シノブ

昨日
書いたことを

少し考えていた。


前に
WOWOW
デビット・ボウイの番組が放送されていて
それを見たんだけど。


たぶん
それを見ようと思ったのは
ロッキング・オン
山崎さんか宮崎さんが
デビット・ボウイのことを
書いていたのを
読んだことがあって
どんな人なんだろうと
思って見たの。

デビット・ボウイ
1970年代のライブと
京都に来たときのエピソードの
ドキュメンタリーみたいなの。

ドキュメンタリーと言っても
本人の言葉は
テロップで表示されるくらいで
当時まわりにいた人達の印象←みたいなやつだったけど。

デビット・ボウイ
日本に何かを探しに来た
という言葉がね
心に残った。

ずっと
探し続けていたんだろうと
思う。

自分が求める何かを。

はるばる遠い東の小さな島国にまで。


デビット・ボウイ
日本で
何を感じ

どう思っただろう。


探していたものは
見つかったのだろうか。


番組の途中で
当時撮影された
日本酒のCMのエピソードが
あったけど

これがまた
酷い感じだった(笑)


京都で
ちゃんと話すことが
できた相手がいたことが
本当によかったと思う。


昨日の志摩さんの
インタビューで

デビット・ボウイ
人気者だったと
書いていたけど

確かに人気者で
みんなに愛されていたんだろうと思うし

今も愛されているんだろうと思う。


だけど
社会は
デビット・ボウイ
受け入れることが
できたのか。

表現し続けてきた彼に
何かを返すことが
できたのか。


どうだろうね。


デビット・ボウイ
「★(ブラックスター)」という
アルバムの発売の
2日後に
亡くなったという話を
その番組で初めて知った。

私は
デビット・ボウイの死因を
想像してみたりする。


死因は
絶望。


自分が命を懸けて
作った作品を
誰も理解できない

そのことへの。



番組の中で
ソファーにふんぞり返って
でっぷり突き出たお腹に
ぴっちぴちの
「★」Tシャツを来た
おじさんを見ながら

私は思うのであった。



私達は
知らないうちに

たくさんの人を
殺している。


知らないことは
恐ろしい。

無知は
ある意味
罪である。


でも
この玉石混淆の

やたらと石ばっかりがクローズアップされた
今の世界に生きていたら

いろんなものを
見過ごしてしまうのも
仕方のない話だ。

そうやって
私は
生きているし

もはや
目にしたところで
何もわからない人達の中で
息苦しく生きている。


大袈裟に言えば
文化を享受する人間の一人として

デビット・ボウイに対して
申し訳なく思うし、


簡単に言えば

デビット・ボウイが生きているときに

命を懸けて作ったアルバムが
送り出されたそのときに

曲を聴けなくて

残念だったと思う。


私が
死んで

いつか
そのことを伝える機会があって

これからちゃんと聴かせてください
と言うしか
ないけれど。


「生きてるうちにしか聴けない音楽もあるんだよ」

って
言われるかもしれない。



そう

わかってるんだけどね。


今朝は
indigo la End
「シノブ」を
聴いています。






私達は

見逃されながら

命を繋いだ



絵音くんは
いつ
戻ってくるのだろうか。


私は
君の命は
守れないの。

誰の命も
守れないのよ。


わざとだったら
絶対許さん。