春の雪。

もうひとつのブログ
blog.goo.ne.jp
でupした記事をこちらでもupします。(2019.3.31)




桜の季節になりました。

お久しぶりです。


身辺の環境がいろいろと変わったりして
PCの復旧がなかなか進んでおりませんで

あれからブログの更新もできていません。。。


PCのほうのブートCDは
ちゃんとできていたんですけど、
別の嫌がらせにあって
最後のところでうまくいかない状況のまま
なんすよね。。。

まぁ
少し時間がとれるようになったら
ゆっくり取り組みたいなとは
考えていますが。。。

てなわけで、
なかなか復帰できていませんが

先日フィギュアスケートの世界選手権を
見ました。

で、
先にこのことを書きたいな
と思ったので
今日はこのことについて
書こうと思っています。

去年の秋頃の
GPシリーズは
ちょこちょこ見ていて

本当は
世界選手権までに
書きたいことがあったんですけど
試合の直前に何か書いて
また情報だけ独り歩きしても
いけないとも思い、

今回は
PC復活してないこともあって
事前に何も書かずに
敢えて何も言わずに
観戦しました(笑)

本当は
「がんばってね」
って一言書きたい気持ちは
あったんだけど、

私が見るときって
あんまり
みんな調子がよくない(?)ときが
多いからね。。。(笑)

まぁ
多少自制の意味も込めまして。


でも、
見た日に
例の繋がっていない携帯に
あれこれ書いたりしてました。
(そこに不正アクセスして誰かが勝手に
 盗み見たりしたとしても
 責任は持たんよ(笑))


というわけで
そのひとりつぶやき日記(@繋がっていない携帯)
にも書いてますが、

今回の世界選手権を
一言で言うと


日本人選手

追い詰められすぎ


ってところです。


見ていて
本当に気の毒になりました。

「たかが日本開催」の世界選手権です。

ゆづるくんが銀メダルをとった後の会見、

何ですか、あれ。

何かの事件の謝罪会見かと
思いました。

あそこまでして
ゆづるくんに
「日本開催の世界選手権で金メダルとれなくてすみません」
って言わせたかったのかな?

と。

もはや拷問見えました。

それを見ながら
ひとまず、早くゆづるくんを
解放してあげてと

そればかり
思っていました。



今回の世界選手権は
頂上決戦においては

とても厳しい戦いになりました。

ゆづるくんでも

SPでたった一回ジャンプをミスしただけで、
フリーでジャンプの出来ばえがよくない箇所が
一箇所あっただけで
ネイサン・チェンには
及ばなかったのです。

今シーズンのネイサン・チェンは
ジャンプを失敗しない。

失敗しないどころか、
さらに完璧を目指す。


そんなネイサン・チェンに
ジャンプが不調の
(不調ではないかもしれませんが
本番の試合では完璧には飛べない可能性が高かった)
ゆづるくんや昌磨くんが
フリーでは失敗を逆転しなければならない
精神状態で挑んだのです。

でも、
ネイサン・チェンは
精神力でもはるかにそれを上回った。

SPではゆづるくんの演技後の
暗い緊張感の張り詰めた空気を

演技し始めた瞬間に
観客を一気に引き込むことで
がらりと明るく楽しげな空気に変え、

たぶんこのポジティブな雰囲気が
SPであまりよくない結果となってしまった選手にも
フリーへの闘志をよい方向に引き立てたことは
間違いなく、

フリーにおいても
ゆづるくんのあとの
大量のプーさんの転がった後のリンクの
まさにアウェイとしかいいようのない空気の中でも
自身のプログラムを完璧に表現したのである。

SPが終わった後の
私は自分のつながっていない携帯に

ネイサン・チェンへの感謝とともに
書いた。

ゆづるくんは
きっと
フリーではみんなを裏切らない
素晴らしい演技をしてくれる

と。


私がそう書いたのは
きっとみんなの期待を裏切らない素晴らしい演技を
してくれるんだから

別に順位なんて
もういいじゃないですか

という意味も込めて書いているわけですが、

でも、
みんなはきっと
素晴らしい演技をしたからと言って
一位になれなかったら
許してくれるわけではないんだろうな
とは思っていました。



実際、ゆづるくんは
素晴らしい演技をしてくれました。

でも
やっぱり

ああいう会見とかあってさ。


ほんとに
みんなの期待を裏切らない

ってことだけで

それが
どれくらい素晴らしいことなのか
そんなこともわからない人たちなんだな
って

改めて思いました。


みなさん
過度に期待はしていても
実際には根拠のない楽観的な思考で
「きっとゆづるくんは期待を裏切らない
 素晴らしい演技をして金メダルをとってくれる」
とでも思っているようでして

(実況の人とか、いつもと同じようにというか
全然空気が読めない感じで
ある意味この間の八木沼純子より酷い感じに思えましたけど、
でも、最近の実況ってまぁみんなそんな感じで
考えてみると無駄なことばっかりしゃべってるんだな
と改めて気づかされたわけですが。)

今回のフリーが
どれだけ厳しい戦いになるか
知っていたのは
その空気を感じていた
ごくわずかな人たちだけだったようでした。


6分間練習の後
解説をしてくれていた本田さんの声は
震えていました。


去年高橋大輔選手が復帰した際に
「やっぱりこれだけ緊張感のあふれる空気の中で
 戦っていたんだな、と思い出しました。」
って言われていたように、

その場にいる選手たちは直にその空気を肌で感じ、
まともにいろいろなことがわかってしまうのだろうと思う。

昌磨君が
完全に空気に呑まれているのは
6分間練習に入る前からわかったけど、

それはあのときの空気を感じていたなら
仕方ないと思う。

しかも、
フリーの日に自分に課した課題が「ノーミス」という
ものだったので
(一部の報道ではやたらそれを強調している人達もいた)
精神的にもとても厳しかっただろうと思う。

実際のフリーでミスをしたあと、
良いイメージを持って自分がどういう風に滑ったらよいか
わからなくなっているのではないかと思える程
傍から見ていてもとても辛そうだったし、
そういう状況の中で、精神力を振り絞って
よく最後まで滑りきったなと思う。

ジャンプが飛べないときに、
「ノーミス」の目標は厳しいと思うし、
過去にもその自殺行為的な目標を掲げて嵌ってしまった
選手もたくさんにいたと思うが
やはり追い詰められていると、そういう目標を
自分に課さなければならなくなってしまい
それが逆効果であることに
周りも本人も気づかないのだろうと思う。

ジャンプ以外でもきちんと滑ることが
どれだけ大切なことなのかを
もう一度考えてほしいと思うが、
このような光景を日本人選手の試合で
何度見たことだろうか。


そんなこんなで
ゆづるくんは、今回のフリーでは
ジャンプをなんとか踏ん張り、
あとはいつものごとく流麗な演技で試合を終え、
日本人の観客の狂喜ぶりは
それはそれはすさまじかったのではあるが、

観客の皆さんは
そのあとのネイサン・チェンのことは
すっかり頭から抜け落ちていたらしく(笑)

ネイサンが1位に確定したあとの
胆振りもまた落差がすごくて
ある意味笑える感じでした(笑)

私は、
日本人の観客のこれ見よがしのプーさんアピールが
始まった瞬間に
全力でネイサンを応援することが決定したので(笑)

ネイサン、行け行けー!!

みたいに
いつも以上に応援しましたけどね(笑)

そしたら、
そのあとのゆづるくんの拷問会見ですよ。

で、
誰の目に見てもそれはあまりに
ゆづるくんがかわいそうだと
やっと途中から気づいたのかどうかわかりませんけど(笑)

試合から生中継で放送していたフジテレビでは
今度は(たぶんミヤネ屋を潰して)放送特番を組み、

いかに自分たちはゆづるくんたちの手助けになることはしたけど、
邪魔になったり、追い詰めるようなことはしてない的なこととか
観客がいかにゆづるくんたちの力となっているか(←知らんけど。とりあえずマナーが悪いのは確か。(笑))
よくもまぁそんなに表面的な薄っぺらいきれいごとばっかり思いつくもんだと思える程
つらつらと述べ立てて責任回避と押し付け合いを延々と。(笑)

ちなみに
もちろん同時に行われていたネイサンやヴィンセント・ゾウさんのインタビューは
部分的にしか聞かせず(笑)

ゆづるくんが
「みなさんのおかげで云々でしたが、力が及ばず云々」みたいなところばかり
聞かせて

だからですね、
とりあえず、ゆづるくんを早く帰してあげて、
と(笑

私は思っていたわけであります。

今回ゆづるくんはなんだかんだで
日本の試合は2年ぶりなんだそう(笑

怪我のこともあるけど、
2年ぶりの試合で日本開催の世界選手権で金メダルだけ
かっさらうという筋立ては
本当に偶然なのか?

普通に考えただけでも
正気の沙汰かと思うけど
それだけの実力があるからと
ゆづるくんは思われていた。

そして、それを利用したい人たちはたくさんいて、
その歓喜を一緒に(というか我先に)分かち合いたい人たちが
たくさんいて、
その他、いろんな思惑が
このまともでは考えられない状況を作り上げ、
それをある意味強引にやり通そうとしていた人たちがいたのは
明らかだと思う。
(で、ゆづるくんはもちろん福岡で開催の国別対抗には出ない、
みたいなね。(笑))

今回のシーズン
振り返ってみると
ネイサン・チェンは出場した大会は
全て優勝したらしい。

ネイサン・チェンは
オリンピックのSPでジャンプのミスをしてしまい、
そこから驚異の逆転劇を見せ
表彰台にまで返り咲いたが、

思うに、
そのときから
ネイサン・チェンの心には
「ジャンプでは絶対に失敗しない」という意識が
確固たる信念として根付き、

この1年それをあらゆる場面で遂行し、
そして
ゆるぎなさを身につけ
この世界選手権に辿り着いたのではないかと
思う。


そういう意味から考えても
やはり今シーズンの王者は
ネイサン・チェンだと思われる。


日本ではゆづるくんが出場しない機会を得て、
若い選手が世界大会で活躍することができた、
しかしながら
本来は、その場所はゆづるくんがいる場所なのだ。

新人を育成するという意味でよい
日本のフィギュア界を盛り立てたい
という人もいるかもしれないが
(そしてあわよくば1石3鳥くらい狙っている人たちもいるかもしれない)

本当はその場所を勝ち取った者のためにある場所であり、
その機会で、本当はその勝者が可能な限り飛躍することができるのである。

それを今シーズン全うにやって勝利への道を開いたのが
ネイサン・チェンであったと思う。

機会は能力を有する者に与えられる。

アメリカらしい考え方だと思うし、

今回、ネイサン・チェンのポジティブさやエンターテイメント性など
アメリカならではの良いところをいくつも感じて

アメリカってよいなと思った。

そういう風に
選手のよいところを通して、国のよさが伝わるということは
とてもよいことだと思う。

翻って日本の状況を鑑みるに
これはいったいどうしたことだろう、
と(笑

日本のアピールは
プーさんでゆづるくん出し惜しみの後、ごり押し
失敗したら責任転嫁ですかね?

なんと情けないことではないですか。(笑


私は今シーズンの最初のほうで
ゆづるくんが自分の原点であるプルシェンコ
ニジンスキーに捧ぐ」
を自分のフリーの演技に取り入れる、ということを知り、

私はプルシェンコ時代のフィギュアスケートをあまり見ていなかったので
ゆづるくんに教えられて
プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」を見て
プルシェンコの凄さと「ニジンスキーに捧ぐ」のプログラムの素晴らしさを
知りました。

私は、昔、それこそ選手たちが4回転が跳べる跳べないというジレンマの時代、
フィギュアスケートがただのジャンプ大会になりそうだった時期に
一度フィギュアスケートを見ることをドロップアウトしていて、
まさかその先にプルシェンコのような技術的にも芸術性にも
こんなにもすぐれた選手が生まれていたとは知らなかったのです。

で、
このニジンスキーステップがゆづるくんのオリジナルとして
どういう風に表現されるのだろうかと楽しみにしていました。


GPシリーズの最初の頃、一度、ゆづるくんの
「Origin(ニジンスキーに捧ぐを取り入れたゆづるくんのプログラム)」を
見ましたが、
かなり初期でまだプログラムとしては未完成の状態なのかな?
と思っていました。

怪我のことがあり、一時期ゆづるくんが戦線を離脱したとき、

プログラムの完成にじっくり時間を費やすことができるだろし、
ゆづるくんが毎回試合に出る度に感じる日本独特のストレスを減らす意味でも、
今回のシーズンはゆっくりと策を練る時期なのかもしれないとも
思いましたし、

実際、いろんな若い選手たちの活躍も日本のフィギュアスケート界の
未来も見えてよかったなとは思いますが、

今回の世界選手権で見た
ゆづるくんの「Origin」にニジンスキー要素は全くなく、
これはどうしたことかと思いました。

このことが、わたしが今回とてもがっかりした点です。

上述のフジテレビの特番で、
ゆづるくんのプログラムについて一応芸術性や構成面について
意見を伺うべくプルシェンコにインタビューをしていましたが、
プルシェンコも「ゆづるくんのプログラムにニジンスキー要素は全くない」
と言っていました。

どうやら、プルシェンコニジンスキーステップの部分を
ゆづるくんの滑らかなステップへ変更したものが
ゆづるくんのオリジナルの完成形のようである、とのことらしい。

ゆづるくんのオリジナルというのは
あくまでも
ゆづるくんがニジンスキーの概念を消化した上での
オリジナルになるのであろう
と思っていた私は、
全くニジンスキーの要素のないゆづるくんのオリジナルを見て
すごくがっかりしました。


たぶん、プルシェンコも同じガッカリ感を感じたことだろう。

何故なら、それはプルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」の
プログラムについての理解をしていないからだ。

プルシェンコのプログラムを良く見ればわかることだが、
プルシェンコのプログラムは
流れるような滑りが特徴的な流麗な美しさを表現する側面をも
別に持ち合わせた複雑な構成要素を持つプログラムで、
その流麗な表現が、ステップなどのニジンスキー風の独特な動きを
より鮮やかに浮かび上がらせているからである。

よってニジンスキー風のステップなどの部分を滑らかにする必要が全くない。

なので、おそらく、ゆづるくんは
まず、ニジンスキーについて理解していないのではないかと思う。

プルシェンコは、ニジンスキーについて膨大な資料を集めたとも言っていたが、
そこからあのプログラムを一から作り上げたのである。

そこからゆづるくんがオリジナルを作ろうとするならば、
まずニジンスキーの特徴とそれを自分のものにしたプルシェンコの能力を
分けて考えなければならないが、まずそれができていないのではないかと思う。

多分、プルシェンコの滑りを自分流にアレンジしただけだ。
そこにニジンスキーの要素は全くなかった。

私は、ゆづるくんがニジンスキーをどんな風に理解し、
フィギュアスケートで表現してくれるのかとても楽しみにしていたので、
フリーの演技が終わって、これが完成形だったのだとわかったとき
ちょっと呆然としてしまいました。

そこが今回残念だったところです。

フィギュアスケートは技術面と芸術面がどちらも評価される競技であることは
もちろんですが、
全体的に今回もやはり、わかりやすいジャンプの面ばかりが
取り沙汰されていたように思います。

少なくとも、プルシェンコ時代にプルシェンコのプログラムに芸術点満点を
つけた審査員達は、その芸術性を理解することができた。
プルシェンコの凄さも。

ひとまず、今回フジテレビを含め今のフィギュア界で情報を発信している人たちが、
そういう理解の仕方を全くできていないことはわかったし、
毎回毎回ゆづるくんに直接インタビューしている人達の誰一人として
ニジンスキーについて詳しく調べた人がおらず、
ゆづるくんのニジンスキープログラムについて
何の疑問も持たなかったこともわかった。

本当に最低だなと思うけど、そういうメディアや芸術に携わる能力の無さ以前に、
自分たちの都合の良いように情報を作り変えることを平気でやる様子を見ていても
そもそもが無理なのかもなと思う。

ゆづるくんは技術的にも、芸術面でも優れた表現を行うことが出来る
極めて稀な選手であるが、
そういった選手が、ジャンプのみばかりを競うフィギュアスケート
その才能を開花させることなく終わってしまうのではないかと

ゆづるくん以外の選手や今後のフィギュアスケート界の見通しを考えてみても、
かなり危惧を感じたが、

何よりもゆづるくんの
その才能がもったいないなと感じた。

誰にその才能を潰す権利などあるだろうか。

今回ゆづるくんがネイサン・チェンに及ばなかったのは、
ジャンプに関してはもちろんそうではあるが、
本来ならばゆづるくんに出来ていた芸術面での表現が
点数に結びつかなかったという直接的な原因にもつながる。



その後、一気に見る気がなくなって
ついエキシビションを見逃してしまいましたが(笑

つい昨日ネットで
ノーカット版を見ることができました。

(それも実況・解説なしで(笑))


アイスダンス、ペアなどを中心に見ました。
(諸々の理由あって、女子シングルは見ません(笑)
ザギトワちゃんは見ましたけど。(笑))

アイスダンス、ペアは素晴らしかった。

日本のアイスダンスの選手もよくて、
RADの曲が使われてましたね。

フィギュアスケートの選手的には

「まだこの世界は 僕を飼いならしてたいみたいだ
 望み通りいいだろう 美しくもがくよ」

の部分が表現したい部分なのかもしれませんが、

私は、そのあとの部分が好きなので
それを素直に聴いていた頃の自分を思い出して

なんとなく懐かしくて
涙が出ました。

男子シングルは
田中刑事選手以外(←なんとなく不吉な色物的な要素を感じて飛ばしました。(笑))

全員見ましたが、

やはりネイサン・チェンは
ポジティブなパワーがすごいと改めて思いました。

人を笑顔にして
幸せにするパワーだ。


最後にネイサン・チェンが滑ってくれて
とてもよい終焉だったなと
思いました。


昌磨くんのSee you againのプログラムも
大好きなのですが

今回は
よりいっそう感情面で深みを感じられました。

素晴らしかった。

いつも
そんな風に
試合でもやれたらいいのに。。。


最後に

ゆづるくんのエキシのプログラムについて書いておきます。

本当は、今日このブログを書くつもりはなかったのです。

上にいろいろと書いたことは
私の"繋がっていない携帯”の中で
ひっそり収めておくつもりでした。

でも、
エキシビションのゆづるくんのプログラムを見たので
そのことについて少し書きたいと思い、

その前提として世界選手権で私が感じたことも
書いておく必要があると思って書きました。


エキシビションのゆづるくんのプログラムは
「春よ、来い」でした。


一見、ゆづるくんが
桜の花びらの精のようにも見えたけれど、
私には、これは雪の精だな

と思いました。


春の到来を待ち望む人たちは多い、

けれど、

ゆづるくんたちフィギュアスケートの選手や

冬の季節とともに歩み、
輝きを増す人たちは、

冬も大好きだと思う。


だから、

降る雪の美しさも、

その格別な白さも知っている。


その季節を愛する人たちが

その季節を名残惜しむ気持ちが

伝わってきた。


春を迎え、

去りゆく季節の

そのひとひらの雪を表現したような

儚く、切なく、

そして美しいプログラムでした。


春の桜の花びらと

入れ替わりに

ふっと

粉雪が舞った。


その手のひらのきらめきを

じっとみつめながら

ゆづるくんは

いつもの首飾りもせず

風のように

舞った。



神様の呪縛から

開放された

初めて世界に舞い降りる

あどけない
子供のような

表情をして



空からおちてくる

きらめきを

みつめていた。

今回

ゆづるくんが
「Origin」を
滑ったことは

よいことだったと

やっと思えました。



春も、また来る。


冬も、また来る。


これからも

ゆづるくんは

全ての世界から

愛されるだろう。


ゆづるくんが

フィギュアスケートを愛することを

とめないで。


ゆづるくんが

キスした

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私たちも

愛そう。



【フジテレビ公式】世界フィギュアスケート選手権2019<羽生結弦選手・エキシビション>ノーカット配信

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