ぶれいく、する。

こんにちぬ(*^¬^*)

いやいや
春のAIまつりの続きを
書こうと思ってるんですけど

絶対長くなるので
指が疲れそうで

それを考えると
正直言って

めんどい

んですよね(笑)

あと
書かないでおくと
またそのこと考えてたら
さらに
また考えが更新されて
あーこのことも書いておきたいわ
とか思ったら
どんどん書くことが増えていって

さらに
めんどうになる感じ(笑)

まぁ
書く必要もないんだけど(笑)

って
言ってしまうと
それまでなんですけど

でも
おもしろかったり
楽しかったりすることで

自分が何か得たら
返すと
また
得られる可能性があるので
自分のためにも
やってる感じですね。

そうやって
物事は
つながっていく。

そして
それを妨害する人達もいるわけで。


なので
今日は

小休止ってゆー意味も含めて
別のことを
書きたいと
思ってます(*^ー^*)


春のAIまつりは
AI関連で
私に抜粋した映画とかドラマとかを
挙げましたが

もちろん
それ以外にも
いろいろ見てます。

それは別の機会に
書こうとか思うけど

いつになることやら
ですね(笑)

最近夜に
SPECがあってて

昨日はね
SPEC〜結〜の漸を改めて見てたけど

漸ひどいね。

機会を改めて見て
感想が変わるかなとか
思ったけど

やっぱりひどかった(笑)

何だろうあれは。


堤監督の作品は
映像は面白いし

キャラクターも好きな感じだけど

ストーリーは
あまりおもしろくない。

というか
おもしろさと
その対極にある何か
(何かというより他にない何か)

そのギリギリのせめぎあいが
心にぎゅっとくることはある。

けど
漸のあの熱血刑事ドラマみたいなの
(ベタベタな感じ)

何なんすか。

警視庁が全面協力している模様だが
あまりにも酷すぎないですか?

殉職した刑事に対して号泣したり
刑事魂がどうのこうの

みたいな話が
延々と続いて

これ
いつまで続きますのん?

みたいな。


〜天〜から〜結〜の爻に続くための
SPECを持つものと持たないものとの
全面戦争とかガイヤ理論とか
(どっちもどっかで見たことあるやつ)は

かろうじてあるが

漸でやりたいこと
って何だろうと

やっぱり刑事ドラマ?
(笑)

でも
普段の一般庶民が常々接してきている警官とか

二三日前に書いた感じなので

そんな涙流されて
命懸けで戦ってます(敬礼)みたいなのを
見ても

なんか薄ら寒いっていうか
警察イメージあっぷ作戦必死だな

とかしか
思わないんだよぬ。


だって
自転車の被害届すら
まともに受理できないのに
命懸けで戦うとか
絶対ありえないでそ(笑)


ちなみに
警察関連の映画を見ていると感じるのが
一番警察が闘志を燃やすのは
仲間が殺されたときね。(笑)

SPECでもそうなんだけど
当麻がおばあちゃんが殺されたときより

野々村係長(代理)が殺されたときのほうが

めちゃくちゃ怒ってて
「殺す」
とか言ってたからね。

刑事魂ってやつは
そういう執念みたいなもので
成り立っていて
最早市民のためとか
警察は法を執行するための番人みたいな意識とか

全く書かれていないのは
逆に潔いと思う。

多分
警察ってこんな感じなんだろうと思う。

この
何のために存在するかわからない団体(組織)は

しかも
仲間が殺されると
「敵討ち」なるものに
異常な闘志を燃やす。

これって
すごくよく似てません?

例の
指定暴○団の皆さんと。

つまり
警察の本質は
893ととっても良く似ている。

違いは
国家権力下の機関として
正式に
認められているか否かというだけで

組織の特徴は
すごく良く似ています。

そんな
警察が
指定暴○団と認可して
管理下に置いているのが

893の皆さんなわけで

893の皆さんが
警察に頭が上がらないのも
改めて
なるほどと
思った次第です(笑)


そうか
堤監督は
暗にこのことを
示したかったのかもしれませんね(笑)

それにしても
こんなあからさまな警察イメージあっぷ作戦に
協力してもらえるなんて
さすが警察
芸能界にもコネがあるのですのぅ(笑)

さすが
国家権力(笑)


よく考えてみたら
警察モノを考えてみると

西部警察時代は
見た目にも
最早893との違いは
なかったような(笑)

しかし
なんというか

今と昔では
心根が違うような気がしますね。

見た目は893でも
昔はもっと
潔かった気がします。

これは映画やドラマの中での話で

実際の警察は
もっと横暴だったかもしれませんけど。


とか
いろいろ考えたり
してました。

〜結〜の爻の最後の方のシーンは
好きなんですけど
(元ブログで前に書いた
当麻が死んで
そのあと当麻が時空を漂いつつ
現実世界では
時間が流れ

セブミにだけ
当麻の存在が感覚としてわかるみたいなシーン)

でも
最後にセブミに
暴行を加える警察官って
過去の刑事モノの刑事達じゃないですか。

あれって
なんであんなことしたんだろうな
って思いますけど。

まぁ
漸で仲間意識みたいなのを
あれだけ煽っておいて
同じ仲間にボコボコにされるとかは

確かに矛盾が生じますから

他の局(組)の警察官(893)って
ことなんすかね?(笑)

やっぱり警察は89(ry

なるほど。(笑)


とか考えてみると
意外とすんなり一致しますた。


そう言えば

一昨日は
吉原炎上」を見ましたよ。

もうね
吉原炎上」好きでね。

でも
録画したものとかは持ってなかったんで
テレビの再放送とかで
放送されてるときとかに
見てて

だから
全編通して見たのが
今回三回目ですよ。

一番最初に見たのが
高校生くらいのときで

二回目が
大学生くらいのとき。


今回が
三回目です。(たぶん)


もうね
何が良いかといいますと
今回WOWOWで見たら
映像がものすごく綺麗!!
これは
素晴らしいことですよ。

早速BDに嬉々として
落としました(笑)

もう
ひとつひとつがね
たぶん当時のそのままの色で

ものすごく鮮やかになってまつ。

吉原炎上」は
文字通り廓のお話なので
やっぱり
「赤」がね
色として印象深く使われていますが

でも、それ以上に
全体から様々な鮮やかな色彩が目に飛び込んできて

こんなにきらびやかだったんだなぁ
って思いました。

私は幼稚園くらいのときから
雨月物語
挿し絵の鏑木清方とか
見てたんで
当時の世界観は見慣れてたし
大好きだったんですけど
(「吉原炎上」でも清方の絵が使われてたりしてる)
高校生の頃
初めて「吉原炎上」を見たときは

その現実世界とミックスされた生々しさが
強烈で

特に西川峰子さんの
あのシーンが頭に焼き付いて
いました。

すごいです。
あれは。

もちろん
名取裕子さんの
美しさは素晴らしく。

今見るとね
ほんとに名作だな

思いますけど。


CGとかも一切使われてないから
(特撮っぽい手法が使われてたりはするけど)
家とかも普通に燃やしてたのかな
とか

それがまた
やっぱり
すごい迫力でね

最後の名取裕子さんの表情がまた
いいのです。

そんな話は
さておき。

昨日は
SPECの漸を見たばかりに
肉体の門」を
見るのを忘れた
自分自身に
ムカついております。


今日は
「陽炎」を
忘れずに見なければ。

シリーズ
五社英雄が描く修羅と官能ですね。

明日とか
女殺油地獄」ですよ!

楽しみすぐる。

そう。

何故
吉原炎上」の話を
書いたかというと

吉原炎上」に
官憲が出てきまして。

今で言うところの
警察みたいなもんですね。
吉原炎上」は
吉原という遊郭の最後を
最後の花魁の目を通して
描いています。

吉原の最後というのは
つまり
江戸の終焉ということです。

ひとつの時代と文化が終わる瞬間を
惜しみなく描いていまして
やっぱりね
吉原とか遊郭というのは
文化の最先端のものが
集まるところだったので。
そこがね
今で言うところの
単なる売春を公然と行う場所に成り下がって
朽ち果てていく様を

悔しく思った人も
いたんじゃないかな
と。

その中で
新しい制度を押し付けてくる
不粋な存在として
官憲が
吉原炎上」でも
描かれています。


明治期頃
サーベルを振り回して
髭面で
制服を着た官憲の姿が
偉そうに街中を闊歩する姿が
いろんなところで描かれていて

当時の人達から
かなり嫌われていたことが
わかります。

それは
明治初期頃から
資本主義経済の台頭とともに
お金で成り上がった成金とかも
そうなんですけど

まぁ
当時のモノの見方
すなわち価値観とか
文化を壊していく
張本人達であったわけで。

それはそれは
嫌われていたようで

吉原炎上」で描かれる
町医者とか官憲とかは
やっぱり不粋な存在で

官憲とかもね
方言をベラベラしゃべってて
かなり田舎くさいというか
文化としては
別物っていう感じが
満載なんですよね。

でも
官憲も同じ人間なので
尾形拳さん演じるフクシマという人は
花魁の体を案じるやさしさを持っていたりして
田舎の素朴さみたいなのも
感じるんだけど
やっぱり
花魁からしてみると
違う種類の人間なんですよね。

話が通じないっていうか。
はて(´・ω・`)?
みたいな(笑)

そういうのを見ていると

やっぱり
ある意味
時代は変わるけど
人間のやることは
変わらないっていうか

今目の前で起きていることと
似てるな
というか。

ちなみに
映画の中で
官憲がしゃべっていたのは
博多弁っぽいんですけど
当時の地方出身の官憲は
薩長土肥なんで
福岡は関係ないはずなんですけどね(笑)

ちょっとそこは
博多方言話者としては
そういう間違いは
勘弁してほしいな
と。

黒田は関ヶ原の戦い以後もそうですけど
時流には乗るけど
めんどくさいことには
首をつっこまないタイプだと思うので。
(個人的になんとなくそう思っている。
でも今の福岡は違うみたいですけど(笑))

まぁ
関東の人間から見たら
九州人とか区別つかないのは
知ってる(笑)

関東の人達も
昔のこととか
覚えてる人も
最早少数なんじゃないですかね?

東京だって
どんどん変わってきたし

これからも
変わってゆくわけですが


そんなこんなで
時代の局面を
私達は迎えているということは
確かなようで

これから
どうなるか
見守っていくことに
いたしませう。


さらにちなみに
最近劇場版パトレイバー
見まして。

第一作の
押井監督の作品ですね。

この作品を
見て最初に思ったのが

序盤で暴走する
工事作業用のレイバーが
民家を壊すシーンで

民家の屋根が
めちゃくちゃ古い(笑)

劇場版パトレイバーの第一作は
1989年らしいんですけど

当時は
まだまだ
こんな建物が残ってたんだな
とか
びっくりしました。

だって
1989年とか
つい最近な
気がしますよ。


驚いていたら
実はこれは
ストーリーにも関係していて。

舞台はやはり開拓の進む湾岸地域ですね

パトレイバーに乗ってる
警官とか整備士の人達も
まだ江戸っ子っぽいっていうか。


このストーリーも
都市の再開発と
キリスト教にひっかけた
バビロン計画
バベルの塔っていう考え方が
主軸になってて

この間書いた
神功皇后
福岡の和白干潟の今昔の話と
めちゃくちゃ似てて

なかなか興味深かったです。

キーワードが
「風」だったり(笑)

あと
海鳥がめちゃくちゃ
悪そうに描かれてましたけど(笑)
(のあが「ここに人間はいない」って言うのも
かなり象徴的でした。)

パトレイバーでは
開発の中心となる
開発拠点の海中に建てられた「方舟」が
バベルの塔に相当しています。


余談ですが
今ふと思ったけど

SPECで海辺にバベルの塔を作っていたんですけど

クライマックスは
警視庁の屋上で

そこに烏が
たくさん集まってくるんですけど

よく見たら
三本足なんです。

ヤタガラス(←変換の漢字が出てこない)つまり
神に使える式神的な存在ですね。

ということは
警視庁もバベルの塔なのかも(笑)



話はそれましたけど
戻って。

劇場版パトレイバー第一作
では
結局、全てを計画した帆場という男は
何の目的で
その計画を実行したのか

はっきりとは
描かれてないんですね。

ただ
そのヒントは
帆場の足取りを
ひとつひとつ確かめた
現場の刑事のセリフにあると思うんです。

帆場という男は
死ぬ前の
住まいを2年間で22箇所
変えています。

その共通点とは
東京の開発拠点には含まれず
取り残されたように
ぽつぽつと点在する
廃れた場所だということでした。

きっと
それは
人間の生活や考え方にも
共通することで

いくら自分が
変えたくないと思っていても

自分が生きていく環境が
手足をもぎ取るように
奪われ続けたら

結局
考えや
生き方を
変えざるを得ない。

もしくは

死ぬしかない。

そんな感じでしょうか。

帆場の足取りを追った刑事は
「俺達にこれを見せたかったのかな」

呟きます。

多分帆場は
その刑事にはわかってもらえる
と思ったのかもしれない。
そのセリフが
言われる場所が
ほぼ工事によって
取り崩された銭湯のあと
というのは

きっと
偶然の一致ではない。

ちょっと前までは
その銭湯には
そこに住んでいた人達が
夕方になったら
たくさん来て
賑わっていたことだろう。
パトレイバー本編では
あすまものあも
解決できない問題が
伏線として残されている。
昔はいた
その名もなき刑事達みたいな人達も
今はいるかどうか
わからない。

これから
あすまやのあ
みたいな人達だって
いるかどうか
わからない。

ただ
街や人は
そういう風に変わってゆく。

誰かや
何かの犠牲を伴ってしか
新しい時代は来ないのだが

目の前で繰り広げられている現実の

いかにお粗末なことか。

でも
そういう

誰かを犠牲にしながら
その上であぐらをかいて
下にいる人達を喰いものにするような

身の程をわきまえない輩もまた

いつの時代にも
いるものなのだと

改めて
思った次第ですぬ。


とゆーわけで

意外と
長くなってしまいましたが(笑)

この辺りにて。

いろんな意味でのぶれいく。

ぶれいくするー
するための
ぶれいく


みたいな
話でした(*´ー`*)


早よ
プリズンブレイク
続きが見たい(笑)



ではでは
またぬん('ー')/~~