えっちすけっちわんたっち。

          201802071315


こんにちぬ(*´∇`*)

今日は
とってもお天気の
福岡より♪

青空が広がってるよ!


さてさて
今日は何を書こうかなー。

最近は
WOWOWで深夜にあってる
五夜連続渡辺淳一特集を
見てるー(´ー`)

一昨日は
秋吉久美子さんと津川雅彦さんが出てた
ひとひらの雪」

昨日は
黒木瞳さんと藤竜也さんが
出てた
「化身」を見たよ。

最近の映画(邦画)って
えっちシーンがあっても
すごくチープなものか
女優さんのおっぱい(特に乳首)が見えないように
細心の注意が払われたものが多く(笑)

なんか不自然で
なかなか
その世界に浸れないのだけど
久しぶりに
文学的官能的えっちな世界を
存分に味わいました。

やっぱり
昔の女優さんは心意気が違う。
おっぱいも偽パイじゃないし。


映画の世界は
昭和後期くらいなので

もう女性の立ち居振る舞いからし
今と全然違うけどね。


それは
えっちシーンにしても同様で
秋吉久美子さんとか
緋色の長襦袢
鏡に映った姿で
喘ぎつつイってしまうという
妖艶さ。


それをやろうとしても
不可能な世界(笑)

でも
いいなー長襦袢
(*´∇`*)

えろいです。



昨日の「化身」は
ストーリーも面白かったよ。

豪華な住まいや洋服や
その他諸々で
贅沢させても

鯖の味噌煮込みで釣った約束は
一生心を繋ぎ止めることはできない
ということだぬ。

別に
鯖の味噌煮込みが悪いというわけではなくて(笑)

男の人の心の問題ね。


にしても
数十年とちょっと前の話なのに

文芸評論家って
そんなに儲けてたんだ?

っていうのに
意外とびっくりした。


普通に
愛人を囲うみたいに
マンション買ってあげて
お店まで買ってあげたりできるくらいの。

今では
考えられないな
と思う。

渡辺淳一さんの小説は
家の本棚漁りしてた中学生から高校生の頃に
結構読んでて
(失楽園ブームよりもっと前の話)

その当時の他の小説にも
政治家やらなんやらのお金持ちが
いわゆる2号さんに部屋を買い与えて
囲うということが
普通に書かれていて

日本は法律的にも
一夫一妻制なんですけど
その2号さんたちも
当時は普通に社会になじんでいて

(ある意味それがステータスのように
受け取られているような感じでもある)

今はちょっと不倫しただけで
いろいろ言われちゃう建前はあるものの

結構近年まで
「ある特定の人達」の間では
それは普通だったんだなー
とか思いながら見てた。

今もそうなのかもしれないね。

「内縁の妻」とかまだ生きてるし
意味は少し違うけど
事実婚」も解釈の仕方によっては
同じようにも考えられる。


他の大学の先生(女性)が言ってたけど
日本は昔から現実的には
一夫多妾制だった
っていうのが
やっぱり納得できます(笑)
それの良し悪しは
ともかく
事実として。


ちょっと話がそれたけど
文芸評論家が
それだけ儲かっていた話に戻るけど

今はそんなことがなくなったのは
すなわち文筆業そのものに
価値がなくなったことを
意味していて

さらに
同じような現象は

文筆業に代わる
文化的代替物である

例えば音楽や映画等についても

時代が遅れて
ある地点で隆盛を極め
その後
徐々に衰退していくものなのかもしれないな

思ったり。

でも
その中から
新たな文化的萌芽が
見いだされ

違った形で
それは存続されるのかもしれない。

そんなことを
考えながら

見ていました。

社会って
変わるもんだねぇ(笑)

でも
そこで生きている人間の行為や感情は
変わらないんだなぁ

人文学者の端くれは
思ったりもしたのでした
(*´ー`*)


よい作品を見ました。


この間
ひろじくんごっこをしていて
出てきた検索結果に

宮本さんの言葉で

(石君を指差して)
「この人の乳首を押すと
歌を歌ってくれます」

っていうのが出てきたよ。
(確かに言ってたw)


なんか今

ふとそれを思い出した
《*≧∀≦》


乳首ボタン。

機能は
人によってそれぞれ(笑)



というわけで
またねー(* ^ー゜)ノ