だから「悪人」も
その作品のひとつ。

まだ見てないけど(笑)

なので
見られる時間があって

それが
まさにちょうどよいタイミングで

目の前で展開されて

それが
私の意思で
見るか見ないかの
選択を選べる状況にあったときに
(↑ここは重要(笑))

私はそれを
「見ること」を
選択した。

見ようと思った理由は
そういうことです。

なんかさ
私がどんな理由で
見たり読んだり聴いたりしているか

すごく勘違いされてるなぁ

思うことが
度々あるので

とりあえず書いてみます(笑)


理由なんて
自分でも
わからないんだよ
(^-^)

だから
人にわかるはずなんて
ない(笑)


理由は
「偶然であり必然」です。


前置きが長くなったけど
映画を見ての
感想を書きます(笑)


一言で言ってしまうと

これもまた
「最近の他の作品と同じ」
ですね。


なんでだろうね。

役者さんの演技も
悪くない。

むしろ
上手い人が揃ってる

映像も
構成も
沖縄の海や景色も
美しく。
(一部合成まるわかりな箇所があったけど。)

そういう意味では
完璧に近い。

でも
なんか
ところどころに
綻びがあって

周りが完璧なだけに
余計にそこが目立って

そして
そのちょっとした
あちこちの
歪みが
全体のバランスを
ひどく
おかしなものにしている。

違和感。

何かがおかしい。


私は
モヤモヤする。

別に映画を見て
スッキリしたいわけではないけど

でも
このちぐはぐは
なんだろう
と。


だから
それを
思い出して
可能な限り

少し書いてみようかな

思ったわけです。


まずひとつめ

登場人物が
あんなに涙を流して泣いているのに

全く感情移入できず
泣けなかったんですよね。

まぁ
感情移入できなくても
別にいいんですけど。

役者さんの演技は
確かに上手い

でも
心が乗らない。

これはね
とても一方的というか
そんな感じがするの。

映画の中でも
そうなの
片方の人はね
「人を信じられなかった」
と言って
すごく泣いてるのよね。

でも
もう片方もさ
実は
相手のことを
信じてなかったのよね。

つまり
宮崎あおいさん演じる愛子ちゃんはね

松山ケンイチさん演じる田代に
「殺人犯じゃないならお昼までに
戻ってきてね」
って言うんだけど

それで
愛子ちゃんは
田代を信じられなかった
と泣くけれど

結局田代も
殺人犯じゃないけど
愛子ちゃんが
信じてくれないと思ったから
家には帰らなかったわけなんですよね。

でね
妻夫木聡さん演じるユウマさんはね
部屋に居候させてるナオトを
殺人犯と疑って
「信じられなかった」と
泣くんだけど

綾野剛さん演じるナオトもね
ユウマのことを
信じられなかったから
自分の生い立ちのことを
ユウマに話さなかったんだよね。

ナオトはさ
「話してもわからない人物には
何を話してもわかってもらえないから」
って
言ってるし。

(ユウマは
ナオトが死んだあと
施設から苦労して育った二人という話は
まるっと信じている
というのは謎だけど(笑)

まぁ
そういう設定は
人が「信じやすい」デフォ
ですけどね。)

片方は
信じられなかったことに
とても罪悪感を
感じていて
もう片方はそれほど罪悪感を感じていない。


そして
それは
どちらも真実なんだけど

よく考えたら
だから何なの?

って話だ。


取り返せない
時間

心。


どんなに
近くにいても

わかりあえない

時間

心。


この映画はさ

信じられなかったったと
嘆いている人達は

いわゆる
「いい人」たちばかりだし

信じられなかった相手も
いわゆる「いい人」ばっかりで。

要するに
いわゆる「いい人」
の話なんです。



そして
信じた相手は

信じるに足らない相手だった

という
いわゆる「悪い人」の話が
森山未来さん演じる田中
(山神)と
子役の男の子(名前わからなかったごめん(笑))
の関係性

ということに
なっています。


でも
この関係性は
後述するけど
とてもおかしな信頼関係で。



思うに
なんの違和感もなく
すべての人を
信じたのは
結局
広瀬すずちゃん演じる
いずみちゃん
だと思う。


だからこそ
この映画の中で
一番の被害者は

いずみちゃんであり

田中こと
山神にお茶を差し出した
奥さん
であり

そのとばっちりをくらった
旦那さんであると
言える。


奥さんの設定は
ひとまず置いておいて

だからこそ
あんな風にレイプされたことがなくても

いずみちゃんの涙には
真実がある。

この映画が
きちんと完成されていたら
その涙も報われただろうに
と思うけど。


残念だね。


(山神の名前の由来は
敢えて突っ込まないわ(笑)
作品を作り損ねたことを悔やむ気持ちがあるなら
少しは自分のプロとしての
意識を反省して
今後の作品に生かしてほしいです(笑)


もしかして
海と山とかの対立みたいに
思って作ってたら
ちょっと安易過ぎると思う。
↑これは今気付いた)

結局

いつも
信じる人だけが
被害者なんですよね。


人を信じなかった
といって
嘆く人の涙は
単なる後悔で
自分自身の正当化にすぎない。


だから
感情移入して
涙を流すとかは
できない。

私はね。

むしろ
今は
人は信じられないものと
わりきって
何も言わずに
淡々と生きて
いる
ナオトとかの気持ちは
わかるかな
と思う。



さて

いずみちゃんのレイプシーンを見て

助けなかった
二人の男が
その子役の男の子と
山神なわけなんだけどさ

まずね
その男の子とかさ
自分の好きな女の子が
あんな風に
自分の目の前で
レイプされても

保身とか怖さとかで
助けられないってことが

まず
一番衝撃的でした。



私のこの映画の一番の感情の揺れは
ここがピークでした。

「どうにもならないこと」
って
言ってるけどさ

デモとか
はっきり言って無意味だし
この社会そのものが
弱者に味方するようには
できていないことは
わかりますよ。

誰でもわかります。


でもさ、
目の前でレイプされてる
自分の一番大切な人を
助けることは
できたわけです。

大声をあげたり
飛び出して行ったり

できたわけですよ。


男の人ってさ
無知で
頼りなくて
弱いんだな
って
本当に思うけど。


もちろん
「人による」という意見があるけどさ

その男の子がね
最後に
山神を殺すじゃない?

「信じてたのに!」
って言ってさ。


それは
八つ当たりなのよね。


自分がどうすることも
できなかったことを

一時的にであれ
田中こと山神に相談することで
その男の子は
ちょっとの間
心の負担をなくしたのです。


罪悪感も
少しやわらいだのよね。

「自分の味方」
という
田中に心をなぐさめられて
ちょっとだけ
自分の心を正当化できたのよ。


それが
その男の子の

「信じること」
だったわけで。


でも
その「信じた」相手がさ
まさかの
自分と同じ立場の人間
というか
さらに予想の上を行く
非道なやつだったわけで

彼の「信じた」行為は

そして
ちょっとの間だけ
正当化されていた
心のゆとりは

木っ端微塵に吹き飛ぶわけです。

彼の「信じた」相手は
彼の「共犯者」であり
さらに
それよりも酷い存在に
彼には
思えたわけで。

私から見ると
どっちも
一緒なんだけどね(笑)


そして
その男の子の「正当化」は
山神の殺害へと結び付くのです。

自分は山神とは
違う。

本当は
助けたかったんだ
と。

それを
「怒り」と

彼らは呼びます。


でもさ

それは
八つ当たりなんです。


それをね
この映画は
少女を助けられなかった
男の子の
行き場のない「怒り」

すり替えているんですよね。

実に巧妙に。


皆さんは
この映画を
どう見ました?


私みたいに
見なかったでしょ?(笑)


社会への行き場のない
怒りが
描かれていると思いましたか?


それを何の罪もない人への
殺害へと昇華させる
異常な殺人者の話だと
思いましたか?


人を氏素性がわからなかったから
信じることができなかった人の
悔恨の映画だと
思いましたか?


私は
そんな風に
納得してこの映画を見ている人達が


一番怖いです。


私は
この映画の
いずみちゃんのレイプシーンを
見た人達は

全てレイプをした米兵に
必ず憎悪を抱くと
思うんですけど

でもさ
映画が終わったとき
その米兵への憎悪がさ
頭に残っていた人は
わずかだと思うわ。

みんな
山神が
悪いことになってるのね。

夫婦を異常な殺し方をして
部屋はゴキブリがいるくらい
汚くて

周囲の人は誰でも敵と見なし

書き込みを異常なまでに
貼った紙がたくさんある
部屋に住んでいた

わかりやすく
「悪い」男の人が

その事実と
結びつけられたときに

「ああ、やっぱりね」

納得して
映画を見ている皆さんが

とても怖いです。


そして
気の毒なことに
山神の「怒り」の原因は

一切この映画では
書かれていません。


派遣会社から
間違った場所を
聞かされて
うろつきまわった

ちょっとした原因が
犯行の動機だったのではないかと

傷害で捕まった男の
「推論」で
語られるだけです。


もし
皆さんが

山神に
その男の子と同じように
好きだった女の子を
レイプされたことに関わるような


例えば
何か
特別な怒りの原因があったら

皆さんは同情するんですか?



まぁ
あんな風になるんだったら
その「怒り」に何か原因があっても
おかしくないですよね。

なんとなく
心を動かされるような
事実があったら

みなさんは
きっと同情するんでしょうね。

きっと。


それをわかっているから
この映画の作り手は

その部分は
敢えて入れてないんですよ。

徹底的に
憎んでほしいんです。

山神を。


レイプした米兵よりも

です。


何故?

それは
私には
わかりません。


映画を作った人に
聞いてみれば?(^-^)

とりあえず
そういう異常者がいる
っていうことは

言いたかったみたいですね。


でもさ

歩けなくなるくらい
暑い日に
休んでいるところ
冷たいお茶を飲ませてもらって
その人を殺すとか

あり得るかな?


私は
そっちのほうが

あり得ないと
思うわ。

まぁ
その派遣先のやつが
わざとそいつに間違った
情報与えて

暑い中をうろつきまわらせた
挙げ句に

たまたま道端で
休んだ家のおばちゃんが
派遣社員の知り合いで

実はわざとその派遣社員
その場所を教えてて
そいつが疲れてぐったりしているのを
そこの家の
さもやさしくしているように見えるおばちゃんが

動画で載せて
ネット上で笑い者にしてた
とかだったら

さすがに
殺したくもなるだろうけど。

殺したりは
しないんじゃないかな?

私は
経験があるから
わかりますけどね。(笑)


人を殺したり経験じゃなくてね。


もちろん
やさしくお茶を出してもらったことも

ないわけですが(笑)


どうだろう?

そういう嫌がらせをしてくるやつが
わざといい人ぶって
お茶を出すということは
有り得るから
それも嫌がらせの一部とかだったり
することもあるからね。

私は
そういうことに気づいたときは

「いいえ
結構です。」

って言って

わざと
冷静にその場を立ち去ると思うわ。


怒れば怒るほど
そういうやつは

調子に乗るから(笑)


だから
怒ったら冷静になるのかも

今我ながら気づいた。


同じような理由で
レイプされた人が

誰にも言わないでね
っていうのを
ステレオタイプにして

ちゃんと犯人を訴える被害者を
例外的に見なすのは
やめたほうが
いいと思うよ。


この映画は
とても一方的であり

部分的すぎるのよね。


皆さんは

人殺しをしたことが
ありますか?

たぶん
ないと思うわ。

この映画に出てくる人達みたいに

怒りを持って人を殺したり
したこともない
人達なんですよね?


でもさ
そういう人達がね

この国の主権を
握ってるのよ。

平和に
わけ知り顔で

ちっとも傷つかずに

この映画を見ても
新聞を見ても

そのおかしさに気づかずに
なるほど
とか言ったり

涙を流したりして


そして

たくさんの人を
殺しているのよ。


自分達が人殺しとも
思わずに

のうのうと
生きているの。

全部社会のせいにして

自分達が
本当に見なければならないことから

目をそむけて

毎日
人を殺しているのよ。


それと
同じ匂いを
この映画から
感じました。


要するに
永遠の0」と同じね。

似非平和主義者というか。

役者さんも
上手ですよ。

演技は。

そういう善良なる人達を
本気で演じている。


でも
心を動かされないのは

たぶん
それだけが真実じゃないことを

私が
知っているからです。


だから
この映画で

悪人を演じ、

その演技で
映画以外の部分の
「異常者」ではない
山神の「怒り」を
感じさせてくれた

森山未来さんが

一番良かったかな

私は思いました。


そんな感じです。


でも
やっぱり
最近の邦画は
見ないほうがいいかな

思いました。


以上、

「怒り」の感想でした。

結構長い時間書いた(笑)

指が疲れた。。。


でも
私は
思ったことは

これからも
書き続けます。

どんな嫌がらせを
されても。


ではでは

またねー('ー')/~~

201709241026