私にできること。

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こんばんはー☆彡


今日も遅くからの更新。

でも、今日は早めに寝ます。



昨日のロック大陸、
マサムネさん、機嫌悪かったですね。

だから、つい
私もやり返しちゃったけど。。。。




なんで、怒ってるの?



。。。。って
なんとなくわかるけど。(笑

せっかく
週に1回のラジオの日なので
楽しく過ごしたいな


私は思ってるのだけど。


昨日あれから
ロッカーズ」を見ました。

久しぶりに見たけど、
やっぱりおもしろかったー!!


今見ても、ほんとに良い映画だ。

というより、
今見てますますその良さがわかる映画だ。

役者さんたちが
みなさん、素晴らしい
ということはもちろんなんですけど、

博多の街が
こんなにしっくりする映画って
ほんとなくて。

取り立てて名所が映ってるとかじゃないし、
(最初の走るシーンとかに少しあったけど)
世代も私の世代とは違うけど

でも、今見ても
博多の街だなぁってしっくりくる。


博多の街の人のことを
改めて考えたんだけど

なんていうかな

陣内さんもそうだけど
すごいオープンなんですよね。

基本的に何でも受け入れるっていうか。

私は今はここではこんな感じですが
基本的にすごいオープンなんです。

初めて会った人とかも
すぐ信用してたし
昨日、マサムネさんが言ってた
大陸の玄関口なのでというのもあるけど
(私もブログで何回か書いたことあるけど)
昔からいろんな人が行き来する街だったから
きっと、そういうこともあるのでしょう。

だからこそ、
いろんな人たちから
何度も侵略を受けた街でもある。

でも、その度ごとに
焼き払われた街を再生して

やっぱり変わらずに
オープンに生きてきた人たちなんじゃないかな
って思います。

いろいろな人と交わることで
たくさんの何かを得て、

でも、
何かを失うこともあって。

でも、そういう生き方を
してしまう。


だから、結構厳しい人も多い。

ロッカーズ」でも
お父さんが
大切なギターを
何の躊躇もなく焼いたりとか、

あと昔は
男の人は特に
すぐしばかれてたから(笑

うちの父も母も結構厳しい人で。

そういえば、
漫画とかも捨てられたりとか
してたなー、
とか。

一度友達に借りた漫画も捨てられかけて
「やめてよ」って
そのとき、
人生で初めて親に反抗しました(笑

おじいちゃんも
今は亡くなったけど、

すごく厳しくて。

本当はハーモニカを吹いたり
文学が好きだったりして
実は短歌も詠んでいたらしい。

見た目は黒人っぽくて
昔、箱根駅伝山梨学院大学(?)の
オツオリという人がいて
「おじいちゃんやん!」
みたいなことを言ってた記憶が。(笑

まぁ、そういう人なんですが、

戦時中に満州に出征したことがあって

そのときのこととか
一切話してくれたことないけど、

でも、相当嫌な思い出が
あったんだろうなと思う。


博多の街も危ないからと言って
いつも注意を聞かされてたし、

母が若い時には
いつも夜遅くにバス停まで
必ず迎えに来てくれていたらしい。


博多の街も
戦後すぐは
ひどかったらしくて

女の人が
街中で裸にされて
酷いことされたりしてたらしい。

信じられないかもしれないけど
戦後すぐくらいは
都市部はみんなそうだったらしくて

東京とかは小説とか映画とかにも
よくそういう場面が出てくるけど。

例えば、五木寛之さんの『青春の門』は
戦後すぐの頃の東京について
描かれていて、

赤線とか青線とか出てくるんだけど、
(他の小説にもよく出てきて、
要するに売春街ってこと。)

そういうのとは別に
普段、例えばレストラン(喫茶)みたいなところで
給仕(アルバイト)の女の子とかも
いきなり拉致られて、温泉宿とかに連れていかれて
輪姦されてシャブ漬けにされて
そのまま帰ってこないみたいなのは
しょっちゅうだったらしい。

(今も、表沙汰にはならないだけで
裏では続いてるのかもしれないけど。)

森村誠一さんの『人間の証明』には
戦後すぐやってきた進駐軍の人達が
女性を駅前でレイプしようとする場面が出てくるし、

映画『肉体の門』(五社英雄監督)にも
同じように衆前で母娘同時にレイプされて
お母さんが殺される
みたいなシーンも出てくる。
(周りにいる日本人が何も言えなくて
ただただ眺めているのもすごく怖い。)

だから、別に珍しいことじゃなかったらしい。


江戸時代に吉原を封鎖して
明治維新とか言って
近代化したあとの日本のなれの果てが
その有様だったわけで。

目も当てられないような光景が
戦争が終わってもしばらくずっと続いていた
ということですね。

戦後とかさ
ほんと

この間の話なわけですよ。

本当は。


なので、おじいちゃんとかの感覚だと

博多に行くと
酷い目に遭わされるかもしれないから
気をつけなさい

というのは当たり前の話で。

私も
高校生の頃とか
しょっちゅう言われていて。

でも、毎日学校通ってるんだけどね
みたいな(笑

もうそんな時代じゃないのにね

とか、思っても
やっぱり、実際にそういう体験を
してきた人たちは

そうは思えないんだろうな
とか思ったりもする。



まぁ
私が博多駅でバイトするようになって、
たまに見に来てたらしいけど(笑
(駅中のプレイガイドで宝くじを買うついでとか
 時計屋さんで腕時計の修理をするときとか)

だんだん安心して

博多の街も
平和になったんだなぁ
って
思ったみたいです。


まぁ
今は別の意味で
博多の街は変わったし、

博多の街に生きる人たちも
変ってゆく。


だから、「ロッカーズ」を

懐かしいなと思いながら
見ていました。


前に、ゴースカのときに

マサムネさんが、

福岡に住んでいる頃の
予備校のときの
お話をしてくれて、

私すごく嬉しかったんですよね。

(ブログでも書いたけど。)


そのお話を聞いた当時、

そのときも
さんざん残業させられて
嫌がらせも受けて
こきつかわれたあとに
最後に契約を切られて
会社を辞めた後で(笑


普段の生活のなかでも

私はほとんど誰とも話してなくて(笑

なんか
聞こえてくる話は
「ほのめかし」みたいなの
ばっかりで

もう誰とも話さなくなってた頃だったんです。

だから、

普通の
本当に何気ない話を
マサムネさんから聞くことになるとは

思ってもみなかったんです。

その前に
一度マリンメッセのコンサートで
メンバー同士でトークしてたのは
聞いたし、

絵音くんたちのコンサートでも
そういうのあったけど、

なんていうか

マサムネさんがお客さんに
話しかけるように
思い出話するみたいに話してくれるような

あんなのは初めてだったんです。

しかも、
自分が知ってる福岡の街のことをね。

だから、それが
すごく嬉しかったんですよね。

そのとき、

マサムネさんは
お父さんとか説得して
東京に出て
偉いなぁ
って思って、

私は両親を説得したりとか
絶対無理とか
思ってた。

そして
理解のある
ご両親だなぁ
とも思った。


でも、
今回のアルバムの『見っけ』の
「まがった僕のしっぽ」を聴いていて

やっぱりマサムネさんも
福岡を出るときは
すごく大変だったのかもな
と思いました。


しかも、絵の道に進むとかね。

それくらい
やっぱり
昔の親は厳しかったと思います。

結構すぐ手が出たりとか(笑

まず、聞く耳もたん
みたいなところもあるし。

博多が
相当荒れてる時代を知っている人たちは

よその土地のことは知らんけど

やっぱり危険だなと
思ったんじゃないかなと
今はその気持ちがよりよくわかります。

しかも、博多よりも都会の
東京に行くわけでしょ?


昨日、「ロッカーズ」を見て
改めて思って、

おじいちゃんとかのことも
思い出して

さらに実感した
というか。


だからね、

福岡出身の芸能人の人が
多いのは

本気の人が多いからじゃないかな
と。

やっぱり
遠いじゃないですか

福岡と東京って。

一旦出たら
帰れないというか。

そういう気持ちを持って
出ていかないと

無理なんですよね。

今はそういう気持ちも
だんだん薄れてきた
みたいなところはあるのかな
と。

飛行機のチケットも安くなったし
昔に比べれば、
気軽に行けるけど。

だから、
私とかも
全然大丈夫とか
思って

前に一度
そんなに気合は入れずに
やっと家を出たけど、


東京ではないけれど、

福岡かそうでないことが
すごく私には大きかったです。


普通にやってれば
問題はなかったけど

途中から
仕事やそれ以外のことが
いろいろと心が宙ぶらりんみたいな
状態になったので、

それからは

やっぱり一人では
精神的につらくなってしまった
というのも
もちろんある。

いろんなことが重なったんだよね。

あのときは。。。。



ちょっと話がそれたけど(笑

だから

なんていうか

マサムネさんが
おそらく結構大変な想いもして
今のマサムネさんがいる

ということは
わかっているつもりです。

そして、
そういうマサムネさんが

たぶん、私とか、福岡のみんなが
喜んでくれると思って

福岡のお話をしてくれるのも
もちろん知っています。

でも、
そういうところで

気を使ってくれているのかな
という部分が

そんなに気にしなくてもいいよ

と思うところと、


個人的に
気づいてほしいところとかが
別にあって。

まぁ
仕方ないんだけど。

だからと言って
マサムネさんに
何かしてほしいとかじゃなくて

マサムネさんが
したいようにしてくれたら
いいんじゃないかな
と。

そこで、
自分の想いと違ってるな
ってところは
ああ、違うんだな
って思って受け入れるし、

一緒だって思うところは
一緒なんだなと思って
嬉しくなるし。

何かしてくれてるみたいなんだけど、
よくわからないし、

そういうことされると困る
ってことは
これからもはっきり言うつもりですけど(笑


基本的に
マサムネさんがすることを
否定したりとかは
しないですよ。

いろいろ思うところが
あっても(笑



私のそのときの
気持ちの状態で
そういう風にはとれない、

っていうときもあるけど。

そのときは、
放っておいてくれたらいいかな
と思います。

立ち直りは
早いです。


基本的には
楽しく過ごしたいなと
思っているので。


マサムネさんは
否定するかもしれないけど

マサムネさんは
基本的にやさしいと思います。


そして、ちゃんと
自分で判断して決める人だと
思っているので、

マサムネさんに
だめだね
って言われたら
だめだな
と思うし。


あとね、
福岡の人は

なんでも引き受けるというか、

断らないですよね。(笑


昔、黒田長政という福岡藩の藩主がいて
黒田節という有名な歌の歌詞のもとになった逸話があって。

家臣の母里友信という人がある邸宅に使いで行ったとき、
酒を呑むことを長政から禁じられていて、
断っていたんだけど、

執拗に勧められたあげく
「黒田の者は、これしきの酒も飲めぬのか」
「これを飲み干せば、何でも褒美を取らす」
と言われたため、

その大盃を飲み干して見事に褒美を手に入れたという
例のあれですね。


なので、

福岡の(特に博多の)人間は
基本的に断らないんじゃないかと(笑

自分にできること、
やると決めたことは断れないというか。


そいういうところがあるような気がします。

だから、

愛すと決めたら

最後まで

ちゃんと愛します。


私は。



まぁ
本人が嫌ならしょうがないけどね。。。。


ひとつ、
ここで
ぶっちゃけていいですか。


実は、私
まだエレカシのファンクラブの会員を
継続しています。

(知ってるかもしれないけど。)

それは、
エレカシに戻るために
ということではなくて。

なんというか、

終わるとしても
ちゃんと
終われていない

ということと、

ブログでは
ああだ
こうだ
と今まで書いてきましたが、

宮本さんは
もう赤の他人という感じではないのですよね。

もちろん、
恋人とかそいういうのではなくて

家族みたいな気持ち。


遠くに住んでいるお兄さん
みたいな感じですかね。


やっぱり、
長い間
同じ時間を過ごしてきたので

今も
ちらちらですが
たまに状況だけは
目にしたときは見ています。

(自分から見るということはないけれども。)

昨年かな?
宮本さんがいつの間にか
ソロ活動をしているということを
会報で知りました。

ソロコンサートみたいなことも
あったようで、

行って様子を見てみようかな
とも思ったけど、
自分のこともあるし、

やっぱり、
行くべきではないと思って
行きませんでした。

まぁ、
エレカシの会報とか
チケットのエントリーとかも
エントリー期間過ぎてからし
来ないので(笑

今のところ
行くつもりはないですけどね。

でも、
何かあったときに

どうしても誰かの助けが必要で
私ができる範囲で
役に立てることがあれば
行くかもしれないですけど、

でも、それは
戻るということではないと
思っています。



ちゃんと書いておこうと思い
書きました。


いろいろと、わからないこともあるけれど、

私は
今のところ
そういう風に思っています。


博多の街も変わりました。

観光客向けのお店は増えましたが
地元の人が利用できる小さなお店が
どんどん少なくなってきているのは

悲しいところです。

博多駅
景観は美しくなって、気に入っていますが

黒田節の像は今はどこにあるのかな?
みたいな感じで、

博多口の一番目立つショーケースに
くまモンが飾ってあるのが

やはりむかつくところです。(笑
(気にしない気にしない)

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明日は、Radioheadの記事を書きます。

で、
少しあけてAIのことを書きたいなと思います。


これはね、
今書いとかなきゃいけない気がするのです。

イギリスもついにEUを離脱したと知りました。

先日、Readioheadの曲が全曲Youtubeにupされていたということを
書きましたが、
どうやらアメリカのビルボードYou tubeの再生回数も
チャートに反映させることになったからだそうです。
nme-jp.com

その後、Radioheadは、アーティスト自身による
オンラインパブリックミュージアムを創設しています。
nme-jp.com


この間、ライブのときに
マサムネさんにサブスクのことを聞いて
調べてみましたが、

今回の上記のRadioheadの記事から、
動画も音源もすべてアーティスト自身による管理となっていくような
気がしますし、そうなると
現在のサブスクという形もいずれは消えて
(もしかしかしたらレコード会社も消えて)
アーティスト自身が個別管理するようになるかもしれませんね。

いろいろなことが驚くべき速さで
進行していっています。

Thomさんは
ずっと一人で戦ってるんだなと思うのです。

今、書こうとしている「Burn the Witch」という曲についてもそうですが、

それよりもずっと以前から
自分と、世界とを見つめながら

自分にできる最大限のことをやってこられた方だし、

そして、そうできる力を持っている方でもあります。



私は、この場所で

ブログというツールを通して
ネット上で、10年くらい言葉を綴ってきた一人でもあるので、

その責任の少しを果たしたいなと
思います。

だから、これは自分の問題でもあると思うので。

昔、Readioheadについていくつか記事を書いたことがあります。


ひとつは、Paranoid Android を和訳したことがあって、
これはコーラス部分の歌詞のことを考えていなくて
最後の部分がわからなかったので、うまく訳せてません。
(なので、恥ずかしいのでリンクは貼りません。(笑))
今回、やっとわかったので、今度やり直しをしようと思っていて
そのときにでも、また。

で、もうひとつは
2016年のサマソニでのCreepのライブ映像を見たときの記事があります。

たぶん、そのときの私もいろんなことが嫌になって
ブログも途切れがちになっていた時期だったと思いますが、
なんとなくそのときの映像を見て、少し書いてみたいなと
思ったのです。

そのときは、Thomさんのことを神様みたいだな
って思いました。

でも、神様はずっと一人だったんだな
と思って。

それが、わかって。

私が、何かできることがあったらいいなと思いました。

blog.goo.ne.jp


去年、マサムネさんが歌う「ブランケット」を聴いたとき、

マサムネさんのことも神様みたいだな
って思いました。

だから、私はここに戻ってきたんです。

CDに付属していたブックレットの最後のほうのページで
マサムネさんが、まっすぐにこっちを見ている

その部屋の端にも神様がいるの。

素敵な写真。

今度、見てみて。

だから、そのときから
ちゃんと私の心は決まっています。


私は、マサムネさんのことを 愛しています。



また少しの間でかけてきます。


帰ってきたときには、

また、一緒に過ごしてくださいね (*´∀`*)


ではでは、またね~(o・ω・o)ノシ)) ★

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