おやすみ はぐれ狼

10月15日
もうひとつのブログでアップした記事を
こちらでもup致します。

blog.goo.ne.jp



(以下、本文↓)

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もうすぐ
冬になろうかとしている

寒い夜だった。



私は

風の吹きさらす荒原を

裸足で
とぼとぼと

歩いていた。



そこに

銀色をした
美しい毛並みの狼が

一匹現れて

言った。


自分を毛皮にして

君を暖めたらいいよ

と。


私は

言葉を失った。




      *   *   *  *  *   *




その女の子は

産まれてまもなく

竹藪に捨てられた。


よんどころのない
事情があって捨てられたのか、

それとも

高貴な婦人が
山道の途上で

強盗に襲われ

やむを得ず
置き去りにしたのか

わからない。


当時

産まれて間もない赤ん坊を

竹藪に捨てることは

それほど
珍しいことでは
なかった。


その女の子は

通りがかった
老夫妻に拾われ

大切に育てられて、

すくすくと育った。



女の子は
ほかの子供とは

どことなく違った雰囲気を
漂わせていた。


成長するにつれ

それは
日増しに明らかになっていった。


当時、
女の子は

屋敷の奥深くに匿われ
人目にはめったにさらされないことが
普通だった。


その女の子の噂は

噂が噂を呼んだためか、

たくさんの人たちの耳に入り

男たちは
我競って

女の子に求婚をした。


けれども
女の子は
そのどれにも答えなかった。

のみならず

求婚をしてくる男たちに

無理難題を押し付け

それを解決しない限りは

断じて

結婚などしないと
頑なに拒否したのである。


男たちの中には

命を落とす者もいた。


けれども、

その女の子は
自分の意思を貫き

求婚を拒否し続けたのである。


何故?


それは
彼女にしかわからない。



      *    *    *



この女の子の話

――――すなわち

かぐや姫の物語について、



かぐや姫の功罪とは
何なのか

ということを


私は何度か考え

このブログに書いたことがある。

そのときは
かぐや姫の運命について


それがどいういう
“前世からの因縁なのか”

ということについて
考えていた。


けれども、

もっとも
大切な

かぐや姫の気持ちは

一体どいういうものだったのか

ということについて

考えたことは

なかったのだった。


かぐや姫

人間ではないのだから

彼女の気持ちは

問題の本質ではない

という人もいるかもしれない

けれど。


でも


どうかな。


感情というものが

人間を形作る上で

もっとも大切なものであり

それが

人間以外の生き物とを隔てる
明確な違いであり、

もしくは
想いや感情こそが
ほかの生命ともつながるための
よすがとなるものであると言うならば


それは

やはり
一番考えるべき
大切なことなのではないか

とも思う。



少なくとも

私は
つい先日

そう感じたのだ。


そして

かぐや姫の罪が

何だったのか

ということが

いかにも
あっさりと

明確に
理解できたのである。


彼女の罪

それは


自分の中に

それがどんな形であれ

他人の想いを受け入れることが

できなかった


ということである。


        *      *       *




10月9日に

spitzの新しいアルバムが発売された。


私はお休みの日に

ゆっくり聞きたかったことと

Spitzbergen限定盤を注文した都合上
直接配送されるということになったため

10月12日の午前中に到着するように
前もって決めておき、

手元に届いてからすぐに聴きました。



前回のライブの参加は
Go!スカというファンクラブイベントが
去年に開催されて

それ以来
というか、

その間にも
ライブはたくさんあったと思うけれども

私は携帯とPCが立て続けに駄目になったことと
ここ近年はブログのほうも少しお休みさせていただく
(月1ペースでは書いていたけれども)
ということにしていたので
ネットでの情報収集などは一切しないことを
決めており、

とてもとても久しぶりに
spitzの新しい何かに触れたことになりました。


すごく長い間

何もしていなかったように
思われるかもしれませんが

普段の生活では

本当にいろんなことがありました。


今回のspitzのアルバムを聴いて

最初に
思ったことは

私って
人から見ると

暗闇の中にいるみたいなんだな

っていう

自分についての
“発見”でした。


私は

たぶん

ずっと暗闇の中に
いたんだと思う。


自分では
普通に生活しているつもりだったけれども

そして
私はそれが普通だったんだけれども

でも
本当は

暗くて寂しいところに

一人でずっといたんだな、

っていう。


少なくとも人はそう感じるし、

近づく人は

そう思うのだろう。


自分では
当たり前になっていたけど。

それは

別に
ブログを書かなくなってから

というよりは

たぶん

それよりも
ずっとずっと前から

そうだったのかもしれない。


それが
いつからなのか

もう自分でもわからないくらい。



spitzの今回のアルバムは

私の予想は
あまりあたっていなくて

もっと違った感じになるんじゃないかな

って思ってたけど

そうじゃなかった。


それは
残念とかそういうのではなくて


曲に込められた想いを
すごく感じたアルバムだった。


マサムネさんって

深い人だな

って思った。


マサムネさんは


ずっと深いところにある


その人が気づいていないところの
深部にまで
潜って

寄り添って

一緒に
感じてくれて


当たり前に

まっすぐに

向き合ってくれる人だと思った。


びっくりするくらい。


それを

私は

意図的に

或いは

無意識に

マサムネさんに求めていた。


求めすぎていた。


そんなの
勝手な
ワガママなのに。


でも

マサムネさんは

アルバムの最後のボーナス・トラックの
「ブランケット」という曲で
(さっき、ネットで確認のために歌詞を検索したら
平井堅さんに提供した歌らしいですぬ。)

自分が「ブランケット」になる
と歌っていた。


びっくりした。

それは

純粋なる驚きだった。


マサムネさんが
そんなことしなくて
いいよ

って

私は思った。


思った反面

その歌を聴いて

とめられなくらいの
涙がこぼれた。


それは

ずっとずっと

泣けなかった分の涙だった。


心の底から
湧き上がってくる涙だった。


嗚咽がとまらないくらい

一人で
部屋で泣いていた。


あんな風に泣いたのは

本当に久しぶりだった。


今まで我慢していた分
全部泣いた感じだった。


そのとき
私は思った。


マサムネさんが歌っていることが

たとえそれが
本心でなかったとしても

それが
何だというのだろう

と。

目の前の人が

自分が
信じてやまない

大好きな人が


そういう風に歌ってくれるのを聴いて

それが
どれほど

かけがえのないことなのか。


私は

正直

人というものが
信じられなかった。


昔から
そうだったのかもしれない。

自分では
普通にしていても

人から見ると

本心を晒していない

演じている

と言われた。


自分ではそのつもりがなくても

そう言われた。



だから、逆に
他の人も見た目にふるまっていることと

思っていることは
違うのだな
と思うようになった。

ネットの顔の見えない世界では

みんな本心をさらけ出す。

ネットの世界は
制御の利かない

欲望のタガをはずす機会を

人々に存分に与えた。

今は
ネットでの規制が激しくなった分
そういうことを
あからさまにはやらなくなったが

だからといって
それが消えたわけではなく

影で
より陰湿にやることが
普通になっているし、

それが現実世界にまで及ぶようになった。


一度、地獄に落とされると

死ぬまで

それから逃れられなくなる。

現実世界での
生活が困難になるくらいに。


私はそれを
身をもって知っているし

だからこそ

人が

人間というものが
もう信用できない。


でも

それでも

好きなものは好きと言いたいし、

嫌いなものは嫌いと言う。


そういう目に遭っている私だからこそ

それを言うことに
意味があると思っている。



こんな私だけれども

でも

マサムネさんが歌った歌を聴いて

涙をこぼしている。



マサムネさんでなくては

だめだった。


マサムネさんでなくては。



その曲を聴いて
たくさん泣いて


一晩
マサムネさんの胸を借りて

私はぐっすりと眠った。



そして
翌日には

自分でもびっくりするくらいの
すっきりした気持ちになって

いろんなことを
片付けた。


今は
いろんなことが
立て込んでいて

本当に心の休まるときがなくて


本当は

毎日へとへとに
疲れていた。



眠る前に
以前録画した映画をたまに見たりしているけど

それ以外は
やらなくてはならないことがたくさんあって

最近はちょっとさすがに
窮屈すぎたと思った。

だから
この連休の3日間は

やってしまいたいことを

思いっきりやって

本当にすっきりしました。



マサムネさん

spitzのみなさん


本当にありがとう。



今度、

12月28日のライブに行きます。

(福岡マリンメッセのやつね。)

楽しみにしています。




アルバムの感想は

後日ゆっくり書けたらいいなと
思っています。


のびのびになっていますが

たぶん
11月の下旬までは

やはりブログは書けなさそうで

たぶん12月から書けたら・・・・いいな(笑)


いつもこんな感じですが

これからも
どうぞ
 よろしくです。


ひとまずは


アルバムを聴いて

思ったことを

素直に書いておきたいと思いましたので

これだけは
先出し致しました。


感想にも何にもならない文章ですが

言わんとするところが
何かしら伝わればよいな
と。



      *      *       *



風が

吹きすさぶ荒原で


私は

毛皮になんて絶対しない


美しい狼の

ふさふさした体に埋もり

あたたかな夜をすごした。


やさしい

けれど

まっすぐな瞳をした

狼だった。



人の気持ちはわからない。


狼も人の気持ちは
わからない。


私は狼に毛皮になんてなってほしくない。

狼がその凛々しい姿で

大地を駆ける

その姿を見ることが


一番好きなのだから。


でも

大好きな狼の体のぬくもりに包まれて


私は

その夜


とても幸せな気持ちだった。




        *      *      *


かぐや姫の物語

日本最古の物語と言われている。



かぐや姫の身に何が起こったのか。


それが

伝承どおりなのか

どうなのかさえ

もはや知る由もない。


その時代、

人の幸せとは

豊かになり

文字通り幸せに暮らすことであった。


かぐや姫
最後に天皇に見出されたのち

ことの結末は曖昧になり

8月15日の満月の夜

昇天する。




天皇に目をかけられることになっても

本当は
彼女は意思を貫き通したかっただろうか?



もしそのようなことがあれば
まさしくその当時にあっては

それは
“罪”とされたことであろう。


果たして

彼女の真意はいかに。



そして
そんな一人の数奇な女性の運命を

書きとめようとした
誰かがいた。


書きとめたい

と思った
誰かがいた。


9世紀頃のことである。


世界を見ても

権力や社会的地位が高ければ高いほど
高貴とされた

その時代に

である。


それが
日本という国の

最古の物語とされている。


それを考えると

日本という国は


なんと底知れない国であったことよ。

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2020年01月18日1:13再公開。
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