花嫁は死神。前編(1/2)


こんにちぬ(´∇`)

世間的には
雨が降ったりやんだりの
いわゆる梅雨しとしとの季節でしょうか。

というのも
これを書きはじめたのは、
2022年5月9日なんです。
(前回ブログup日の翌日です(笑))

いつもね
ブログをupしたあと
ちらっとその後の状況とかを見てますが、
(というより、無理やり目に入ってくる場合が多いけど(笑))

次にブログをupするまでに
忘れちゃってるかもしれないので
(本当は覚えておく必要とかは全くないんですが)

まぁ、その後の
やつらの反応は
現段階で
こんな感じでしたよ
っていうのを
書いとこうかな
と。

最近は、ブログの下書きをして、
数日置いたあとに
upしてることが多いので

ゴキブリストーカーどもは
それを見て
いろいろ準備してくれてるみたいで
(というより、何か言いたいだけなんだろうけど(笑))

ブログup直後でも
結構いろいろ見かけます。

まぁ、いつものごとく
理解度ゼロみたいですけど(笑)

私もできるだけ
わかりやすく書いているつもりなんですけどねぇ。。。

最近やってる
「前回のおさらい」というのも、
昔、大学の先生が
小学生の授業というのは
最初の3分の1は前回のおさらい、
次の3分の1に新しく教えること、
残りの3分の1はその日の復習
と言っていたのを
思い出して
実践してみている部分も
あるわけです。
(まぁ、その日の復習まではさすがに書いてませんけど(笑))

その先生は
大学の講義でも
それを実践されていたようですが、
本当は
講義の内容を通常の3分の1しかやってないだけではないかと
私は睨んでました。(笑)

なので、
その先生の講義で
一番前の席に座っているにも関わらず
つい居眠りをしたことがあります。

私、ご存じの通り
眠るの大好きなので、
家でいっぱい寝てるから
講義で居眠りするとか
ほとんどないんですけど。。。

よっぽど眠かったのかな?(笑)

まぁ、そんな感じで
最近は
このブログを必ず(←笑)見ている主だったところの人達に向けて
書いていることが多いので、

私なりの配慮ですね。

書いても、伝わらないと
残念と言えば残念なので。

理解度については
半分あきらめてますけど(笑)

まぁ、
でも私は書きたいことを書いてるだけなので、
あんまり関係ないっちゃあ
関係ないんですが、

あまりにも遠く離れた見解を
反論のつもりなのか
目の前にチラチラされると
不愉快っちゃあ不愉快。

まぁ、単なる嫌がらせでもあるんだろうから
大抵はスルーしてますけど。

前回は、魔女狩りと星の配置について
書きたかっただけで、

それが、現状のリアル世界と、やつらへの至言にうまくリンクしてるのは
偶然と言えば偶然だし、
必然と言えば必然なんですよね。

で、今回みなさんの反応としては、
いつもどおり
勘違いが甚だしいというか
相変わらず、
馬鹿だなー(笑)
としか。

前回は、「MONSTER 」の件が
思わず笑ってしまったレベルで、
ネタ的に覚えてたので書きましたが。

今回は
ちょっとマジレスとまでは
いきませんが、
少し書いてみようかな
と。

まず、
いつも記事をupすると
その記事の下に
関連記事とかが出てきます。

これは
普通は自動的にキーワードとかで
情報としてリンクしそうなものが抽出されて出てくるのですが、

もともとはAmazonの広告表示とかで使われていた機能で、

最近ではブラウザの検索機能はもちろん、OS自体に最初から付与されているサービスとかと同じ仕組みで

簡易AIと言われる場合もあります。

でも、私の記事に付与される「関連記事」は
そうではなくて

誰かが意図的に
この記事と一緒に読んでほしい記事を付けてるみたいなんですね。
(作為的にそうする方法はいくつかありますが
その方法はとりあえず今回は省略します。)

で、
関連記事と言うには
関係なかったりするんですけど、
まぁ、ねじ曲げて解釈したら
関係ないこともないし
そういうミスリードを狙ってるからこそ
わざわざそういうことを
しているみたいですね。

私が以前書いた記事と、
書いている(思っている)ことが
矛盾するのではないか、
とかいう
ちっちゃいことを
指摘したいということもあるのかな?
とも思いますが、

私の場合、
基本的に考えていることは変わってないので、
よく読めば矛盾していないことはわかります。

時間、経験によって
主に私をとりまく外界に対する考え方や判断を修正したり(思った以上に低レベルだったな、とか)、

そのときの状況にふさわしい、
或いは
自分のそのときの見解を最も的確に表現をするために書き方を変えたり
というのはあるかもしれませんが、
基本的には同じだと思います。

前に、記事を書いたあとに誤字、脱字に見せかける改竄をわざとやられるみたいなことを書いたことがありますが、

それも同じで
なんとなく記事に間違いが多いように
見せかけたい
みたいなことなのかもしれませんけど、
そんなことしても無駄だと思うんだけどw

(ほんと、やってることが
ちっちゃいってゆーか
みみっちい(笑))

最近は、そういう改竄をされることがあるというのを
前もって書いた上、
下書きからupまでの手順を
後で改竄されてもわかるような仕組みにしてあるので、

Up後にいじられることは少なくなりましたが。

(ちなみに前回upしたブログは、
upした記事をプリントアウトして誤字、脱字をチェックしましたが、
あれだけ長文にも拘らず、
脱字一ヶ所ですみました。)


けど、
まぁ、ブログですし(笑)

思っていることを
全部書いているわけではないです。

むしろ、日常的に人と話していることとか
そういうレベルで書いています。
(もちろん日常的に話していることとイコールではありませんが。一応、ブログが公開されているならばパブリックスペースと考えているので。)

最初の頃に書いてますが、
人にわかりやすく書く
というのに気をつけて書いてるつもりです。

でも、
自分達に都合がいいようにねじ曲げて解釈したい人達には
何を言っても無駄かな
と(笑)

あと、読解力・理解力のない人達についての責任も持ちません(笑)


話は戻りまして、

なので、
頭の悪い人達がやることはよくわかりませんけど、

やつらがどういう関連記事を引っ張ってきたかによって

どういう風に理解しているかはわかります。

本来とは別のことに
スリードしようとするのは、
それなりの目的があってなされるものなので、

やつらがこういう風に
スリードさせたいとか
この部分をあいまいにしたい、
とかが
関連記事を見ることによって
逆にわかるわけですね。

例えば、
少し前に書きましたが、

映画の「キャリー」の話が、
本来は単にいじめられて復讐する女の子の話だったのが、
少し異常な母親との家族がらみの関係とか
厳格なキリスト教への過度の信仰心が主な原因みたいな
味付けがされてたり
するのとか、

前回のブログで書いた
サイコメトラーエイジ」の実際に起きた団地の主婦(妊婦)の強姦殺害事件が、
胎児帰還願望とかいうよくわからない理屈のプロファイリングで説明されてたりするのも
同じことです。

で、

そこから
何故、そのような「改竄」が行われたのか
という、
改竄者の意図や目的みたいなものもわかるわけです。

まぁ、本文批判(テキストクリティーク)の基本ですね。

なので、
そういうところから
やつらの意図なんかもわかるわけですが、
基本的に頭の悪い人達で理解力がないからなのか
そんなことしても意味ないのになぁ
と思うことがほとんどって
感じですね。

だから、いつも
理解力ないなぁ
と思っています。

でも、まぁ
普通にこのブログを見に来る
他の人達も
その人達と変わらないレベルかもしれないから
ある程度意味をなすのかな?
とも思ったりもします。

なので、一応
そのことについて書いてみようかな
とも
思いつつ書き始めたけど、
既に結構長くなったので
めんどくさくなってきている(笑)

まぁ、炎上してるSNSを見ても
ふっかけてる人達の論理ってめちゃくちゃじゃないですか

(絵音くんのときがそうだったように)

なので、
基本的にキチガイの理屈には間違いないんだけど、
単に不愉快にさせたり、どうでもいいことに時間を使わせたり、

そういうのを傍から見ている
一般人も
ことなかれ主義が大部分であり、
「とりあえずスルーしておこう」
「関わりたくないから見て見ぬふり」
みたいなことになるので、

炎上させてる相手を
社会的に忌避の存在に仕立てあげる手段に過ぎないのかな
と思いますね。

もちろん、
さらに
炎上している人を見たら
スルーするより乗っかって基地外の仲間入りして
一緒に攻撃する基地外どももいるので、

些細な問題が
いつの間にか大問題になるわけですね。

一時期、炎上してるSNSが多かったのは、
世の中に基地外が多かったというのもありますが

そうなるように誘導して
特定のSNS を潰したい人達がいた
ってことでもあります。

まぁ、その炎上を利用して
売名行為をするやつまで出てきたので
炎上はあまり見かけなくなりましたが、

SNS 潰し自体がバレて
攻撃者探しでもされた日には
自分達が逆に潰されかねないと
漸く気づいたのかもしれませんね(笑)

だから、基地外がふっかけてくること、
煽ってくることについては

私は反論するより全てスルーしているわけですが、
(コメント欄も閉じているし)
まぁ、今後も
対応としては
そんな感じにはなると思う(笑)

なので、
嘘情報と
いろんな人達に対してばらまかれているほのめかし行為満載のテレビとかは
もちろん見ないし
ネットは自分が探したい情報を得るときと
何か手続きが必要なときのみ利用するだけだし、

身の回りに掲示してある
広告物、映像なんかもすべてスルーの
快適生活を満喫しております。(笑)

家族とかが言う「どこどこの店の○○がどうのこうの」
みたいなのもすべて聞き流してますし、
しつこいときには怒るようにしてます。

自分は言いますけどね(笑)

それと、実際に一緒に食べてみたり、
利用してみたりの感想は
言います。

例のわざと目につくように
置かれたり、
広げられたりしている新聞は、
広げられている場合は
全く見てませんし
置かれている場合は
目に入る前に蹴散らすようにしています(笑)

私の場合、見たら1秒くらいで
画像はもちろん
文字がずらずら羅列されている場合でも
内容がだいたいわかってしまうので
見ないようにして
尚且つ不快感を現すには
これしかありません。

でも、
まぁ、不可避的な場合も
たまにあって、

例えば、

マサムネたんの
ねちねち大陸こと(自称)ロック大陸漫遊記もそうでした。

スピッツとまさむねたんの音楽の世界と銘打って
あんなねちねちを聞かせ続けた人達は
ほんとに罪深いと思うわ。

まぁ、結局まさむねたんの音楽観とかが
あの程度だったのかもしれないし、
まさむねたんや
それをとりまく人達の人間性
というか
低レベルぶりがわかって
逆に良かったと思ってます。

途中からはその確信を持って聞き始めたから
それはそれでおもしろかったですし(笑)

なんかよくわからないけど
レベル1くらいの
ブーメランみたいなので
ずっとぺちぺちされると、

痛くもかゆくもないけど
イライラはするじゃないですか。

そして、
そのイライラもたまると
神経に障る
みたいな(笑)

本当は、そういうのは
スルーするにこしたことはないと思ってるんだけど、

ある程度は発散しとかないと
スッキリはしないので
少し書いてみているわけです。


ちなみに、
この間
たまたま新聞のテレビ・ラジオ番組欄を見かけて

ねちねち大陸まだやってるんだなー
とか思いましたけど。

あの番組
誰に需要があるのか
いまだに謎です。

まぁ、私は二度と聴くことはないと思うから
安心したまえ(笑)

現段階において
マサムネたん達は
私に
もうスルーしてくれて構わない
と願っているのではないかと思うので、

今回の例は
ちょっとわかりやすい例として
引用させてもらっただけなので
安心してください。(笑)

私としては
特に何とも思ってないので。

マサムネたんも
その他大勢の人と変わりなかったな
っていうのと、

にしては調子に乗りすぎじゃないですか?
っていうくらい
道に外れたことをしてたし、

私がスピッツを見てる間に起きたこと
実際見てきたことは
一生忘れないでしょうけど(笑)

まぁ、現代のヒーロー様なんて
どこもあんな感じなんでしょう。

実際は汚い人達にお金儲けに利用されてる
広告塔かつ客寄せパンダ。

パンダは見ててかわいいけど
ヒーロー様達は見るに従って
げんなりしてくるものね。(笑)

ついでだから書くけど
マサムネたんって
見たところ
リア充に慣れきっている人だから

本音のところの自分のポリシー(?)に反することでも
仲間や社会に逆らってまでそれを遂行することもできないし、

自覚的なのかそうでないかはわからないけど

むしろ仲間外れにならないように
軽薄なことでも乗っかるタイプみたいだし

(↑ゆづるんのときと同じように
踏絵を踏ませるられる状況に追い詰められてはいるが。)

まぁ、世渡り上手と言えば聞こえはいいけど(笑?)
結局長いものにはまかれる的なタイプですよね。

そんで、

自分達が実は非社会的なことをやってまで
ターゲットに嫌がらせしていることがバレそうになると
(結構初期の段階でバレているわけだが(笑))

途端に怯え出して、被害者ぶって逃げ出そうとするわけですよね。

わかります。

なので、
そういう人達は
こちらも
スルーするにこしたことはないし、

むしろこっちから
願い下げです。

ていうか
まさむねたん

言うほど
ヲタでも
変態でもなく

リア充ロリコンとか

むしろ犯罪者臭がして
ヤバいんですけど(笑)

とか
この間自転車に乗りながら
考えてたら
結構それはそれで
おもしろいなと思いましたけど(笑)

まぁ
普通に考えたら
キモいですよね。

でも、

こういうことがわかる前までは
スピッツ
昔から音楽聴いていて
曲とか好きだったし、

ライブにも行けなくなると思うと悲しいなと思ったけど

まぁ、仕方ないですよね。

どうせライブ行けないし。

いくら音楽がよくても
(今とこれから先はどうだか知らないが)

本人達の実際を知ってしまった上、
そんな環境じゃ(笑)

あんなんだったら
ライブも行かなくてもいいや
と思うけど、

だからと言って、
映像がライブの代替物になり得るとか
思ってもいないし
そんなことも書いてないです。

あくまでも
自分が行けなかったライブでも
映像で楽しめる場合がある
ってことでしょ。

それを
やつらは
ライブに参加できない状況にしてるくせに、

「見られない人のために」
とか
恩着せがましく
理屈をつけている訳だが。

てかさあ、
スピッツの例の
収録とか言って実は生配信ライブでした
ってやつとか、

普通に生ライブとして参加してる人達はいるわけで
(その人達が本当にチケット代を払っているかどうかも不明)

他の人は行けないから
映像で(しかもお金払った上で)見てるわけでしょ?

その上で
そんな恩着せがましい理屈をふりまわそうと
するとか
頭大丈夫ですか?(笑)
ってことになるじゃないですか。


誰も納得出来ないと
思うわ(笑)

まぁ、
そんなことされてるの
私だけかもしれないですが
そんな「特別扱い」
誰が喜ぶんでしょうか?

図々しいにも程があるよね(笑)

そういう勘違いだけは
堂々と押し通すところは
ほんと
すごいよなと
思うけど。
(悪い意味です。嫌味です。)

で、
人がそのままの事実を
書いたら
それをさらにまたねじ曲げようとするという(笑)

相当陰湿なのか
相当頭が悪いのか
どっちかなんだろうな
とは思うけど、

どちらにしても
基地外レベルですよね。

まぁ、自分達の危機回避のために
上述の炎上攻撃と同様の
現実的な意味での
嫌がらせなんだろうけど、

だからこそ
自覚症状があって
仕返しされるのではないかと
怯えているわけでしょ?

でも、本気で自分達のやってることが
正しいと思ってる人達もいるんですよねー。

ほんと恐ろしいというか、
それがその人達をキチガイと呼ぶ
ゆえんのところなのですが。(笑)

特にこういう人達
自治体の窓口とか
公的機関に多いです。
(最近は結構有名な民間企業もそんな感じです。)

だから
創○の人達の特徴とも
言えるわけだが(笑)

あいつらと話をしてると、
ほんと
話が先に進まないどころか
話が全然違う方向に行って
収拾がつかなくなった挙げ句
徒労になるのよね。

最初の頃は
クレーム慣れからくる短絡的な、誠意のない対応
(対応しないと決めている相手には
一切対応しない、話も聞かない)という
だけなのかな

思ってたんですけど。
(どういう理由があれ、
公的機関の窓口で門前払いはもちろん問題になるが。)

でも
違うんですね、これが(笑)

なんていうか
自分達が正しいということだけは頭にあって
それ以外は
まず、
考えようとすることをしないし、
そもそも自分で考えることが
できない人達なんだと
思うんです。

言われたこと(単純作業)だけをやってるだけなので、
そこから外れたことは
絶対しない(できない)人達なので、
そもそも「人間として」仕事をしていないし、
そういうコミュニケーションができない人達なんですよ。

まさにプログラムされたこと以外できない、
しかも外部からの新規入力不可、参照不可なんです。

例えば、
「コレコレはいつ頃になりますか?」
っていう
単純な質問をしたとします。

まず、この確認にすごい時間がかかるんです。

たぶん、窓口に来る人間は
余計な質問はしないことに
なっているみたいで(←笑)
想定外の質問には
答えられないし、
答えていいかもわかっていないんです。

しかも、この想定外の質問っていうのの
「想定」の範囲もめちゃくちゃ狭いんです(笑)

たぶん、
そいつらの上の立場の
決定権を持つ人達も
頭が悪いからだと思うんですけど。

で、
やっと質問の答えが帰ってきても
意味不明なんですよね。

全然具体的じゃないんです。

こっちも
だいたいの目安を聞いてるだけなんですけど、
その目安をはるかに上回る曖昧さで
答えてくるんです。(笑)


向こうはそんなの考えたこともないし
実際仕事をしてないから(丸投げしてるから)わからない
ということもあって
すごく広いレンジで答えてくるんだと思いますけど。

だから、
私が
「えっ?そんなにかかるんですか?
手作業でやってるわけじゃないですよね???」
とか
言うと、

たいていの人は
「いろんな起こりうる可能性を考慮して
具体的な期日はお答えできかねます。」
というような意味のことを

そいつらが属する組織のキャラクターとガラの悪さによって
いろいろなバリエーションの表現で答えてくるんですけど

こっちとしては

だから、
その「いろんな起こりうる可能性」を考慮した上で
そんな答えしか出せないんですか?
ってことなんですけど(笑)

要するに会話が成立してないんです。

聞いても、聞かなくても
同じ、
みたいな。

そして、
やつらのすごいところは、

上述の
「手作業でやってるわけじゃないですよね?」
というところには

すかさず
「手作業ではやっていません!」

答えてくるんですよ(笑)

そういう、どうでもいいところには
即座に答えられるんですよ。

しかも
堂々と(笑)

なので

「手作業でやってるわけじゃないですよね?っていうのは、
なんでそんなに遅いのか?
ということが
予想を遥かに上回ることを遠回しに伝える
皮肉、或いは嫌味ですよ。

私も、別に本気で手作業でやってるとは思ってませんよ。
普通、それくらいわかりませんか?

なので、そこの部分だけ食い付いて反論されても困るんですけど。

さっきの返答が、上から言われてそうなのか、
窓口のあなたの能力かどうかはわからないんですけど、

そういうことも理解できない感じの
コミュニケーションしか成立していないようなら、
これ以上聞くのは無駄かな
とも思いますが。」

って
言ったら、

向こうは
さすがに黙るか、
「再度、確認してきます」
と言って
どこかに消え、
しばらく経ったあと
戻ってきて、

ほぼさっきと同じ答えを
繰り返すという(笑)


だから、
二回目以降の
そいつらの対応のあとは
必ず、

「えっ?
今何を確認してたんですか?
さっきと同じ答えなんですけど?
私は、何のためにこの時間待ってたんですか?
さっきと違う答えが得られるかもしれないから
待たされてたんだと
思ってたんですけど?」

って
言うと、

これまた、
さっきと同じ説明を繰り返す。

以降、これが延々と続くときもあって、
最終的に
「わからない」
ってことになるんです。
(わからないってどういうことやねん
て話なんですが(笑))


結局無駄なんですよね。
時間の無駄と徒労と不快感を蓄積させるだけなんです。

まぁ、
堂々と自分達は
常に正しいことをやってるんだ
という意識「だけ」は
あるみたいなんですけど、

本当に想像を絶するほどの理解力なんですよねぇ。
(もちろん悪い意味での。(笑))

なので、
自治体の窓口とか
行かないにこしたことはないし、
公務員とかいらないと思うんですよね。

ただ「自分達の生活を維持するために働いてる」ということしか頭になく、
税金を使ってまで国民に負担を強いる存在とか
いらなくないですか?

もともとの公務員の定義としては
公僕として公共の福祉を第一に奉仕する存在であるはずなのに

今の公務員も、政治家も
福祉と言えば
老人、障害者、子供、しか頭にないみたいで、

公共の福祉の精神の意味も
恐らくわかってないんだろうけど、

老人福祉、障害者福祉なんかも
表向きの建前であって
実態は、老人福祉、障害者福祉をビジネスにした企業とつるんで、
特定の企業に利益を上げさせているだけ。

役所の業務といっても
ほとんど外注だし、

どこの馬の骨ともわからない小遣い稼ぎに来てる仕事のできない派遣社員とか

安い技術で適当なセキュリティ管理しかできないような

どんな団体とつながってるかもわからないあやしげな情報系システム会社に

仕事丸投げして一服してんじゃねーよ
っていう
当たり前の話なんです。

そういう国家資産を食い荒らすゴミ虫どもが一掃されて
早く電子上で全てのことが
「きちんと」(←ここ大事)管理できるよう、
早期AIの導入が望まれるところですが、
何せ頭の悪い人達がやることなので
いつになるやらといった感じです。

AIの社会的役割についての話題が出ると、
最近は必ずAIに仕事を奪われることを危惧している
ある意味自覚症状をお持ちの方々が出てきて
何か言われているのをちらちら見かけますが(笑)

まぁ、AIが本格的にイニシアティブをとるようになった場合
(人類が望む望まずに関わらずきっといつかそうなるでしょう)
無能な人達が仕事を奪われるだけで済めばいいんでしょうけど、
どうかなー?

新世代が旧世代を凌駕した場合の歴史的事実は、
前回述べた通りですし、

以前からの懸念の通り
今いる人類によって生み出されたAI は、
きっとそのまま今いる人類の姿そっくりになるのではないかな
と思いますね。

子は親に似ますし、
最近思うのは
ペットは飼い主に似るのではないかと(笑)

(あ、これは
自転車に乗っているときに
よくペットを連れて歩いている人を見かけて
ふと思った程度のことなので
気にしないでください(笑))

今いる子供達の将来に期待しても
所詮大部分は
今いる大人と大して変わらないかあるいはそれ以下の人材にしか
ならないでしょう。
(さらに甘やかされている分、さらに手に負えない大人になる可能性があります。(笑))

環境はますます厳しくなるでしょうし、

例の寄生虫的な人々の大活躍で
能力のある子供の才能が潰されることはあっても
全体のレベルの底上げが行われることは
まずあり得ないと断言しましょう。←

昨日も
図書館に本を返却しに行ったら、
さも勉強してます的に
図書館の学習室が満杯になってましたけど、

友達とつるんで図書館の学習室に来るやつとか
絶対勉強なんかしてないって(笑)

家に帰って一人でやれ。

本当に勉強してる子は
一人で黙々とやってるよ。

ほんと、最近の子供は
見かけばっかりというか
ポーズだけですよね。

それに騙される大人も
大概馬鹿ですが(笑)

でも、そう思わないと
やってられないんでしょ。
自分達の老後とか
想像するだに大変ですものね。

まぁ、ほとんどの人は
自分達の老後の世界がどうなるかとか
考えてないですからね。

世には財テク関連の書物とか
たくさん出てるらしいですけど
あんなのが役に立つと思っている人達は
まぁ、いいように搾り取られるだけ搾り取られて
ポイされる人達で間違いないでしょう(笑)

というわけで、
私は本をさくっと返却して
代わりに
今度は、お菓子作りの本とかを
借りてきました。
もう既に一通り見ましたけど、楽しみ(*´∇`*)ぽわん

そんな感じで
キチガイ相手に何か言っても
時間の無駄なので、
これからは
また、のんびり楽しみながら
書いていきたいな
と思うわけです。

まぁ、虎視眈々と
やるべきことは
やっていくつもりですが。

というわけで
早めの前回のおさらいでしたが、
他に書いておくことあったかなー?

あ、そうだ
前回の記事で、

実際の事件の私なりの
推理について書いたのは、

魔女狩り現代社会(というかいつの時代でもそう)と土星のことを書く絡みで

タイミング的にちょうど良かったので
書いたんです。

まぁ、それぞれの理解度はともかく
みなさんそれぞれが
気を付けて生きていきましょう
という
私の親切心の現れでもあります。

もちろん、私も気を付けますが。(笑)

前回ブログ記事でとりあげたような事件(団地主婦惨殺事件)は、
週刊誌でもいろいろ取り上げられていたようですし、
意外といろんな人が推理できるものですから、

わざと拡散させてるのは
意味がわかる人にはわかるように
見せしめっていう意味合いもあると思うんです。

(矛盾だらけなので
事件自体嘘ということも考えられますが。)

本当に起きていて隠蔽すべきとやつらが判断した事件というのは
たぶん、
マスコミに流されたりしません。

以前、大島てるさんのサイトを紹介しましたが
上記サイトでそれぞれのお住まいの付近を調べていただくとわかると思いますが、
自分の住んでいる場所の近辺に予想以上に変死体が出ていたことに
まず驚くと思います。

変死体というのは、
要するに誰の目撃もないところで死んだと思われる人の遺体ですね。

現在では
誰かが死ぬとき
親族のもと看取られる場合でも
医者の立ち会いが必要ですし、
医者の立ち会いがない場合は変死体となり、
死亡鑑定書、解剖などが必要になるわけです。
(まぁ、厳密に言うと、
親族が口車を合わせたり、
医者が嘘の死亡鑑定書を作って偽装する可能性はあるわけですが(笑))

よって、
本来ならば変死体なので事件性のあるものとして扱われ、
マスコミで報道されるべき可能性のあるものもあるはずなんですけど、
報道されていないものが
たくさんあるということに
お気づきになるのではないかと。

その数ある変死体が
本当に他殺でなく自殺だったのか
一人で部屋で死んでいるお年寄りは
本当に単なる孤独死だったのか
ベランダから飛び降りた人は誰かに突き落とされた
或いは保険金をかけられて
飛び降りることを強要されたのではないと

誰が断言できます?

警察がその可能性を考慮して
捜査していると思いますか?

私は
思わないなー(笑)

孤独死を防ぐために
見守りサービスとかあったりしますけど、

私から見たら
不特定の誰に見られているかわからない中で
孤独死するほうが
危険だと思いますね。

先程述べた通り、
今は猫も杓子もスマホを持っていて、
お年寄りもスマホを持っているし、
そうなるように日本の仕組みが変わってきていますが、

高齢者ほどスマホを使い慣れていないので、
自分がハッキングされていることすらわからないでしょう。
(まぁ、これは多少の差はあれ、若い人も同じなんですけどね。)

政府が実際にやっていることは
マイナポイントとかで煽って
マイナンバーをクレジットカード利用や
電子マネーに紐付けることを奨励するとかいう
ほんと、馬鹿の極みですが、

高齢者の資産情報がネット上に流出する原因になりますし、

政府が高齢者のクレジットカード番号を
わざと達の悪い人達に
釣らせてるようにしか見えないです。

高齢者の資産情報は
おそらく、それ以外の様々な方法でも
容易く入手できるでしょうね。

ていうか、郵便局の見守りサービスをはじめ
福祉充実を図るとか
表向きのきれいごとを唱える能無し自治体を通して
どんな介護士が派遣されているかわからない
丸投げ介護サービスで
お年寄りの家には
常に不特定の第三者が行き来していて、
お年寄りの資産情報に
プライバシーも何も
あったんもんじゃないです。

最近の保険会社は
お年寄りになる前から
本人の健康状態まで
把握してますから、
その情報を把握できれば、
お年寄りが
どんな病気で死ぬ可能性があるかもわかるわけです。

これは、実は
本当に怖いことなんですよ。

情報というのは
使い方によって
恐ろしいことになるんです。

コロナのワクチンも作れない、
コロナ死亡者のリストが提供されないことに
何の異も唱えない医者達が、

お年寄りの孤独死の死因について
問題はないとする
見解をしめせば、

どんな独居老人も
一人で死ねば、みんな孤独死なんです。

一人で生活するお年寄りは
そんな第三者達に
見守られながら
生きています。

ほんと、お年寄りって
なんであんなに他人を信じやすいんですかね?

それ以外に
頼る人がいないから
かな?

まぁ、これが
現在のお年寄りの状況ですよね。

大島てるさんのサイトも
封鎖されるか
乗っ取られるかするでしょう。
(去年私が見たときも既に怪しい感じでしたが。→必死の火消しコメントが殺到してましたけど(笑))


事故物件というのは
情報を開示することが
法律で定められているので
情報として広く一般市民に共有されてしかるべきものなのでそういうサイトがあっても
いいと思うんですけどね。

大島てるさんのサイトが
封鎖されたり、
炎上したり、
乗っ取られたりしたら、

なんか都合の悪い人達が
いたんだな
ということになりますね。

その都合が悪い人達が
どういう人達なのかは
各自ご想像いただくということで(笑)

とりあえず、
警察は事件が起きるまで何もしないとはよく言われて来ましたが、
たぶん事件が起きても何もしないということは
明らかになりつつあります。

そう言えば、前に
富士の樹海の変死体は

警察(山梨県警or静岡県警)は
ちゃんと変死扱いで
捜査しているのか謎ですね
と書いたことがありますが、

そのあと、なんか
富士の樹海イメージアップのためなのか
映画が作られてましたね。
渡辺謙さんとか出てるやつ。

富士の樹海の変死体=美しい自殺
みたいな解釈にしたかったようだけど、

全然ごまかしきれてなかったみたい(笑)

ていうか
警察関係者と芸能界、広告業界との癒着がすごいよね、
ほんと。

去年くらいまで
地デジでやたら警察24時とかやってたみたいだけど

警察24時とか見ても
結局
繁華街の酔っぱらいの相手と
違反運転の車の摘発と
未成年の補導しかしてないから意味ない(笑)


まぁ、警察が殺人事件の捜査とか何もしない方向に持っていくから
マスコミにも情報が流れないだけ
ということもあるかもしれませんが、

マスコミ(メディア)は
もともとジャーナリズムにもとづく権利を行使する存在として、
公正明大な報道を行うことが義務づけられているはずです。

かつては
そうだったのかもしれませんし、
もしかしたら
昔から今と変わりない状況だったかもしれませんが、

個人的な見解としては
バブル期、そして
例のニッポン放送株騒動以降、
マスコミ(特に報道)は
確実に崩れていったと思います。

このことは
何回か書きましたが、
その後も、調べたところ
例のニッポン放送株騒動の
タイミングで
ほとんどのキー局は
現在、持株放送会社としてまるで一つの組織のように再編成されていて、
総務省の管轄下にあるようですね。

もはや、政府の直轄機関であり、
政府の広報局と言っても過言ではないくらい。

だから、
日本政府や公的機関、
そして、それらに関与する組織の信頼を
少しでも傷つけるような報道はなされておらず、

さらに言えば
それらに不利な報道は
一切されていないという可能性がありますね。

あと、やつらが今
一番気にしているのは

今って、スマホを持ってる人達が
情報をすべて
リアルタイムで
全世界に発信可能なので

まずは
それを制御することなんでしょう。

自分達が情報操作だけで
国民を動かしてきているだけに
メディアの影響力は一番わかっているので、

せっかくテレビ局を
統轄下に置いたのに
(テレビのメディアとしての影響力も終わりかけてますが)
今度は一般市民が全員マスコミみたいになっても
困るわけで、

オリンピックの開会式でさえ
あんな変な演出
(マスコミの過度の追及を批判するようなパフォーマンス)
をしたり、

コロナで無理やりオンライン化させて
情報統制しようとしたけど
失敗に終わったわけですよね。
(↑本人達はもしかしたらうまくいってるつもりかもしれないけど、
明らかに失敗。)

ていうか
なんもできないくせに
個人端末まで管理して
その上、情報操作とか無理っていうことくらい
わからないんですかね?(笑)

これから
自分達に不都合な人間が出てきたら
私みたいに徹底的にマークして
情報封鎖して
端末類は全て没収するつもりなのかしら?

ま、その前に
私がやられたことと同じことを
今度は自分達がされて
潰されるだけだと思うけど(笑)

ていうか、
警察とか官公庁のサイトとか
90年代頃には
既にハッキングされまくりだっただろうし、
今も大して状況は変わってないと思うけど、
(たぶん、警察とか官公庁のサイトをハッキングしたところで
当時のヲタにとっては
面白くもなんともないから
そのまま放置されただけだと思う)

昔と違うのは
一般庶民全体にまでスキルが行き渡るということと、

警察や官公庁が
電子スキルを使って
罪のない一般人を食い物にしたら
反発する人達は出てくるし、
一般人は、いろんな人達がいるからね。

ガラ悪い、達の悪い人達が
どういうことをし出すかくらい
警察の皆さんのほうが
ご存じだと思いますけど(笑)

昔、建設系コンサル会社で
事務(ていうかデータの仕事)を少ししてたことがあるけど、

そこも官公庁からの大きめの受注が主だったところなのですが、

どういう関係なのかわからないけど
そこで仕事していた人に聞いた話では、

関西のインテリ893が一番怖いそうです(笑)

インテリの人って
普通温室育ちの人が多くて
落ち着いて柔和な人が多いと思うんだけど、

まぁ一旦つきぬけたら
価値観の転換とかがすごいんだろうな
とか思いました。

インテリだから
たぶん頭がいいので
人が考えないような
恐ろしいことも
思いつくのかも。(笑)

たしかに怖いかも。

まぁ、
関西って
東京より歴史もあるし、
歴史があるということは
土地の業も深いですから、

そこで生きている人達も
土着の人なら
なおさら人間としての深みも
あるでしょうね。

恐らく
日本には
本当にいろんな人達がいるので、
たぶん浅はかな人達では
太刀打ちできない人達は
まだまだたくさんいると思うんです。

見たところ
近年薄っぺらい人達が
持て囃される昨今ですが

まぁ、そういう人達は
だいたい数年でいなくなる。

年々先細りの
ごく薄スリムの日本政府
(なのに人間の数は意外と多い(笑))
がどこまで保てるのか、
成り行きを生温かく見守りたいところです。

さて
話は戻りますが、

なので
一般的に報道されているにしては
怪しい事件があるというのは
たぶん、何かしらの目的がある。

一般的に報道されている事件というのは
一般にほじくりかえされても構わない事件なんですけど、
(近年の本当に起きたのかどうかわからないような事件は特に)

ほじくりかえされても構わない事件といっても、
ネット上でのほじくりかえし具合が、
たぶん、奴らの予想では
誰もそこまで重箱の隅をつつくようなことはしないだろう
と思っていたんでしょう。

まぁ、普通のミステリヲタから見れば
実際の事件なんて
ちょっと見ただけで
ぐだぐだなのは
すぐわかるし、

だからミステリヲタには
上質のミステリを
本で与えておけば満足したのに
それがなくなったんだから
暇潰しに実際の事件でも
見てみるか
みたいなことになるわけでしょ?

おまけに今まで温室で育てられた人ほど
世の中の黒い事実の数々は
目からウロコなわけだから

まぁ、興味をそそりますよね。

これから、この生ぬるい空気の中で育てられた子供達が
いつ、そのことに気付き
実践し出すか見物です(笑)

あまり期待はしていないけどw

まぁ、それよりも先に
誰かがテロを起こすかもしれないし。

ほんと、物騒な世の中になりましたよねぇ。

今後は、あまり人が多く集まるところには
行かないように気を付けないと。

それはさておき、

報道されてきた事件の中で
マスコミや週刊誌によって
とりわけ拡散されてきたものは、

おそらく、
特定の人達に対する
脅迫に近い牽制、或は見せしめに近いものだと感じます。

誰に対する見せしめなのか。

ひとつは自分達に与しない人間、
もうひとつは
一旦仲間になったが
そのあと裏切った人間
に対するものですね。

私が知るところで
過去にマスコミに報道された事件で、
センセーショナルだったもののうちのひとつに
女子高生コンクリート詰殺人事件があります。

女子高生が長期間拘束され、
散々拷問に近い暴行を受けた挙げ句殺害され、
ドラム缶にコンクリート詰めにされて遺棄された事件です。

この事件にも
様々な不自然な点が見られます。

当時の青少年と言われた若者達の思春期の暴走性、
それが、当時の世相を反映させたような事件であったとしても、

そもそも
普段は普通の学生だった彼らが
あまりにも手慣れた様子で
最終的に女子高生をコンクリート詰めにして捨てる
というのは違和感があります。

コンクリートって
手作業だと
結構大変ですよ?

当時は
今ほどあちこちに
コンクリートの材料(セメント)を売るホームセンターとか
なかっただろうし、
普段買わないような学生が
セメントを買いに来たら
それだけで不審に思われます。

初めて人を殺して、
その処理に困ったからと言ってとる手段とは
あまり思えないですね。

裏山に埋める、とかのほうが
庶民的というか
現実味があります。


手慣れている、常習的
そして、
なんとなく、裏にいる人達の存在をほのめかしているように感じます。

まるでコンクリートの調達ルートを探られても大丈夫だという
確固たる自信があるかのように感じます。

先入観なくこの事件を見ようとすると、
誰でもそう思うのではないかと思いますが、

何せ事件が事件だけに
その残虐性が全面に出てしまっているので
細かなところまで
誰も考えていないんです。

というか、
そういう状況でも
わかる人間にしか
わからないレベルで
報道されています。

最終的には
そういう残虐性を持った若者達の犯行だった
という結末となっているため、

「とても特殊な」状況に
「たまたま」「不運」にも
被害を受けたかわいそうな女子高生の話として

多くの人達にとって
「自分達とは関係ないこと」
として
取り扱われました。

「他人事として」その残虐性のみに興味を持って読んだ人達も多かったと思います。

当時、週刊誌等にも
様々に書き立てられていました。

私が最初に読んだのも
女性週刊誌だったと思いますけど、

私は当時小学生くらいだったと思いますが、

まぁ、小学生ながら、
というか
小学生だから
なのかもしれませんが

普通に読み物として読んで
いろいろとつじつまがあわないところが多いというか、
あまりリアルに想像できないところがあり
怖さは伝わっては来ませんでした。

大人になって、再度見てみたときに
その裏の背景を読んで
やっと納得できたというか、
子供の頃のつかえが取れたような気がします。

女子高生コンクリート詰殺人事件については
別の機会に改めて書くとして、
話は戻ります。

ともかく
その事件と同じ臭いを
サイコメトラーエイジ」(漫画版)に出てきた
実際の事件と言われる
団地主婦強姦殺人事件にも
感じました。

この場合、この事件が
見せしめとして
拡散したかった対象があるとすれば、

もちろん
麻薬中毒患者そのものの危険性、
そういうことが
誰しもあるよという偶然性
について
すべての人へ拡散したかった、
というのは、
まぁ表向きの理由でしょうね。

たぶん多くの人達は
麻薬中毒とは一切関係ない生活を送っているため

この事件のあらましを聞いても
一時的な怖さや主婦に対する憐憫の情は催すかもしれませんが
所詮「他人事」なんです。

でも、その事件を
「他人事」と思えない人達にとっては
充分な脅威となるでしょう。

先ほど述べた、
'自分達に与しない人間についての見せしめ'については、
後述することにして、

'一度、仲間になったが
裏切った人間に対する見せしめ'
について、
少しわかりやすく
書いておきます。

例えば、前回書いたように
この女性(主婦)が
ヤク中患者に殺されたという表向きの状況ではなくて、

ある作為的な意図により
別の人物に殺されたとすると、
恐らく被害者と犯人とは
顔見知りだったと考えられます。

そして、拷問を受けて殺されるほどの理由が
本当にあったかどうかはともかく
長時間拘束されてレイプされて
異常というレベルで
体に傷をつけてまで殺されるということを
実際にされています。

後にこのことが
わかる状態で放置され、
報道されるにまで至っています。

残虐的な部分を隠蔽せずに
わざとそのままにしたのは
その箇所は
犯人達にとってみれば
どうでもいい、

或いは
むしろ報道されるのは結構と思っているような気配を感じるのが

見せしめであると
判断するところなのですが、

その場合、
その事情や背景を知っている「仲間」にとっては、
「裏切るとこういうことになるよ」
という意味合いになると思うんです。

まぁ、脅迫に近い牽制を受けた側は
怖いと感じるし
そう感じることを狙っているわけなので、

確かに、
怖いですね。

怖いと思う人にとっては
怖いかもしれません。

だから
脅迫した側の意図に
逆らわないように
行動するでしょう。
(つまり裏切らない。)


でも
私は思うんです。

結局、この女性は
殺されてるんです。

怖いと思って
裏切らないようにしても
殺される可能性は
あるんです。

殺された女性は
拘束されるまで
自分が殺されると
思ってなかったんじゃないかな
と。

拘束されて初めて
殺されるということを
自覚したんだと思います。

どういう状況だったにしろ
そうだったと思うんです。

たぶんね。


そう思いませんか?

自分は殺されないと
思っていたんです。

さて、
ここで
'自分達に与しない相手に対する
見せしめ'と考えた場合ですが、

これも基本的には同じです。

脅迫する側は
相手を怖がらせて
自分達には近づくな
反抗するな
或いは
仲間になれ
そうじゃないと
こういう目に遇わせる
と言っています。

でも、
怖いから他人事にしたところで、
仲間になったところで
殺されるときは
殺されるんですよ。

同じじゃありませんか?

同じなんです。

だから
脅迫の効果としては
全く意味がないんですよね。

人質を殺してしまっては
いけない理由と同じです。

殺されると考えることは
たしかに怖いことですが、

怖いと思うだけでは
現実的には意味がないんです。

では、
脅迫された側は
どうすればよいのか。

まずは
そもそも
キチガイに関わらないようにすることが
大切ですが、

いつの間にか
関わってしまっている場合があります。

今の社会だと
社会自体がおかしくなってきているので
(昔からそうなのかもしれませんが)
キチガイどもに遭遇することは
避けて通れないことが
多くなってきています。

こっちがスルーしても
ターゲットにされた場合は
徹底的にやられるということは
みなさんご存知の通りですが(笑)、

そのターゲットの選択も
基地外どもがどうでもいい理由で
選んでいるので
不可避です。
(最近はそういうのを神様モチベーションと言うそうですね(笑)
まぁ、
例の神様気取りの基地外どもですな(笑))

さて、どうしたらいいのか?

まずは
それを一度考えてみてほしいですね。

さて、
どうしたらいいのか?

さぁ、どうしたらいいんでしょうかねぇ?(笑)

私ですか?

私はそれを
だいぶ前からきちんと理解しています。

そして、
そういう怖さをずっと与え続けられてきました。

やつらは
そんな人間が
どんな思いをしながら生きてきたかとか
今、どんな風に考えているか
とか
これからどんな風に生きていこうとしているか
たぶん理解できないでしょう

理解できないから
いいんです。

以前、
このブログでも紹介したことがある
邦題「完全なるチェックメイト
という映画がありますが、

その中に
こういう言葉があります。


死を準備した者が勝つ


たぶん、そういうことなのだと思います。

私は
別に勝ち負けでは
考えてはいないですけどね。

社会で起きている
様々な事件について、

多くの人達は
自分のことだと考えていないので
あまり深くは考えないのですが

まぁ、考えてみたほうが
いいかなと
私は思います。

そうそう。

なので、
ここまで読んで
理解力のある方は
お分かりかと思いますが

前回から
今回までのおさらいで
出てきた事件や
魔女狩りって
全部似てるんですよ。

以前書いたことのある
スーパーフリーの事件
(強姦致死罪の成立のきっかけとなった輪姦事件)
もそうですけど、

実際、いろんなところで
起こっている事件だと思います。


こちらも映画
ドラゴン・タトゥーの女」では、

とある資産家に関わる
女性惨殺事件が
重要なキーとなってきますが、

自分に興味のない事件については調査しないリスベットという女の子に対して、

主人公のミカエルは
「女を殺した奴を捕まえよう」
と言って誘います。

確かに
女を殺した男は許せない
というのはありますが、

私の場合、

女を殺すような女

大嫌いなんですよね。

そして、
それを見て見ぬふりをして
自らは手を汚さず、

他人同士を争わせたあと
残された美味しい部分を
棚ぼた的にちゃっかり享受している卑怯な奴は

もっと嫌いなんです。

それだけは
言っておこうと思って。(笑)

ちなみに、
ドラゴン・タトゥーの女」は、

とある事件のキーとなる場所として、
スウェーデンのウプサラという街が舞台として設定されています。

依頼主は、
家系を少し遡ると戦中はナチスと親交があって
戦中、戦後に繁栄した
現在は衰退傾向にある財閥の旧家の当主です。

その当主の話の中で、
現在隆盛を極めている
新進気鋭の企業のやり方が
「節操がなくて気に入らない」
と言っているところが
おもしろい。

歴史的に見ると、
スウェーデンでも
戦後の日本における旧家の没落と同じようなことが
起きているのかな
という印象を受けます。

日本の映画で言えば
去年あたりにブログ記事で書いた
市川崑監督の「病院坂の首縊りの木」
に似ているなと思いました。
(市川崑監督の横溝作品が
時代的に戦後の変換期の色合いが濃く、
それが今のコロナ禍の日本の状況と符合することは既に書きました。)

ウプサラは歴史的にも
古い街です。

前回のブログ記事で書いた
ゲルマン民族の移動とバイキング、
北欧神話を思い出させるかのような伏線で、
たぶん、
この映画の裏テーマとして
旧世代から新世代への移行というのがあるんだろうな
と。
(「ドラゴン・タトゥーの女」では
旧世代+アウトローの勝利となってますが。)

だから
オープニングは、
「移民の歌」
なんですよね。

そして、
タイトルバックの映像は、
ヒトなのか
ヒトでないのか
わからない存在が出てくる。

あのスタイリッシュな映像と
その緻密に構築された世界を感じつつ見ると

あのオープニングは
さらにめちゃくちゃカッコいいと思います。

映画自体もちろん
隅から隅まで
何度も見ましたが、

私は
あのオープニングだけでも
リピートしすぎなほど
見てしまいます(笑)

いつか
じっくりと映画の感想を
書きたいなと思いつつ

なかなか機会がないので
ちょっとフライング気味に
書いてしまいましたが、

また機会を改めて
ということで。

ちなみに、前回のブログ記事含め
旧世代から新世代への移行と言っても

結局、
旧世代を破壊して台頭した新世代が
別に隆盛を極めるとは
全く考えておらず、

単に人間同士が争って
同じことを繰り返しているだけだと私は考えています。

そして、その繰り返しのスパイラルは
あるピークを迎えたあとは
ゆるやかに下降し、
縮小し、減退し、
衰退へ向かっていることは
間違いない。

そこに、人間ではない
新しい存在が生まれ
その存在がどう人間に関わってくるのか
という
ことなんです。

だから、
なんだか勘違いしている人達はいますけど(笑)

そうじゃないんですよ
ってことなんです。

あなた達の時代が来ても、
たぶん人間の時代は
終わりに近づいてきている。

日本という国だって
日本という国を形づくっている仕組みだって、

破綻しつつあるし、

そもそも「国」という概念が
必要でなくなりつつあるわけです。

まぁ、
みんなうすうす自覚はあるけど
認めたくないだけなんだろうなとは
思いますが(笑)

閉店セールと
意味のないリニューアルを繰り返す店って
あるじゃないですか。

結局、潰れちゃう店です。

自分達のどこがダメなのか
わからないから
同じことを繰り返すんでしょう。

昔、すべらない話で
宮川大輔さんが話してました。

大輔さんの実家は
茶店みたいなのをやってたらしいんですけど、

店が潰れる前、
コーヒーが一杯
800円くらいしたらしいです(笑)

実際、よく見かける風景ですけど、
まぁ、そんな感じです(笑)


さて、
前回のおさらいプラス
いつもの反響とそれに対する補足
って感じでしたが

やっぱりこれだけでも
少し長くなってしまいました。


うん。
そうですね

今のところ、他に言っておくことは
特になさそう(笑)

あとは
今度upするときに、
話をちょびっと付け加えましょう。

何の話を付け加えるかは
乞うご期待?(笑)


************

ここまで、2022年5月9日に書いたものです。
すんごく長くなったので、全編2/2へ続きます(笑)

有限と微小のパン。(後編)

(同日up記事前編からの続きです。↓)

あと
最近
図書館に久しぶりに行きまして。

大学の図書館ではなくて
一般人の行く公の図書館ね。

やっぱり
見たい本は
あまりないなあ
と思いつつも、

いつもの裏読み作戦で
自分なりに欲しい情報を手に入れられそうな本を借りてみました。

前回のブログ記事でお気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、

また最近裏テーマで
イースターなんです。

ワタクシ的にね。

まぁ、前から書いてますが
今は星の配置とかも
興味深くて、

この時期にやはり
今の世界の流れとか
その中の自分とかを
最近改めて考えたりして
結構おもしろいですね。

去年は
東洋的に十干十二支を使って
どんな年になるかな?
と考えてみたら
意外とおもしろかったので、
(GoogleChrome
まさに、って感じでしたね。)

今年は改めて西洋占星術もあわせて
考えてみました。

先程は論理がどうだの
実証がどうだのと言っておきながら星占いかよ?
と思う人もいるかと思いますが
それは勘違いです。

星占いも計算の世界ですから。

東洋に八卦というのがあります。

これ自体ですべてを現すわけではなくて、
これは組み合わせなんです。

例えば、デジタルの世界で
コンピューターは
二進法で記述されたものを読みますが、

人間には理解しにくいので、
それを4ビットとか8ビットにわけて、
それを16進数にして理解したりしますよね。

それと、同様のことだと思うのです。

人間の認識できる世界と認識できない世界のすべてを
人間に理解できるように
概念や記号に置き換えた場合の変数の組み合わせ
というか。

それを星を使って読み解くのが
占星術であり、

西洋占星術の場合は
ひたすら観測と計算で、
数字という記号で突き詰めていくけれども、
(ケプラーとか数学者の名前が出てくるのもそのため)

東洋の場合、
西洋ほど記号に頼らないという気もしますが、
やはり文字(漢字)という記号で
広げていく
っていう感じですね。

まぁ、方法論の違いはあれ
同じ地球に住む人間が
考えたことで
求める先にはやはり同じものがあったりするわけです。

で、
気になる現在の
実際の星の配置ですが、

数年前に少し書きましたが、

やはり
土星天王星海王星冥王星あたりが気になるところです。

普段の星占いだと
動きの早い星
(太陽、月、火星、金星、水星、木星など)を見ることが
多いと思いますが、

数年前から、
土星天王星海王星冥王星などの
スパンの長い星が
山羊座から魚座あたりに集中していて
終局、新展開みたいな雰囲気を
すごい感じるんですよね。

ここ最近では
土星海王星コンジャンクションがあったようですが、
土星天王星海王星冥王星のなかでは
動きの早い土星
他の星と関係していくことで
何か大きな流れが変わっていくような
そんな気がしています。

去年までは
なんとなく
天王星が強いなと思っていて、
最近は個人的には
土星が気になってました。

あと冥王星も。

数年前の記事でも
土星のことは少し書きましたが
最近いろいろ考えて
さらに少しわかってきたところもありまして。

で、
久しぶりに一般の図書館に行って借りてきた本というのは
気分転換になるかなくらいの気持ちではあったんですが

最近考えてきたことを
より裏付ける形になり

ちょっとおもしろかったので
書いてみようかな
と思います

が、

今回は既に長文になってしまったので
イースターが終わったら
機会を改めて書こうかな
とも思いますし

どうしよう。

まぁ、書けるところまで書いてみますかね。

まずスパンの長い星というのは
ひとつの星座に滞在する期間が
長いということなんですが
要するに公転周期が長いということです。

星占いでは
その人の出生図(生まれたときの星の配置)で
どの星座にどの星があるかを見ます。

で、
動きの早い星は
同じ時期に生まれた人でも
配置が違っていたりしますが、

動きの遅い星だと
同じ時期に生まれた人同士で
同じ場所にあったりします。

つまり、動きの遅い星が
とある星座に滞在している期間
その期間に生まれた人は
同じような星の影響を受ける
という感じです。

なので、
同じ時期に生まれた人同士で
同じような影響を受けるというか
似たような空気感、時代感を連帯しているような
そんな感じになるときがあります。

で、星がいる場所すなわち星座には
ハウスという概念があって
基本的には春分点のある
牡羊座から始まって魚座までの星座を
一人の人の一生のように考える考え方があります。

なので、各星座のだいたいの年齢域というのも設定されていて、

例えば、私の場合生まれたとき太陽が獅子座にありましたので、
普通一般の人達がよく言うところのいわゆる獅子座なのですが
と、同時に私の生まれた年は土星が獅子座にいました。

獅子座の支配星は太陽なので、自己を現すとされていて、
年齢域は
二十代くらいなんですが、
そこに土星

気になりますよね。

まぁ、土星がひとつの星座に滞在する期間は
2年半くらいなので
その時期に生まれた人達は
獅子座に土星があるわけなので
私だけじゃないと思うんですけど
このつながりも何なのか、
とか。

土星は試練の星とか言われていて、
東洋的な占いでは凶星とも
言われています。

なので、あまり好かれていない星なんですが(笑)

この土星について

土星とは一体?

ということを

これまでもしばしば考えてみることがありましたが、

やはりここ数年の星の配置が
気になり出して以来
数年前からいろいろと考えていて、

今回やっと少しわかったような
気がします。

まず
土星はサターンと呼ばれていますが
悪魔のサタン(Satan)では
ありません。

正しくはSaturnで
ローマ神話の中の
サトゥルヌス(Saturnus)という
もともとは農耕の豊穣の神様の名前に由来しています。

英語で土曜日は
Saturday ですが、
そのSaturnusです。
まさに、「つち(土)」の意味の
土星なわけですね。

その土星の神様がなぜ嫌われているかというと
いろいろと背景がありまして。

この土星の神様サトゥルヌス(Saturnus)のお父さんがウラヌス(Uranus) なのですが、
サトゥルヌスはお父さんのウラヌスの王位を奪います。

その際ウラヌスは去勢されてしまう。

で、サトゥルヌスは
自分が同じことをされては困るので
自分の子供たちを食べてしまいます。

その子供達の一人がゼウスで、
ゼウスはなんとか生き延びて

結局、サトゥルヌスはゼウスに
王位を奪われ幽閉されてしまいます。

ちなみに
サトゥルヌスを含め
神様の名前は
古代ローマギリシャの神々の名前で、

前述の
英語の火曜日から金曜日までの曜日名は
元を辿れば北欧神話に由来する神様の名前です。

後述しますが
この点と
サトゥルヌスが
子供を食べる逸話がある
という点を
ちょっと覚えておいてください。

で、土星という星自体についてですが、
氷に閉ざされた星です。

まわりにたくさんの小惑星を抱えています。

サトゥルヌスが農耕と豊穣の神様であるため
本当はもともと実り豊かな星だったのだが、
ある時期を境に氷に閉ざされた星になってしまい、

古代ローマ人達は
そこから逃れて
地球にやってきたのだ
という話が
ローマ神話にあるそうです。

だから、やはりサトゥルヌスと土星という惑星は
古代ローマ人たちのふるさとのような
ゆかりの深い星なのだと言えるでしょう。

ここで、ヨーロッパの歴史を考えてみると
古代ローマギリシャ
キリスト教勢力により
次第に滅ぼされていきます。

北欧神話
主にゲルマン民族を起源に持つ人達が
北欧に移住した後作られた神話ですが、

この北欧の神々達も
キリスト教勢力の北欧への進出によって
次第に姿を消します。

ここで、
今回図書館から借りてきた本の登場です(笑)

書名は「図説 魔女狩り」というやつでして、
ヨーロッパにおいて
中世より少し経って行われ始めた魔女狩りについて、
歴史的にニュートラルな立場というよりも
主に当時の制圧者側からの視点で
同時期の書物の挿し絵、絵画などを紹介しつつ見ていくというものです。

いかに魔女が当時のキリスト教文化・体制の規範から
外れた存在であったかという
事実無根の醜悪な魔女の姿が描かれたものを
これでもかというくらい載せてあります(笑)

筆者によると
魔女の異端としての
性格付けは
主に異教であることに端を発するのだということと

その異教徒達が行うとされるサバト
キリスト教の規範に反する淫乱なものであったため

激しい弾圧を受けたと言われていますが、

多分魔女狩りにあったのは
異教徒だったから
というだけではないのではないかな
と私は思いますね。

まぁ、根も葉もない根拠をもとに魔女だとして弾圧しているわけなので

その事実無根の書物や挿し絵や絵画によって
「そうではないといいつつ逆にヴィジュアル的に決定的に多くの人に印象付けた」
という
当時の魔女狩りの制圧者達と同じ理屈を
「図説 魔女狩り」に感じました。

異教徒を制圧したいために
弾圧するという
為政者のキリスト教側の理屈はわかります。

しかしながら、あそこまで大規模に事実無根の虐殺が行われたのは
民衆がそうさせたからだ
民衆がそうしたかったからだと私は思います。

魔女の特徴として
下記の点が挙げられます
・女性が多い(男性もいる)
・薬を調合する
・異教徒?
・魅惑的?淫ら?
・子供を殺す?
・天候を左右する?
・牛乳を盗む?
・空を飛ぶ?(裸で糸巻きに乗る)
・悪魔と契約する?

超自然的かつ事実かどうかわからない部分を除くと
あまり残りません。

結論から最初に言うと
キリスト教統率下における異端の排除という理由があったことは事実ですが、
それは建前であって
たぶん民衆の行き過ぎた私刑が
魔女狩りを大規模化させたのだと思います。

例えば、魔女とされる人は
薬を調合することができました
異教徒であった可能性もありますが
その土地で培われた経験、知識等にもとづき
薬の調合ができたのだと思います。

同じように、その土地に長く住み、
風土の特徴を理解していた彼女達は、天候の変化などについても熟知していたのではないかと。

それらの悪い面(薬の調合を失敗したとか天候を読み間違えたとか)や
根拠のない悪いデマ(自分達が薬を調合できないことや天候や災害を予測できずに被害を受けたことへの八つ当たりのようなもの)が
彼女達に対するいわれのない事実へと変化するのは
昨今のBBAどもの言動を見ても
古今東西通じて共通である点は否めないでしょうね(笑)

おまけに
魔女とされる女性達が、
その土地においては
新興宗教であるキリスト教の禁欲主義と違って
性に奔放な古代ローマギリシャ的な魅力を備えているとなれば
男性が惹き付けられないはずはないです。

なので、例えば魅惑的な、誘惑的に描かれた魔女の絵は
禁欲主義のキリスト教文化の中では淫らな絵画ではあっても
男性の本能的には
ほぼほぼエロ絵に等しく
(後年のポルノグラフィティってやつですね)
描いている人達も
恐らくその気満々だったと思うんです。

しかしながら、為政者側としてのキリスト教勢力の
異教徒弾圧は激しく、
もともと土着の女性たちは
恐らくは土地や仕事を奪われたり
いわれのない噂で家庭を奪われたりして
貧窮したり
娼婦に身を落とす女性も多かったのではないかと
考えられます。

そういった女性達と
男性が社交の場としていた集まりは
サバトのようだと
言われたでしょうし、

悪魔と契約している
という事実のねじ曲げ解釈にもつながるわけです。

前述の著書でも
少し触れられていますが

魔女たちは
土星支配下にある」
悪魔と契約していると言われていたそうです。

恐らくは、サトゥルヌスは農耕の神であり豊穣の神ですが
日本でもそうであるように
古代の神々は
アマノウズメ(漢字が出てこねえ(笑))のように
れっつ裸族であったので
禁欲主義のキリスト教下では
好色、淫ら、不謹慎
と言われていたらしく

そして、その限度を越えると
異教徒がキリスト教に対して反目している
ということが言われ始めてしまうわけです。

(ちなみに、アマノウズメが天岩戸の前で天照大御神
「出ておいでよー」と
ストリップするのは皆さんご存知でしょうし、
野村萬斎さんのお父様の
野村万作さんは
ベジャールボレロを見たときに
アマノウズメだ!」と
思ったらしいです。
ボレロ自体が酒場での女性のストリップを
もともと表現していることは
以前、当ブログの記事でも書きましたが、
ベジャールの謝肉祭の演出でもわかる通り、
ベジャールは古代の文化や神々と心で通じていたのだろうなぁ
と改めて思った次第です。

deco-noriko.hatenablog.jp
(参照 
blog.goo.ne.jp


deco-noriko.hatenablog.jp

↑ちょうどゆづるんの世界選手権敗北あたりの記事ですね。)

前述の著書でも
どこにでもありそうな収穫祭の際の楽しそうな男女や
バッカス(お酒の神様で、好色な神様)や
その従神サテュロス
お酒を集めている姿が描かれている絵が紹介されていますが、
(この絵を見て、淫乱な異教徒の悪魔崇拝の夜会と思う人達がいたというわけですが(笑))

その様子が楽しそうであればあるほど
厳しい禁制下の人達から見れば
怒り心頭、憎さ無限大になり、

その怒りの矛先が
誤った方向に向けられることになるわけですよね。

わかります。

コロナ下でライブに行く人達に対する憎しみ
みたいな感じですよね。
(本当かどうかはともかく。)

すごくわかります。

でも、実際は
迫害されていた女性達は
生活が困窮した上、
村八分のような目にあうため、
ヤギのミルクをこっそり盗んだりすることもあったんだろうなと思いますね。
(本当にしたかどうかはわかりませんが。)

そして、娼婦に身を落として
父親のわからない子供を妊娠したり、
産んだりすることも
あったでしょうし、

でも、育てられないから、
子供を堕ろしたり(殺したり)することもあったのかもしれません。

そういうことも、
悪魔と契約したために
父親の存在しない悪魔との子供を孕むとか
土星のサトゥルヌスの子殺しの逸話
と結びついたりして
魔女は子供を殺すという歪曲につながるわけです。

(先程覚えておいてくださいと書いた'子供を丸飲みする逸話'ですね!
ここで漸く出てきました(笑))

まぁ、
事実無根の噂だって
よく考えたらわかることなんですが
「そういう風に解釈したくない」人達がいるわけです。

そして、

やれ淫乱だ売女だ
神への冒涜だと
無理やりな建前ときれいごとで

気の毒な何の罪もない女性達を
裸にしたり、
火炙りにしたり、
挙げ句肉を削いだり、

それこそ
自分達が叫ぶ建前とは
真逆の人間の醜悪さを剥き出しにしたかのような行為を行って、

それを多くの民衆が
何の反発もなく見ていただけでなく、
煽ったり、嬉々として他の女性を魔女として告発したりして

魔女達の公開処刑日には
物見の見物客よろしく
大勢の民衆が集まったと聞きます。

禁欲主義を唱えつつ、

女性達が目の前で拷問を受けて苦しむ様子を見て

押さえきれない陰鬱な興奮を沸き上がらせていた

いつの時代も変わらない

人間という

そこのお前らだよ。




思うに、

三島由紀夫の「仮面の告白」は

そういうことなんだろうと
思うのです。

三島由紀夫のすごいところは
磔に処された聖人が

残酷な仕打ちを受ければ
受けるほど
美しく輝き、

人々の性的興奮をそそるような対象にまでなることを、

それこそ残酷にも
まっすぐに表現した
ということです。

数年前の世界選手権で
ゆづるくんが敗北したとき、

エキシでのゆづるくんの
「春よ、来い」の美しさを
私が文章に書いたのは

ゆづるくんの
白さが美しくて
書いたからではなく、

(まぁ、それもあるかもしれないけど)

血まみれで傷だらけに
されてもなお
清らかなゆづるくんが
美しかったから
書いたんだよ。

あのときはね。

そう
あのときは
そう感じたのです。

まぁ、
あんまり(ていうか全然)伝わらなかった
みたいだけど(笑)

あのとき
ゆづるくんは
きっと
別れ道に立っていたんだろうと
思う。

その後も
傷だらけで
ゆづるくんは
堕ちていった。
(と、私は思った。)

堕とされていく
ゆづるくんを見て

おばちゃんたちは
何が楽しいのだろうか。

寒気がしました。

おまけに
ゆづるくんまで
それに乗っかっちゃったのか
あんな感じになっちゃって。


まぁ
いいのよ、別に
わかってくれなくても。

私が死んだら

わかってくれる神様達が
天国でたくさん
待っていてくれるので。

いいの
別に。


…というわけで

話が若干それましたが(笑)


魔女狩りの話の続きをば。

そんな魔女狩り
転機を迎えるのが
18世紀を目前とした頃、

もはや魔女狩り
ただの言いがかりと拷問死のセット以外の何物でもなくなっていた頃、

まず法学者から
魔女裁判における拷問の不適切性が指摘され始めたわけです。

前述の著書によると
契機は、とある一家が
拷問によって引き出された自白から魔女だと認定されて
ほぼ皆殺しにされたということがあって、

異教徒がどうの
とか
そういうことさえ一切関係なく
拷問して、それに耐えかねた人達から自白さえ引き出せれば
魔女として認定されて殺されるという仕組みが出来上がってしまうと
機械的に誰にでもあてはめられる可能性があり、

それこそ、明日は我が身隠れて~♪
みたいな状況に
なってしまうわけですね。

以前、
人を殺してはいけないのは
自分が殺されないためだ
ということを書いたことがありますが
まさにそれですね。

子供に聞かれたら
今後そう答えるようにしたら
よろしいかと(笑)

話は戻って

それから、「科学」というものが台頭してきて
物事の論理性が問われ始め、

空飛ぶ魔女とか
悪魔と契約とか
そもそも神様とか
それで死刑とかどうよ?
という空気になったわけですね。

もともとキリスト教側でも

魔女の超自然的な魔力を肯定しなければ魔女として認定できないが、

神の奇跡のように超自然的な力を魔女が持っていると、
魔女の存在自体が神に等しくなってしまうため
そのことは認めがたい

というジレンマがあったそうですが。
(そりゃそうだ。(笑)

前にも書いたことがありますが、
例えば、
前述のエレカシのおばちゃんたちの
「あの子が宮本さんと関わっているはずがない」
という思いと、
「関わっていると思うからこそ気になって激怒してしまう」という思いの
ジレンマみたいなものですね(笑)

要するに矛盾してる
ということです。

全然論理的じゃないんです。

気にしないといいつつ
気にしすぎなんです(笑)

決定打となったのは
コペルニクスの地動説が
ガリレオ・ガリレイによって
証明され、
天動説が否定されたことだったそうです。

皮肉なもので
地上における誤った天の理屈が
天の真実を見抜いた人間によって正されたわけですな。

それからウン百年。
(綾小路きみまろ風。←激懐。)

「科学」というものが
ある到達点に至り、
底打ちして
論理性や客観性が
地に落ち、

情報戦争っつたって
嘘情報しか飛び交ってない。

建前と
その場しのぎの理屈さえあれば
真実さえ必要とされないような
昨今でございます。(笑)


知っていましたか?

惑星には
名前がついているのですが、

後から見ると
なんとも似つかわしい名前になっているのです。

魔女狩りが行われていた頃は
ギリ土星までしか見つかっていませんでした。

なので、土星
最果ての、これ以上はないという極限を意味しており、

つまり
こちら側とあちら側の
境界に位置するような星だったみたいで
とても恐れられていたようですね。

魔女達が行っていた
と言われるサバトでは
山羊みたいな悪魔が出て来る絵が描かれたりしますが、

前述の従神サテュロスも半獣神であり
もともと山羊座の支配星が土星なんですよね。

なので山羊の姿という。

めぇ~。

ええ。
ただそれだけのことです(笑)

その後、科学台頭時代1781年に
天王星が発見され、
天空神を意味するウラヌスの名前が付与されました。

(ちなみに
空の神様がウラヌス、
地上の神様がガイア
そして、その子供がサトゥルヌス
というわけです。)

ウラヌスは始め全世界を支配していましたが、
前述のようにその子サトゥルヌスに去勢されて王位を追われてしまいます。

天王星は、ずばり科学を意味したり
変化、革命を意味したりします。

アメリカの独立戦争があったのもこの頃ですね。

追って、
1846年に海王星
1930年に冥王星が発見されます。

なので、
極限とか最果てのという意味は、
現在は冥王星が担っており、
冥界の王プルートの名前は
まさにぴったりですが、

個人的には
海王星も世界と世界の境界を意味しているんじゃないかな
と思う
今日この頃です。

地球から見て
軌道の関係から
海王星より
冥王星が近い位置のときもあるので、

海王星が境界として存在し、
冥王星は別世界だけど
位置は自由みたいな雰囲気。

海王星は海の王
ネプチューンの名前が与えられています。

海王星の意味としては
目に見えないものを表しますが
物質でも主に液体系。
海はもちろん、酒とか、ドラッグとか、
違う世界をつなぐ感じ?(笑)

あと石油(海王星が発見された直後くらいに発見された。)とかも表すそうです。

歴史的に見れば、石油も私達の暮らしを
別世界に変えましたね。

あとは、芸術系の音楽とか、
ソフトウェアとかも。

コンピューター関連でも
ハードだったら天王星
ソフトだったら海王星と書いている人がいて
なるほどと思った記憶が。

あとは占いですね。

海王星の意味は
結構多岐にわかれてるんですが、
こうして見ると
なんとなくわかる感じですよね。

で、最後に冥王星
前述のように極限、この世の果て、世界の終末、
死とか性的なもの(セックスとか)も
表します。

冥王星の物質的な意味合いとして、
プルートの意味とも直接つながるプルトニウム
ですね。

冥王星の発見は試験管内での原子核の分離が始めて行われた時期とも重なり、
原子力の意味も持ちます。

ちなみに冥王星が発見された
1930年は大規模な世界恐慌が始まって
ニューヨークで株式が大暴落し、
結果、第二次世界大戦が始まった頃なんです。

個人的には
核を用いた戦争は
もう起こらないと思っていますが。。。どうでしょうか?

今回も
現段階では
冥王星の物質的な意味合いはそれほど感じていませんが、

結局物質的であれどうであれ、
冥王星の意味合いが
集約されていく先は
同じであると言えば
そうなので
なんとも言えないところですね。

そんなわけで、
これらの超個性的な星達が
集まって
終局に向かってたり
新展開になるかもとか思ったら
気にならないわけないでしょ?
という感じなんです。

なんか世界規模で
何かが動いてるような気がしてならないし
数年前から
それが実際に起きつつある
いや、起きている感じを
ひしひしと感じるのであります。
はい。

去年くらいまで
天王星が強かったなぁ
となんとなく感じていて
天王星は今牡牛座にいるんですけど
天王星牡羊座から牡牛座に移動したのが
2019~2020年頃で、

ということは、
天王星魚座から牡羊座に移動したのは
2012~2013年頃なんですね。

ちなみに天王星のウラヌスは
物質で言うと
ウランちゃんのウラニウムですね。

これも原子爆弾と関係の深い元素ですが、
(プルトニウム
ウラニウムから抽出された
原子爆弾の材料となる元素)

天王星が一旦終局を迎えた
魚座から牡羊座に移動の
2012~2013年頃あたりで考えると、
関係しそうな出来事と言えば
日本では
2011年の東北大震災のときの
原発事故とかかなぁ、
と思いますね。

あれはやはり
ひとつのエポックメイキングな出来事であり、

東北大震災以前と以後とでは
日本の状況が変わってしまいましたからね。

天王星の、変化・革命の意味とも符合します。
(まぁ、私はテロと思っているのですが、
テロを起こした人達から見れば革命なのかもしれません(笑))

天王星魚座から牡羊座へ移動した頃
恐らく天王星は、一度終局を迎えて
新しい局面に入ってます。

多分、同じ時期に
海王星とコンジャクションしているはず。

このことから想起されるのは
(直接的には津波による災害っていうのもありますけど)

やっぱり
先程少し書いた
コンピューターのハード面での変化って感じですかね。

2012年頃と言えば
スマホの普及が一般的になってきた時期ですが、

海王星(ソフト面)とのコンジャクションも含めて、
ソフトの変化がメインのハードの製造が主流となっていった、
とか。

牡羊座に入ってからは
VPNとかが本格的に一般化してきて、
情報戦争にも突入
(牡羊座の支配星火星は戦いの神様、積極性とか戦争とかをあらわすことも)

2020年頃
牡牛座(金星)に入ってからは
若干流動的な金銭メインの動き(電子マネーの本格的な商業利用一般化とか?)
って感じですかね(笑)

まぁ、なんとなく
情報系の変化というのが
気になっていたので
そんな感じですが、

GoogleChromeChrome はクロムでしょー?

なんとなく予想はできるが
まぁ、こちらは一旦保留で
ぼちぼち
見ていきますか

というところですね。

で、これから気になるのが
やはり
土星海王星冥王星の動き。

ちなみに、木星
一巡りしてつい最近
新展開に突入と言ったところですけど、
行きつ戻りつしつつ
来年の始めくらいから
本格的にやる気を出す予定(笑)

土星は来年の春頃
魚座に入り、
何らかの最終局面を
迎えると思います。

前回の魚座入りが
1993年頃になりますので
1996年くらいから始まった
何かが
決着を見るかもしれません。

海王星
今、魚座にいて
再来年の初夏頃新展開。

こちらは
実に164年ぶりの
牡羊座への帰還。

前回は1860年
1860年頃と言えば、

アメリカでは南北戦争が、

日本では
1853年のペリーの来航後、
幕末も幕末な
てんやわんやな時期ですね。

やはり今回の末世感は
でかいぜ(笑)

まあ、
始まりと言っても
大きな流れの始まりってことなので
いきなりドカンとくるわけでは
ないだろうし。

他の星(動きの早い星とか)との関係は
まだ見ていないので
なんとも言えませんが、

今後は
来年、再来年あたりの土星海王星の動きも考慮しつつ見ていくことになると思います。

先を見通すと
土星海王星のコンジャクションも起こるはずです。

一番動きの遅い
冥王星は、今、山羊座にいて
こちらも来年の春頃に水瓶座に移動するので
そのあたりがポイントでしょうね。

また来年の
Easter頃考えてみることに
いたしましょう。

なんとなく、
ポイント的に
アメリカの動きって感じがしますね。

ていうか
日本で占ってると
当然アメリカの動きが
関係してくるわけですけど、

日本とは関係ない部分でも
世界的にアメリカの変化が
キーって感じがします。

つられて日本
って感じなのか
どうなのか。

まぁ、日本は
現在うんこ化が進んでいるので
もしアメリカが倒れた場合、
残されると
かなりつらいですね。(笑)

世界に太刀打ちしたりとか
もちろんできないし、

なので
アメリカが
変に今の日本に肩入れして
足元掬われてってことに
なる可能性もあるので

まぁ、様子見ですね。

ってことも

たぶんアメリカとかは
既にわかってるとは
思うんですよね。

だって
アメリカには公的な
天文学研究機関がきちんと整備されていて
日本の占星術の本とかにも
アメリカの天文学がどうのこうの
って
ほんとにもう必ず書いてあるからね(笑)
(今はどうかわからないけど、
たぶん変わってないと思う。)


まぁ、もしかしたら
アメリカもまた
情報系の機関のしくみが変わって
昔とは違う情報収集やってるだろうから
天文学は二の次かなぁ?

足元を掬われry

日本の情報とか
ピンキリですからね(笑)
(私が見かけるのはうんこばっかりだけどw)

うんこみたいな情報ばっかり
見てると
ほんと、日本も終わりが近いな
と本気で思いますが。

そうそう
今回、図書館でもう一冊本を借りてて
北欧神話とバイキング」という書名だったと思うけど、

もうテキストの扱い方が酷かったから、
神様の名前を再度確認するくらいで
他は読まずに終わりました(笑)

あとがきに著者なりの
意味不明のテキストの取り扱い方の基準が書いてありましたけど
いやいや原典と違う言葉で翻訳する時点で
既に注釈ですからね
と誰か教えてあげてください。
ていうか、原典は詩なのに
日本語の簡単な要約文だけ載せて
テキストに対する態度も糞もないと思うの。
(しかも40編中8編しか載せてないという。)

ああ、思い出してつい怒りが
(笑)
ごめんなさいねー。

一般の図書館相手に
大人げないことを言いましたが、
一般の人達は
こんなもの読まされているんだなぁ
と改めて納得。

まぁ、でも
前に九博の作業補助の仕事の募集で
面接に行ったときのことを
思い出すと、

国博とかもそんな感じみたいだから
どこも変わりないのかな
とも思ったり。

(この話はおもしろいので、
機会があったら書きますね(笑))

今回借りた本はどちらも2017年頃出版とか
書いてあったから、

やっぱり
もう巷では古い本とか
見られなくなったんだなぁ
と思いました。
(にしても2017年とか新しすぎません?
基本的な世界各史くらい普通に置いとけよとか思うのは私だけなのか?)

どこを見ても素人だらけ。

素人だから能力が足りないだけならまだしも
意図的に偏った情報のみ拡散させているところが
うんこだなと思いますが。

まぁ、そんなこと言っても
仕方ないので
星占いの話に戻りまして。


ノストラダムスが予言した
世界の終末は
1999年7月でした。

特にその近辺では
何も起こらなかったと
みんな安心していましたが、

もしかしたら
そのときから
ゆるやかに何かが始まっていたのではないかな
と最近思います。

1990年代に入って
日本のいろんな機構が
少しずつ崩れていったのではないかと。

それが目に見えて
壊れていったのは
やはりバブル崩壊以降、

いろんなところで
組織自体の仕組みや体系が
変わっていきました。

雇用にしても、
一度、若者世代をロストした時期から
既雇用者に対しても大規模なリストラが
行われましたし、
今も大規模な企業になればなるほど
大半の雇用者が流動的であり、

日本のお家芸でもあった
知識や技の積み重ねや
その伝授なども行われなくなりました。

結果、企業の質も低下、
開発競争や市場進出にも
世界に対して一歩も二歩も遅れをとるようになったどころか
企業の存続すら危ういような。

まぁ、その流れに拍車をかけているのが
例の寄生虫みたいな
人達ですけど。

そんな感じですよねー。(笑)

土星の神様サトゥルヌスは
ギリシャ神話での別名を
クロノスとも言います。

サトゥルヌスも
おそらく「季節(season)」とか「始まり(start)」とかいう意味に
由来すると思われますが、

(ちなみに当ブログの名前も「季節」を表すラテン語「sationem」でして、
このあたりについて書いた記事もあったはず。)

クロノスも時間を表す神様です。

例えば、クロニクルという言葉(編年史という意味)があります。

時間軸に沿って
時間を積み重ねて
蓄積した歴史ですね。

例えば、積み上げたブロックの
途中のブロックを
ひとつ取ると
積み上げたブロック全てが
脆くも崩れてしまうように、

時間というのは
一度空白を作って、
そのつながりを断ち切ってしまうと
それを戻すのは
困難です。

時間は戻れないので。
(今のところ。)

それと同じようなことが
クロノス(サトゥルヌス)の逸話にも見られます。

自分の子供達というのは
自分を受け継いでいく存在であり、

それを恐れて
或いは忌避して
子供を殺してしまったとしても、

結局は
自分が守ろうとしたものを奪われ、

その後に待ち受けていた結末は
寒々とした、生き物も住めないような環境。

それと似たようなことが
日本でも起きているなぁ

前から感じていました。

そして、実際の歴史というものは
そういうもので

ヨーロッパにおける
古代ローマギリシアから
キリスト教勢力へ
そして戦後の資本主義国家へ
という流れもまた

同じ。

現在は、
物欲主義を掲げた人達にとっては、
禁欲主義のキリスト教
異端かつ反抗分子と見なされて攻撃される恐れもあります。
(現在のキリスト教の建前と実際はわかりませんが。)

実際、今回の
コロナ情報戦争下では
(ネット上の情報が嘘でないなら)
ヨーロッパの中でも
イタリアが
深刻な被害を受けていたのは
たぶん偶然ではないでしょうし、

世界各国間の
某お友達グループじゃない
ロシアで戦争が勃発しているという情報が
日本で拡散されているのも

たぶん偶然ではないでしょう。

(ロシアのフリーメールは
ときどき使わせてもらっているので、
ロシアまで情報統合されてほしくないなぁ。)

資本主義の物質文化は
当初、全ての人達が
平等に豊かさを分け与えられるような
夢と希望を持って人々に受け入れられましたが、
ある程度の到達点を迎えたあと
そこから
オーバーフローするとともに
様々なものが欠落しはじめ、
行き詰まりを感じている国、
人々も多いと思います。

おまけに
今後は
地球上でのイニシアティブが
人間から
別の存在へ移行される可能性も
充分に考えられ、

今までの認識を飛び越えるような
超異次元な世界も目前の
昨今です。

同じ人間同士で争って
自分達と違うものを排他しても
将来的に
待っている環境は同じかもしれません。

(だから、古代中国では
禅譲という考え方も生まれたわけですね。)

日本の不思議なところは

今もなお
そこかしこに
古代の神様が生きているし、

この国に生きている人間で
その感覚がわかる人が
まだいるんですよね。

江戸時代末期、
ちょうど明治維新直前に

「ええじゃないか」
というのが
ありました。

空から天照大御神の札が降ってきて、
みんなが踊り狂うという(笑)

当時の厳しい幕制下に
抑圧されていた民衆のフラストレーションが
一気に爆発したんでしょうね。

それが倒幕のきっかけになったとも
言われています。

今の日本は
まるでそれを恐れているかのような気配を感じます。

(前も書いたけど、「コロナ」って絶対太陽の「コロナ」だと思うし。)

厳しい状況の中、
たくさんの人達が
亡くなったり、困難な状況に追いやられたりしています。


思えば、
ドリフターズってさ
古代ローマ的というか
れっつ裸族だったよなー。

ていうか
日本って
文化的に意外とそのあたり
おおらかだったじゃないですか。

志村さんが
バカ殿やったりしてたのも
なんか江戸的というかね(笑)

亡くなっている人達って
そういう人達ばっかりだよね。

高畑勲監督は
れっつ裸族じゃないけど
やさしい人だったなぁ
と思います。

「ホタルの墓」の感想で
せっちゃんが死んでいくところが
実は怖いくらいのエロさがあると書いていた人がいて
鋭いと思ったことがあるけど、
せっちゃんも'刑に処せられた聖人'と考えれば
納得がいくんです。

「ホタルの墓」で
生きているせっちゃんと
せっちゃんが死んでいく姿に
何の残酷さも感じない日本人は
もはや日本人ではないと私は思う。

けど今の日本人は(若者は特に)
何の感慨もない人達が
多いみたいですね。
(今の子供達は、本音と建前が既に違うことを知っていて、
インタビューとかでも
それっぽいことを上手に言えたりするが
本当にそう思っているわけではない。)

その残酷さを
高畑監督は
まっすぐに描いたんです。

高畑監督って
ドキュメンタリーの人だから。

よくわかります。

そもそも
戦争は
国とその国に属する人達で構成される
社会が起こしたものなのですが

その国に属する人達は
誰も反発せずに
当たり前のように
たくさんのものを
奪われていきます。

お兄ちゃんとせっちゃんは
空襲で
お母さんを失います。

お母さんを失ったあと、
住む場所(家)も失い、

居候のように新しく住み始めた家では
当たり前のように
おばさんは
お母さんの形見の着物まで
さっさと売り払います。

せっちゃんはどんどん
明るさを失っていきました。

お兄ちゃんは
せっちゃんと
二人で生きることにしました。

二人が
さまざまなものを
どんどん奪われて
悲しい思いをすることのないように

そういうものから
離れて
自分達が思う通りに
生きてみたいと
思ったのだと思います。

それは、お兄ちゃんが
そう思ったことで

せっちゃんは
何もわからないけど

お兄ちゃん
お兄ちゃんと言って

楽しそうに
ついてきました。

それは
お兄ちゃんのわがままかも
しれないと
言われるかもしれないけど

お兄ちゃんは
そうしたかったんだと思います。

お兄ちゃんなりに
せっちゃんを幸せに
してあげたいという
お兄ちゃんの愛しかたでした。

でも、
それは

社会というものから
離れて
小さな二人が
生きていくということは

あまりにも
無謀なことでした。

いや、
結局、
二人は社会という枠組みの中で、
死んでいったと思います。

そうなることを
わかった上で

お兄ちゃんは
せっちゃんと二人で
暮らしました。

まるで、
おままごとのような

おとぎ話のような

短い間の
二人の暮らしでした。

せっちゃんは
死んでしまいます。

栄養失調で。

小さな体が
もっと
小さくなって。

せっちゃんは
人形のように
動かなくなってしまいました。

わかっていたことだった
かもしれません。

でも、
お兄ちゃんは
二人で幸せに暮らしたかったし、

いつかまた
せっちゃんに
ドロップを買ってきて
せっちゃんに
喜んでもらいたかったのだと
思います。

ただそれだけだったと
思います。

せっちゃんを
殺してしまうかもしれないと思ったかもしれないけど、

でも、お兄ちゃんは
そうしたかったし
そうしたんです。

わがままかもしれないし、
一方的かもしれないけど

それは愛です。

だから
それを官能的に見る人がいても
おかしくない。

けど、
そんなお兄ちゃんに
せっちゃんは

お兄ちゃん
お兄ちゃんと言って

何の疑いもなく
何も言わず

でも、お腹をすかせて
いろんなことを夢見ながら
死んでいったんですよね。

そこには
ひとりの女の子の
無垢な死があったに過ぎない。

けれど、
それは
尊い死だった

と言えば
なんとなくこれも
上から目線な
傲慢な言い方になってしまうので、

そういうのじゃなくて。

わかってたら
やっぱり
なんとかしてあげたかった


誰しも思うと
思うんですよね。

そうじゃない人が多くなる社会だと
当たり前に戦争をしてしまうんです。

思うに、

人間が進化したと言っても、

社会が進化したと言っても

こんな小さな二人が
生きていけないようんですよ。
日本の社会って。

そんな社会に
何の意味があるんですかね?

それは
戦時中の話だから
仕方ない


諦め顔で言う人もいるかもしれません。

でも、
そうではないんです。

それを
現代に置き換えて描いたのが

是枝監督の

『誰も知らない』

なのではないかと思うんです。

結局、

子供達はもちろん

人が
自由に生きていくことすらできない社会とか

意味があるんでしょうか。

建前だけの
理屈を振りかざして

人の心の
柔らかなところや

痛いところを
わざと傷つけたり

或いはくすぐったあと
突き落として

挙げ句
追い詰めて
命まで奪っていくような
人達ばかりが

主張して
社会を作っていく。

結局は
自分達が生きるために
あるいは
単に自分達の欲求を満たすためだけに

他の人達を排斥していく。

そんな社会や生き方に
何の意味があるんでしょうか。

私は、
イチぬけたい。

高畑監督が
かぐや姫の物語』で
描いたかぐや姫は、

怒って
そこから飛び出します。

せっちゃんみたいに
笑って
清らかに死んではいかなかった。

でも、
かぐや姫
人間じゃないような
なんだかよくわからない
皆から嫌われるような存在なってしまうような
結末は描かなった。

ちゃんと
会いたい人にも会えて、

きれいに死ねるような
結末にしてくれていた。

高畑監督は
やさしいな

思いました。

でも、
結局かぐや姫

天から
お迎えがやってきて
強制的に
月に連れ戻されてしまうところに
怖さがありました。

結局、
社会というものから
逃れられないような。

それは
「ホタルの墓」で
お兄ちゃんが
なんかパリッとした服装で戻ってきて

どこからか手に入れたかわからないけど
買ってきたドロップを
せっちゃんに渡しながら

おばさんの家に戻ろう
と言ったとしたら

そんな気持ちになるかもしれないな

というような。

夢の終わり。

夢の終わりは
生きることの終わりでもある。

高畑監督は

ごく何気ない日常の
人びとの生き方、考え方を
ずっとアニメにしてきました。

それは
失われていく
人びとの生き方、考え方でもあった。

「じゃりん子チエ」も
「隣の山田くん」も
そうでした。
(「隣の山田くん」は、
どちらかと言うと元アニメを現代風(←当時の)にアレンジしてありましたが。)

失われていくことが
わかっていたみたいに。

こういう生き方を
取り戻そうという主張を
するわけでもなく

淡々と
見つめ続けていました。

あとから、
高畑監督が
福岡にある柳川のクリークの映像を撮りにきたことがあると知って

そのとき初めて
高畑監督はドキュメンタリーな人だったんだな
と思いました。

(是枝監督も
もともとドキュメンタリーを
撮っていた人だから
やっぱり考え方が
似ているのかも?)

高畑監督の映画で
山を崩していくブルドーザーと一緒に
しゃべるたぬきとかが共存しているのも
高畑監督が
そう見たからそうなんだと
思います。

トトロと同じですよね。

だから
ドキュメンタリーに
間違いありません。


宮崎駿監督も
(宮崎駿監督は亡くなってないけど(笑))
違う意味でやさしい。

虫めづる姫君
生きづらいだろうな
と気になったり、

ナウシカ
もともとは
いきなりお父さんがいなくなって
一人であとをついで
生きていかなくてはならなくなったお姫様がモデルで
大変だろうなと思ったのが
最初の構想だったらしいし、

魔女の宅急便」の
キキも
きっと
魔女狩りのことを
知っていたからこそ
魔女だけど
かわいらしい普通の女の子として
描いたんじゃないかな

私は睨んでいる(笑)

それから
風立ちぬ」も
そうだろうなぁ
と思う。

あの頃、
宮崎駿監督は
奥さんと
かつてハンセン病の患者が
収容されていた施設に
行ったりしていたらしい。

本当は
結核じゃなくて
ハンセン病患者の
設定にしたかったのかも。

私もブログで
ハンセン病を題材にした本について
一度書いたことがありますが、
遠藤周作の本で
『わたしが、棄てた、女』
というのがあるんですが、

この本に出てくる女の子も
ある意味聖少女なんですよね。

なんか
それを思い出したり
してました。

本人たちは
そう思ってすらいないと思うし、
そういう言葉を
決して口にしないと思うけれど、

きっと、
そういう人達のことを
本当の意味で
思いやりがある人達と
言うのだろう

私は思う。


今回は土星のことが
少しわかって良かったな
と思います。

冥王星山羊座(土星)にいますが
そのことも
無関係ではないと思います。

最果てのどこかからの
メッセージというか。

土星のサトゥルヌスは
本当は
きっと、楽しいことが大好きで、
人の喜ぶ顔が大好きなんですよ。
大きくて懐の深い星なんだと思うんです。

だから、
土星
昔は豊かに実りのある星だったのだろうし
小惑星もあんなにたくさん集まっていて、
見た目も
なんかきれいじゃないですか。


でも、いろんな悲しいことがあって
今は閉ざされてしまっているけれども
それでも、その静かな沈黙の中で
少しずつわかるように
語りかけてくれているような
気がします。

わかってくれる相手には
わかってもらえるし
伝えられると理解できる。

だから、土星
そんなに怖い星ではない。

今年の冬、

時に
粛正とか
断罪のような
或いは
逆に免罪のような気配さえ
感じることも
あったのは

きっと、
そういうことだったのだなぁと思う。


神様は平等で
生と死を
同じように与える。


それと同時に
朝の冷たい透明な光を通して
響くアリアの
その背後にある
やわらかな光。


きっと、冬の枯れ草の下に
春には新しい芽を出そうとしている
その息吹。

今まで、土星
試練の星だとか
制限の星だとか
そういう側面ばかり
思っていたけれど、

その氷の世界に閉ざされた
その内側には
実は
あたたかなエネルギーや
たくさんの草や花や
笑いや喜びが眠っていて、
いつか、また目覚めるときが来ることを
望んでいる。

そんな風に
感じる。

そして、いつか

その時が来ることを
私は信じている。

太陽は
その光で
全てのものをあたためてくれる。

だから、
太陽の近くに土星があることは
いいことだと
私は思いました。

そんな感じで。

前回の記事で最後に貼った曲は、
ドラクエⅢのほこらの曲です。

(前回の動画は
サムネイルの写真が
雰囲気を出していたので
気に入って貼らせていただきました。)

ドラクエはやっぱり
Ⅲ、Ⅳの世代なので
曲もそのときの曲が好きです。

ドラクエの世界の
ほこらというのは

世界の至るところに
ぽつん、ぽつんとあって、

入ると
教会だったり
旅の扉があったりする。

旅の扉というのは、
入ると
別のところにある旅の扉
つながっていて

全く別の場所へ
行けたりする。

小学生の頃、
一人で山で遊んでるときに

ぽっかり空いた原っぱみたいなところに出ると

ほこらがあるような気がして
探したりしたことが
あります。(笑)

ドラクエの世界は
結構古代の神話をモチーフにしていて
実は地名とかも神話から
とっていたりするんですよね。

ほこらは西洋風なんだけど

でも、日本の祠の雰囲気にも近いものがある。

原っぱの枯れすすきの影の
他のものとは雰囲気の違う岩とか

ずっと昔に
神様が祀られていた石とか。

その下で
誰かが眠っているような

ふと見ると
気づかなかった石段が
あるような。

きっと
それは、
どこか別の場所に続いている
旅の扉

そういうのを
一人で探したりしてました(笑)

ドラクエのほこらの曲を聴くと
そのときのことを
思い出します。


指先に触れる
草枯れの
軽いススキの感触。

秋から冬にかけての
つめたい空気と
乾燥した風の匂い。

やわらかな日差し。


ほこらのメロディーって
簡単だから
リコーダーでも
吹けるんですよね。

だから
なんだか
そういう笛の音が
よく似合うと思います。

オカリナみたいな。

風と一緒に
その笛の音が

遠く
遠くまで

運ばれてゆく。

本日のタイトルは
森博嗣さんの
小説より。

もしかしたら
記事タイトルとして
既に何度か使わせていただいたことがあるかも。


There is not a franction of truth.



すべてがFになる



それでは、またねー☆彡



有限と微小のパン。(前編)

こんにちぬ(*´∇`*)

風も爽やかな初夏の心地よい季節となりました。

これを書いている本日は2022年5月2日、
たぶん数日後にupということになりますかね。
(up日は2022年5月8日となりました!)

月イチペースでのんびり更新をしております当ブログ。
前回は、福岡が「うんこ」になってしまっている状況をお届けしましたが、

あ、そうそう
寄生されて数年後には潰れそうな企業の特徴とかも
書いてみましたね(笑)

あとは嘘臭い表向きのきれいごとばっかりで
中身が全く違う
昨今のヒーロー様達のご様子との親和性とか。

まぁ、最近のヒーロー様達は
そういう企業や
その裏にいる人達にとっての広告塔か、お金儲けの手段でしかないみたいですねぇ。

前回、あのあとブログをupした帰り道に
何故か博多駅では飲料水の「MONSTER 」の試供品を配っているのに遭遇しましたが(笑)
(いや、要らないからw)

馬鹿でしょー?(笑)

馬鹿なんですよ、あの人達。

話とか全然通じないしね!

まぁ、そういう人達なんでね。

やつらのきれいごとが嘘臭いのも
もともとはガラが悪いからだし、
なので、結局「うんこ」が
落ちている状況にしかならないわけで。

そんな「うんこ」の街に成り下がってしまった福岡より
お届けしております(笑)

とりあえず
今年はやっと博多どんたくが
復活するらしいですね!

山笠とかも早く復活すると
いいですけど。
(既に寄生されてるかもしれんが(笑))

てなわけで
G.W.真っ只中でございます。

ワタクシ的には キチガイは華麗にスルーしながらの
日々の生活を続けておりますが、
相変わらず嫌がらせは
続いております。

前回の記事で、
部屋に置いていた過去の携帯端末類が
ごっそりなくなっていたことをお知らせしましたが、
これは氷山の一角で
他にもいろんなものが
ちょいちょいなくなってます。

わたくし、几帳面な性格の上

モノの収納場所はきちんと決めているので
整理整頓はもちろん
前回書いたように他の人達が
容易に触れないようなカタチで保管しているわけですが、

他に日常的に出し入れして頻繁に使うモノ
例えば、最近だと
靴下とか、インナー(服の下に着るあったか長袖シャツ)とかがなくなったりもしました。
(自分の分の洗濯は自分でやってるし、
干す手順とかも決めてやってるので、
洗濯の際になくなるということはあり得ない。)

しかも、新品のやつじゃなくて
いつも着ている使用中のやつで、

靴下とかは、
むしろ着古してる
家用のやつとかがなくなってたりするので
めちゃ怖いです。

盗んで一体何に使用するのかが謎((((;゜Д゜)))

最近一番腹が立ったのは、
まだ着たことがない緑のロングスカート
(まさに今の季節にぴったりのふんわり生地のやつ)
の裾が切られていたことですね。
→膝下ジャスト丈になってた(`Δ´)

しかも切った裾の後処理までされてて、
ご丁寧にタグまで中国製の別物に付け替えられていたという。

やったやつまじで死ねと
思いましたが。

私が衣替えのときにクローゼットから出してきて
「今度これ着よう♪」
とか言ってた矢先のことだったので、
余計怖い。

何故、私に
その服を着させたくなかったのか???

誰かが勝手に着たときに
丈が長すぎたのか???(笑)

(てめえらの足の短さとか知らんわ!)

勝手に人の服に触るな!!

裾上げは自分の服でしる!!

という話です。

当たり前ですが。

まぁ、普通に嫌がらせなんでしょうけどね。

ほら、頭の悪い中学生とかが
いじめてる子の制服とかを
破ったり切り裂いたりするとかいう
都市伝説みたいなのがあるじゃないですか(笑)

そういうことを
大人社会で生きるようになって体験するとはね、
という感じですが

まさに「うんこ」ですね。

そんなキチガイどもに囲まれて日々生活しているわけで
スルーできない場合もあるのが
困ったものです。

そんなわけで、お仕事探しの妨害とか
お仕事に就いたあとの嫌がらせは
今までにも少し書いた通りなんですけど、

今回のことで思い出したことがいくつかあって、

ストーカーの人達がトイレまでついてくるからキモい
みたいなことは
昔、ブログでも書いたことがありますが、
(最近は使用前か使用後に必ず清掃の人が入る形態に変わったっぽい(笑))

やつらはトイレの汚物入れも漁っているんですね。

で、そのことを私に気づかれたせいなのか
仕事先でトイレにゴミ箱がついてなかったことがあるんです。

女性の場合、生理用のナプキンを捨てたりするため
必ずトイレに小さなゴミ箱がついているのが普通なんですが、
それがない職場がありました。
怖いでしょ?(笑)

もちろん職場に妙齢の女性はいました。
(というか、社長も女性だったし、社員の半数は女性でした。)

まぁ、そこでの仕事は
簡単な電話受注(法人から契約をとる)だったんですけど
物置みたいなところで一人で仕事させられてた上に
その仕事をしている私一人の姿を監視カメラで撮影して

別の部屋
(これがいわゆる管制室のような管理する部屋ではなくて
私以外の他の人達が普通に仕事をしていて
尚且つ一般の人も出入りする部屋)に
常時大画面で映し出されていることに
誰一人何も言わないという
もともと頭のおかしい職場だったんですけど(笑)

トイレまでそんな感じでした。

なので、私は例の月のモノのとき
ナプキンを捨てるためのゴミ箱を必死に探したけど
なかったのでひそかに小さな自前のビニール袋に入れて
持ち帰って家で捨ててましたよ。
ほぼ毎月。
だってそれしかできないじゃん!
(トイレに流したら詰まるだろうし。)

何故トイレにゴミ箱がなかったのか
いまだに謎ですが
(まぁ、なんでかはだいたい想像がつくけど
そんなことをする頭のおかしい人達の考え方は
いまだに理解できないし、理解しなくていい笑)

まぁ、やつらはキチガイだから
仕方ないよね
としか。

で、
ふと思ったんですが

前にスピッツのストーカーとか言われてる人で
マサムネたんに使用済みの生理用品を送りつけたとかいうのが
ネットで拡散されてた人いたじゃん?

その人も、本人が送ったんじゃなくて
ストーカーの人達にゴミ箱漁られて
盗まれた上に勝手に送られたのではないかな
と。

だって、あのストーカー集団ならやりかねないと思う。

だって、あいつらキチガイだから。

まぁ、そもそもネット情報そのものが嘘っぽいけど、
実際にスピッツ掲示板で裸の写真含め
明らかにストーカーされて晒されてる人はいたし、
私が現在されてることを考えるとあながち嘘ではないと思うのよね。
(生理用品を送りつけるとか、妙に具体的でなまなましいですからね。)

しかも本人に直接確かめてないでしょ?
(ていうか、本人がいないところで情報だけ拡散させてるし、
本人かどうかもわからない人物の画像も出回ってるっぽいからね。)

何故、このことをわざわざ書いておくのかというと

前回の記事で
私の家族が濡れ衣を着せられて
警察に拉致されたタイミングとして
私が警察や郵便局に
郵送物の確認をしようとした直後だったと書いたのですが、
もうひとつの契機として
私がスピッツのライブ上映を映画館に見に行って
その数日後にup予定のブログ記事の下書きを書いた翌日
だったんですよね。
(ハッキングされてるので入力時点で筒抜けなので。)

そのときも次の仕事に就く前だったので
時間はあったから
ブログ記事を次の日にupされてもおかしくない状況だった。

でも、さすがにそれどころではなくなる出来事(拉致事件)が偶然起きて、
その記事は実際
その翌月もupされなかったわけです。

その記事の内容については
後日既にup済み(←年明けてから)ですが、

ひっかかるところとしては
実はそのライブ上映は
収録ではなくて
生配信だったというところかな
と思います。

私が指摘した生配信でしかあり得ないスイッチャーさん或いはカメラさんのミス
というのは、
「紫の夜を越えて」のところで起きました。

よく昔のMステとかの生放送の歌番組を見ていた人だと
わかると思いますが、
その手のミスって意外とあるんです。
まぁ、人間ですから間違うことはある。
なので、それとほぼ同じ感じの他愛のないアクシデントでした。
でも、収録だとしたら編集では見落とさないよね
くらいのレベル。
(若干、放送事故っぽい感じなので。)
実際見ればわかる。

実際見ればわかるからこそ、
その指摘を知った上で見られたら
ああ、この場所か
とわかることがまずいと考えたんでしょうね。

たぶん、他の上映では
「ベツモノ」(私が見たものとは別の収録或いは私が見たものの修正版)
を流す予定なので
その箇所が流れることはないし、
他の人には気づかれないが、
私との話のつじつまがあわなくなる。

それに、私が訝しく思って
別の映画館へ「劇場版」を見に行く可能性がある。
どこの映画館に行くのか予想できないし
映画館に修正版の差し替えを依頼するのに間に合わない可能性がある
ってことなんだと思うんですよね。

しかも場合によっては
私だけじゃなくて
たくさんの人に気づかれる可能性ももちろんあるしね。

あのあと、ネットでは
私が指摘したのは「照明の演出」ってことに
なってたみたいですけど(笑)

まぁ、あれを実際見たら
演出とは思わないでしょう。
カメラが完全に違うところを撮してて
しかもカメラの視点があわないまま移動中の映像でしたから
それが映ったのは完全なアクシデントだと思います。

まぁ、やつらは
いつものギリギリセーフで(その場しのぎともいう(笑))
切り抜けた(問題解決?(笑))
と思っているのかもしれませんが、
その一件で私は逆に確信を得ました。(笑)

もちろん、配送物の未着について
私は警察と郵便局の出方を見てましたが、
郵便局の方にもお伝えしましたけど
警察と郵便局が正しく対応していることがわかれば
三者による可能性も考慮できるし
むしろ、それを警察と郵便局が裏付けてくれることになるわけですから。

もちろんグルの可能性もありますし、
その場合、
誰が何を切り捨てるのか

今回の件で
やつらの仲間内でも
それが明白になったのでは
ないでしょうか(笑)

仲間仲間言っても
所詮その程度なんですよね。

ウワベだけだから。

うまくやってるつもりだろうが~
全部バレてるぜご同輩~♪

って感じですね。(笑)

まぁ、やつらとは
ご同輩でも何でもないですけど(笑)

一応、前回のおさらいプラス
補足でした。

そう言えば、
エレカシの会報が届いてましたね。

4月下旬くらいでしたか。

いつも通り内容がなさすぎて
たぶん次回のブログ書くときには忘れてるな
と思ってたのですが

奇跡的に覚えていたので
少し書いてみます(笑)

内容がなさすぎて
5秒くらいしか見てないので
特に書くこともないのですが、

1月の新春公演
(会報での情報だけだと、開催情報が届いたのが既に開演一週間くらい前で
チケットの優先エントリどころか一般販売さえ終了してたっていう
例のヤツですね(笑))
についてのセトリと写真が載ってました。

相変わらず変わりばえのしないセトリで
エレカシのライブは野音(去年は開催されなかったらしいが)と新春のみという
最早年中行事みたいになってますが
何のための年中行事なのかも
わからない感じですよね。

今回は
「奴隷天国」が演奏されてたみたいだけど
今の状況で歌われてもねぇ。。。

似つかわしいようで
似つかわしくない
というか。

宮本さんが「奴隷天国」を歌っているとき

あの人達
手を叩いて笑いながら聞いてた?

何笑ってんだよ?

何うなずいてんだよ?

そこのおめえだよ!

そこの!

そこの!

そこの!

おめえだよ!!

って
宮本さんが言っても

手を叩いて笑いながら聞いてた?

まぁ
話が通じないんだよ。

キチガイだから
仕方ない。

よね?(笑)

昔の宮本さんは
''箱庭の愚かさ''って

わかって歌ってたんだろうね。

今はどうだか
わからないけど(笑)

きっと昔の宮本さんは
本気で思ってたんだと思うわ。

お客さんが拍手したら
怒ってたのはそういうことだと思うのよね。

今は
ぱふぉーまんす?

ぱお~ん。

そんなわけで、
あとは
グッズのマフラーが
もの悲しく季節はずれ感を
漂わせていたのが
目についたくらいですかね。

グッズのマフラーにHMっていう
宮本さんのイニシャルを入れるというのも
いまだに腑に落ちないけど
(しかも購入した人達が普通に使ってたら
一般人から見ると「H&Mのマフラー?」と思われかねない(笑))

そう言えば昔宮本さんに
手編みのマフラーを
プレゼントしたことがあったなぁ
とか思い出しました。

前にも書きましたが、
私は自分が作ったものは
結構いろんな人にプレゼントする人なので、
まさかそれだけでストーカー呼ばわりされるとは
思いませんでしたが、

実際のところは

私が宮本さんへ
「マフラー送りましたよー はあと」
とブログに書いたあと、

偶然にも(?)その数日後に
私が送ったのと同じようなマフラーをした宮本さんが載せられた写真が
雑誌に出てたので

私がさらに
「もしかして!? はあと」
って
ブログに書いたら、

2ちゃんねるのヲチスレで

お前の送ったマフラーじゃねえよ!!

的なことを

キチガイBBAどもが
それこそ気が狂ったように
必死に連投していたのを

昨日のことのように
思い出しますwww

まぁ、ストーカー嫌疑というよりも
ヤキモチですよね(笑)

それがキチガイじみているところが
恐ろしいわけですが(笑)

ていうか、
正直なところ
「北の宿から」は
私が小学生の時流行った曲ですし、

神田川」もたぶん
世界観はわかりますが
どちらも世代が違うので

たぶんBBA どもの考えている
'手編みのマフラー'に対する意識と違うんですよね。

そのあとの世代の
'手編みのマフラーとか気持ち悪い'
っていうのとも
違うし。

まぁ、やつらには
わからないだろうけど(笑)

うーん
まぁ、手作り小物を家族や、友人、知人、もちろん
好きな人にもプレゼントする気持ち
っていうんですかね。

そういうのがあるんですよ。

重くない感じで(笑)

まぁ、まともな人には
理解してもらえると思うので
外野があれこれ言っても
問題ないんです。

別に。

少なくとも
人をつけ回して
トイレの汚物入れを漁ってる人達の気持ちよりは
理解してもらえるでしょうね(笑)

ちなみに去年の冬は
ワタクシまた編み物に凝ってたので、

父や母に手編みの手袋や帽子をプレゼントしたら
とても喜んでもらえましたし、

他に手作りと言えば、
コロナが始まった頃に
仕事先の人にマスクを作ってプレゼントして

お礼に手作り柚子ジャムを
いただいたりもしましたね。
(もちろんマスクは自分のと家族全員分作った。
実はマサムネたんや宮本さんにも作ろうかと思ったけど
(↑そのときは)
また、ストーカー呼ばわりされたらめんどくさいからやめた。
そもそもコロナで送付物受付禁止になってたでしょ?
)

そういうことを
もう、いちいちブログでは書いたりしてないですけど、
(最近はブログ自体をあまり書かないので)

まぁ、機会があったら
書きますね(笑)

そう言えば
職場でも話が合う人達とかも
すぐいなくなっちゃうんですよねー。

手作り品交換とかしてたときの職場は
コールセンターで、

同時募集で入社した同期は17人いましたが、
1年経って残ってたのは
私ともう1人くらいだったかな?
と思います(笑)

まぁ、そういう職場だったので
私も1年経ったあと辞めましたけどw
(嫌がらせ且ついじめで(笑))

そんな感じで
やや懐かしいお話でした。
(遠い目。←(笑))

さてさて、私の近況としては
次のお仕事はまだ始めていないので
キチガイに触れることもあまりなく
精神的にはよい感じ(笑)

最近はと言えば
夜は昔の漫画を引っ張りだしてきて、
繰り返し読んだりしてますね。

一時期(一昨年の冬くらいかな?)、
古本屋さんで
漫画をいくつか購入して
読んだりして
ブログでも少し書いたけど、

なんか古本屋さんに置いてる本に
偏りがあるんですよねー。

誰かに都合がいいようなやつが多いというか(笑)

普通に読んでも
ナニコレ感が強いというか
あまりおもしろくない。

話的には似たり寄ったりのが多いですよね。
オリジナル感がないというか。

前回のブログの
集団イデオロギーの特徴として
「仲間仲間言いたがる」というのがありましたが、

これは漫画でもそう(笑)

キャラクター達が何かをするのは
仲間のためというのは
まぁ、普通ですけど
そんな普通のことを
わざわざ漫画で繰り返し言われても
特におもしろくないのは当然で(笑)

しかもさー
何人も何人もキャラクターが登場して
そいつらの生い立ちとか苦労話をつらつらと述べたあとに
最終的に仲間のためとか
典型的なお涙頂戴ストーリーに持っていく
(そのときの涙はもはや
おしっこと同じの生理現象でしかない)というのが
延々と
延々と
延々と続くんですよね。

鬼滅のとき
台詞がやたら多い、
こんなのアニメじゃない
とか言われてたのも
そのせいで、

漫画ならともかく(←コマの許容範囲の問題で)
アニメで台詞が多いって
言われるとか
よっぽどですよ?(笑)

やつらは
アニメを作りたいわけではなく
(アニメ制作は外注だから
アニメ制作者にもちろん丸投げ)
アニメという手法で
自分達がやりたい何か
(お金儲け、情報操作その他諸々)
をやってるだけで、

ストーリーとか
二の次なんですよぬ。

だから最近の漫画って
やたら巻数が多いでしょ。

キャラクター増やせば
それだけ話が膨らんで
(キャラクター版権商売も儲かるしな)
長くなるのは
当然です。

アニメのドラえもんとか
サザエさんとか
作者が死んでも続いてるじゃないですか(笑)

もう、誰がやっても
同じ
みたいな。

ほんとは異常なんですよね
そういうの。

だから、つまらないのは
当たり前というか。

今さら初めてアニメを見たとか、
他のアニメを見たことがない
とかいう奇特な人達でない限り
おもしろいとか言わないはずだと
思うんだけど(笑)

なので、古本屋に行くときも
ネットで古本買うときも
私の場合、昔読んで面白かったのを
もう一度読みたいな
という気持ちなんですよね。

新規開拓とか
もはや全然期待してない(笑)

でも、上述の通り
古本屋さんも
置いている本は結構偏ってて
あまり欲しい本は置いてないし、
昔読んで面白かった本も
途中から
ほんとに同一人物が描いてます?(´・ω・`)ハテ?
みたいなのも
あったりする。
(これは少しブログでも書きましたが。)

古本屋さんが
そんな感じなので
普通の本屋さんとか
既に終わってて
テレビとかネットとかで
現在進行形でやってる
嘘くさい拡散希望情報を
まんま本にしたようなもの「しか」
置いていないし、

昔の本でも内容が変わってたりするので
読みたい本がないどころか
憤りすら感じて
その日一日不愉快な気持ちになるので
最近は本屋さん自体に行かないようにしてる。(笑)

(以前、島田荘司さんの本を買おうと思ったら
昔の本が今さらいくつも''改訂版''が出ててビビった記憶がある。
びびび。
本人知らないんじゃないか?くらいのレベル。)

この間、本屋さんの付近を通りかかったら
新庄のポップとかあってさー(笑)

新庄が本を書いてるとか
世も末だな
と。

ポップに

「天才でもない!
 天然でもない!」

って
書かれてありましたけど。

真正のアホなんですよね。
わかります。

まぁ、そんな感じなんですけど(笑)

あと、漫画だと
もう同人本と区別なく
ごちゃごちゃに置いてあるから、
買ってみてあれ?みたいなこともあるんです。

一昨年、古本屋で買った漫画の中に
サイコメトラーエイジ」があって。

昔、1990年代末か
2000年に入ってからだったと思うのですが、

サイコメトラーエイジ」というドラマが放送されていたのです。

土曜日の夜の日テレの21時台の枠で、
ドラマブームの最中、
他局に対抗してか
当時の日テレにしてはめずらしく
ドラマをやり始めた時期がありました。

最初は、安達祐実主演の「青龍伝説」とか(笑)

今更ながら昔の実写ヒーロー(ヒロイン)モノみたいなドラマをやってて
かなり試行錯誤感が感じられるキワモノ系のドラマ枠だったのですが
(↑あくまでも個人的な感想です(笑))
そのあと、ジャニ系タレントが主役を勤める作品が続いて、
でも独自色の強いドラマを作ってたので、
私は結構おもしろく見てたんです。
(既に終わりかけてた月9に比べれば
全然おもしろかったですね。)

金狼とか銀狼とかも
この枠だったよな。

で、
サイコメトラーエイジ」も
この枠で放送されてたやつだと思うんですけど、

古本屋さんで
その原作漫画を見かけて
懐かしいなと思って
手にとったんです。
(ドラマでは松本恵ちゃんが妹役でかわいかったよねー(*´∇`*))

内容的には
若干刑事モノだけど
昔のやつだし
基本的には超能力モノのはずだから
まぁいいかな
とか思って買ったんですが、

帰って読んでみて
。。。あれ?(。-∀-)
みたいな(笑)

こんな話だったっけ?
と思ったら
サイコメトラーエイジ」の「続編」みたいなやつだったらしく、

まぁ、原作は読んだことなかったので、
もともと原作はこんな感じなんですよ
とか言われても
わからないじゃないんですけど。

にしても、内容が違いすぎるというか
やたら警察メインで
女性捜査官がプロファイリングとかやってて
(確かに1990年代くらいから
日本でもアメリカ仕込みのプロファイリングとかがやたら流行ってたけど)
サイコメトリングよりも
プロファイリングがメインなんすよね。

事件を解決に導くのもプロファイリングだし、
また、このプロファイリングが嘘くさいというか(笑)
すごく偏った分析なんですよ。


警察と組んでるのはもちろんだけど、
なんか探偵を馬鹿にしているという箇所も見られ、
(そういうのは前述のエレカシBBAと同じように
すごく気にしているということからくる敵意の現れなんでしょうけど(笑))
これがまた
低レベルな感じなんです(笑)

例のホームズ帽子をかぶった探偵気取りの犯人
(イギリス人に怒られるで)が
世間知らずで間違ってばかりみたいな人物にされてて、
他人の失敗を願ってやまない誰かさんたちを
そこはかとなく感じさせる仕上がりになっていましたが(笑)

この話の結論って何だったか忘れたけど、
あ、思い出した!
犯人は小さい頃に給食費ドロボーの罪(冤罪)を着せられて
いじめられたあと
引きこもりになり、
冤罪のトラウマから探偵小説ばっかり読んでたという
過去があった云々
とかいうのを

なんか、最終的に例の心温まるというか生温かいストーリーにしてる(←本人達はそのつもり)
だったような。。。
(実際そんな話あったら単に気持ち悪いだけなのにな、
という感じ。)

他の話も含め
結局、社会的に弱者の立場に追いやられている人達
(過去にいじめを受けていた人とか、
会社で過酷な労働を強いられて家族を犠牲にした人とか、
決して私利私欲で犯罪を犯すタイプではない人達)

その「恨み」を社会に復讐する犯人に仕立てあげられて、

それを女性キャリア捜査官(たまにお色気要素もアリ)が
上から目線でプロファイリングして事件解決するとか
全然心温まる展開ではないことに
何故だか気づかない鈍感な人達だなぁ
とか思いながら読んでましたけど(笑)

そして、何故か
警察(警視庁)と東京の半グレグループが仲良く協力して
捜査を行っているという謎の設定。
(まぁ、警察が情報屋とか雇ったり、ヤクザに知り合いがいたりして(←笑)
捜査してるのの延長みたいな感じ?)

東京の半グレグループというのは
「ROOKIES」とか
「東京リベンジャーズ」とか
の系列の
半グレ世界での正義を掲げた漫画界の渋谷系みたいなやつ。
↑一応1990年代から始まっているみたいなので(笑)

簡単に言うとヤンキー系(笑)

急にバトルモノっぽい
半グレ同士のグループ間の抗争みたいなのも挿入されてたりして
「あれ?これなんの漫画だったっけ( -_・)?」
みたいに
途中で気づく感じ。(笑)

流れとしては良い半グレグループ(もちろん主人公側)は警察にも協力的で、
庶民に受け入れられているが、
悪い半グレグループ(サイコメトリングすると紫のモヤを感じるらしい(笑))は
反社会的、みたいな
古典的な二元論なんですが。


警察と良い半グレグループ(言葉的になんか矛盾してる?笑)が協力して捜査とか、
現実的に考えるとあり得ない設定にも関わらず
この「サイコメトラーエイジ」の設定が
妙にリアルに感じるのは何故(笑)

ていうか、この漫画の作者は
クニミツの政」の作者でもあるらしく。
(作品中に「クニミツの政」の主人公が出てくる。)

クニミツの政」も
ドラマ化されてて、
私は見てないので放送してたのどこの局だか忘れたけど、
多分深夜23時~台の枠だったような気がしますよ。

内容的には暴走族のアタマ的な存在の主人公が
政界でひと暴れ的な、
こちらは政治家&暴走族の組み合わせ。

ストーリー的には
たぶん、良い暴走族グループ(もちろん主人公側)は良い政治家と協力して、
庶民に受け入れられ
悪い暴走族グループはry

…まぁ、いいんじゃないですかね。

水戸黄門みたいで。(笑)


「この御方をどなたと心得る!
畏れ多くも先の副将軍、
水戸光國公にあらせられるぞ!!

この紋所を見よ!」

ばばーん!!

「さ、サクラの代紋!!!」

wwww


あれですね。

スケバンまで張った
この麻宮サキ
何の因果か落ちぶれて
今じゃマッポの手先

ってゆーやつですわね。

好きですよスケバン刑事
↑ナンノが。

そして
蟹江敬三も渋い。

斎藤ゆきも結構好きでしたけどね。

ああ
そつぎょうしきで
なかないーとー

つめたいひとーと
いわれーそおー♪
(無表情。)

というわけで
絶賛40代以降向けで
お送りしておりますが、

まぁ、古典的ですわよね。

日本は
警察=正義の味方っていう
設定のドラマが
昔から多いよな
と改めて思うけど、

最近とか特に
警察のイメージあっぷ作戦で
警察モノばっかりみたいですよね。

うちの親とか
地デジとか
ほとんど見る番組ないから
BS見てるらしいんだけど、

BSが昔の再放送のドラマとかばっかりで
しかも、ほとんど警察モノで(笑)

警察に拉致されて
警察とか嫌気がさしてるのに
他に見る番組ないから
仕方なく見てるみたいで
かわいそすぐる。
(あとは
昔の歌とかの歌番組とか?)

話はそれましたが(笑)

あと、かなりうろ覚えで
違ってるかもしれないけど、

クニミツの政」って
「お塩」出てなかったっけ?(笑)

ま、いいや。

その当時、深夜23時~台のドラマって
嬢王」とか「夜王」とかもドラマ化されてた気がしますね。
(どちらも夜のお仕事の人達を描いた漫画です。←ホステスさんの巨乳ぶりがすごい。)

その後、時代を経て
同じようなホステス系ドラマで、
いつの間にか巨乳になってたAKBの柏木由紀とか
佐々木希(佐々木希は巨乳にはなっていなかったが)とか出てたのを
ちらっと見かけましたが、

ゆきりんといえば
→手越→闇つながり(ネット界では有名笑)っていう、

今も昔も
ドラマに携わってる人達の雰囲気が
何故かしら共通して闇に通じている感じ。(笑)

AKB自体AV女優に転向した人達が何人もいるらしいので、
「そちら側」との親和性も高い気がしますし。

手越くんとか
ハメられやすいというか
利用されやすいタイプなんだろうなぁ。

人間的には
見ている分には
おもしろい子で
結構好きでしたけどね。

最近見かける
ネット上の情報って
ヤツラがほんとに隠したい情報は
ほとんど表に出てこないから
(探せばあるけど)
あっさりひっかかる
手越くん系の情報は
むしろ矢面に利用して
うやむやにしたい感じの場合だから
それを再利用して、
ジャ○ーズが厄介者払いしたかっただけなのではないかと
個人的には思いますが。

まぁ、本人
いろいろやってそうだから
仕方ないのかも(笑)

最近の次々にわいて出てくる
ジャ○ーズの集団を見かけると
やっぱりジャニーさんのほうが
男の子アイドルを育てるのが
上手だったよね
とは思います。

またまた話はそれましたが、
そういう背景を思い出しつつこの漫画を読んだせいか

半グレ要素がなんかやけにリアルなんだな
これが(笑)

で、探偵・推理モノに関しては
マニア度はかなり低めなんだけど
(何せホームズ帽レベルだし(笑))
でも、警察描写というか警察が関わってそうな事件そのものについては
妙に具体的なんですよね。
(あくまでもマスコミが流してそうな事件のレベルですが。)

漫画の中で
実際の事件を参考にしてる箇所もあるので
さらにリアル感はあるんだけど、
なーんか見方が偏ってるんですよねぇ。

ミカジュン(登場人物の一人)が出てくる冒頭の話で挿入されてる
実際に起きた殺人事件
(団地で主婦(妊婦)が立て籠った男(ヤク中)に
腹を切り裂かれて惨殺された事件)
は、
私が今回読んだ
サイコメトラーエイジ」の中の
いろんな話にちょこちょこ出てくるんですけど、

この作者、
この事件に何か思い入れが
あるのかしら?
と思わざるを得ないレベルで頻出。

心臓コレクターの話の中で
犯人が殺害者の抜き取った心臓の代わりに
カップラーメンの麺を押し込んだ理由を
犯人のトラウマとしてプロファイリングして説明するときにも利用されてるし

(前述の主婦(妊婦)が殺された実際の事件では
切り裂かれた腹から胎児が取り出され
代わりに電話と車のキーが入れられていたらしい。)

9J(これも登場人物の一人)の生い立ちとか、
まんま
9J=前述の事件の取り出された胎児ですよね?

何故こんなにあからさまに
同じ事件を入れてくるのか。

単なる使い回しじゃなかったら、
作者自身がすごく気になっていて
無意識に使ってしまっているのか、
じゃなかったら、
なんだか
何度も繰り返し「これはこうなんだよ」と
暗示をかけているように思えるんですね。

ははっ。
自分で書いていて
ちょっとプロファイリングっぽいな
と思ってしまいましたが(笑)

まぁ、でも
私は
いわゆるプロファイリングとかは
嘘っぽいな
と思っているタイプなんで(笑)

何なら、その事件を
私なりに推理してみてあげようか?

サイコメトラーエイジ」を読む前から

警察の未解決事件の
懸賞金の貼り紙を
やたらよく見かけたりとかしてて

だからむしろ、未解決事件に対する持論とかは
逆に言ったり書いたりしないようにしてますが
(今も変わらずそうですが)

まぁ、そのときと今では
状況もだいぶ変わったし、
気分的にも今日は書いてみてもいいかな
と思ったので
書いてみますね。

まず、「サイコメトラーエイジ」のプロファイリングでは、
犯人はヤク中で頭がおかしい、
という大前提に立って
論じてますね。

犯人がヤク中となると
よくあるのが

キチガイだから
頭がおかしいから
普通の人が考えないことをやらかすのだ

という理屈ですが、

これだと論理もへったくれもないから
説明にはならないんです。

サイコメトラーエイジ」でのプロファイリングでは、
さすがにそういうことは言ってないんですけど、

結局同じなんです。

犯人が胎児に戻りたいという願望を持っていて
何かを妊婦の腹に詰めるという行為は
その現れである、

さらに
人は誰でも実はそういう願望を持っている
とか言って

それが全人類共通の永久普遍の真理であるかのように
言ってますけど、

そんなこと誰がどこで証明したんですかね?(笑)

まぁ、心理学で
ユングとかだと
黒光りするものとか
全て男性のアレと解釈してますけど

そういうのも
どうかと思うんですよね。

たしかに
ひとつの解釈ではありますが、
絶対的な事実ではないわけで。

何かの説の補強には
なるかもしれませんけど
それだけで全てを説明できるわけではない

なので、
そんなんで納得できるわけないですよね。

人は前後不覚で意識がなくなると
自分の一番の欲求
それが、この世にごまんとあるさまざまな願望を全て押し退けてですよ?

覚えているとか一度も感じたことがない胎児帰還願望が
いの一番に出てきて
自分が帝王切開で生まれたかどうかもわからないのに
目の前にいる女の人をお母さんと見立てて
その腹を切り裂きますかね?

それで電話機と車のキーを代わりに押し込みますかね?

この犯人
その妊婦を殺すまで
レイプし続けて
おまけにその間
妊婦にも薬物を投与し続けていたわけですよね。

それは
自分がそうやりたいから
そうしていたのでは
ないのですか?

それが急に
最終的には胎児帰還願望が甦ったから
腹を切り裂いたとか
全然脈絡もないじゃないですか。

全然納得いきませんね(笑)

笑い事じゃないけど
笑えますね。

そういうことじゃないと思います。

前述の通り、
この犯人
その妊婦を殺すまで
レイプし続けて
おまけにその間
妊婦にも薬物を投与し続けていたわけです。

薬物を投与し続けて
それが切れそうになったら
また新たに投与しているんですよね。
当直の看護士のように。

かなり冷静じゃありませんか。

あなたが
もし誰かから拘束されたらどうしますか?

相手は自分に危害を加えようとするキチガイです。

まず隙を見計らって
逃げようとすると思いませんか?
ヤク中の人も
薬が効いている時間とそうでない時間があります。
前述の事件でも、かなりの長時間拘束されていたとのことです。
(団地なのに周辺住民が
まったく異変に気付かなかったようなのは、
ちょっと杉並区の殺人事件を彷彿とさせます。)

もしかしたらチャンスがあったのかもしれません。

被害者は逃げようとした、
と私は思います。

それが電話機と車のキーに関わる行動だったと
私は思うんです。

しかもそのとき既に
被害者はどこか負傷していて
電話機あるいは車のキーに
被害者の血が付着してしまった。

私はそれは電話機だと思うんです。

まず電話で警察に知らせようと思ったと思います。
何故なら電話機のボタンを
110と押すだけで
普通は警察につながるからです。

つながれば、何もしゃべらなくても
いや、何もしゃべらない方が
警察が不審に思って来てくれるはずだからです。

ただボタンを押しさえすれば、
それだけでいいんです。

隙を見計らって
それくらい可能に思えませんか?

でも、結果的に
失敗に終わったんです。

何故なら
被害者が望むように
警察は来なかったから。

さて、
被害者がそういう行動をとったかどうか
残された人達はどうやって判断するか。

電話機の通話記録を普通は見ますね。
ですが通話記録がどうだったか、
ここではその情報がないためわかりません。

しかし、現場に残された電話機の状況がどのようであったか
というのも
手がかりになります。

で、電話機はどういう状況だったかと言うと

よくある電話台に争った形跡もなく
静かに載せられていたわけではありませんでした。

もしも、電話機が台の上に静かに載せられていれば

きっと
被害者は電話する隙さえ与えられないような
拘束された状況にあったのかもしれない
と考えますが、
そうではなかった。

被害者の腹の中に入れられていた。

これは、どういうことなのか。
お分かりになりますか?

被害者は電話をしたんです。
誰かに。

本当は
電話機は電話したことが明白にわかる状態で
現場に残されるはずだった。

何故なら電話機は被害者の負傷した血がついた状態で
残されるはずだったからです。

しかし、そのことを隠したい誰かがいた。

だから、電話機自体を
被害者の腹の中に隠したんですよ。

何故って?
電話機についた血は、
拭き取られても
ルミノール反応で血がついていたことがわかります。

現場検証では
普通の殺害現場であれば
その部屋の全ての指紋と
念のためにルミノール反応の検査を行う可能性があります。

それで、電話機に血液反応が出た場合
被害者が電話機を使用しようとした或いは使用したことが明るみになるでしょう。

被害者が電話した相手は
おそらく関係者
もしくは警察や
助けをもとめる相手だった可能性があります。
電話機のボタンを押すだけでつながるんです
つながった可能性もあります。
通話記録も調べられることになります。
だから、そのことを
隠したい人(或いは人達)がいたんだと思います。

だから被害者の腹の中に隠したんです。

木を見て森を見ず、
という言葉がありますが、

こういう言葉もあります。

木は森の中に隠せ。

ミステリでは
結構使われる言葉です。

私じゃなくても
これくらいのトリックを解ける人間はいるはず。

たぶん(笑)

つまり、
被害者の血のついた電話機を
被害者の血まみれのお腹の中に隠したんですよ。

そうすれば、
電話機を使おうとして付着した血を
被害者の血まみれのお腹の血のついた電話機から判別するのは
困難です。

ルミノール反応のことを知っている人間ならば
先に電話機に付着した血液を
きれいに拭き取ってから
お腹の中に入れたでしょうね。

たぶん、通話記録は調べられなかった。

そんなことまで、
考えようとしなかったんじゃないかな。

立て籠り犯という設定は、
目の前にキチガイがいて、
殺されている被害者が傍らに転がっていれば、
多くの人達が
目の前のキチガイ
犯人だと思うでしょう。

だから
通話記録を調べるほどには
詳しく調査することまでしなかったんじゃないかな
と。

立て籠り現場で、
目の前の人間を犯人ではないと疑う人は少ないはずです。

でも、もし
意図的に
ある明確な意思を持って
お腹の中に電話機を入れた人間がいたとして、
全ての処理を終えた後で
その人達が立ち去ったあとに
キチガイのヤク中をその部屋に放り込んで通報したら

見かけ上は
キチガイの立て籠り犯人が
妊婦を殺した直後のような現場のできあがりです。

上記の理由で電話機使用の痕跡を隠したとすれば、

被害者が警察に通報していた場合の通報時間と
三者により通報された時間のタイムラグが存在する可能性があります。

まぁ、よく考えたら
わかるんですけどね。

普通の人達は
あんまり考えないから(笑)

なので、
つじつまが合わなくなって
プロファイリングとか
持ち出すんだと思います。

どうでしょう?

胎児帰還願望のプロファイリングより
説得力があり
なおかつスムーズに納得のいく仮説ではありませんか?

だから
過去の一事件に固執して、
何度も繰り返し
暗示するように
滑稽なプロファイリングを繰り返す
作者の真意は
一体何なんだろう?
と思ったわけです(笑)

ちなみに、
私の仮説の場合、

車のキーは
カモフラージュかもしれませんし、

車のキーもまた
被害者が何か関係したことで

殺害者が
電話機と同じように
被害者の腹の中に
隠す必要があったものかもしれません。

後者の場合、
犯人の範囲がぐっと狭まります。

例えば、こういうのはどうでしょう。

車のキーは
被害者を殺害しようとしている人間の所有する或いは使用している車であり、

被害者はそのことを
知っていた。

被害者は長い間拘束されていて
自分が殺される可能性が高いことを知っていた。

そして殺されたあと
車で遺体を処分するために
他の場所へ移される(遺棄される)可能性も知っていた。

被害者が電話機で既に通報した場合、
しなかった場合含めて
被害者は殺害者に車を利用させないように
キーを飲み込んだ。

これは自分が殺害されないための
予防でもあったかもしれません。

とにかく、もし
被害者が殺害された場合
お腹の中から
車のキーが発見されれば、

被害者がどのような場所で
死んだとしても
車のキーと関係の深い人物が
死の直前まで被害者の近くにいたこと、

被害者がキーを意図的に飲み込んだ意志が
発見者に伝われば、
被害者による暗黙のメッセージになる可能性もあるわけです。

被害者としては
少なくとも
車のキーが便として出るまで
殺害されないための時間稼ぎの目的もあったかもしれません。

ちなみに
この'キーの飲み込み'は
推理小説だけではなくて
よく取り入れられる手法です。

例えば、
宝箱の鍵を他の人に取られないように飲み込む
とか
手錠の鍵を外されないように飲み込む
とか。
(プリズンブレイクでも
ありましたね(笑))

それはともかくとして

命がかかった土壇場になると
主婦でもそういう思いつきを
しないともかぎりません。

しかしながら、
残念なことに
被害者は殺害された。

警察は
被害者が望んだように
現れて助けてはくれなかった、

周辺住人は
被害者の悲鳴、
争う物音一つ聞かなかった
と言って通報しなかったし、

立て籠りのキチガイ
射殺され
死人に口なし。

事件の真相は闇となり、

世にも奇妙なプロファイリングが
漫画にまで
繰り返し繰り返し
載せられているという

不思議な現象が
起きることになるわけですね。

わかります。

さて、

私が提示した仮説の場合、

殺害者が切断した被害者の腹部は
主に胃、小腸を含めた
消化器系の臓器周辺だったと
思います。

飲み込んだキーを取り出すわけですから。

そして、キーは電話機とともに
再度被害者の腹部に
押し込まれたわけです。

キチガイが「外側から」押し込んだものとして。

こうなると
腹部を切り裂いた意味も
現実的ですし、

恐らく被害者を殺害した犯人は
被害者の顔見知り、
それも
車の所有・利用状況まで知っているごく近親者
ということになります。

単刀直入に言って
車のキーの持ち主である可能性が高いですね。

もし
被害者が本当は警察に通報したのに
警察が来なかった
或いは来ても助けてもらえなかった
という理由については
お察しください。

まぁ、補足して言うと
この被害者を殺害した人、
若しくは協力者が
私の仮説の通りの意図をもって
全ての処理を行えたとすれば、

警察の現場検証・捜査方法を熟知していた、

また

薬物を容易に手に入れられた
殺害・遺体遺棄の方法を知っていた
(被害者もそのことを知っていた)、

という特徴があることを
付け加えておきましょう。



ちなみに
先に述べたように
車のキーが単なるカモフラージュの場合もあります。

車のキーはいささか
飲み込むには大きい可能性もありますので。

(昔のキーならば
小さめのものも
あったかもしれませんが。)

これは司法解剖にて
喉咽から食道にかけて
何かを飲み込んだ際にできる
傷などが
あったかどうかで
確認することができます。
(確認とかしてないかもしれませんが(笑))

なので、
もしかしたら
車のキーではなくて
別の何かを飲み込み、

それをどうしても取り出す必要があったのかもしれません。

これは、
先程の'キーの飲み込み'について、
考えると
よくわかります。

宝箱の鍵、
手錠の鍵、

普通に考えると
ロッカーの鍵、
金庫の鍵、
とかね。

(そう言えば、
サイコメトラーエイジ」の中のみっちゃんの話で

大量のヤクの保管された
金庫の鍵を飲み込んだまま
死んじゃった893さんが
出てきましたね?(笑))

まぁ、
鍵じゃなくても
飲み込める大きさなら
なんでもいいかと思いますが、

カモフラージュとして
車のキーを入れてるので
'キー'の可能性は高いと思います。

意外と、
このカモフラージュ説のほうが、
可能性は高いかも。

というのは
被害者の拘束時間が長いからです。

まぁ、ヤク中が
通報されるまで
被害者をレイプし続けていたから
という理由づけなんでしょうけど、

そもそも、これが不自然ですよね。(笑)

ヤク中の犯人は
ラリった状態で
いきなり入ってきたわけでしょう?
(ラリってない状態でも
顔見知りじゃない限り
中には入れませんけど、
たまたまドアが
鍵もかかってなくて
中に入れたんでしょう。
きっと(笑))

かなり突発性な犯行です。
にしては、
主婦の分までヤクも
準備してきて
それをヤクがきれない程度に
何度も打ち続けてまで
かなりの長時間居座っていたようですね。

にしては、
通報でかけつけた警官が来るまでに
被害者をあっさり殺してしまってます。

この長時間の拘束というのは、
杉並区の殺人事件にも
共通しています。

普通の強盗殺人であれば、
殺人にしろ
強盗にしろ
なるべく短時間ですませたいはずです。

預金通帳はどこだ
等と脅して
場所を吐かせるにしては、
時間が長すぎます。

子供を人質にとって脅されれば、
預金通帳の場所くらいは
普通はしゃべるかもしれませんし
そんなに長くはかからないはずです。

しかも、このときの犯人は
おそらく
被害者家族が殺されたあとも
結構長居しています。

そして、執拗に
あちこちを探しています。

脅される側が
しゃべったあと必ず殺されることを確信させる
何かがあった場合、
なかなかしゃべらないかもしれませんし、
逆にそれが見つからない場合、
殺されない可能性もあるわけで、
時間がかかったのは、そのせいではないかと考えられます。

なので、単なる強盗殺人ではない可能性が考えられます。

今回の事件の場合も、

犯人は
被害者を長時間拘束し、
ヤクを投与しつつ
拷問(凌辱、レイプ等)、脅迫を行いながら、
何かを手に入れるために
尋問のようなことを
していたのではないかと
思います。

で、
腹の中に飲み込んでいるとわかった場合も
そうでない場合も
どちらにしろ
腹を裂いて確かめたのではないかと思います。

たぶん、'キーの飲み込み'
同様
お腹の中に隠すというのは
「その道の人達」にとっては
日常のことなのではないかと。

プリズンブレイクでも
拷問道具と下剤はセットで
出てきましたが、

外国で
赤ちゃんのお腹をくりぬいて、
そこに麻薬を詰め込んで
空港のゲートをくぐろうとする人もいると聞いたことがあります。

そう言えば、小学生の頃
病院で読んだ女性雑誌に
「女囚の手記」というのが載っていて
警察に捕まった女性は
身に付けてきた下着類を
全て外した上、

何か隠していないか
女性の陰部の中まで
調べられるそうです。

最悪ですね。

ほんと、警察って
怖いところです。

人権も何もあったもんじゃないわ。

そういうわけで、
意外と、
というか
かなり筋道の通った
推理はできたのではないかと
思いますけど。

まぁ
あくまでも
ひとつの可能性としての推測です。

いかがでしたか?

ご満足いただけたでしょうか?

そんな感じで
書いていることの背景を
考慮して
全く別のことをいろいろ考えながら読むと
意外と面白かったりしました(笑)

私が読んだ「サイコメトラーエイジ」の中の話では
鳶職の親方の話と「頭脳警察」の話が面白かったです。

恐らく作者は
世代的には浅間山荘事件をリアルタイムで見た世代ではないけど
妙に詳しい世代といいますか(笑)
意外と古典的な感じはしました。

むしろプロファイリングとかしない世代というか。

なので、そのあたりが私的には共感できたかな
と。

もしかしたら
各話違う人が書いてるとか
違う元ネタからひっぱって来ているとか
かもしれないですけど(笑)

鳶職の親方の話が結構好きなのは
鳶職の親方さんのところにいる人で(名前忘れた(笑))
数学の天才みたいな人が出てくるんですけど
数学で未来は予測できるか、
という話とか
あと記憶は脳の記憶域で行われているものではなくて
脳は受信機のような役割を果たしている説がある(水頭症の患者のIQの高さの話とかもあわせて)とかが出てきたところかな。(→あ、これは心臓コレクターの回か。)

サイコメトリングの話だったら
そういう話が出てくるかもしれないという期待に
応えてくれたというか(笑)

しかも、その箇所は胡散臭い感じではなかったのが
良かったですね。

頭脳警察」の回は、
今思うと
結末部分が
上述の実際の事件の
明らかにならないもうひとつの事実の可能性と重なっていて

それを本当は気にしているのに
見ないフリをしている人もいる、というところで
共通する部分なのかな
と。

まぁ、大部分は考えることすら放棄している
或いは考えてもみない人達がほとんどなんだろうけど(笑)

大抵の人達は
「自分とは関係ない」と
思っているからでしょうね。

まぁ、少しは気にした方が
いいと思いますよ?(笑)

そういう意味では
「戦後の見かけ上の平和とか
豊かさに骨抜きにされている日本人」というのは
今も全く変わらないな
と。

「いつの時代が幸せだったのだろうか」
という
おじいちゃんたちのセリフの出てくる場面は
好きですが、

たぶん誰かの犠牲の上に
あぐらをかいて
平気で生きていられる人達にとっては
いつの世も幸せなんだろうな
と思いますが、

そうでない人達にとっては
いつの時代も不幸せなんだろうな
と。

なので真面目な人間ほど
馬鹿を見る世の中なんでしょうね
きっと。

まぁ、でも
幸せな人達の「幸せな時間」って
結構短いみたいですからね。

うまくいってるようにみえて
実はうまくいっていないことは
前述の通りです。(笑)

人生、いいことも悪いこともありますから
真面目に生きていたほうが
死ぬときに後悔しないかな

私は思います。

死んだあとも
地獄より
天国に行きたいですし(笑)


あとね
残念なことがありまして。

私の部屋にあるものは
印刷物含め
勝手にいつの間にか変わっていることがあることは
以前お話したかもしれませんが、
(「キングスマン ゴールデンサークル」に至っては
再生すらできなくなった(笑))

この「頭脳警察」の回の話の中で
若い頃のおじいちゃんが
浅間山荘事件が報道されているのを見て

「こんな内ゲバみたいなのを報道して何の意味がある。
真面目に闘争を行っている人達がいっしょくたにされては困る」
というようなことを
言ってた場面があったんですけど、

(よく政治批判とかが盛り上がってくると
怪しげな街頭演説の人とかが
街中に現れる現象と同じですね。
)

その場面のおじいちゃんのセリフが
この間見たら
削除されてたんですよ!

でね、
冤罪で死に追いやられた
かつての仲間の無実と真実を明るみにするため

「戦争はまだ終わっていない」と
おじいちゃんが言う
セリフがあって

どうやら「頭脳警察」の曲中にもそういう歌詞があるらしいのですが、
その中の歌詞の「戦争はまだ終わっていない」的な意味合いの部分だけ
クローズアップするような場面が増えてたんです。

まぁ、
私がこの間
「戦争をやめないキチガイ日本人」
のことを書いたからかもしれませんが(笑)

たぶん
戦争をやめないキチガイ日本人を批判するなら
お前も争わずおとなしくしとけ
って意味なのかもしれませんけど
(意味を曲解する人達のやり方ですね)

私がやっているのは
自分の考えの主張であり
キチガイじみた発想・行動をする人達への批判であって、

それを争いと勝手に解釈して
反撃を恐れている
(仕返しされると思い込んでいる)臆病な人達の言い分に
耳を貸す必要とか
全くないんで。

私は、自分の書いたことを撤回するつもりは毛頭ないし

変にねじ曲げて解釈されても
理解できない人達の頭の構造は私の責任ではないので。

ただ、社会のあり方に対して、
それを牛耳っている人達への批判を曲解して
テロリスト扱いするつもりなら
そういう扱いをするやつらこそキチガイだと
むしろ何回でも言ってやるわ(笑)

思想、信条、言論についての自由を阻害する人達は
むしろ違憲です。

そんな感じで
なんだかんだで
結構読んでいた「サイコメトラーエイジ」でしたね。

あと、みっちゃんの話は好きです(笑)

見た目と汚い部屋以外は
みっちゃんって
限りなくよいこですよね。

志摩さんも
プロファイリングは
納得できないけど←(笑)
キャラ的には好きですし。

京エキスポの外人の回は
つまらなかったけどw
(2ちゃんねるAA批判か何か?)

ずっとスベってるのを
見るのがツラいんですよね。(笑)

なんだか
サイコメトラーエイジ」の話で
長くなってしまいましたが、

すごく長くなったので、
後編に続きます。 →後編へ☆